ティナ/,恋ができないおんなのこ。
ティナ/,興味ももたないおとこのこ。
ティナ/,そんなふたりが恋におちたら、世界はどう変わるんだろう。
ティナ/,『恋って、いいよね』
ティナ/,そんな話を聞いた。
ティナ/,明日を待ち遠しそうに笑っていた。
ティナ/,わたしはその気持ちを知らないけれど、きっと『恋はいいもの』なんだろう。
ティナ/,だって、あんなに優しい笑顔で、わたしに言ってくれたのだから。
ティナ/,『いつか、恋が出来るといいね』って。
ティナ/,でも、その人は[――]もういない。
ティナ/,今も、わたしは恋なんて知らないまま。
ティナ/,きっと、そんな資格もないと思う。
ティナ/,なぜならわたしは、笑顔を奪ってしまったから。
ティナ/,この『仕事』は、向いてないんだと思う。
ティナ/,……今度は、誰かを笑わせたい。
ティナ/,恋をすると、人は幸せになれるらしい。
ティナ/,それならみんな恋をすればいいのに。
ティナ/,そしたら、みんなが笑えるようになるのに。
ティナ/,みんなが笑顔で、世の中が幸せだけで満たされて。
ティナ/,きっとそれは、素敵なことなのに。
ティナ/,そして、わたしさえいなければ……。
ティナ/,そんなとき、あの人に出会った。
ティナ/,『恋なんて、するものじゃない』
ティナ/,笑いもせずに、一緒に歩く人にそう言って。
ティナ/,その人は、登り終えた坂を振り返っていた。
ティナ/,恋って、いいの? よくないの?
ティナ/,わからない。
ティナ/,でも、もしあの人が恋をしたら。
ティナ/,笑ってくれるのかな。
ティナ/,いなくなったあの人みたいに。
ティナ/,恋はいいものだって、言うのかな。
ティナ/,……おかしなことばかり考えてる。
ティナ/,だけど。
ティナ/,そんな自分は、ほんの少しだけ好きになれそうな気がした[――]
;4月4日
木耀日(星期四)
夕莉,「浅葉くん、待って! わたしの話はまだ終わってない!」
悠真,「歩きながらじゃダメなのか?」
夕莉,「ダメってわけじゃないけど。きちんと話を聞いてくれる?」
悠真,「話ならさっきから聞いてるぞ
長くなりそうなので、別の話題に切り替える。
悠真,「それより、階段は平気か?どうせすぐ戻ってくるから、ここで待ったらどうだ」
夕莉,「ダメってわけじゃないけど。きちんと話を聞いてくれる?」
悠真,「話ならさっきから聞いてるぞ」
長くなりそうなので、別の話題に切り替える。
悠真,「それより、階段は平気か?どうせすぐ戻ってくるから、ここで待ったらどうだ」
夕莉,「お気遣いありがとう。……でもお構いなく。そんなにか弱くはありませんので」
先ほどから不満顔の彼女[――]
[月嶋,つきしま][夕莉,ゆうり]は、
俺と同じ目的で神社の境内に続く長い石段を登り始めていた。
知り合い以上、友達未満。手を差し出しても、そっぽを向かれる程度の関係。
そんな彼女を追って、俺も目の前の石段へと挑む。
悠真,「……月嶋、急いでるところ悪いんだが」
夕莉,「なんですか」
悠真,「俺の前を行くなら、注意した方が良いぞ。スカート」
夕莉,「っ!?」
悠真,「見てないから安心してくれ」
慌ててスカートを抑える月嶋に、俺は気休め程度の言葉を投げかける。
夕莉,「……見てたら怒ります」
悠真,「怒られるのもいいかもな」
夕莉,「……見てたら怒ります」
悠真,「怒られるのもいいかもな」
夕莉,「怒らせないでください!」
見ていないと言っているのに、プリプリと怒る月嶋。
俺は早足で石段を登り、そんな彼女の横を通り過ぎる。
ここなら怒らせることも無いだろう。
悠真,「それで、話ってなんだ?」
夕莉,「あとで話します。……前を向いて歩かないと危ないよ」
うんざりするような急勾配の石段。
俺たちが目的を果たすには、ここを登り切る必要があった。
夕莉,「ふぅ、着いた……」
美桜,「あれー?」
美桜,「ユウくん、こんな朝早くにどうしたの?それに夕莉ちゃんまでー」
夕莉,「み、美桜? こんな時間に何してるの……?」
美桜,「境内のお掃除だよ?新しい竹ぼうきを買ってもらったから、試してたんだー♪」
悠真,「心配になって来てみれば……」
夕莉,「はぁ……」
夕莉,「なに言ってるの、美桜。今日は始業式でしょ?」
美桜,「どうしたの?ふたりともため息なんかついて……」
そう言って、朝からのんきに神社の境内を掃除している
俺の幼なじみこと、[一,いち][ノ,の][瀬,せ][美,み][桜,お]。
彼女は、ここ……桜丘八幡神社の末娘だ。
悠真,「美桜、4月4日はなんの日だか知ってるか?」
美桜,「4月4日? えっと、4月の4日だからしーしー……しーしーの日? そんな記念日あったかな?」
美桜,「えっ、始業[――]ああーっ、そうだったっけ!?すっかり忘れてたよ、どうしよーっ!」
夕莉,「とにかく、まずは制服に着替えないと」
美桜,「うん、急いで支度するねっ。夕莉ちゃんたちは先に行ってて!」
悠真,「待ってるから、早く来いよ」
夕莉,「慌てて転ばないようにね」
美桜,「わかってるー!」
夕莉,「……本当に大丈夫かしら」
悠真,「ま、せいぜい慌てて転ぶくらいだろ」
夕莉,「大丈夫じゃないわよ、それ」
俺は置き去りにされた竹ぼうきを手にして、
美桜の代わりに周りを掃く。
悠真,「今日は美夕さんいないんだな」
夕莉,「言われてみればそうね。大学も始まってるんじゃないの?」
悠真,「それもそうか」
夕莉,「……本当に大丈夫かしら」
悠真,「ま、せいぜい慌てて転ぶくらいだろ」
夕莉,「大丈夫じゃないわよ、それ」
俺は置き去りにされた竹ぼうきを手にして、
美桜の代わりに周りを掃く。
悠真,「今日は美夕さんいないんだな」
夕莉,「言われてみればそうね。大学も始まってるんじゃないの?」
悠真,「それもそうか」
美夕さんとは、美桜の姉だ。
巫女服を着て、神社の雑事をしている姿を見かけることが
多いのだが、今日はそれもお休みらしい。
悠真,「…………」
しかし、朝からこうして境内を掃くのもいいものだな。
夕莉,「……ちりとり持ってこようか?」
悠真,「いいから少し休んだらどうだ」
夕莉,「休むって言われても……」
悠真,「これからまたあの階段を下りて、長い登校の道のりが待ってるんだぞ」
夕莉,「それは浅葉くんだって同じでしょう?」
悠真,「俺はもう慣れた。ガキの頃からここには通ってたしな」
夕莉,「…………」
悠真,「せっかく来たんだ、手を合わせていったらどうだ?」
夕莉,「ここの神社はどんな御利益があるの?」
悠真,「安産と縁結び、他は……なんだったかな」
夕莉,「そういうのは結構です。……ちりとり持ってくるね」
どうやら、ここの御利益はお気に召さないらしい。
悠真,「…………」
知り合い以上、友達未満。手を差し出しても、そっぽを向かれる程度の関係。
だけど、変なところで気が合うのも事実だ。
悠真,「縁結び……か」
賽銭箱を眺めながら、ぽつりと呟く。
悠真,「俺にも縁はなさそうだ」
美桜,「みんな、待たせちゃってごめんねー」
夕莉,「いいから急ぎましょう?このペースだと遅刻しちゃうかもしれないわ」
美桜,「うんっ」
階段を下りたかと思えば、今度は長いのぼりの坂道が続く。
おそらく、下手な体育の授業よりずっとキツイであろう道のりだ。
そんな坂を見上げた美桜は、憂鬱そうにため息をつく。
美桜,「もっと普通の場所にお家があったらよかったのになぁ。行きも帰りも坂道が多くて疲れちゃう……」
夕莉,「この辺りの土地は起伏が激しいから、自転車通学にも不便よね」
美桜,「うん、原付の免許ほしー」
夕莉,「ダメよ、美桜が乗ったら危ないわ」
悠真,「まったくだ。それに、原付の免許を取るより自転車に乗る練習が先だろ?」
美桜,「一輪車だったら乗れるのになぁ……自転車乗れる人って、尊敬しちゃう」
夕莉,「い、一輪車は乗れるんだ……」
悠真,「器用なんだか、不器用なんだか」
美桜,「魔法のほうきで、びゅーん! ってお空を飛べたらいいのにねー」
悠真,「ほら、わかったから歩け。のんびりしてる暇はないんだからな」
美桜,「はぁい」
月嶋がきびきびした足取りなため、余計に美桜のゆったりさが目立つ。
悠真,「お前は苗字を変えたほうがいいな。一ノ瀬じゃ足りない、三乗せぐらいのテンポでちょうどいい」
美桜,「三ノ瀬美桜? なんだかお得そうな響きー」
夕莉,「バカなこと言ってないの。本当に置いていくからね」
美桜,「ああっ、待ってよ夕莉ちゃーん」
夕莉,「待ちたくても待てないのよ。わたしには風紀委員の仕事があるから……」
月嶋に見捨てられてから、ようやく美桜が坂道をのぼり始める。
[桜南,おうなん]ニュータウン[――]
山と湖に囲まれたこの街の中心を貫くように伸びる、桜のトンネル。
地元の住民たちは、それをくぐることで春の訪れを実感する。
都心のベッドタウンとして栄えたこの街は、駅周辺に数多くの商業施設が並び、人口も年々増加傾向にある。
俺たちが通う[美,み][颯,はや]学園は、そんな発展の象徴だ。
少子化と言われる昨今でも生徒数が多く、他県から入寮して通うケースも多い。
月嶋夕莉も、そんな寮生のひとりだった。
悠真,「泣く子も黙る風紀委員長さまが、遅刻なんてしたら大変だもんな」
夕莉,「委員長はあくまで代理よ。先輩に押しつけられただけだもの」
悠真,「初耳だな」
夕莉,「それより、大事なことを忘れるところだった」
悠真,「大事なこと?」
夕莉,「さっきしてた話の続きっ」
悠真,「話の続き……って、ああ」
そう言えば俺に話があるとか言っていたな。
夕莉,「浅葉くん、美桜にひどいことを言ったでしょう?」
悠真,「三乗せのことか?」
夕莉,「そっちじゃなくて、恋の話」
悠真,「こい?」
夕莉,「美桜に言ったんでしょう?恋なんてするものじゃない、とか……」
悠真,「ああ、恋の話か」
夕莉,「普通、女の子にそういうこと言う?幼なじみなんだし、もう少し優しくしてあげたって……」
悠真,「できる範囲で、優しくしてるつもりなんだがな」
遅れ気味の美桜へと視線を向ける。
すると、はぁはぁという息遣いが聞こえそうなほど必死に、俺たちを追いかけていた。
悠真,「もし、美桜に恋をする男がいるとしたら大変だろうな」
夕莉,「……でも、あの子を好きになった人なら女の子を見る目はあると思う」少し天然だけどいつでも一生懸命。そんな美桜を好きになるヤツがいたら……か。
悠真,「そうかもな」
夕莉,「浅葉くんは、女の子を見る目ないけどね」
悠真,「それもそうかもな」
夕莉,「とにかく、もっと美桜に優しくしてあげて? ね?」
悠真,「なぁ」
どうにも気になったことがあった俺は、
ひとつ質問を投げかけてみることにする。
悠真,「風紀委員長さまはどうなんだ? 恋は」
夕莉,「個人的な意見でいいの?」
悠真,「ああ」
夕莉,「恋なんて、バカみたい」
悠真,「……やれやれ」
本当に、変なところで気が合うようだ。
坂を上ったと思えば、次は下ってを繰り返す。
起伏が激しいため、通学するだけでよい運動ができてしまうのは考え物だろう。
それはつまり……。
悠真,「美桜、また遅れてるぞ」
美桜,「ユウくん、私にかまわず先に行ってね」
悠真,「言われなくても、かまわず先に行ってるだろ」
美桜,「でも、歩くの合わせてくれてるでしょう?このままだとユウくんまで遅刻しちゃうよ」
悠真,「そうかもな」
美桜,「遅刻したら、風紀委員の夕莉ちゃんにいっぱい叱られちゃうんだよ?」
悠真,「それがわかってるなら、お前もがんばって歩け。あと、もう少し体力つけろ」
美桜,「うん、運動しないと太っちゃうもんね。がんばる」
悠真,「むしろ痩せすぎだろうが。もっと太ったらどうだ」
美桜,「えー? でも太るのはやだよー」
悠真,「はぁ……体重の話はわかったから。とにかく、キリキリ歩いてくれ」
月嶋は風紀委員の仕事があるため、
先にこの橋を渡って学園へと向かった。
にも関わらず、美桜のペースは相変わらずだ。
本人は全力なのだから仕方ないが。
美桜,「ねー。ユウくんは春って好き?」
悠真,「……なんだよ、いきなり」
美桜,「春っていいよー?暖かいし、いろいろな出会いがあるし、お花もいっぱい咲くし」
悠真,「美桜の頭の中にも、お花がいっぱい咲いてそうだな」
美桜,「うんうん、春っていいよねー」
悠真,「言っておくけど、褒めてないぞ」
美桜,「じゃあ、褒めてもらえるようにがんばる」
美桜とは付き合いが長いのに、一度もケンカや口論をしたことがない。
むしろこの性格でどうやったらケンカができるのか、誰かに訊いてみたいぐらいだ。
もっとも、ケンカができたとしても俺には手が出せない。
曲がりなりにも女性だからというのもあるが、それができない訳ありな事情もあったりする。
爽,「いよっ、悠真!」
悠真,「……よう」
学園につくと、気の抜けるような掛け声とともに肩をたたかれる。
爽,「美桜ちゃんも、いよっ!」
美桜,「あ、肥田くん。おはよー」
爽,「今日も元気にご飯食べてきた?」
美桜,「うん。食べたよ~」
爽,「その割りには、横幅が増えてないね」
美桜,「よ、横幅はいらないよー!もう少し、上には伸びてほしいけど……」
爽,「乙女心ってのは複雑だわな」
美桜に横幅を求めているこの男の名前は、[肥田,こえた][爽,そう]。
しかしその要求は、俺と同じく体力を付けろと言っているのでは無い。
単にこの男の性癖であるところの、ふとましい女性になって欲しい、と言っているのだ。
爽,「まったく、なんでみんなこんなに痩せてるんだか……」
美颯学園の入学試験でたまたま席が隣になり、それ以来、親しくするようになってしまった。
一応、学園の生徒会副会長なんて肩書きもあるが、認知度はきわめて低い。
しかしなんだ……。
悠真,「いきなり現れて、何のためらいもなく自分の性癖を女性に押し付けるな」
爽,「女というか美桜ちゃんに向かって、だろ?」
悠真,「女性全般と言っているんだ」
爽,「じゃ、誰に向けて言えばいいんだ? 悠真か?」
悠真,「俺にも言うな」
爽,「太ってる男の子が好きなんだ」
悠真,「だから言うなと……って、性癖じゃなく、性別が変わってるぞお前」
美桜,「ぽ、ぽっちゃりしたユウくんが、肥田くんに弄ばれて……?」
いま、美桜が不穏な言葉を口走った気がする。
美桜,「…………」
……まさか。
美桜,「えへ、えへへへ……」
悠真,「……おい、美桜」
美桜,「……はっ! ご、ごめんねっ!?」
悠真,「まったく、お前は……」
美桜,「えへへ、ぽっちゃりしたユウくん、上手かったよー?」
悠真,「上手いとか言うな」
爽,「まぁまぁ、かわいい女の子に妄想してもらえるんだから、光栄に思えよ」
夕莉,「はぁ……3人とも。朝からなんて話をしているんですか」
馬鹿なやり取りをしているところへ、月嶋があきれ顔で話しかけてくる。
まぁ、この場合は月嶋でなくてもそうなると思うが。
美桜,「夕莉ちゃん、おはよー」
夕莉,「おはようございます、一ノ瀬さん。……浅葉くんと肥田くんも、おはようございます」
美桜,「夕莉ちゃん、美桜って呼んでくれていいよー?」
悠真,「風紀委員の仕事中だからだろ、察してやれ」
爽,「月嶋さんは真面目だからなー。朝の挨拶運動なんてよくやると思うわ」
夕莉,「生徒会の人も参加してくれていいんですよ?」
悠真,「言われてるぞ、副会長」
爽,「いやー、おれはほら! 人見知りする性格だし?それにぽちゃ専だからさ」
悠真,「挨拶運動と性癖の、なにが関係あるんだよ。それとも、月嶋とは一緒にいたくないのか?」
爽,「月嶋さんは細すぎるから、そばにいるといたたまれない気分になるんだって」
悠真,「細いのは関係ないだろうが」
……しかし、改めて見ると確かに痩せすぎかもな。
美桜,「夕莉ちゃんも、もっとご飯を食べないとダメだよー?」
悠真,「美桜にまで言われるとは相当だな、月嶋」
夕莉,「面白がらないでください。それと肥田くん、制服がだらしないです」
悠真,「確かに生き様がだらしないな」
爽,「ちょ、生き様までは言ってないだろ!?」
夕莉,「仮にも生徒会役員なんですから[――]」
爽,「うぅ、す、スミマセン風紀委員長さま……」
悠真,「謝るの早すぎないか、副会長……」
爽,「仕方ないだろ。あの腕章を付けてる時の月嶋さんは、怖くて仕方ないんだよ」
美桜,「夕莉ちゃん、怖くなんてないのにねー?」
夕莉,「別にいいわ。怖がられるのも仕事だと思ってるし」
この二人を見ている限り、生徒会と風紀委員会はどうも折り合いが悪そうに見える。
どちらに問題があるのかは簡単に想像つくけどな。
悠真,「しかし、挨拶運動ってひとりでやってるのか?」
夕莉,「……他の子は、時間がきたから先にあがったの。浅葉くんたちも急いだほうがいいわ」
ひとりだった理由は、たぶんそれだけじゃないだろう。
悠真,「なるほどな。美桜、わざわざお前を待っててくれたんだそうだ」
夕莉,「ち、違っ……わたしはそんなつもりっ……」
美桜,「夕莉ちゃん、ごめんね。私が歩くの遅かったからー」
夕莉,「…………」
真面目で自分にも他人にも厳しい一方、月嶋は世話好きで面倒見がいい。
女子寮暮らしなのに、美桜を心配してわざわざ神社まで行くぐらいだからよっぽどだ。
悠真,「いい友達を持ってよかったな、美桜」
美桜,「うんー。夕莉ちゃん、一緒のクラスになれるといいねー」
夕莉,「……ええ、そうね」
始業式の今日は、クラス替えがある日でもあった。
美桜,「ユウくんとも同じクラスになれるかなぁ?」
悠真,「うちの学園はクラス数も多いから、どうだろうな」
美桜,「みんな、一緒のクラスになれるといいねー」
悠真,「そうだな……」
夕莉,「…………」
悠真,「なぁ、月嶋はまだここにいるのか?」
夕莉,「ううん。わたしもそろそろ校舎に入るわ」
美桜,「じゃあ、夕莉ちゃんも一緒に行こー♪」
夕莉,「ああっ美桜っ、そんなに引っ張らなくても平気だからっ」
爽,「おーおー、いつ見ても仲のいいふたりですな」
悠真,「俺たちと違ってな」
爽,「ばっか、おれたちだって負けてないだろー?」
悠真,「お前の中ではな」
いかにも世渡りが上手そうな笑顔を向けて、肩を組んでくる爽。
ここ美颯学園は、数年前に新設されたばかりの学園だ。
敷地内には学生寮や屋内プール、複数の食堂に加え大浴場など様々な施設が並んでいる。
そうした環境が目当てで、ここを受験する生徒も少なくはない。
悠真,「美桜、上履きは持ってきたか?」
美桜,「ちゃんと持ってきてるよー」
夕莉,「肥田くん、上履きの踵を潰さないでください」
爽,「へーい」
悠真,「風紀委員ってのもチェックが細かくて大変だな」
美桜,「委員長さんだもんね。夕莉ちゃん、すごいなー」
夕莉,「全然すごくない。……それに、なりたくて委員長になったわけじゃないもの」
悠真,「先輩に押しつけられたって言ってたが、何かあったのか?」
夕莉,「春休みに入る前、急に辞めちゃったのよ。自分が風紀を乱すようなことをしたからって……」
爽,「男女の色恋沙汰ってヤツですな」
悠真,「あー、そういうことか」
まぁ、ソレが原因で風紀委員長を押しつけられちゃ、\bバカみたいって言いたくもなるだろうな。
それでもきっちり役目を果たす辺りが、月嶋の性格をよく表している。
夕莉,「美桜、わたしは生徒会室に寄ってから行くね」
美桜,「うん。夕莉ちゃん、またあとでねー」
悠真,「爽は寄らなくていいのか?」
爽,「どうしておれが?」
悠真,「……副会長は暇そうだな」
爽,「ほーんと、なんでおれ生徒会の副会長になんかなったんだろ」
夕莉,「やる気がないなら辞退してください」
悠真,「バッサリだな、副会長」
爽,「……やれやれ、月嶋さんは容赦ないよなぁ」
悠真,「間違ったことは言ってないと思うぞ?」
爽,「なーんも言い返せねぇ」
美桜,「こ、肥田くんは……言葉責めが好きなのかな?」
爽,「……なーんも言い返せねぇ」
悠真,「言い返せよ」
頼りない副会長にため息を吐きつつ、クラス表の張り出されている廊下へと向かう。
爽,「さーて。クラス表クラス表、と……ん?なんだ、あの人だかり?」
悠真,「クラス表を見てるんだろ」
爽,「いや、それは教室の入り口に貼ってある。なんか違う掲示物を見てるっぽいな」
悠真,「言われてみれば、確かに……」
美桜,「女の子ばっかり集まってるね。掲示板に何が貼ってあるのかなぁ?」
爽,「むっふふ♪ おれの愛しのぽちゃたんは、と。……なんだよ、みんなゴボウみたいな細さだなぁ」
お目当てのタイプがいないのを確認すると、爽は途端に興味をなくす。
爽,「まぁいいや。それよりまずはクラスだ。えーと……?」
掲示板の人だかりを無視して、クラス表を眺める爽。
爽,「お、あったあった。みんな一緒のクラスみたいだぞ」
美桜,「わぁっ、ほんとー?」
悠真,「よかったな、美桜」
大喜びでクラス表へ向かう美桜。
悠真,「担任は誰だった?」
爽,「女の先生だよ、去年きたばっかりの。そういえば、お前と同じ苗字なんだよな」
悠真,「あぁ。浅葉先生か」
美桜,「わーユウくん、あれ見てー」
そう言いながら、美桜は掲示板へと駆け寄っていく。
悠真,「あ、おい美桜っ。クラス表を見に行ったんじゃないのか?」
爽,「せっかくだし、おれ達も行ってみようぜ」
しかし、いったい何をそんな真剣に見てるんだ?
見事なまでに女子ばかりってのが気になるが……。
悠真,「……って」
悠真,「これは、どういう嫌がらせだ?」
爽,「いやー、嫌がらせではないだろう。かなり気合い入れて作ってるみたいだぞ、この貼り紙」
爽の言うとおり、細かな部分にこだわっているのだろう。
一見して、しっかりとしたデザインが施されていた。
悠真,「いくら気合いを入れてようが、全く嬉しくないんだが……」
爽,「愛がなきゃ、ここまではできんだろうなぁ」
悠真,「どういう意味の愛だかわからんけどな」
俺の顔写真に、大きな『WANTED』の文字と賞金額。
それはまさしく、手配書そのものだった。
爽,「要するに、お前を攻略した女子には21000円の賞金が出ます! ってことだろ?」
悠真,「なんだよ攻略って……意味がわからん」
#sayため息を吐いていると、
#say戻ってきた美桜が感嘆の声を漏らす。
美桜,「すごいユウくん、賞金首だってー」
悠真,「ああ、すごいな。まるで犯罪者にでもなった気分だ」
爽,「悠真を攻略すれば21000円か。なるほどなぁ……」
……こいつらめ。
悠真,「二人とも、他人事だと思って面白がってるだろう?」
爽,「お前は、女子の間ではちょっとした有名人だからなぁ。今まで何人の可憐な乙女たちが告白して散っていったか……」
悠真,「それは……」
爽,「そしてそういう男を[陥落,おと]してこそ、女の株がぐーんとあがるってもんさ」
悠真,「それこそ周囲の評価で、俺の知る所じゃない。だいたい俺は、恋愛に[――]」
女子生徒A,「あ、本物の浅葉くんが来てるー!」
女子生徒B,「ほんとだー!浅葉くん、あたし同じクラスだったよー!」
女子生徒C,「なんだか疲れた顔してるね。大丈夫? 結婚する?」
女子生徒A,「えーいきなりプロポーズとかありなの?」
女子生徒B,「やだ、ちょっと押さないでってば!」
女子生徒C,「押されてるね。危ないよ、結婚する?」
爽,「ぬおお、ちょっ、タンマタンマ!そんな一気に押し寄せてきたらっ……」
美桜,「わわわ、ユウくっ……」
悠真,「美桜っ!」
美桜,「あ……」
とっさに、人波に飲まれかけた美桜の腕をつかむ。
しかしそれは、美桜を悩ませる[訳あり,・・・]に
触れることでもあった。
美桜,「っ……」
女子生徒A,「え……どうして、一ノ瀬さん泣いてるの?」
女子生徒B,「まさか、美桜ちゃんも浅葉くんにフラレちゃったとか!?」
美桜,「ち、違っ……っっ……」
爽,「あっちゃー、こいつは困ったことになったな」
これが、一ノ瀬美桜の訳ありな事情だ。
昔から、異性との接触に強い拒絶反応を示してしまう。
こうやって指一本でも触れようものなら、涙を溢れさせてしまうのだ。
美桜,「ユウくん、ごめんね……私また……」
悠真,「俺のことは気にしなくていい。……それより、悪かったな」
美桜,「ひぐっ……う、ううんっ」
今回のようなことも初めてではない。
とはいえ、これだけ人目があるところで泣かせてしまったのは迂闊だった。
夕莉,「みんな、そんなところで集まって何をしてるの?」
美桜,「夕莉ちゃん……」
夕莉,「美桜? どうしたの、まさかまたっ……」
事情を知っている月嶋が、美桜のフォローに回ってくれる。
悠真,「悪い。俺が……」
美桜,「う、ううん、違うの。わ、わたしがねっ」
月嶋は、それを聞いて全て察したのか、
ざわつく周囲の生徒に声を掛ける。
夕莉,「……とにかくみんなは教室に入って?もうすぐホームルームの時間よ」
爽,「はいはい、解散解散っ。風紀委員長さまを怒らせると怖いぜ~?」
それまで俺たちを囲うようにしていた女子生徒たちが、一斉に離れてくれた。
悠真,「悪いな、月嶋」
夕莉,「ほら、美桜も大丈夫だから……ね?」
美桜,「うん。ごめんね、みんなに迷惑をかけちゃって……」
爽,「だいじょーぶ、だいじょーぶ!美桜ちゃんが気にすることじゃないって」
夕莉,「そうよ。美桜だってがんばってるんだから気にしないの」
美桜,「ユウくんも……」
潤んだ瞳で見上げる美桜。
……こいつは、いつもそうだ。自分よりも他人で、それが当たり前だと思ってる。
だから俺は。
悠真,「俺たち二人の不注意。それでいいだろ?」
美桜,「……ユウくん」
そう言って、美桜を納得させる。
夕莉,「……でも、なんの騒ぎだったの?美桜のことだけで、あんなに大勢は集まらないわよね」
爽,「そりゃーあれっす」
夕莉,「あれ?」
例の賞金首ポスターを見た月嶋は呆れたのか、ため息を漏らす。
爽,「改めて見ると、綺麗に撮れてるよな~。カメラマン、いい腕してるわ」
夕莉,「もう、新学期早々こんな悪ふざけをして……」
爽,「女子の皆様は本気だったみたいだけどなぁ」
悠真,「あんな勢いで来られても、困惑するだけなんだが」
夕莉,「…………」
悠真,「どうした月嶋。なにか気になることでもあったか?」
夕莉,「別に何もありません。美桜も早く教室に入って?」
美桜,「うんー」
すっかりいつもの調子を取り戻した美桜が、教室へと向かう。
爽,「あれ、これは剥がさんでいいの?」
夕莉,「肥田くんにそんなこと言われるとは思わなかった」
爽,「んん、どゆこと?」
夕莉,「右下に押してある判が見えない?その印刷物、生徒会が承認したんでしょう」
悠真,「なんだって?」
爽,「げ、マジだ」
もう一度ポスターをよく見てみると、確かに月嶋の言うとおり生徒会のハンコが押されていた。
爽,「いやー最近、うちの生徒会も忙しくてさ。さすがにおれも細かい見落としが……」
悠真,「だからって、副会長が知らないのも問題だろ」
爽,「それを言われるとつらいなー」
などと、軽く笑ってごまかす爽。
夕莉,「それとさっきも言いましたけど、制服がだらしないです。上履きの踵も潰さないでください」
爽,「へーい」
月嶋はどうやら、怒ると言葉使いが丁寧になる傾向があるらしい。
まぁ、大概は相手側に問題があるため、月嶋は正論で説き伏せているだけなのだが。
夕莉,「浅葉くんも」
悠真,「俺も?」
身だしなみはしっかりとしているつもりなのだが、どこかおかしかっただろうか。
夕莉,「ちゃんとしてください、いろいろと」
悠真,「……いろいろとって、なんだ?」
爽,「自分の胸に問いかけなさいってことだろ?」
悠真,「意味が分からないな。お前には分かるのか?」
爽,「さあなー。とりあえず、一緒にしょんぼりと教室に入るかー」
悠真,「……俺までしょんぼりする必要がどこにあるんだ」
俺は爽の後を追って教室へと向かう。
あの貼り紙は……まぁいい。あとで何とかしよう。
新学期の新しいクラス。
だが、特に新鮮な気分を味わえるわけでもなく、ちらほらといる見知った顔に挨拶をしつつ、席に着く。
まぁ、新入生というわけでもないから仕方ないんだがな。
そして、俺の隣には……。
悠真,「よう、よろしくな」
美桜,「あ、ユウくんっ。また一年間よろしくねー」
こうして、相変わらずの顔が座っているのだった。
美桜,「ユウくんとお隣になるのも、何回目だろうね?」
悠真,「言われてみれば、結構あったな」
美桜,「えっと、小学校の頃に4回でしょ。中学の時に2回で、それから……」『あさば』と『いちのせ』だから、出席番号的に隣になりやすいのだろう。
美桜,「あ……そういえば、担任の先生って[――]」
葵/女性教師,「はい、皆さん。席についてくださいね。ホームルームを始めます」
美桜,「…………」
悠真,「口を開けたまま固まるなよ」
美桜,「で、でも……」
まぁ、美桜が何を言いたいのかはわかるが。
葵/女性教師,「ええっと、初めましての人たちが多いのかな。今日から皆さんの担任を務めることになった[――]」
女子生徒A,「先生、どうしてジャージ姿なんですかー?」
葵/女性教師,「あ……これは、わたしは体育の先生なので、この格好のほうがわかりやすいかと思って……」
悠真,「先生……」
安直すぎじゃないだろうか。
葵/女性教師,「でも明日の1年生との対面式では、ビシッと決めてきます!」
そうなると、つまり今日の始業式はジャージで出ることになるわけなのだが。
女子生徒B,「先生ってジャージ似合うよね~」
葵/女性教師,「どうもありがとう。……えっと、なんの話をしてたんだっけ」
ちら、とこちらを見る先生。
悠真,「自己紹介の途中だったと思います」
葵/女性教師,「そうそう、自己紹介がまだでした!これから一年間、この教室で皆さんと一緒に[――]」
男子生徒A,「センセー、マジかわいーっす!」
葵/女性教師,「そ、そんな……可愛くなんてないです、わたしなんて、もういい歳のおばさんで……」
夕莉,「浅葉先生、ホームルームを進めてください」
葵/女性教師,「ああっ、そうでしたっ。まずは自己紹介よね。えっと、チョークチョーク……」
葵/女性教師,「きゃあ!? ご、ごめんなさいっ、ごめんなさいっ!」
悠真,「拾うの手伝います。……先生、少し落ち着いてください」
床に散らばったチョークを集めながら、堪らず声をかける。
葵/女性教師,「うぅぅ、どうしよ悠真くん。昨日、家でリハーサルしたのに頭の中が真っ白だよぉ」
悠真,「先生、学校でその呼び方は……」
葵/女性教師,「そ、そうだったよねっ。学校では母親じゃなくて先生だもんねっ」
悠真,「はい、その意気です。がんばってください」
葵/女性教師,「うん。ありがとう、悠真く……じゃなかった、浅葉くん」
まだ女子大生っぽさが抜けない外見。事実、卒業してからそれほどの年数は経っていないはずだ。
ちなみに、小声で『母親』と名乗ったのは、茶目っ気たっぷりのジョークというわけじゃない。
正真正銘、この人が俺の義理の母親だからだ。
葵,「こほん。えっと、今日から皆さんの担任となります、浅葉葵です」
葵,「名前を漢字で書くと……あ、さ、ば……あ、お、い……」
実の母親は妹を産んですぐに亡くなり、父親も数年前に病を患って他界した。
そんな、ある意味呪われた我が家の救世主が、葵さんだったのだ。
父さんの再婚相手として、女手一つでここまで育ててくれたことにはとても感謝をしている。
……している、のだが。
男子生徒A,「センセーの字、丸くてかわいーっす!」
女子生徒B,「葵センセーって、彼氏いるのー?」
年が近いせいか、仕事では教師として見られないことも多く。
葵,「あ、あの……先生は未亡人で、実はふたりの子供がいて……」
;#男子生徒A,da0004
;#男子生徒B,db0003
;#女子生徒A,za0005
;#女子生徒B,zb0006
;#女子生徒C,zc0003
;合成/みんな,
学生生徒,「えええええーーーっ!?」
葵,「ああっ、みんな静かにっ。騒ぐと他のクラスに迷惑がっ……」
そして当然、母親としても葵さんは若すぎるわけで。
見てると放っておけない、どうにも危なっかしい人だった。
美桜,「ふふっ。ユウくん、楽しいクラスになりそうだねー?」
悠真,「俺は素直に楽しめそうにはないけどな……」
しかし、美桜に爽、月嶋に葵さん……か。
今年のクラスは、ずいぶん賑やかになりそうだな。
始業式が終わり、この日は午前中で下校となった。
この後の予定は決まっている……というか、既に決められている。
悠真,「さて……」
悠真,「…………」
悠真,「失礼します」
奈緒/養護教諭,「あいにく保健のセンセーは不在だ」
悠真,「外の札なら『在室』にしておきましたよ」
奈緒/養護教諭,「ああ、なんだ悠真か。そういや今日から新学期だったな」
悠真,「ええ、まぁ」
奈緒/養護教諭,「葵とは話したのか?」
悠真,「話すも何も、うちの担任です」
奈緒/養護教諭,「なるほど。それでここ数日、機嫌がよかったわけか。あいつは」
白衣を着たこの女性の名前は、[佐和田,さわだ][奈緒,なお]。
『先生』をつけるには、少し抵抗がある人だ。
この学園の養護教諭であり、葵さんの同期生でもあるこの人とは、俺も付き合いが長い。
だから[――]
奈緒,「…………」
悠真,「なんですか?」
奈緒,「前から思ってたが、お前は母親似だな。それと、アタシにはタメ口でいいって言ったろ?」
悠真,「……悪かったな。父さんみたいに愛想がなくて」
こんな態度で接するのも、いつものことだったりする。
奈緒,「似ないでよかったじゃないか」
この人と葵さんは、教師をしていた俺の父親の教え子だ。
特にこの人は、当時父さんが顧問を勤めていた文芸部のただ一人の部員だったらしい。
その関係もあり、何かと我が家に来ては、実の姉のように俺や妹の面倒を見てくれていた。
奈緒,「お前は仕事のしすぎで、家族を残して逝っちまうような男にはなるなよ」
このように口は悪いが、信用できる人だと思っている。
悠真,「仕事しなくていいなら、今日は帰るぞ?」
奈緒,「とりあえず、死なない程度に働いてくれ。ほれ、白衣」
1年の時は保健委員だったこともあり、休み時間や放課後は、ここの手伝いをやることが半ば習慣と化している。
なので、このやり取りも慣れたものだった。
俺は多少呆れつつも、渡された白衣に腕を通す。
悠真,「相変わらず、いいご身分だよな」
奈緒,「仕方ないだろう。お前がやったほうが、女子からのウケがいいんだ」
悠真,「ウケの良し悪しで、生徒にこんなことやらせるなよ」
などと、今更どうしようもない不満をぶつけていると、保健室の扉が鳴る。
女子生徒D,「失礼しまーす」
奈緒,「ほれ、お前の仕事だ」
悠真,「……あんたの仕事だからな、本来は」
文句だけはしっかりと小声で伝え、近づいてきた女子に椅子を差し出す。
さて、今日の[仕事,・・]の始まりだ。
女子生徒D,「はぁ……でも今回は私が悪いんです。彼氏から、お前と付き合うのは重いって言われちゃって」
悠真,「そうでしたか……」
これが、ここでの俺の仕事だ。
白衣を着て、簡単な怪我の治療や恋の悩みを聞いてやったりする。
言うなれば、保健の先生ごっこだ。
女子生徒D,「やっぱり男の人は、軽く遊べる感じの子がいいんですよね」
口コミで拡がったのか、
今ではかなりの数の生徒が相談へ来るようになっている。
女子生徒D,「私もそうなれればいいなって思ってるんですけど、なかなか生まれつきの性格は直らなくて……」
俺は、そう悲しそうにこぼす女子生徒の目を見ながら、口を開く。
悠真,「……別に、直す必要はないと思いますよ」
女子生徒D,「え……?」
悠真,「男のために自分の性格を歪めたって、後々しんどくなるだけです」
女子生徒D,「…………」
悠真,「だったら、今の自分を好きになってくれる相手を見つけるほうがずっといい。俺はそう思います」
『恋なんて、するものじゃない』
そう美桜に言った俺が、こんなアドバイスをしている。
悠真,「それでも、好きで諦められないなら……」
こんなことで誰かを救えるなんて、思っていない。
……でも。
悠真,「意地でも、その人を惚れさせてみてはいかがでしょうか」
こんな中身のない言葉が誰かのためになるならば、俺はそれでも良いと思っている。
泣かせなくて良かった。
沈みがちな気持ちを上向きに保ててよかった。
本来は、相談者が口にするような言葉を、俺はいつも心の中で自分に向けてつぶやく。
これはいわゆる、自己満足なのだろう。
女子生徒D,「先生、いつもありがとうございますっ。今日もすっかり元気が出ちゃいました!」
悠真,「じゃあ、これは今日の薬です。……ただのキャンディですけどね」
白衣のポケットから、適当に一粒取り出し、手渡す。
悠真,「お大事に」
俺は彼女が笑顔になって出て行く姿を見て、
その自己満足な行為を誇らしく思えるのだった。
奈緒,「しかし、お前のその天然色魔っぷりはなんとかならんのか」
悠真,「なんだよ、色魔って」
奈緒,「今日の放課後だけで、何人の女がお前に惚れて帰っていったと思う?」
悠真,「惚れるっていうのは、そんな簡単なものじゃないだろうが」
奈緒,「簡単に惚れられたから、賞金首にもなったんだろう?」
悠真,「……知ってたのか」
奈緒,「あれだけ騒いでればな」
一応あの後、目に付いた貼り紙は剥がしたものの、それを上回るスピードで新しいものが貼り直されていた。
どうやら犯人を捕まえて話をしないことには、イタチごっこが続くらしい。
奈緒,「だが、あんなポスターはどうだって良い。それよりお前の、そのぶっきらぼうな部分をどうにかするべきだ」
悠真,「ぶっきらぼう?」
奈緒,「態度と言葉が、まったく釣り合ってないんだよ。ギャップ萌えでも狙ってるのか?」
中身のない言葉については、この際目をつぶっておいてもらいたいが。
悠真,「……つまり、どうしろってんだ?」
奈緒,「わからないか? お前に足りないのは愛嬌だ」
悠真,「じゅうぶん愛想を振りまいているつもりだぞ」
奈緒,「眉ひとつ動かさずに恋愛相談しているヤツが、愛想とか言うんじゃない。あと、振りまくのは愛嬌にしろ」
どっちも似たようなものだと思うが……。
悠真,「ところで俺は、保健室の仕事をしに来てるのに、なぜ恋愛カウンセリングをさせられてるんだ?」
奈緒,「何を言っている。恋の病を治療するのも、ここの仕事だぞ」
悠真,「他にも仕事はあると思うんだが……」
奈緒,「女は恋をして輝くんだよ。だからお前は、相談に来るヤツらへ愛嬌を振りまき、磨いてやれば良い」
悠真,「なら、まずは自分から恋とやらをしてみて、輝いたらどうなんだ?」
奈緒,「…………」
悠真,「意味ありげに何を笑ってんだ?」
奈緒,「お、悠真。そろそろ時間じゃないか?」
悠真,「……確かにそうだな」
時計を見ると、確かにもう結構な時間になっていた。
少し誤魔化されているという気持ちはあるのだが、別に詮索をするつもりもない。
俺は借りていた白衣を脱ぐと、それなりに綺麗に畳んで手近な机の上に置く。
この人に渡したら、グシャグシャにした上に放置しかねないしな。
悠真,「じゃ、俺はもう帰るぞ」
奈緒,「ああ、ご苦労さん。また明日な」
そんな、姉のような先生に見送られて保健室をあとにする。
校舎を出ると、見知った顔があった。
悠真,「美桜に、月嶋?」
美桜,「あ、ユウくんもこれから帰るの?」
悠真,「まぁな。二人とも、まだ残ってたのか?」
夕莉,「風紀委員の仕事でね。美桜には、入学式の準備を手伝ってもらってたの」
悠真,「へぇ、入学式の?よくがんばったな、美桜……っと」
妹にするような勢いで、つい美桜の頭を撫でそうになる手を引っ込める。
夕莉,「また美桜を泣かせる気なのかと思った」
悠真,「気づいてたのか」
夕莉,「黙ってたほうがよかった?」
悠真,「そうだな。今度から、そうしてくれるとありがたい」
俺は、所在を無くした手を月嶋の頭へと向かわせる。
夕莉,「え……やっ、どうしてわたしの頭を撫でるのっ?」
悠真,「美桜の頭を撫でるわけにはいかないからな」
夕莉,「だからってそんな、美桜の代わりなんて……」
美桜,「夕莉ちゃん、よしよしー」
夕莉,「ああもぉ、美桜まで調子に乗ってっ」
左右から頭を撫でられ、いつも真面目で冷静な月嶋らしからぬ態度。
怒らせると怖い風紀委員長も、こうなると形無しだ。
夕莉,「……なんなのかしら、この状況」
悠真,「褒められてるんだから、素直に喜んだら良いんじゃないか?」
美桜,「夕莉ちゃん、笑って笑ってー?」
夕莉,「もう、わたしのことはいいからっ。気をつけて帰るのよ、美桜」
美桜,「うんー。夕莉ちゃん、また明日ねー」
夕莉,「ええ、また明日。……浅葉くん、美桜をお願いね」
悠真,「俺に任せると、また泣かせるかもしれないぞ?」
夕莉,「一応、美桜のことに関しては浅葉くんを信用してるもの」
悠真,「美桜のことだけか」
他のことに関しては、あまり信用がないらしい。
夕莉,「裏切ったら怒るからね」
悠真,「肝に銘じとくよ。……美桜、帰るぞ」
美桜,「はーい」
月嶋に手を振ってから、美桜と二人で歩き始める。
美桜,「ねえ、ユウくん聞いてー。さっきね、生徒会長さんに褒められちゃった」
悠真,「よかったな、美桜。会長も一緒に入学式の会場作りをしてたのか?」
美桜,「うん、それがすっごくキレイな人でねー」
美桜が楽しそうに話す内容に耳を傾けながら、俺は相槌を打ったり、言葉を返したりする。
そんな日常を謳歌しつつ、帰路につくのだった。
爽,「会長、入学式の準備おつかれさまっした」
杏/生徒会長,「うん、肥田くんもおつかれさま」
爽,「あれ? 何をそんな真剣に見てるんすか」
杏/生徒会長,「浅葉悠真……か。肥田くん、この子のこと知ってる?」
爽,「知ってるも何も、同じクラスっすよ。ちなみに写真うつりは悪いほうかと。実物はもっといい男です」
杏/生徒会長,「ふぅん……」
爽,「あ、もしかして会長、気になっちゃってる系ですか?」
杏/生徒会長,「気になってるって言えばそうかな」
爽,「だったら今度、紹介しますよ。しかし珍しいっすね。会長が男に興味を持つなんて」
杏/生徒会長,「なんかこう、ビビッときちゃったのよね」
爽,「一目惚れってやつっすか?」
杏/生徒会長,「クスッ、そうかも。ねぇ、彼が生徒会に入ったら面白くなると思わない?」
爽,「……あー。そういう一目惚れっすか。ノーコメントとさせてください」
美桜,「帰りは下り坂だから楽ちんだねー?」
そう言って、タタタッと駆け出す美桜。
悠真,「あんまり急いで転ぶんじゃないぞ」
美桜,「でも登校するときは、のんびりでユウくんをイライラさせちゃったから。帰りは待たせないようにするー」
悠真,「イライラなんて、した覚えは無い」
美桜,「あ……」
あえて腕をつかみ、美桜を立ち止まらせる。
美桜,「…………」
悠真,「ほら、誰も見てないから我慢しなくていいぞ」
美桜,「……が、がんばる」
悠真,「ああ、がんばれ」
軽く震えながらも、美桜は涙をこらえる。
美桜,「……ん」
どうにか耐えている様子に安心した俺は、そっと掴んでいた手を離す。
悠真,「よし、よくがんばった。そんな美桜に、ご褒美をやろう」
美桜,「……?」
悠真,「ほら、保健室から頂戴してきた飴だ。ええと……マスカット味だな」
美桜,「わぁ、ユウくんありがとー♪」
悠真,「がんばった人間は、こうやってご褒美をもらえるんだぞ」
美桜,「……ユウくんのぶんは?」
悠真,「俺はがんばってないからいいんだよ」
美桜,「じゃあじゃあ、これっ。私はチョコ持ってるからっ」
悠真,「おいおい、俺はいいって」
美桜,「あ……」
悠真,「……あー」
チョコを渡すため、自分から俺にふれてしまう美桜。
美桜,「ご、ごめんなさぁい……」
悠真,「謝らなくていい。ほら、ハンカチ」
美桜,「……うん、ありがとう」
がんばっている美桜を慰めてやりたい。
溢れ出る涙をぬぐってやりたいとも思うが、それはかなわない。
だからせめて[――]
悠真,「……少し桜でも観ていくか」
美桜,「いいの?」
せめて、美桜の喜びそうなことを提案してみる。
悠真,「急いで家に帰ってもすることないしな」
足を止めると、美桜は無理に笑おうとしていた。
悠真,「涙が止まるまで待ってるぞ」
美桜,「……ううん、へーき。桜を見てたら元気になったよ」
まだ、ほのかに潤む瞳で笑う美桜。
……そんな目じゃ、しっかりとなんて見えないくせに。
こいつは。
美桜,「……ふー。落ち着いたかも」
悠真,「そうか、ならよかった」
見ると、確かに美桜は
落ち着きを取り戻している様子だった。
美桜,「ねー。ユウくんは、桜すきー?」
悠真,「嫌いな日本人なんて、そうそういないだろ?」
美桜,「でもほら、かふんしょーだったら『桜めー!』ってなるかもしれないよ?」
悠真,「スギ花粉で憎まれていたら、桜もたまったものじゃないな」
相変わらずズレている、いつもの美桜との会話。
こうしていると、辛かったことなんてぜんぶ忘れてしまいそうになる。
そう。
何年も前の、あの日のことだって……。
悠真,「………」
俺は何気なく、自分の胸に手を置いて、鼓動が刻まれているのを無自覚のうちに確かめていた。
トクン、トクンと脈打つ律動は俺を安心させる。
美桜,「どうしたの、ユウくん?」
悠真,「……いや、なんでもない」
悠真,「ほら、元気になったんならさっさと帰るぞ」
美桜,「あっ、ユウくん待ってー」
ティナ/???,「…………」
悠真,「ただいま」
葵,「あ、悠真くんお帰りなさいっ」
俺の顔を見るや否や、葵さんに抱きしめられる。
葵,「今朝は忙しくてぎゅーってできなかったから、倍の時間するねっ」
悠真,「……前から言おうと思ってましたけど、こんな大きな息子を抱きしめる母親なんていないと思いますよ?」
葵,「ううん、ここにいるよ?」
悠真,「開き直られても」
葵,「親子のコミュニケーションって大事だと思うけどなぁ」
悠真,「もう少し、違う方法を考えましょうよ」
葵,「考えてはみたけど、やっぱり親子の愛情を確かめ合うならハグじゃない?」
……ということだそうだ。
葵さんは以前からこういう人だったので半ば諦めているが、それでもそろそろ息子離れは視野に入れて欲しい。
葵,「午前中で終わりだったのに帰るの遅かったね。どこか寄ってきたの?」
悠真,「いつもの保健室です」
葵,「あ、そっか。奈緒ちゃんのお手伝いをしてたんだ」
悠真,「俺の担任になることは、黙ってたんですね」
葵,「ふふっ、悠真くんを驚かせようと思って。でも教室で顔を合わせるの、すごく不思議な感じだった」
悠真,「よかったんですか? 未亡人だとか言っちゃって」
葵,「だって本当のことだもん。わたし、血はつながってないけど、悠真くんのことは本当の息子だと思ってるよ?」
本当の息子……か。
いつもそう言ってくれる葵さんに、俺たちはどれだけ救われたか。
葵,「悠真くんにしてみたら、頼りないお母さんだろうけどね」
悠真,「そんなことないですよ、葵さんのことは頼りにしてます」
それは、偽らざる本当の気持ちだ。
頼りにならないなんてとんでもない。
俺たち兄妹は、葵さんがいなければそもそもバラバラになっていたかもしれないんだ。
悠真,「ところで葵さん。そろそろ着替えてきてもいいですか?」
葵,「ああっごめんねっ。つい、いつもの調子でっ……」
元から子供が好きな人なんだろうと思う。
本来なら『お母さん』と呼ぶべき相手なのに、葵さんがこの調子だからなかなかきっかけがつかめない。
それに今さらそう呼ぶのも、歳が近いことや気恥ずかしさがあって、難しいのだ。
だからつい、そんな心を別の言葉でごまかす。
悠真,「こなみは部屋にいるんですか?」
葵,「うん。昨日の夜からずっと将棋をしてて、疲れて眠ってるみたい」
悠真,「また将棋か……。明日が入学式だってのに、あいつは」
こなみは、俺のひとつ下の妹。
今年の春から同じ美颯学園へ通うことになっている。
葵,「こなみちゃん、本当に将棋が好きだもんねー」
悠真,「ええ、父さんの影響です」
腕はかなりのもので、よく俺も対局に付き合わされている。
悠真,「じゃあ、俺も2階に行ってますね」
葵,「あ、待って待って悠真くんっ」
なんですか、と口を開こうとした途端[――]
葵,「ぎゅぅ~」
悠真,「……親子のコミュニケーションでしたっけ」
葵,「うんっ♪」
それはもう、非行に走ろうだとか、親をないがしろにしようとは思わせないほどに抜群の効果を持っていた。
親子のコミュニケーション……恐るべし。
悠真,「ふぅ」
休み明けの登校は疲れるようで、思ったよりも身体中に疲労感を覚える。
明日からは、こなみも一緒か……。
部屋の明かりも付けないまま、窓の外に目をやると、満開の桜の木が見えた。
美桜,『ねー。ユウくんは春って好き?』
ふいに、美桜が言っていたことを思い出す。
春という季節に特別な思い入れはない。
好きか嫌いかを訊かれても『どちらでもない』と答えるだけだ。
でも毎年、待ちわびてもいる。
俺にとって、春はそんな季節だった。
;※■4月16日(火)
火耀日(星期二)
こなみ,「…………」
美桜,「ユウくん、怒ってる?」
悠真,「ん?」
朝、美桜やこなみと一緒に登校していると、ふと、二人の視線が俺へと刺さっていることに気がつく。
悠真,「そんな風に見えるか?」
美桜,「うん、ちょっと」
こなみ,「兄さん、難しい顔をしてる」
悠真,「そうか……」
実際、不機嫌な感情は全くない。色々と、考え事をしていただけだ。
美桜,「でも、怒ってないならよかったー」
悠真,「いや、俺こそ昨日は悪かった。空気、悪くさせたみたいだし……」
美桜,「ううん。私のために言ってくれて、とっても嬉しかったよ」
こなみ,「美桜さん、愛されてますね」
美桜,「あ、愛……って、そ、そうなのユウくんっ!?」
悠真,「幼なじみとして、なら愛してるぞ」
こなみのヤツ……からかってるな。
こなみ,「それで、怒ってないならどうしたの?」
悠真,「神鳳先輩について、ちょっと考えてた」
美桜,「あ……」
こなみ,「まだ、杏先輩に対して怒ってるの?」
悠真,「いや、そういうわけじゃない。良く分からなくなってきたんだ」
思い出すのは、昨日の爽との会話。
月嶋と俺を、笑顔にさせたい。それが会長の目的だと言っていたが……。
こなみ,「なにがわからないの?」
悠真,「それを整理しているところというか」
こなみ,「ん、そっか」
悠真,「ほら、それよりこのペースで行くと遅刻するぞ。二人とも、急げ」
美桜,「あ、ユウくん待ってよー」
こなみ,「……と言いつつ、今日も振り返ります」
悠真,「お前らも急げよ?」
美桜,「ふふっ、いつもどおりだねー?」
こなみ,「はい。本当に怒ってないようです」
美桜,「うんっ」
こなみ,「それじゃ美桜さん。行きましょうか」
美桜,「あ、こなみちゃん早いよぉー」
ようやく学園に到着する。
美桜やこなみと話しながらの登校のせいか、途中で立ち止まることがどうしても多くなってしまう。
もし遅刻するようなら、少し厳しくせざるを得ないな……。
悠真,「……っと。そうだ、こなみ」
こなみ,「なに?」
悠真,「今日は学食の日だろ?葵さんから渡されたお金があるんだ」
こなみ,「お小遣いから出すのに」
悠真,「まぁ、もらっとけ。俺たちはまだ学生なんだから、母親の愛情に甘えてもバチは当たらないぞ?」
こなみ,「兄さんがそう言うなら。じゃあ、そのまま兄さんが持ってて」
悠真,「俺が?」
こなみ,「お昼は兄さんに奢ってもらうから」
悠真,「なるほどな。それじゃ、昼に迎えにいく」
こなみ,「ううん。わたしから行く。兄さんが来るとクラスの女子が浮き足立つから」
悠真,「なんでだよ?」
こなみ,「兄さんは、もっと賞金首の自覚を持たないと」
悠真,「もう賞金首じゃないぞ。それにこなみだって、賞金首だっただろうが」
こなみ,「言われてみればそうでした」
あれだけのことをもう忘れてるのか、こいつは……。
悠真,「じゃあ待ってるな、昼休み」
こなみ,「うん、よろしくね」
悠真,「……ところで美桜はどこ行った?」
美桜,「[――]っ!」
悠真,「……美桜?」
こなみ,「男の人にさわっちゃった……みたい?」
悠真,「はぁ……しかたないな」
こなみ,「早く行ってあげよう?」
悠真,「ああ」
夕莉,「はぁ……」
あまり時間に余裕のない登校となってしまったことを反省していると、見慣れた友人の後ろ姿が目に入った。
夕莉,「美桜?……と、浅葉くん?」
悠真,「ああ、月嶋か。おはよう」
夕莉,「うん、おはよう……って、どうしたの、美桜?」
悠真,「ちょっと男子にさわったみたいでな」
美桜,「えへへ……夕莉ちゃん、おはよ~……」
夕莉,「挨拶はいいから。それより大丈夫?」
美桜,「うん、もう大丈夫だよ~……」
夕莉,「あまり大丈夫そうな声じゃないけど……」
悠真,「ま、さっきまで笑っていたしな。大丈夫だろ」
美桜,「こなみちゃんとユウくんの会話が面白くて……」
夕莉,「そう……なら、大丈夫ね」
美桜,「ユウくんと夕莉ちゃんには迷惑かけちゃって、ごめんね?」
夕莉,「迷惑じゃないって、いつも言ってるでしょ?」
悠真,「それよりも、泣かないで済むようにならないとな」
美桜,「えへへ、がんばる~」
ふと、こんなところを見ていると、わたしは場違いなところに居合わせたのではないかと感じる時がある。
悠真,「そうだ、月嶋。せっかくだし美桜のことを頼んでもいいか?」
夕莉,「えぇ、大丈夫よ」
悠真,「じゃ、よろしくな」
美桜,「ユウくん行っちゃった」
夕莉,「……ああ、そっか」
美桜の顔を見て、得心がいった。
美桜,「どーしたのかなぁ、ユウくん?」
夕莉,「どうしたんだろうね」
泣いて腫れた眼をしている美桜を、一人で残したくない。
だけど自分では、側にいるだけでふれてもやれない。
……だから、わたしに後を頼んだのだろう。
美桜,「あ、またー」
夕莉,「またって、何が?」
美桜,「夕莉ちゃん、残念そうな顔してるよ」
夕莉,「残念そう?」
美桜,「ユウくんともっと一緒にいたかった?」
夕莉,「ち、違うわよっ」
そんなつもりは無いのだけど、美桜からはそう見えたのかな。
夕莉,「……ねえ、美桜?」
昨日からつっかえていた気持ちを伝えたくて、わたしは不意に話を切り出した。
夕莉,「昨日はごめんね」
美桜,「ん? なんのことー?」
夕莉,「生徒会のことよ。口うるさくしちゃったでしょ?」
美桜,「そんなことないよ。だって夕莉ちゃんは、いつも正しいもん」
夕莉,「…………」
こなみさんや、浅葉くんと同じようなことを言ってくれる美桜。
だけど、わたしにも分かっている。規則だけで何もかもを解決することが出来ないって事を。
そんな心情を知ってか知らずか、美桜は恥ずかしげに微笑みながら言葉を紡ぐ。
美桜,「えと……そんな夕莉ちゃんだから、正直に言うね」
正直に、って。何を……?
美桜,「私ね、ユウくんに笑って欲しいの」
夕莉,「……笑って?」
美桜,「ユウくんがね。わたしにさわっても、『大丈夫だよ』って言ってあげたいんだ」
夕莉,「…………」
美桜,「それならユウくんも、笑ってくれるでしょ?」
夕莉,「そう……かもしれない、わね」
ううん、きっとそう。
だって浅葉くんは、そういう人だもの。
美桜,「それが生徒会に入った理由なの。だから、神鳳先輩が昨日言ったことはホントなんだ。えっと……その、変な理由でごめんね?」
夕莉,「言ってくれれば、協力したのに」
美桜,「う、うん……でもね。神鳳先輩が、立場は公平にって」
夕莉,「公平って?」
美桜,「夕莉ちゃんは、先輩を怒るのが仕事だから……って言ってたの」
夕莉,「…………」
美桜,「だから、損な役回りをさせて申し訳ないなぁ、って」
夕莉,「……どうして、わたしに直接言ってくれないの?」
美桜,「んと……味方されちゃったら、公平な立場で見てくれる人がいなくなるから、だって」
夕莉,「…………」
今、わたしはどんな表情をしているのか、自分ではさっぱり理解できていなかったのだと思う。
笑顔なのか、安堵していたのか、怒っていたのか、呆れていたのか。
でも……きっと。
夕莉,「そんなことを言われたら、もう怒るしかないじゃない」
わたしは苦笑していたのだと思う。
杏,「…………」
爽,「かいちょー。昨日のこと、気にしてるんすか?」
杏,「えっ?」
ふと、考え事をしていたあたしに、肥田クンの声が掛かる。
爽,「なんかそういう感じに見えたんすけど」
杏,「ぜんぜん気にしてなんかいないけど?それより、もういいから教室に戻って。朝からゴメンね」
爽,「まぁ、そういうことにしておきますか。んじゃ、おつかれさまっしたー」
いつもの軽薄そうな挨拶を残して、肥田くんは生徒会室を出て行く。
杏,「……あたし、そんなに分かりやすい顔してたかなぁ?」
本当は、図星を突かれてしまったことが、少しだけショックだったりする。
杏,「平常通りのつもりなんだけど」
一応確認のために、いつも持ち歩いている手鏡を取り出し覗き込んでみる。
杏,「くすっ、いつ見ても美人さんだねっ♪」
???,「自分で言うな、愚か者」
杏,「あ、ちょっと。いきなり出てこないでよ」
???,「貴様の事情など知らん。それより、私に何か言うことがあるんじゃないか?」
杏,「え?別に無いけど?」
???,「…………」
あ、黙っちゃった。
杏,「ええと、何かあたしに話して欲しい話題があるってことかな。なになに?」
世話が焼けるなぁ……と思いつつ、あたしは自分から、どこにもいない『誰か』に向かって話しかけてみる。
???,「なぜお前が私を慰めるみたいになっているんだ。こっちが話し相手になってやろうと思ったのに」
杏,「ようするに、あたしの相談に乗ってくれるつもり……ってことでいいのかな?」
???,「最初からそう言っているだろう」
杏,「いやいや、別に言ってないし」
……でも、そっか。
やっぱり今のあたしは、見る人が見れば『気にしている』って分かっちゃうらしい。
???,「そんなに悩むくらいなら、もうあの男に関わるのはやめにしたらどうだ」
杏,「うわー。相談に乗るとか言っておいて、何の解決にもなってないしっ」
???,「大体、お前には他にやることがあるだろう。例の件はどうなっているんだ?」
杏,「分かってるって、そっちもちゃんとやるから」
???,「ちゃんとやっているようには見えないのだがな」
杏,「明日から本気出す!」
???,「……貴様というやつは」
そして始まったお説教を、あたしは聞き流す。
もしかしたら夕莉ってこの子に似ているのかも。だから夕莉のことも放っておけないのかな?
そして、悠真くんの方は……。
???,「そもそも、お前は何故そこまであの男にこだわる」
杏,「……だって、約束したからね」
???,「……ふん。あんなのは、もう時効だ」
杏,「あなたも知ってるでしょ?あたしはね、一度決めたことは貫く主義なの」
???,「そう、だったな……。だが」
杏,「あたしは、約束を守るよ」
……そう、遠い昔のあの約束を。
杏,「あの子には、幸せに笑っていてもらう。……それを見守るのが、あたしの役目だからね」
だと言うのに、さっそく怒らせてしまったことがとてもショックで。
けど、だからこそ。
杏,「くすっ……あたしは諦めないよ? 悠真クン」
???,「はぁ……何を言っても、聞いてはくれないか」
ちょっぴり気の晴れたあたしへと、謎の声さんは呆れたようなため息を吐くのだった。
[――]放課後。俺はいつものごとく、保健室へと足を運んでいた。
……ひとつの悩みを抱えて。
奈緒,「変?」
悠真,「ああ、ちょっとな」
奈緒,「お前の頭のことか?」
悠真,「その言葉はそっくりそのまま返そう」
やはり、相談する相手を間違えただろうか。
しかし、俺の身近な大人と言ったら、葵さんとこの人しかいないんだよな……。
奈緒,「で、なにが変だって?」
悠真,「周りの連中からやたらと、笑ってみせろと言われてるんだよ」
奈緒,「笑ってやったらいい」
悠真,「アンタは、俺の作り笑顔を知ってるだろう?」
奈緒,「ああ。とても気持ち悪くて良い笑顔だと思うぞ。悪い意味で笑える」
悠真,「……そう言えば、最初にそれを指摘されたのが切っ掛けだった気がする」
いやなことを思い出してしまった。
奈緒,「で? 笑ってやらないのか?」
悠真,「笑って見せた……んだが」
奈緒,「気持ち悪がられたか」
悠真,「アンタみたいに、ハッキリと言わないけどな」
奈緒,「そうか、それはタチが悪いな。気持ち悪いなら悪いと言ってやった方が本人のためだ」
悠真,「日本人は基本的に奥ゆかしいんだよ」
奥ゆかしくない人に言っても、理解してもらえないかもしれないが。
悠真,「……なぁ。俺って、そんな不幸そうに見えるか?」
奈緒,「お前は突然なにを言っているんだ?」
悠真,「いや、笑えって言われるのは、普段笑ってないからだろ?極端に言えば、不幸と思われてるんじゃないか、ってな」
俺としてはそんなつもりはなく、いまの状況は充分幸せだと感じている。
ただ、笑うのがちょっと……いや、だいぶ苦手というだけだ。
そこに特別な不幸というのは無いのだが、周りはそう思っていないのかもしれない。
奈緒,「……なあ、悠真。ちょっと真面目な話をして良いか?」
珍しくとは言わないまでも、背を正して俺へとまっすぐに向き合う。
俺もそれにならうように、背筋を伸ばした。
悠真,「ああ、構わないが……」
奈緒,「アタシはな、お前を不幸だと思ったことはない」
悠真,「実際に俺も不幸と思ってないしな」
奈緒,「だがな、お前が心の底から幸せだとも思ってはいない」
悠真,「……なんだって?」
奈緒,「幸せじゃないと言っているんだよ。いいか、悠真。お前は笑えないわけじゃない」
奈緒,「ただ、笑うことが極端に少ない。……それだけだ」
悠真,「極端に、少ない……?」
奈緒,「さっきお前は言ったよな? 笑わないことで、周りから不幸だと思われているんじゃないか、って」
悠真,「あ、ああ」
奈緒,「なら、お前が笑っていたらどうなると思う?」
笑っていたら……?
奈緒,「もっと簡単に言ってやろう。そうだな……葵の笑顔は好きか?」
悠真,「ああ……好きだ」
奈緒,「アイツの笑顔を見ているとどうだ?葵じゃなくてもいい。こなみの笑顔を見てどう感じる?」
悠真,「……幸せな気持ちになる」
葵さんやこなみだけじゃなく。みんなの笑顔を見ていると、俺はとても元気になれる。
それは何も、近しい人間に限らない。ここでカウンセリングをした生徒の笑顔だって同じだ。
奈緒,「そうだな。だから、簡単な話だ。お前の笑顔を見て、周りも幸せになりたいんだよ」
悠真,「周りも? 俺の笑顔で?」
それはにわかには信じがたい話だ。俺が幸せそうに笑っていたって、誰も……。
奈緒,「悠真。息子が笑っていて、幸せな気持ちにならない母親がいると思うか?」
悠真,「あ……」
奈緒,「そして、それは何も親子に限った話じゃない。自分を大切に思ってくれている人間が、お前の周りには何人もいるだろ?」
悠真,「…………」
奈緒,「もちろん、アタシだってそうだぞ」
悠真,「……本気か?」
奈緒,「ああ。さっき言っただろ?お前の引きつった笑顔を見ると、最高に笑える」
悠真,「はぁ……そうかよ」
ため息混じりに肩を落とす。
だけどこの人は、この人なりの言葉で俺を諭してくれた。そこには、素直に感動している。
奈緒,「悠真は良くやっていると思う」
悠真,「良くやってるって、何をだ?」
奈緒,「葵に心配をかけまいとがんばっているし、アタシの言いつけどおりに仕事もこなしてくれてるだろ?」
悠真,「……それが仕事だからな」
奈緒,「そう。仕方ないとか、自分のためとか言い訳しながら、お前はアタシや葵のためにがんばっている」
悠真,「そんなことは……」
奈緒,「あるだろ?最初からわかってるんだ。隠す必要などない」
悠真,「…………」
奈緒,「葵のことはともかく、アタシのこと……。お前の親父さんのことなら、もういい。忘れろ」
悠真,「忘れろって……そんなこと」
奈緒,「葵も、お前の周りの人間もな。悠真を間違った方向へ進ませたくないんだ」
悠真,「間違った方向って、なんだよ?」
奈緒,「幸せに笑えないことだよ」
悠真,「…………」
俺は今まで、どうだったのだろうか?
この人の話を聞いて、俺は誰かの笑顔に支えられて幸せになったのだと感じた。
なら、俺はどうなんだろう?
誰かを支えてあげられたのだろうか?
この不器用な笑顔は誰かを幸せにしたのだろうか、と。
悔しいが、この問いに対して、俺は答えることが出来ない。
なら、どうすべきか。
悠真,「俺は、どうしたら上手く笑えると思う?」
奈緒,「…………」
奈緒,「知るか。ワキでもくすぐってもらえ」
悠真,「そういうことじゃないだろ」
奈緒,「なら、好きなことでもやってみろ」
悠真,「好きなこと?」
奈緒,「わかってるだろ。自分が心の底からやりたいことだ」
悠真,「心の底から……?」
奈緒,「何かあるだろ?ほれ、例えば美人養護教諭と一発ヤッてみたいとか」
悠真,「微塵もないな」
奈緒,「こんな美人をつかまえて、失礼なヤツだな」
悠真,「誰もアンタのことだなんて言ってないだろうが」
奈緒,「なんだ? アタシの身体には興味あるのか、んん?」
悠真,「微塵もないな」
奈緒,「……失礼なヤツめ」
奈緒,「ま、なんだって良いんだ。葵を心配させるくらい、大いに悩め」
悠真,「それはダメだろうが」
奈緒,「良いんだよ。悩みも苦しみも、それが人を幸せにするための、魔法の薬になる」
悠真,「…………」
奈緒,「それにな。大人が子供を心配するのは、それが幸せに繋がるからするんだ」
悠真,「心配が、幸せに?」
どういうことだろう……。
心配するということは、幸せであるとは言い難いのではないか?
そう考え込んでいると、目の前の大人がこう言う。
奈緒,「恋の一つでもしてみたらどうだ?」
悠真,「……恋、だって?」
どこぞの恋の妖精みたいなことを言われて、思わず嫌な顔をしてしまいそうになる。
だけど……。
奈緒,「恋にうつつを抜かしている内に、いずれ心の底からやりたいことができるかもな」
それはどこか、強い説得力に満ちていた。
帰り道。
保健室での話を考えているうちに、いつの間にかここへと足を伸ばしていた。
多分、自分の中に溜まったものを吐き出したくなったのだろう。
悠真,「……なぁ」
だから、話しかけてみる。ここにはいないであろう、あの人に。
悠真,「俺の生き方は、どこか間違っていたのか?」
サァッと風が流れた。
それがあの人……死神のお姉さんの返答のように思えた俺は、先を続ける。
悠真,「もらった命のためにも、全力で生きるのが俺のやるべきことだと思っている」
……だけど、どうなんだろうか。
悠真,「なぁ、教えてくれ」
それは、お姉さんではなく、自分への質問。
心臓に手を添えて、鼓動を確かめながら問いかける。
悠真,「お前は今、幸せか?」
トクンと、心臓が脈打つ。
それが返事のように思えた俺は、さらに続ける。
悠真,「こんな俺の命になってしまったお前は、満足しているか?」
トクンと、再び脈が打たれる。
傍から見たら、おかしなことをしているんだろう。
悠真,「恋をしてみろ……か」
今まで、そこからは目をそらして生きてきた。
なぜなら、俺はこなみの兄貴で、浅葉家の中ではたった一人の男だ。
家族を支えなければならない。自分のことなど二の次だ。
……そう思っていたのに、あの人は逆に俺のやりたいことをやれと言った。
そして、俺の笑顔で誰かが幸せになれるとも言う。
悠真,「どうするのが正解なんだろうな」
俺は……。
悠真,「……帰るか」
ため息交じりに、そうポツリと呟いた瞬間、ひときわ強く風が流れる。
それに乗った桜の花びらが、俺を覆うようにして空へと舞い上がった。
悠真,「っ……!」
目をつぶった一瞬の後。
ティナ,「あ」
ティナの姿を、昨日と同じように木の上で見つけた。
ティナ,「見つかってしまいました」
悠真,「…………」
まずいな……コイツがここにいたということは。
ティナ,「あの、ユウマさん。だれと話していたんですか?」
悠真,「いま見たものは忘れてくれ」
自然と、顔が赤くなっていくのを感じてしまう。
ティナ,「でも」
食い下がってきた、その一瞬後には。
ティナ,「きになります」
俺のすぐ目の前に、立っていた。
悠真,「どうでもいいだろ、本当に勘弁してくれ」
顔を覗き込まれて、逃げるように目を逸らす。
ティナ,「もしかしてゆーれいさんですか?だとしたら、わたしとっても怖いです」
悠真,「違う……というか、幽霊みたいな存在が何を言っているんだ」
ティナ,「ゆーれいではなくて、妖精です。ちがうなら、なんですか?」
悠真,「それは……。誰にだって、感傷的になることくらいあるだろ?」
しかし、そんな感傷的な現場を目撃されるのは、とても気恥ずかしい。
ティナ,「かんしょーてき……ですか?」
コタロー,「つまるところ、ユウマ様は何かでお悩みのようですねー」
コタローのやつ、余計なことを。
ティナ,「何をなやんでいましたか?」
悠真,「大したことじゃない。ただの考え事だ」
ティナ,「では、何をかんがえていましたか?」
どうやら、ごまかされてはくれないらしい。
ティナ,「わたしには言えない、ですか?」
気遣うような、心配そうな、どこまでも真っ直ぐな視線に追い詰められていく。
悠真,「はぁ……分かったよ」
ティナ,「ユウマさん……」
悠真,「じゃあティナ、相談に乗ってくれるか?」
ティナ,「はいっ」
俺は仕方ないな、と態度で示しながらも内心感謝する。
そんな俺の気持ちを知ってか知らずか、ティナは嬉しそうに微笑んでいた。
悠真,「前にも、同じような話をしたと思うが」
思えば、同じところをぐるぐると回っているだけのような気もするな。
悠真,「……上手く笑えないんだ。どうしても」
ティナ,「あの、きもちわるい笑顔のことですか?」
悠真,「気持ち悪いって……少しはオブラートに包んでくれ」
ティナ,「おぶらーと?」
コタロー,「もっと優しく言って下さいませー、という意味でございますよー」
その言い替えだと、何だかメチャクチャ情けないことを言っているみたいだ。
ティナ,「……ぷんぷん笑顔のことですか?」
悠真,「確かに、間違ってはいないが」
ティナ,「わたしにかかればこんなものです。えへん」
悠真,「いばることじゃない」
やっぱり、相談相手を間違えたかもしれないな……。
ティナ,「でも、ユウマさん」
悠真,「なんだ?」
ふと気付くと、ティナはちょっと真面目な顔つきで俺に問う。
ティナ,「どうして、笑いたいんですか?」
悠真,「……俺が笑えば、周りのみんなが笑ってくれるらしいんだ」
ティナ,「みんなを笑わせたいのですか?」
悠真,「できることならな」
ティナ,「……それは、どうしてですか?」
悠真,「それは……」
悲しい顔を見るのが、嫌だから。
……だが、本当にそれだけだったのだろうか?
俺は先ほどと同じく、胸に手を当て答える。
悠真,「俺と、俺の中のコイツを、託してくれた人のため……なのかもな」
何を言っているのだろう、俺は。
こんなこと、俺以外には理解出来ない、ただ痛いだけの言動だ。
ティナ,「あの、ユウマさんっ」
だけどティナは、なぜかそんな俺に詰め寄ってくる。
ティナ,「その、コイツさんをたくしてくれた人とは、どんな人なんですか?」
悠真,「いや、どんなと言われても……」
ティナ,「その人のお顔は? しんちょうは? みためは?」
悠真,「……悪い。よく覚えていないんだ」
ティナ,「そう……ですか」
悠真,「誰か、心当たりでもあるのか?」
ティナ,「あ、い、いえ。それはその……」
悠真,「その……なんだ?」
ティナ,「……ありません」
明らかに何か知っていそうだが……。
同じ死神同士、言えないことでもあるのかもしれないな。
悠真,「……とにかく。俺はその人と約束したんだ」
軽く胸に手を当てながら、言葉だけでは意味不明にも程がある台詞を呟く。
ティナ,「やくそく……ですか?」
悠真,「みんなを笑顔にするって。だから……だから、俺は……」
こんな、訳の分からないことを言っているというのに。
ティナ,「じょうずに、笑いたいんですね」
どうしてかティナは、嬉しそうに微笑んでいた。
ティナ,「ユウマさんは、やっぱり……」
悠真,「やっぱり?」
ティナ,「いいえ、なんでもないです」
悠真,「人に恥ずかしいことを喋らせておきながら、そっちは隠し事か?」
ティナ,「おんなのこには、ひみつがいっぱいです」
悠真,「そんな言葉、どこで覚えてくるんだ……」
ティナ,「それはそうと、ユウマさん」
悠真,「なんだよ?」
ティナ,「おなかがすいたので、帰りましょう」
思わず脱力してしまう。
ティナ,「おなかぺこぺこだと、わたしは笑えないです」
悠真,「はぁ……わかったよ」
家に向かって歩こうとしたところで、すっと片手を差し出してくるティナ。
悠真,「何だよ、この手は?」
ティナ,「てをつないで帰りましょう」
悠真,「…………」
ティナ,「だめですか……?」
上目遣いに、見つめてくるティナ。
悠真,「……仕方ない」
そうつぶやきながら、そっとその手を取ってやる。
ティナ,「えへ」
まぁ、こんな笑顔を向けてくれるなら、別にいいか。
ティナ,「あの、たしかに……わたしも」
悠真,「うん?」
ティナ,「わたしも、ユウマさんが笑ってくれたらうれしいです」
悠真,「……そうか」
まったく……本当に。
どうしたら俺は、上手に笑えるのだろうな。
コタロー,「…………」
そうして、ティナと帰宅すると。
葵,「おかえりなさい、悠真く……っん!?」
出迎えてくれた葵さんが、いきなり語尾を噛みそうになっていた。
悠真,「どうしたんですか?」
葵,「ど、どどどどうしたも何もっ!どうしてティナちゃんと手を繋いでるのっ!?」
悠真,「ああ、そうか……おいティナ。もういいだろ?」
ティナ,「あう、ふりほどかれてしまいました」
悠真,「家の中で手を繋ぐ必要はないからな」
ティナ,「でしたら代わりに、ぴとっ」
何がしたいのか、俺の腕に抱きつくようにくっついてくるティナ。
……どうしたって言うんだ?今日はいつも以上に懐いてくるな。
葵,「ま、まま、まさか……」
そしてそんな光景を、ガタガタと震えながら見つめる葵さん。
葵,「いいい、いつの間に二人はそういう関係にっ!?」
何か、あらぬ誤解をされている気がしてならない。
葵,「ティナちゃん可愛いから、分からなくはないけれど!でもでもそれはさすがにお巡りさんが来ちゃうよぉ!」
悠真,「お巡りさんに来られるような事案は発生していないはずですが」
葵,「だってだって、二人とも帰りが遅いうえに、手を繋いで帰ってくるから……」
悠真,「遅くなったのはすみません。実は[――]」
ティナ,「あ。あにめの再放送がはじまるじかんです」
悠真,「…………」
ティナはあっさりと俺から離れて、テレビの前を陣取る。
あいつめ、この状態の葵さんを放置していくとは……。
葵,「ゆ、悠真くん、その……少し、お話しましょうか?」
誤解を解くのに、何分かかるだろうな……。
葵,「ええと、つまり。ティナちゃんに悩み相談をした後、お礼に手を繋いでお散歩しながら帰ってきたと……?」
悠真,「はい。引きこもりのニートが珍しくそんなことを言い出したので、しばらく外の空気を吸わせてました」
葵,「そっか……ならよかった」
どうにか誤解も解けたようでなによりだ。
葵,「遅くなったのは許してあげるから、今度はわたしとも手を繋いでお散歩しようねっ♪」
悠真,「それは……まぁ、機会がありましたら」
葵さんの笑顔に、思わずそう答えてしまうが、機会があったとしてもそれが良いのかどうかは不明だ……。
葵,「それより、悩み相談ってどうしたの?」
悠真,「それは、その」
ティナを相手に悩み相談だなんて、改めて思い返してみると屈辱ものだったような気がする。
葵,「ほら悠真くん。悩んでることはなんでも、お母さんに相談して?」
悠真,「葵さんにですか?」
葵,「あ、頼りにならないって顔してるー」
悠真,「いや、そういうわけじゃないんですけど……」
葵,「わたしじゃ、ダメ……かな?」
悠真,「…………」
そんな顔で言われてしまうと、話さないわけにはいかない。
だが、ためらわれるのも事実だ。
正直、身内に言うのは気恥ずかしいし、何より葵さんに心配をかけることになるかもしれない。
悠真,「……大した内容じゃないですけど。それでも良いんですか?」
葵,「うん、だってお母さんだものっ!」
けど、言わないでいると、葵さんは余計に心配してしまうだろうから。
だから俺は、保健室でした相談と同じ内容を、葵さんにぶつけてみる。
悠真,「あの。俺って、不幸に見えますか?」
葵,「え、悠真くん不幸なのっ!?わ……わたしが本当のお母さんじゃないからっ!?」
悠真,「いや、そうじゃなくてですね。傍から見ると、俺は全然笑わないらしいんです」
葵,「そうなの?」
悠真,「はい。だから、不幸そうに見えてるのかな、と」
葵,「わたしはそんなこと無いと思うんだけど……」
悠真,「俺もそんなつもりはありません」
むしろ幸せだと思っているくらいだ。
悠真,「だけど、周りの連中が俺に『笑え』と言ってくるんです」
葵,「悠真くんに?」
悠真,「はい」
葵,「あー……そ、それは、えーと……」
悠真,「俺の作った笑顔は、気持ち悪いですからね」
葵,「そ、そんなことは……」
悠真,「正直に言ってくれて構いませんよ」
葵,「え、えへへ……」
やはり、以前こなみが言っていたとおり、葵さんは俺の笑顔がダメだと言うことを知っているようだ。
葵,「うう……意識していない悠真くんは、もっと可愛く笑うんだけどなぁ」
悠真,「可愛く……ですか」
鏡で見た自分の顔を思い浮かべ、その『可愛い』とはどんな意味だろうかと考えてしまう。
まぁ、俺みたいな男をつかまえて、『可愛い』と評する人は葵さんくらいしかいないだろうな。
悠真,「じゃあ、可愛く上手く笑うコツってありますか?」
葵さんであれば、なんと答えるだろう。
葵,「んー……。無理に笑わないこと、かな?」
悠真,「無理に? 俺、無理に笑ってますか?」
葵,「う、うん。引きつってる……と思う」
そう言われて、思い浮かぶことはたくさんある。
笑えといわれたときの俺は、確かに無理にそういう顔を作っていた。
なるほど……。それが気色悪い上に、歪んで見えるわけか。
葵,「で、でもでもっ、引きつった顔も可愛いよっ!?」
悠真,「大丈夫です、慰めてもらわなくても。他の人からも、歪んでるとか気色悪いとか言われているので」
葵,「えっ、誰がそんなこと言うの!?」
そう言われて何人か思い浮かんだが、最初に指摘してきた人を代表者にすることにした。
悠真,「主に佐和田先生ですね」
葵,「奈緒ちゃんが!?」
悠真「ええ、俺の顔を見て『気色悪い』と笑ってました」
葵,「な、奈緒ちゃんにも、ちゃんと考えがあると思うよ?」
悠真,「……ま、別にいいです。俺の相談にも乗ってもらいましたし」
葵,「そうなんだ……?」
葵さんは、少し残念そうな顔つきを浮かべる。
それはもしかしたら、あの人に対する嫉妬かもしれないと思うと、少し嬉しくなった。
葵,「それで、奈緒ちゃんはなんて?」
悠真,「そうですね……色々言われましたが、結論としては一言でした」
葵,「うん、なになに?」
悠真,「恋でもしてみろ、と」
葵,「…………」
俺の言葉を聞いて、葵さんは瞬時に固まる。
悠真,「……葵さん?」
葵,「ぱたり」
悠真,「あ、葵さんっ!?」
どうやら俺の母親は、あの養護教諭が言うほど嬉しい悩みを抱えられる人ではなかったようだ。
葵,「ご、ごめんね。つい取り乱して」
悠真,「いえ、葵さんが大丈夫なら良かったですが」
葵,「それより、悠真くんっ!」
悠真,「はい、なんですか?」
葵,「誰とお付き合いするの!?」
悠真,「いや、誰とというか……」
葵,「お母さんね、誰が相手でも、毎日涙を飲んで耐えるから……だから、教えてっ!」
悠真,「いえ、佐和田先生に言われただけで、まだ恋をするかどうかさえも決めてませんよ」
葵,「……え?」
悠真,「そもそも、恋をしたくても、相手を捜さないといけませんし」
葵,「…………」
俺の気持ちを伝えてみると、ぽか~んと口を開けて固まってしまった。
そんな葵さんの目の前で、手を振ってみる。
悠真,「どうしました?」
葵,「……はっ!?」
良かった、元に戻ったか。
葵,「じゃあ、えっと……悠真くんには、まだ好きな人は居ないの?」
悠真,「ええ、そうですね」
葵,「じゃあじゃあ、まずは好きな人から捜すの?」
悠真,「まぁ……恋をするなら、そうなりますね」
葵,「……ふふっ」
悠真,「え? 葵さん?」
葵,「ふふふっ……悠真くんってば、おかしいね」
悠真,「俺が、ですか?」
葵,「だって、恋をするって決めてから好きな人を決めるの?」
悠真,「それは……」
指摘されて気づく。
……普通は反対だな。
葵,「うふふっ、変なの」
どうやらツボにはまったのか、笑い続ける葵さん。
確かに、好きな人ができて、その人と恋に落ちていくと言うのが当たり前の流れだ。
恋をしたくて好きな人を捜すのは、本末転倒と言えなくも無い。
葵,「はー……。奈緒ちゃんの言ったこと、少し分かったかも」
ようやく笑いが収まったらしい葵さんが、そう呟く。
悠真,「あの、葵さん……?」
葵,「ね、悠真くん。お母さんとして、悠真くんの恋は応援してあげたいの」
悠真,「は、はい」
葵,「でもね? 恋をしたくて好きな人を作っちゃだめ。本当に好きになった人と、恋をしてほしいの」
悠真,「それだと、結果は同じになりませんか?」
葵,「全然ちがうよっ!」
悠真,「力強いですね」
いつものほんわかした雰囲気はどこへやら、俺の言葉を力いっぱい否定する葵さん。
葵,「ちゃんと過程があって、その結果が恋に繋がるの。したくてするものじゃないんだよ?」
悠真,「そういうものですか」
葵,「そういうものですっ」
俺には良く分からないけれど、父さんと結ばれた葵さんが言うのなら、そうなのだろう。
葵,「……それにね、悠真くん」
悠真,「はい」
葵,「好きな人になら、悠真くんも多分、素敵な笑顔を自然に向けられると思うよ」
悠真,「俺が、ですか?」
葵,「うん。恋をするとね、とっても幸せになるんだからっ」
悠真,「…………」
……そうか。今、ハッキリと理解できた。
なぜあの人は、俺が笑うために恋をしろと言ったのか。
なぜ葵さんは、その気持ちが分かるのか。
葵,「でもね、ちょっと嬉しかった」
悠真,「何がですか?」
葵,「悠真くんが、ちゃんと年相応の悩みを持っていてくれて」
悠真,「俺も、年相応の男ですよ」
葵,「……うん、そうかもね」
少し寂しいような笑い。
それは多分、葵さんにとっては悩みの種のひとつだったのだろう。
葵,「悠真くんもこなみちゃんも、わたしとか周りのことばっかりだから」
悠真,「そんなつもりはないんですが……」
葵,「あるんですっ。だから、自分のことに目を向けてくれてとっても嬉しい」
悠真,「すいません、心配かけて……」
葵,「ううん、謝ることじゃないよ」
悠真,「いや、でも……」
葵,「ふふっ。お母さんが子供のことを心配するのは、当然でしょ?」
……ああ、そうか。
『悩みも苦しみも、それが人を幸せにするための魔法の薬になる』
それは多分、このことなんだろう。
葵,「あ、でもね?」
悠真,「? はい」
葵,「もし振られちゃったら、いつでもお母さんの胸に飛び込んできていいからね?」
悠真,「……考えておきます」
葵,「ふふ、いつでも待ってるからね」
優しく笑う葵さんの表情は、とても穏やかで。
それを見ていたら、血のつながりだとか関係なく、この人は俺の母親なんだ……と、そう思えた。
悠真,「恋……か」
いくら、この仏頂面を治すためとはいえ、付き合わされる子の気持ちを考えると申し訳ない。
それに、表情を治すことが目的では、それは葵さんが言ったとおり、相手に失礼だろう。
悠真,「……お前はどうだ?」
胸に手を当て、語りかけてみる。
悠真,「あの時、お前のお陰でみんなを悲しませずに済んだ」
だから、その代わりにもならないだろうけど。
俺は、俺のためにも、お前のためにも。精一杯、やれるだけのことはやってみたい。
ふと、そんな風に思える夜だった。
;※■4月17日(水)
水耀日(星期四)
[――]朝。
目を覚ました俺は、グッと気合いを入れて部屋を出る。
さて、まずはこなみを起こしに行くか。
悠真,「……よしっ」
それはいつもと同じようでいて、まったく違う朝だった。
美桜,「ユウくん、おはよー」
悠真,「おはよう、美桜」
美桜,「こなみちゃんは……ハグハグ中?」
悠真,「ああ、もうすぐ出てくると思うぞ」
美桜,「ユウくんもこなみちゃんも愛されてるよねー」
悠真,「まぁな」
葵さんからの愛というのは、家族としての愛情だ。一緒に生活していると、それはよくわかる。
なら、異性としての愛情というのは……?
それを考えると、愛も恋もよくわからなくなってしまう。
悠真,「なぁ、美桜」
美桜,「ん、なぁに?」
悠真,「もし、お前に好きな人ができたとしてだ」
美桜,「え……え? えぇっ!?」
悠真,「例えばの話だ。取り乱すんじゃない」
美桜,「う、うん……」
悠真,「それで、お互いに愛情を育むとしたら、どうやると思う?」
美桜,「愛情……あいじょー……?」
悠真,「難しかったか?」
美桜,「んー……ねぇねぇユウくん。私、彼氏さんにどうやってさわったらいいんだろ?」
言われてみればそうだ。美桜には先に克服するものがあった。
悠真,「……悪い。まずはそっちだったな」
美桜,「うぅ、私やくたたずー……」
悠真,「想像でもいいが。どうだ?」
美桜,「んーとねぇ……」
悠真,「男同士じゃないからな?」
美桜,「わ、わかってるよぉ! そうだなぁ……」
悠真,「…………」
美桜,「ん~…………えっとぉ……」
悠真,「…………」
美桜,「…………全然わかんないよぉ」
悠真,「……いや、変なことを聞いて悪かった」
やはり美桜には少し難しい話題だったか。
美桜,「でも、突然どーしたの?」
悠真,「ちょっと思うところあってな」
美桜,「思うところ?」
悠真,「その……人を好きになれば、笑い方もわかるんじゃないか、って思ったんだが」
美桜,「ユウくん……」
しまった……俺はなにを言っているんだ?
悠真,「……なんでもない。忘れてくれ」
美桜,「えー、忘れられないかも?」
悠真,「勘弁してくれ……」
こなみ,「[――]なるほど。それで朝から、甘酸っぱい会話を繰り広げていたわけですか」
悠真,「甘酸っぱいというかなんというか」
美桜,「えへへっ。ユウくん、なんだか可愛いかも」
悠真,「ぐっ……」
やはり美桜に聞いたのは、失敗だったかもしれない。
こなみ,「それで、兄さんは彼女が欲しいの?」
悠真,「いや、結果的に彼女を作ればいいのかもしれないだけで、正確には笑い方を知りたいだけだぞ」
こなみ,「だから、彼女である必要はないと」
悠真,「それはそうなんだが……葵さんからは過程が大事と言われたから、色々考え中だ」
こなみ,「わたしを愛したら、わかるかもしれないよ?」
悠真,「充分、愛を注いでいるつもりだぞ」
こなみ,「兄さん、こんな朝から近親相姦宣言?」
悠真,「むりやり変な方向に話を持って行くんじゃない」
美桜,「え、こ、こなみちゃんとユウくんが……!?」
こなみ,「いえ、美桜さんも一緒です」
美桜,「さ……三人でなんて……!」
悠真,「いったん落ち着け、美桜。あとこなみは焚き付けるんじゃない」
こなみ,「つい、美桜さんも仲間に入れちゃった。てへ」
抑揚の無い声で『てへ』と言われてもな……。
悠真,「はぁ……相談しがいのない二人だ」
なまじ俺と近すぎるせいだろうか。この二人は、あまりこう言った話題に向かない気がする。
こなみ,「兄さん」
悠真,「ん? なんだ?」
こなみ,「見つかると良いね」
悠真,「……そうだな」
学園に着き、ヤボ用のあった俺は二人と別れて廊下を歩く。
すると、見知った姉妹が視界に入った。
悠真,「よ、二人とも。おはよう」
夕莉,「あ、おはよう。浅葉くん」
花子,「ちょっと、気安くあたしに声を掛けるんじゃないわよ」
相変わらず、対照的な二人だ。
夕莉,「別に挨拶くらい普通でしょ? 何を怒ってるのよ」
花子,「うっさいわね! あたしはこんな馬の骨に話しかけられるほど、安くなった覚えはないわ!」
悠真,「それは悪かったな」
花子,「美少女過ぎるあたしをナンパしたいのはわかるけど、浅葉悠真なんかじゃ会話も無理ね、フフンッ」
悠真,「月嶋、ちょっといいか?」
花子,「って、無視すんなーっ!」
花子,「全く、このあたしを無視するってどういうことよ?だいたいね、美しい姉と貧相な妹が並んでいてよ?その姉に声をかけずに妹に近づくって一体どういう神経をしていたらそんな芸当ができるって言うのよ?いい? これからはこのポートレートアサシンを見かけたら、まず一番に敬いなさい! そして妹を見かけたら姉がどれほど偉大かを語ってあげなさい! それが浅葉悠真の存在価値というものだわ……って!」
夕莉,「それで浅葉くん。話ってなに?」
悠真,「風紀委員会のことでな。返事、まだだったろ?」
夕莉,「あ……うん、考えてくれたんだ」
悠真,「悪いな、遅くなって」
花子,「ちょっと!!あたしの話を軽く聞き流さないでくれる!?」
相変わらず、花子は朝から元気だ。
悠真,「悪いが、今は月嶋と話しているんだ。後で遊んでやるから、もう少し待っててくれ」
夕莉,「ごめんね、花」
花子,「ぐぬぬぅっ……!!」
夕莉,「それで浅葉くん、あの……」
少し緊張した面持ちで、月嶋は俺の話を促す。
……まぁ、誘った当人としては不安なのだろう。
悠真,「ええと……前にさ、月嶋に言われただろう?」
夕莉,「なんのこと?」
悠真,「笑ってみたら、って」
夕莉,「あ、うん。それがどうしたの?」
悠真,「俺、ちょっとがんばってみようと思ってな」
夕莉,「笑ってみるの?」
悠真,「ああ」
そんな俺の言葉に、月嶋は首をかしげる。
確かに傍から見ると話の繋がりは見えないだろうけど、俺の中ではそれぞれがしっかりと繋がっていた。
悠真,「俺は、俺を笑顔にしてくれる人を探したいんだ」
夕莉,「……? 笑顔にしてくれる人って?」
悠真,「ええと……つまりだな」
まずい、ここで説明するのはさすがに恥ずかしいぞ。
悠真,「悪い。そのことはまた後で説明する。それで、その……」
夕莉,「無理……ってこと?」
悠真,「……悪い」
色々と察してくれたのだろう。
俺から言いにくいことを切り出してくれる。
夕莉,「そっか……」
花子,「はー? なにそれ、ワケわかんないんですけど?」
悠真,「それは……だから、月嶋には後で説明するが」
花子,「笑いたいなら、ワキ腹をくすぐってあげるわよ?」
悠真,「いや、そういう意味じゃなくてな」
花子,「じゃ、どーゆー意味よ」
夕莉,「花、大丈夫だから」
花子,「何が大丈夫なのよ。あんた、今の説明で納得できるって言うの!?」
夕莉,「それは……」
花子,「あたしは納得できないわ」
夕莉,「…………」
花子,「お断りするならするで、ハッキリ言いなさいよ!バカにしてんの、アンタっ!?」
そう怒る花子は、まさしく月嶋のお姉さんだった。
なぜか怒られているというのに、少し嬉しくなる。
夕莉,「花、いいの」
花子,「だから何がいいのよっ!?」
夕莉,「だって……浅葉くん、見せてあげて」
悠真,「……わかった。見てろ、花子」
周りから散々酷評された、俺のとっておきを花子にも見せてみる。
花子,「ひ……ひぃっ!?」
夕莉,「……ね? 浅葉くんはこんな笑い方しかできないの」
花子,「キショい顔だけど……いや、これはスクープだわっ!浅葉悠真の衝撃的表情の瞬間よ!」
花子,「学園新聞の一面は、こいつで決まりね!」
悠真,「決めるな」
月嶋姉妹と別れて、俺は生徒会室へと来ていた。
昨日のこともあるので、ちょっと入りづらいんだが……。
杏,「あ、悠真クン! 来てくれたんだ?」
悠真,「ええ、まぁ」
……悩んで損したな。
杏,「それで?生徒会に入る気になったの?」
悠真,「残念ながら、そういうつもりで来たわけじゃありません」
杏,「えぇー、なんでー?」
悠真,「なんでと言われましても。別の用件です」
杏,「そんな急がなくてもいいよ。ゆっくりお話しよ?」
悠真,「遠慮しておきます。簡単な用件ですし」
杏,「もー、せっかちだなぁ。で、どうしたの?」
悠真,「一昨日のことでちょっと」
杏,「一昨日……って、あー。あのこと?なに、まだあたしのこと叱り足りないのー?」
悠真,「いえ、違います。謝ろうと思いまして。その……すいませんでした」
杏,「……むぅ」
悠真,「あの、先輩?」
どこにそんな、ムッとする要素があったのだろうか。
杏,「悠真クンは、間違ったことを言ったと思ってるの?」
悠真,「いえ、その……」
杏,「思ってないでしょ?」
悠真,「……はい。ただ、言い過ぎたかな、と」
杏,「じゃあ、謝っちゃだめ!あたしが反省しなくなっちゃうよ?」
悠真,「でも、先輩を傷つけるのは本意じゃないです」
杏,「いいの!生徒会長が間違ったことを言ったなら、生徒がそれを糾弾するのは当たり前だもの」
それは俺よりも月嶋に言ってやってください。……なんてことを、ふと考えてしまう。
しかし、俺に言うくらいだ。先輩は月嶋にもこんなことを言ってるんだろうな。
杏,「だから、悠真クンは気にしないでいいんだよ?」
悠真,「わかりました。先輩がそう仰るなら」
杏,「あ、ごめん。やっぱり気になって?罪滅ぼしに生徒会に入るなら歓迎するから」
悠真,「悪徳なセールスマンみたいですね」
杏,「いま契約すれば、漏れなく美人生徒会長がついてきちゃうけど、どう?」
悠真,「自分で美人と言いますか」
杏,「ふふっ、色々サービスするよ?」
悠真,「……遠慮しておきます」
杏,「ぶー、なんでー?」
悠真,「前にも言いましたが、保健室の手伝いもあるので。入るのは無理だと思います」
杏,「佐和田先生の手伝い、か……」
悠真,「先輩?」
少し考え込む素振りを見せる神鳳先輩。
だが、すぐに顔を上げて俺に質問を投げかける。
杏,「ねぇ悠真クン。仮に……なんだけど。佐和田先生が、手伝いはいらないって言ったらどうするの?」
悠真,「手伝いを……ですか」
あの人の今のダラけた仕事ぶりから察するに、それはまずありえないだろうとは思う。
俺が手伝っているから、その分手を抜いているのもあるだろうけど。
だけど。それでも、もし……。
悠真,「その時は笑顔で『わかった』と言ってやりたいです」
杏,「あの気持ち悪い笑顔で?」
悠真,「その内、気持ち悪くなくなる予定です」
杏,「あたしも協力するもんね?」
悠真,「……ああ、そう言えば俺を笑わせたいんでしたっけ」
杏,「うんっ! こなたんも美桜ちゃんも悠真クンの笑顔は素敵だって言ってるから、早く見せてね?」
悠真,「作ると、どうも引きつるみたいで」
杏,「あ、生徒会の活動内容増やす?『笑顔作り』って入れるよ?」
悠真,「……だからって、生徒会には入りませんよ」
杏,「えー? あたし含めて四人も手伝ってくれるんだよ!?」
悠真,「全員、俺より笑顔が上手なので結構です」
杏,「底辺からのスタートの方が、燃えると思うんだけどなー」
悠真,「いや、先輩が燃えても仕方ないのですが……」
それに、燃えてどうにかなるわけでもないしな。
杏,「……っと、いけない。もうすぐ朝のHR始まっちゃうね」
悠真,「ああ、すいません。それじゃ、戻ります」
杏,「くすっ、生徒会はいつでも大歓迎だから。また笑顔を見せに来てね?」
悠真,「はい。気持ち悪くてもよければ」
杏,「ふふっ。楽しみにしてる」
先輩の素敵な笑顔を眺めながら、生徒会を後にする。
悠真,「…………」
俺もあんな風に笑うことができたら、周りのみんなも笑顔でいてくれるのだろうか?
そんなことを考えながら、教室へと向かうのだった。
夕莉,「ふぅ、これで良し」
杏,「がんばってるね、夕莉」
夕莉,「神鳳先輩?」
杏,「それ、風紀委員の月間指標ポスター?」
夕莉,「はい」
杏,「こんな授業の合間の休み時間にまで大変だなー」
夕莉,「仕方ありません。生徒会と違って、風紀委員会は人手が足りませんから」
杏,「あはは、痛いとこを突くなぁ。勝手に四人にしちゃったしねー」
夕莉,「す、すみません。別に嫌味を言うつもりは……」
杏,「ううん。そうやってハッキリ言ってくれないと、わからないし」
夕莉,「…………」
杏,「それにあたしは、夕莉のそういうところが大好きなんだ」
夕莉,「……へ? な、なにをいきなり」
杏,「くすっ。嫌いな先輩から言われても、イヤだろうけど」
夕莉,「そ、そんなっ。わたし、先輩を嫌ってなんていないですよ?」
杏,「え? ほんと? あたし嫌われてない?」
夕莉,「はい。その逆ですから」
杏,「逆……ってことは、もしかして?」
夕莉,「神鳳先輩ってすごいなって。その……憧れてます」
杏,「え、ほんとっ!?」
夕莉,「まぁ、その……」
杏,「やだ、夕莉ってばかわいいっ! お持ち帰りしたい!」
夕莉,「い、イヤですよっ!というか、ひっつかないでくださいっ!」
杏,「えぇー? ほら、大好きな先輩だよー?ちゅーしちゃうよ、ちゅー」
夕莉,「イヤですってば! もう……」
杏,「もー。夕莉ってば恥ずかしがり屋さんなんだから」
夕莉,「でも、先輩のそういう所が……」
杏,「うん?」
夕莉,「いえ、その……。そういう所が、美桜やこなみさんを惹きつけたんだろうな、って」
杏,「あたしは、二人とも取引に応じてくれただけだと思ってるよ?」
夕莉,「たぶん二人とも、計算だけで応じるほど安い子たちじゃないですよ?」
杏,「そっか……。うん、でも夕莉に言われると自信出るかも」
夕莉,「ええ、出してください。それにわたしでは、二人を助けられませんでしたし……」
杏,「…………」
夕莉,「…………」
杏,「誰か、助けたい人でもいるの?」
夕莉,「……え?」
杏,「なんだかそんな風に聞こえちゃった」
夕莉,「…………」
杏,「夕莉ならできると思うよ」
夕莉,「わたしには、無理です」
杏,「どうして?」
夕莉,「色々と……そう思うことがあって」
杏,「思っただけ? 行動してないの?」
夕莉,「そんな、行動に移すなんて」
杏,「行動しないと、無理かどうかはわからないよ?」
夕莉,「…………」
杏,「ちなみに……ね、夕莉」
夕莉,「あ、はい。なんですか?」
杏,「メンバー募集中なんだけど。生徒会」
夕莉,「え? あの、まさか……」
杏,「うちと、協力しない?」
夕莉,「な、何を言ってるんですか!そんなの無理に決まってますっ」
杏,「まぁまぁ、聞いて夕莉。生徒会の掲げる目標なんだけど、実は……ごにょごにょ」
夕莉,「なっ……!?」
杏,「どう? やる気になった?」
夕莉,「し、知りませんっ」
花子,「でーーきーーたあぁぁ!!」
帰る支度を整えていたところで、妙に賑やかな叫び声が廊下から響いてくる。
悠真,「……花子か?」
何が出来たのかは知らないが、相変わらず元気なことだ。
悠真,「さて……」
帰るか、と席を立ったところで教室の扉が勢いよく開く。
花子,「見つけたわよ、浅葉悠真!」
悠真,「何の用だ」
花子,「ふふん、そんなクールを気取っていられるのもいまのうちだけよっ!」
悠真,「別に気取っているつもりはないが……」
それに花子と比べれば、ほとんどの人はクールと言えるのではないかと思う。
花子,「なんでもいいから、これを見てみなさい!ババーン!!」
自前の効果音で、一枚の紙を見せる花子。
新聞部がいつも廊下に貼り出している、学内新聞だろうか。
悠真,「……って」
しかしそこには、でかでかと俺の顔らしき写真が貼り出されていた。
悠真,「お前も懲りないな、花子」
花子,「ふんっ、今回はれっきとした新聞部の活動なんだから、良いでしょ?つーか、花子言うな!」
確かに今までも、生徒の写真が学内新聞に載ることはよくあった。
しかし、普通は載せる際には断りをいれるのが普通だと思うが……。
もちろん俺は、断られた覚えなど無い。
花子,「ふふっ、どーよ? この気持ち悪い顔」
悠真,「どうと言われてもな」
その奇妙な写真を眺めていると、教室に残っていた数名の女子連中が横から顔を覗かせる。
女子生徒A,「え、なにこれなにこれ! 浅葉くんの変顔ー!?」
女子生徒B,「これは貴重だよね!? 写真とっとこ♪」
花子,「ちょ、ちょっとアンタたち……?」
悠真,「なぜか、もてはやされているようだな」
花子,「そんな……どうしてっ!?」
悠真,「俺にもわからん」
花子,「アンタのキショい顔よ!?これが、なんでもてはやされるの!?」
悠真,「なんでと言われてもな……」
しかし、なるほど。これが俺の笑顔なわけか。
ポスターとして客観的にみると、確かに気持ち悪いと言われても仕方ないな。
悠真,「……ん?」
しかし俺は、そのポスターの一部の記事に気がつく。
『生徒会活動内容、追加のお知らせ』だと?
悠真,「まさか、また……」
『生徒会は本日より、風紀委員の仕事も受け持つことになり』……って。
花子,「はぁ……浅葉悠真の人気を落とせると思ったのに。とんだ誤算だわ……」
悠真,「おい、花子」
花子,「あによ!?って言うか、花子って言うんじゃないわよ!」
悠真,「この記事は一体なんだ?」
そう言って、新聞の一部を指差す。
花子,「ああ、それ? あたしが知るわけないでしょーが」
悠真,「知らないって……」
花子,「あのブスが何をしようと、あたしの知ったこっちゃないって言ってんのよ」
悠真,「なんだと?」
もう一度記事をよく見ると、そこには新役員として、見知った名前が書かれていた。
花子,「あんなブス妹のことなんて、どーだっていいわよ。それより、あんたの評判を落とす方が……」
悠真,「悪い。ちょっと用事が出来た」
花子,「って、こらぁ! 人の話は最後まで聞きなさいよ!!」
俺は聞こえない振りをしつつ、騒がしい教室を後にする。
悠真,「……急いだ方がいいか」
外の夕焼け空をチラリと見てから、足を速めた。
悠真,「月嶋っ」
しばらく走り回ることとなったが、ようやく見つけたその背中に声を掛ける。
夕莉,「浅葉くん?」
悠真,「はぁ、はぁ……見つかって良かった」
夕莉,「わたしを探してたの?」
悠真,「ふぅ……ああ、ちょっと聞きたいことがあってな」
夕莉,「聞きたいこと?」
悠真,「月嶋は生徒会に入ったのか?」
夕莉,「え、もう知ってるの!?」
悠真,「さっき、最新の学内新聞を花子に見せられてな。それに記事が出ていた」
夕莉,「ああ、そっか……。誰かが話したわけじゃなかったのね」
悠真,「悪い、まだ秘密だったか?」
夕莉,「ううん、秘密ってわけじゃないけど……」
妙に恥ずかしそうな様子の月嶋。
悠真,「ひょっとして、人手不足が深刻なのか?」
夕莉,「え、どうして?」
悠真,「風紀委員のことを断っただろ、俺。それで先輩が助けてくれたんじゃないかと思ったんだが」
夕莉,「あ……うん。助けてはもらったんだけど」
もじもじとしつつ、口ごもる月嶋。
……あの会長のことだから、何かおかしなことに巻き込んだのかもしれないな。
しかし、月嶋にとっては良い傾向と言える。
悠真,「しかし、会長と一緒となると今度は月嶋もメチャクチャなことをしそうだな」
夕莉,「そうかもね」
悠真,「その時は俺が、約束通りに月嶋の間違いを正してやるよ」
夕莉,「うん。ちゃんとしてね、お説教」
悠真,「ああ。約束する」
夕莉,「……浅葉くんにも、神鳳先輩にも、かなわないなぁ」
悠真,「かなわない……って、何がだ?」
夕莉,「ふふっ、乙女の秘密ですっ」
微笑みながら、そんなことを言ってはぐらかす月嶋。
その表情は、いつもよりずっと柔らかくて。そして魅力的だった。
夕莉,「ねぇ浅葉くん。わたし、一番になりたいかも」
悠真,「? 一番……って、なんのことだ?」
夕莉,「ふふっ、それもないしょ♪」
悠真,「……乙女は秘密だらけだな」
月嶋の笑顔を見ながら、俺は何を思ったのだろう。
風紀委員を断ったことについての安堵感?
あるいは約束を反故にするといわれずに済んだ安心感?
だけど俺が考え得る様々な思いの中、そのどれもが違うことを月嶋が教えてくれる。
夕莉,「浅葉くん……その顔」
悠真,「ん? 顔?」
ぺたぺたと触ってみるも、別になにも付いてなどいない。
夕莉,「その……とってもいい笑顔だったから」
悠真,「笑顔? 俺が?」
夕莉,「うん」
悠真,「……そうか。月嶋のお陰だな」
夕莉,「え、わ、わたしっ!?」
美桜が言っていたことを思い出す。
『ユウくんはね、周りの人が笑顔になると、すごく素敵に笑うんだよ?』
……どうやら、それは本当のことみたいだ。
夕莉,「じゃ、じゃあもしかして、わたしが……!?」
悠真,「月嶋が? なんだ?」
夕莉,「あ、朝に言ってた……その。わたしが浅葉くんを、笑顔にさせられる人なのかな……って」
悠真,「ああ、あの話か。確かに、そうかもしれないな」
夕莉,「ほ、本当にっ!?」
悠真,「まぁ、こなみや美桜や浅葉先生もそうだから、俺の求める人かどうかはわからないが」
夕莉,「……え?」
きょとん、と驚いた様子の月嶋。
夕莉,「な、なんだ……わたしだけじゃないんだ」
悠真,「佐和田先生と浅葉先生は、恋をすればいいんじゃないかって言ってたけどな」
夕莉,「こ、恋っ!? 浅葉くんが!?」
悠真,「ああ、実はな[――]」
そうして俺は、この間からの話を語って聞かせることになるのだった。
月嶋と別れた俺は、報告のためここへときていた。
悠真,「昨日、あんたに言われたことなんだが」
奈緒,「あん?」
悠真,「少し、分かった気がする」
奈緒,「なんのことだ?」
悠真,「言っただろ。恋をしろ、って」
奈緒,「ああ、そのことか」
悠真,「俺は、笑顔を作りたいんじゃなくて、笑顔になりたかったんだ」
できるなら、好きな人に自然と笑いかけたい。
そうすれば、周りを元気づけることができるし、恋をすることも有意義に思えてくる。
悠真,「だから、恋をすれば相手のために笑えるんじゃないか、って言いたかったんだろ?」
奈緒,「ふん……偉そうで生意気だな」
悠真,「まぁ、そうだな」
実際、俺はそうだと考えただけだ。それが正しいことだという保証も根拠も無い。
だけど、そうなんだと……そうであれば良いと、俺はこの人に教わったことを前向きに捉えたい。
そんな心境を察したのか……。
奈緒,「あー、そうだ。悠真、お前にひとつアドバイスしてやる」
どこか気恥ずかしそうに、そんなことを言う。
悠真,「アドバイス? なんだ?」
奈緒,「チョコは三倍返しが基本だからな」
悠真,「チョコって……バレンタインはとっくに終わってるだろ」
奈緒,「たとえ話だよ。それくらいわかれ」
悠真,「たとえ話……?笑顔をもらったら、三倍返せってことか?」
奈緒,「そういうことだ」
悠真,「……それはまた、俺にとっては難題だな」
奈緒,「やる前から諦めるんじゃない」
悠真,「まぁ、努力はしてみるが」
そう答えると、満足そうな表情を浮かべる。
奈緒,「ところでこんな話をしに来たと言うことは、彼女にしたい女を見つけられたのか?」
悠真,「いや、それについてはこれからだ」
奈緒,「は? これから?」
悠真,「ああ。まずなにをするべきか悩んでいてだな……」
奈緒,「ぶっ……はっ、くくっ……!」
悠真,「って、おい。なに笑ってるんだよ?」
奈緒,「ははっ……いや、スマン。恋がしたくて相手を探すヤツなんて、初めて見てな」
悠真,「はぁ……葵さんにも同じこと言われたよ」
奈緒,「だろうな……くくっ」
悠真,「笑いすぎだ」
おかしなやり方になっているのは、葵さんのお陰でイヤと言うほど理解させてもらっている。
奈緒,「……はー、笑った。で、本当にいないのか?」
悠真,「いないな」
奈緒,「そうか……しかし、アイツらもかわいそうになぁ」
悠真,「なにがだよ?」
奈緒,「もっと周りに目を向けてみろってことだ、このアホ」
悠真,「周りに?」
……なぜだろう?
それはどこか、息子の心配をしている母親のような言葉に聞こえた。
奈緒,「これ以上は教えてやらん。あとは自分で考えろ」
悠真,「……意味がわからん」
奈緒,「悩め悩め。それが青春ってヤツだ」
周りに目を向けろ……か。
奈緒,「ああ、そうそう。ここでの仕事だが、もう来なくていいぞ」
悠真,「は? 何を言ってるんだよ」
突然の提案に、間の抜けた声が出てしまう。
奈緒,「せっかくやる気になったんだ。ここで無為な時間を過ごすよりも、女の尻を追いかけている方が有意義だって言ってるんだよ」
悠真,「女の尻……って」
奈緒,「とにかく、伝えたからな。もう戻ってくるんじゃないぞ」
悠真,「ここは刑務所か」
奈緒,「似たようなモンだろう?クール気取った朴念仁の更正施設だ」
悠真,「……わかったよ。でも、その朴念仁が気になるほど仕事を溜めるんじゃないぞ」
奈緒,「それは約束できん」
悠真,「ったく……もしもの時は、教室まで呼びに来い」
奈緒,「他にもあるだろ? 悠真のいるべき場所は」
悠真,「……俺の、いるべき場所?」
奈緒,「くくっ。悩むがいいさ、アホな若者」
悠真,「…………」
俺が本当にアホなのか。この人の問いかけが高度過ぎるのか。
結局わからずじまいなまま、保健室をあとにした。
学園を出ると、空は真っ暗になっていた。
しかし俺は、帰りが遅くなったことよりも、保健室で言われたことを思い返していた。
悠真,「周りに……か」
あの言葉の意味を考えながら、黙々と歩く。
そうしていると、この場所へと辿り着いていた。
ティナ,「ユウマさん」
悠真,「ティナ? 今日も迎えに来てくれたのか?」
ティナ,「はい。おかえりなさい、です」
ティナ,「きょうは、いつもより遅かったですね?」
悠真,「悪い。ちょっと色々考えていてな」
ティナ,「またお悩みごとですか。ユウマさんはたいへんです」
悠真,「……なあ、ティナ」
ティナ,「なんですか?」
悠真,「昨日の続きだが。話を聞いてもらってもいいか?」
どうして、俺はティナになど相談するのだろう。
いや、そもそもこの期に及んで何を考え込んでいるんだ俺は?
ティナ,「話を聞くだけなら、いくらでも」
悠真,「その後のフォローはやる気なしか?」
ティナ,「な、内容によります」
……ちょっと意地悪な言い方だったな。
悠真,「俺って、そんなに不器用な生き方に見えるか?」
ティナ,「いみがよく分かりません」
悠真,「なんというか、その……。幸せなはずなのに、俺は満足していないんだ」
ティナ,「やっぱりよく分かりません」
悠真,「つまりだ。もっと幸せにならなくちゃいけないらしいんだが」
ティナ,「今のままではだめなのですか?」
悠真,「よかったはずなんだけどな。まだ駄目なんだ、と気が付いてしまった」
ティナ,「どうして、だめなのですか?」
そんな、一問一答に。
誰にも話したことのない、あの『死神』のことを話してみたくなる。
悠真,「……昔さ、俺は死んだことがあるんだよ。そして、名前すら知らないある死神から、命をもらった」
ティナ,「…………」
コタロー,「…………」
悠真,「つまりな。俺のこの命は、自分のものじゃない。その死神も、誰のとは言わなかった」
正確には、それを聞く前に意識を失ったんだが。
悠真,「だから、俺は……この命と、命をくれたあの人に恥じないように、精一杯、みんなのために生きるつもりだった」
ティナ,「りっぱ……だと思います。でも」
悠真,「でも?」
ティナ,「みんなのためだと、ユウマさんは?」
悠真,「……俺か」
悠真,「別によかったんだ、今までは。みんなの幸せが俺の幸せでもあるんだからな」
そして、そこには何の矛盾もないはずだった。今までは。
悠真,「でもな、そんな風に感じていたのは俺だけじゃなかったらしい」
悠真,「だから、みんなを幸せにするためには、俺自身も幸せでなくちゃいけないらしいんだ」
そう。それが俺のするべきことだ。
俺自身と、預かり物のこの命に、幸せってやつをちゃんと味わわせてやるべきなのだ。
ティナ,「……わたしも、ユウマさんのその命には、幸せになってほしいです」
『その命には』……?
やっぱり、こいつはあの死神のお姉さんについて、何かを知っているのだろうか。
だが、今はそれよりも。
悠真,「それで、色々な人の話をまとめるとな。どうやら、俺が笑うことで何とかなるものらしい」
ティナ,「ユウマさんが?」
悠真,「ああ。俺が笑えないことで、本来行き来するはずの幸せをせき止めてしまっているのかも知れない」
ティナ,「…………」
悠真,「そう考えると、ちょっと怖くなるんだ」
ティナ,「やっぱり、よく分からないです」
悠真,「……悪い」
ティナ,「でも」
ティナは、少し不安そうに俺の顔を覗き込む。
ティナ,「今のユウマさんが、幸せじゃないのは分かりました」
悠真,「自覚していないが、そうなんだろうな。不幸じゃない。でも、満足してはいない」
指摘されるまで、そんなことを思いもしなかったが。
ティナ,「……が、幸せじゃ……ない」
小さすぎて、半分以上聞き取れないような呟き声を漏らす。
ティナ,「それは……いやです。とても」
哀しそうな視線に、こっちの方が戸惑わされる。
ティナ,「どうすれば、幸せになれますか? 笑顔になれますか?」
悠真,「それは……」
何だか無性におかしくなってくる。
なぜなら、その質問への回答は、最初からティナが示してくれていたのだから。
悠真,「恋をすればいいんじゃないのか?」
ティナ,「……え?」
悠真,「お前が教えてくれただろ。恋をすれば幸せになれる。笑顔になれるって」
そう。初めて会った時に、ティナはそう言ったんだ。
悠真,「もう忘れたのか、恋の妖精?」
ティナ,「ち、ちがいます。けっして忘れていたわけでは」
悠真,「……恋をするのもいいかもな」
ティナ,「え……? え……えっ?」
目を丸くして、ティナは固まってしまう。
悠真,「なんせ、お前以外からも勧められてな。意外と悪くないのかもしれない」
ティナ,「あの、あの……」
そしてゆっくりと、ティナの表情は動いていって。
ティナ,「ユウマさん、ききましたよ? 本当ですね!?」
悠真,「ああ、確かに言ったぞ」
ティナ,「とうとう……とうとう、この時が」
悠真,「泣くほどのことか?」
ティナ,「だって、これで恋の妖精ができますっ」
目を潤ませたかと思えば、今度は嬉しそうに笑うティナ。
くるくると、見ていて飽きない変化だった。
ティナ,「うれしいです。コタローもそう言っています」
コタロー,「いえ、わたくしにとっては正直どうでもいいことでございましてー」
コタロー,「んぐー!んんん! ふぃなふぁま、ふぃなふぁまー!」
ティナ,「この通り、コタローもとってもよろこんでます」
悠真,「そんなに首を締め付けるんじゃない。さすがにかわいそうになるぞ」
見た目がぬいぐるみなだけに、余計にな。
ティナ,「それでそれで、恋のおあいては?誰とするのですか?」
コタロー,「あんまりでございますよーティナ様ー」
ぺいっとコタローを投げ捨てて、俺に詰め寄ってくる。
悠真,「さぁな。いつから、誰と出来るのか……」
ティナ,「なにを言っているんですかユウマさんっ!気がかわらないうちに、いまからしましょう」
悠真,「慌てるんじゃない。誰かを好きになるのが先だろ」
葵さんや不良養護教諭の受け売りを、偉そうに披露してみる。
ティナ,「でしたら、はやく誰かを好きになってください」
悠真,「そう言われてもな……」
ティナ,「くちだけのおとこですか。はやく何かしてください」
ティナの言う通りかもしれない。きっと、待っているだけでは何も変わらないんだ。
俺は、誰かを好きになれるくらい、もっともっと他人と関わるべきなのだろう。
一歩を踏み出すのは、ほんの少し勇気がいるけれど。
ティナ,「……あのですね、ユウマさん」
悠真,「うん?」
ふと、今度は穏やかな視線で微笑みかけられて。
ティナ,「おうえん、しますから」
……ああ。
自分が何をグダグダと考え込んでいたのか、ようやく分かったような気がする。
悠真,「なぁ、ティナ。もしも俺に好きな相手ができたら、その時は……」
ティナ,「はい、わたしがユウマさんの恋を叶えます。おうえんします」
俺はただ、あと一歩を踏み出すために。
ティナ,
「恋の妖精の、名にかけて[――]」
多分ほんの少し、背中を押して欲しかっただけなんだ。
;※■4月18日(木)
木耀日(星期四)
翌日。俺は、とある場所へと向かっていた。
多分、最初からわかっていたんだろう。ここから始めれば、色々なことが動き出すということを。
悠真,「…………」
だけどそれをするには、変えないといけないダメな部分がたくさん残っていて。
そんな、己の未熟なところと直面したくないがために、誘いを受けることをよしとしなかった。
悠真,「すぅ……ふぅ」
ひとつ深呼吸をして、覚悟を決める。
この扉を開けた先に、幸せな未来が待っていると信じて。
悠真,「失礼します」
そして俺は、最初の一歩を踏み出した。
杏,「[――]というわけで、みんな!風紀委員と合体したので、新しい規則を作りました」
杏,「じゃーん。恋愛禁止ー!」
悠真,「……………………え?」
だが。
どうやら覚悟の末に踏み出した一歩は、盛大に間違えていたかもしれなかった。
こなみ,「兄さん?」
美桜,「あれ、ユウくん? おはよー」
悠真,「あ、ああ……」
夕莉,「浅葉くん、どうしたの?」
爽,「宿題を写したいなら、残念だったな。おれはやってないぞ」
夕莉,「肥田くん……それ、どういうことですか?」
爽,「や、やだなぁ月嶋さん。そんな睨まないで欲しいんだけど……」
美桜,「私はやってきたよー」
こなみ,「さすがですね美桜さん。なでなで」
美桜,「えへへ。わーい」
杏,「んで? 悠真クンは誰かに用事?」
悠真,「その……」
ちらり、と『恋愛禁止』と書かれた貼紙を見る。
悠真,「…………」
別に俺は、恋愛をすることが目的ではない。
ない……が、するのもいいかもなと思い始めていたのも事実だ。
その出鼻をいきなりくじかれた訳だが、いったいどうすればいいんだろうか。
悠真,「ええと……」
そうだな……よし。もう一度考え直すためにも、とりあえず出直そう。
悠真,「大した用事ではないので。また改めます」
杏,「そうなの? でもせっかく来たんだし、ゆっくりしていったら?」
悠真,「いえ、その……みんな、忙しそうですし」
美桜,「夕莉ちゃん、今って忙しいのー?」
夕莉,「今ので話が終わりみたいだし、あとは教室に戻るだけだけど……」
杏,「ね? だから用事がある人は連れてっちゃってもいいよ。それとも、生徒会に入るつもりになった?」
悠真,「いや、その……」
美桜,「え、ほんと!? ユウくんも入るの!?」
こなみ,「兄さんも一緒なら、心強いですよね」
夕莉,「ええ。浅葉くんもいてくれたら、風紀委員の仕事をお願いできるし……」
まだ何も言っていないというのに、どんどんと話が大きくなってくる。
それを見かねた爽が、口を挟む。
爽,「おいおい、待ってくれよみんな。悠真は保健室の手伝いがあるから無理だろ?」
美桜,「あー、そっか」
夕莉,「佐和田先生も、浅葉くんの手伝いで助かってるだろうし……」
杏,「そうなんだよねー。悠真クンを攻略するには、そこを崩さないと」
悠真,「…………」
どうしよう。あのことは伝えるべきだろうか?
……言わなくてもいずれ誰かがあの人から聞くだろうし、言った所で問題はないか。
悠真,「手伝いならクビになりました」
そう言ったとたん、全員がポカンとした様子で俺を見る。
杏,「……へ?」
こなみ,「クビ?」
悠真,「ああ。手伝いはいらない、もう戻ってくるな、って」
夕莉,「あ、浅葉くん、佐和田先生になにを……?」
爽,「おっぱいか!? 先生のおっぱいモミモミしたのか!?」
悠真,「誰が揉むか。そうじゃなくて、その……色々あったんだ」
いつだって、あの人は俺をからかってばかりだが……葵さんと同じで、何かと俺のことを気に掛けてくれていた。
だからこそ、俺のために保健室から追い出してくれたんだ。
杏,「ねぇ、悠真クン。前に言ってたよね?保健室の手伝いがあるから生徒会は手伝えない、って」
悠真,「そう……ですね。はい、言いました」
杏,「じゃあさ。今はフリーってこと?」
悠真,「そうなりますね」
先輩が何を言いたいかはわかっている。
そして、俺もどうするべきかはわかっている。
悠真,「…………」
覚悟を決めるしかない、か。
考え直したって仕方ない。今までの自分から変わるために、俺はここへ来たんだ。
杏,「あのね、悠真クン。しつこいと思うけど、聞いてくれる?生徒会に……」
悠真,「待ってください、先輩」
そもそも生徒会には、生徒のため、学園のために働きたい人間が入るべきだ。
その考えは今も変わっていない。
悠真,「俺を[――]」
だから、やるからには自分が笑顔になるためなどという、自分本位な気持ちだけでやるわけにはいかない。
それこそ、学園全体を笑顔に変えるつもりで働くべきだろう。
その結果として、自身が笑顔になれるのであれば、これ以上ない幸せだと思う。
……そんな未来を夢見て、俺は。
悠真,「生徒会に、入れてください」
ここから、一歩を踏み出した。
そんなわけで、晴れて生徒会役員となったわけだが。
爽,「いやー、しかしまさかなぁ。会長は悠真までも首を縦に振らせたか」
悠真,「朝から何度目だ、その話。いい加減しつこいぞ」
爽,「それだけ驚きだったんだって」
聞き飽きた話題に相づちを打ちながら、移動教室のため、廊下を歩く。
爽,「それで、今日は会長と一緒に昼飯を食うことになったんだっけ?」
悠真,「ああ。生徒会の仕事を教えてくれるそうだ」
爽,「悠真には優しいよなー、会長。おれの時にはそんなこと、全くなかったぞ?」
悠真,「せっかく入った人数合わせだからな。辞めさせないよう、慎重になってるんじゃないか?」
爽,「どうだかな。ま、なんにしろ、お前は会長のお気に入りだと思うぞ」
悠真,「お気に入り、ねぇ……?」
俺からすれば、むしろこなみや美桜の方こそお気に入りじゃないかと思うんだが。
爽,「それで? 生徒会に入った理由だけど。本当の所はなんなんだ?」
悠真,「そう言われてもな。勧誘されているうちにやる気になった、じゃダメなのか?」
爽,「お前がそんなタマじゃないのは知ってるからな。何か理由があるんだろ?」
悠真,「……黙秘させてくれ」
さすがに、爽にまで全部を語るのは気恥ずかしい。
そんな会話をしていると、前から花子が歩いてくる。
花子,「あ、ちょっと浅葉悠真!!」
爽,「おー、さすがに人気者だな。賞金首」
悠真,「元、をつけろ」
最近はもう、忘れかけていたというのに……。
悠真,「どうしたんだ、花子?」
花子,「花子って言うんじゃないわよっ!」
まぁ、なんの用事かは大体わかっているけどな。
花子,「浅葉悠真、あんた生徒会に入ったって本当なの!?」
悠真,「ああ、入ったぞ。それがどうした?」
花子,「どうしたもこうしたもないわよ!なんであたしに黙ってるのよ!?」
悠真,「なんでって……お前に言う義務なんてあるのか?」
花子,「あるに決まってるでしょ! 記事にするんだから!」
悠真,「…………」
つまり、おいしいネタを優先的にリークしろ、と言っている訳か。
それも、記事の元になる本人に向かって。
花子,「結局アンタの変顔記事も受けが良かったし、普通のを出せばキャーキャーうるさいし。不愉快だから、せめてあたしのために役立ちなさいよ!」
爽,「さすがだなぁ、色男」
悠真,「まったく嬉しくない……というか、まずはコイツのむちゃくちゃな論理に突っ込んでくれ」
爽,「あー、そうは言ってもなぁ。新聞部は生徒会広報も兼ねてるから、むちゃくちゃでもないぞ」
悠真,「……は?」
生徒会広報……だって? 新聞部が?
花子,「なによアンタ、もしかして知らなかったの?」
爽,「ほら、そういう関係もあるから、会長とも仲良いんだよ。月嶋姉さんは」
悠真,「月嶋姉さん、って……」
確かに、月嶋の姉ではあるが、その呼び方はどうなんだ。
花子,「アンタ、この前の新聞も見てたでしょ。ちゃんと生徒会のことも記事にしてたじゃない」
悠真,「確かに、言われてみれば」
風紀委員と合体したことが記事になっていたな、そう言えば。
花子,「だから、何か記事になりそうなことがあったら、真っ先にあたしに教えること! いいわね?」
悠真,「理屈はわかったが……どうせ先輩から連絡が行くんだろ?なら、それを待てば良いと思うんだが」
花子,「情報は速度が命なのよ!アンタには、それがわからないって言うの!?」
悠真,「いやまぁ、その気持ちも理解できるがな[――]」
不正確なことを俺から言うわけにもいかないだろ、と反論しようとしたところで、強力な味方が現れる。
夕莉,「ちょっと花、いい加減にしなさい!」
花子,「げっ、夕莉!」
悠真,「月嶋?」
立ち止まって会話をしていたからか、後から教室を出てきた月嶋と鉢合わせる。
夕莉,「生徒会に入ったと言うことは、風紀委員の仲間でもあるの。浅葉くんに対して何か文句があるようなら、あたしも黙ってないわよ?」
花子,「フンッ……それがなんだってのよ!」
ピリピリとした空気で、互いをにらみ合う月嶋姉妹。
爽,「おー。こりゃまた険悪な空気だなぁ」
悠真,「のんきなことを言っている場合じゃないだろ?爽だって、風紀委員のメンバーってことだぞ」
爽,「あぁ、言われてみりゃそうか。合体したんだしな」
悠真,「だから、手伝え」
爽,「はいはい……」
目配せをしつつ、俺は月嶋へと。爽は花子へと近づく。
爽,「まぁまぁ、そこまでにしときなよ、花子ちゃん」
花子,「ちょっ……だぁ~れが花子ちゃんよ、この変態副会長!」
爽,「花子ちゃんも、せっかく美人なのにもったいねーなぁ。怒るとブサイクになっちまうぜ?」
花子,「え、美人……? そ、そーお? ま、美しいのは仕方ないわよね。持って生まれたものなんだし?」
花子は、爽のへたくそなお世辞であっという間に調子に乗っていた。
チョロ過ぎやしないだろうか、花子……。
さて、俺も話をつけるか。
悠真,「月嶋。俺のために怒ってくれるのは嬉しいが、少し落ち着いてくれ」
夕莉,「浅葉くん……」
悠真,「風紀委員長が、こんな廊下のど真ん中で問題を起こす訳にもいかないだろ?」
夕莉,「……それもそうね。わかったわ」
さすが、月嶋は冷静だ。
俺の言葉に理解を示してくれた月嶋が、格好を崩す。
爽,「いやー、やっぱり月嶋姉妹では花子ちゃんの方がかわいいよなー」
花子,「よくわかってるじゃないの、アンタ。単なる変態じゃなかったのね?」
爽,「当然だろ? おれの目算によれば、妹よりも若干太ってるのは間違いないからな」
花子,「……なんですって?」
爽,「まー、それでもまだまだ足りないんだけどな。せめてあと10……いや、5kgだけでも」
花子,「なっ……!?」
爽,「まずは二の腕を一回り大きくすることを理想にだな……って、あれ? なんか怒って……る?」
花子,「こ、この……変態副会長ぉぉ!!」
爽,「ヘブゥッ!」
……爽。俺にもわかるぞ。そいつは地雷発言ってヤツだ。
しかも、目算が事実だけに、余計タチが悪い。
花子,「もぉ~~!! 浅葉悠真に変態副会長に、なんなのよ生徒会のヤツらは!」
いい加減にしなさいよね! と怒りをあらわにしつつ、廊下を戻る花子。
爽,「いったたた……思いっきり腹にヒジ食らったわ」
悠真,「なぜ火に油を注ぐんだ、お前は?」
夕莉,「今みたいなのは、さすがにかばえないわね……」
爽,「えー? おれ、おかしなこと言ってたか?」
悠真,「…………」
夕莉,「…………」
俺も月嶋も、その問いに答えることはなかった。
杏,「はーい、どうぞー」
悠真,「失礼します」
杏,「いらっしゃい、悠真クン。待ってたよー」
朝に約束したとおり、俺は弁当を生徒会室へ持参していた。
杏,「ほら、座って座って。お茶もいま淹れるからっ」
悠真,「いえ、俺はお客じゃなくて生徒会役員なんですから。お茶くらい俺がやりますよ」
杏,「だーめ。今日くらい、あたしに淹れさせなさいっ!」
悠真,「ですが……」
杏,「さて、問題です。悠真クンの上司は誰でしょう?」
いきなりなんだ?上司って言われても……。
悠真,「神鳳先輩……ですか?」
杏,「ぴんぽん、正解~♪そんなわけで、上司命令。お茶を淹れさせなさい」
悠真,「……はい」
俺も大概だろうが、先輩もかなりガンコだと思う。
杏,「それじゃ、ちょっと待っててね」
そうして、しばらく先輩の後ろ姿を眺める。
杏,「はい、お待たせー」
悠真,「ありがとうございます」
ティーカップふたつを置いて、先輩が席に座る。
悠真,「……緑茶、ですか」
杏,「うん。ご飯には緑茶じゃない?」
悠真,「それはわかりますが……」
ティーカップに緑茶、か。
そのミスマッチさに少し驚いていると、先輩が話しかけてくる。
杏,「そーそー。それと、入室時だけど。もう役員なんだから、ノックしなくていいよ?」
言われてみて気づいた。お客さん気分だったのは、俺の方かもしれないな。
悠真,「そうですね……わかりました」
杏,「さーてと。んじゃー、まずはご飯たべよっか」
先輩はビニール袋を取り出して、中身を広げる。
悠真,「購買ですか?」
杏,「まーねー。おにぎりとかサンドイッチとか、楽だよ?書類読みながら食べられるし」
悠真,「お行儀が悪いですよ」
杏,「あはは、少しぐらい許してよ。ここだと誰も見てないしね」
生徒会長というのは、そこまで大変なのだろうか。
……そう言えば、ここへ来ればいつでも先輩に会えている気がする。
いつもの様子からは想像も付かないが、多忙なのだろう。
杏,「あ、だけど学食でもよく食べるよ?たまに夕莉もいて面白いし」
悠真,「面白いって……あの格好のことですか?」
杏,「そうそう、和風メイド! かわいいよねーあれ」
悠真,「本人は恥ずかしがっているようでしたが」
杏,「えー? すっごい似合ってるのになぁ」
『それは確かに』と思ったが、口に出すと色々とからかわれそうなので、黙っておく。
杏,「悠真クンは? いつもお弁当?」
悠真,「いえ。母の仕事の負担になりますから。毎週2~3日は、学食や購買を利用しています」
杏,「あ、そっか。悠真クンちのお母さんって、浅葉先生だっけ」
悠真,「知ってたんですか?」
杏,「まぁね~。生徒会長だし」
悠真,「ああ……それもそうですね」
そう言った、特殊な事情の生徒情報は耳に入りやすいのだろう。
杏,「安心して、誰かに言いふらしたりとかしてないから」
悠真,「大丈夫です、信じてますよ」
杏,「そう言えば、他のみんなはその事って知ってるの?んと……肥田くんとか、夕莉とか」
悠真,「俺からは何も言ってませんね。美桜は当然知ってますけど、言うとも思えませんし」
杏,「そっかー……うーん」
悠真,「何かまずいですか?」
杏,「役員の緊急連絡先、どうしようかなって。自宅から通ってる子は、基本的に保護者だから」
悠真,「ああ、そういうことなら別に構いません。あの二人なら大丈夫でしょうし、浅葉先生のことは俺から伝えておきます」
杏,「ん、わかった。よろしくねー。さ、それじゃご飯にしよっか」
悠真,「そうですね。お茶、いただきます」
杏,「はい、どーぞー」
そうして、和やかな空気の中、先輩と食事を摂った。
杏,「[――]という流れの対応が必要なの。わかった?」
悠真,「はい、大丈夫です」
仕事のことを教えると言いつつ、盛大に脱線していくと思われたが。
そんなことは全然なく、先輩はしっかりと仕事内容について教えてくれていた。
杏,「大まかな流れはこんなとこかな。質問はある?」
悠真,「今のところは大丈夫です。あとは実際にやってみて、わからなかったら質問させてください」
杏,「おっけー。細かいことは、肥田くんや夕莉の方が詳しいだろうから、そっちに聞いてもいいかも」
悠真,「わかりました。ありがとうございます」
杏,「うんうん。それじゃ、これからがんばってね?」
悠真,「はい、がんばります」
先輩の言葉に、大きくうなずく。
悠真,「それにしても、先輩って本当に生徒会長だったんですね」
杏,「んん?それって、どういうことかな?」
悠真,「仕事内容について、かなり細かいところまでしっかりと説明してもらえたので」
杏,「え、そう? わかりやすかった?」
悠真,「はい、かなり」
杏,「ふふっ。なんか照れるなー、もう」
そう言って、恥ずかしそうな笑顔を浮かべる先輩。
杏,「さて、それじゃこれで生徒会の説明は終わりね。次は将棋部の活動についてだけど」
悠真,「ああ、やっぱり俺もそっちの部員なんですね」
杏,「合体してるからねー。イヤだった?」
悠真,「いえ。こなみもいますし、イヤなことはないですよ」
杏,「そっか、良かった」
悠真,「と言いますか、ちゃんと活動していたんですね」
杏,「あれ、こなたんから聞いてなかった?毎日、生徒会の仕事が終わったら指してるんだよ」
悠真,「……そうだったんですか?」
最近、帰りは俺の方が遅かったからな……。
先に家にいれば、心配になって事情も聞いただろうけど。
悠真,「だけど将棋部の活動って、将棋を指すだけじゃないんですか?」
杏,「うん、そうだね」
悠真,「じゃあ、何も説明することないと思うのですが」
杏,「そんなことはないよ。部員の実力を知っておくのも、部長の勤めでしょ?」
先輩はそう言うと、いつの間に用意したのか将棋盤をドン、と机に置く。
悠真,「ええと……先輩?」
杏,「さ、それじゃ一局やろっか!」
悠真,「…………」
あっけにとられる俺をよそに、先輩は楽しそうに駒を並べていくのだった。
悠真,「参りました」
杏,「……あれ?」
恐らく、過去最高の速度であっさりと負ける俺。
悠真,「さすが部長ですね」
杏,「ああ、うん。ありがとう……じゃなくて!」
悠真,「どうしました?」
杏,「こなたんから、悠真クンには一度も勝ったことがないって聞いたんだけど?」
悠真,「はい、その通りです。一度も負けてませんよ」
杏,「あのさ、こう言ったらなんだけど……こなたんの方が強くない?」
悠真,「そうですね。俺もそう思います」
杏,「なのに、負け無しなの?」
悠真,「はい。俺は適当に指しているだけですからね。実力で行けば、こなみが負けるはずないんですが」
その辺りのことは、以前こなみに聞いたことがある。
なぜ、俺には勝てないのか? と。
悠真,「こなみは、亡くなった父から将棋を教わってたんですけど。どうやら、俺の指し方が似てるらしいんです。父さんと」
杏,「苦手なの?」
悠真,「はい。こなみ曰く、指し方が正直すぎてペースを崩されるんだそうです」
杏,「そういうことか……くすっ、なんか納得」
悠真,「だから、俺が勝てるのは将棋を知らないレベルの人と、こなみだけです」
杏,「そっかー……悲しくなっちゃうのかな?」
悠真,「……そういう気持ちになるのならば、多分俺とは指してないと思います」
だから、多分こなみは。
悠真,「純粋に、好きなんですよ。父さんの教えてくれた将棋が。だから俺のことも、いつか越える壁くらいにしか思ってないはずです」
杏,「……そっか」
悠真,「だから、先輩も手加減せずに、どんどん相手してやってください」
杏,「もちろんっ。なんせ部長だしね?」
にこやかな笑顔を浮かべて、先輩はうなずく。
悠真,「……そう言えば。質問があるんですが」
杏,「ん、なになに?」
悠真,「先輩は、なぜそんなに将棋が強いんでしょう。誰かに習っていたとかですか?」
杏,「ふふふー。気になる?」
悠真,「ええ、まぁ……。同世代でこなみより強い人なんて、そうそういないと思っていたので」
杏,「うん、そうかもねー。こなたんは強いと思うよ」
悠真,「でも、先輩はそんなこなみを負かせてますから。何か強さの秘密でもあるのではないかと」
杏,「んー、教えてあげたいけど……ごめんね。秘密なの」
悠真,「そうですか……」
杏,「ただね。強さの影には、ちゃんとした努力があるんだよ。それは、一朝一夕のものじゃなくて……それこそ、血の滲むような」
そうつぶやく先輩は、どこか悲しそうで。どこか、懐かしむような表情を浮かべていた。
悠真,「……そうですね、なにごとも努力あるのみですよね」
単に、こなみは先輩よりも努力が足りていない。そういうことなのだろう。
悠真,「ところで、妹が入って一週間ちょっと経ちましたが。こなみはまだ、一度も勝ててませんか?」
杏,「まぁねー。良いところまでは行くんだけど。わざと負けたら、怒りそうだし」
悠真,「間違いなく怒りますね」
こなみの将棋に対する姿勢を考えると、どんな制裁が待っているかわからない。
杏,「あ、怒らせるために、わざと負けるのもいいかも?」
悠真,「しばらく口を利かなくなるかもしれませんよ?」
杏,「えぇー? それはちょっと、勘弁して欲しいなぁ」
悠真,「それだけ真剣なんですよ、あいつは」
杏,「じゃあ、あたしも真剣にやっつけるしかないかー」
悠真,「はい、お願いします」
こなみなら、いつかは先輩にも勝てる日が来るだろう。
……がんばれよ、こなみ。
杏,「さて、じゃあ将棋関係はこんな感じね。次は美桜ちゃんについてだけどー」
悠真,「例の体質を治すための活動……対人対策、でしたっけ?」
杏,「まぁねー。確かにそれがメインだけど、たぶん悠真クンが考えているよりも、ちょっと幅広いよ」
悠真,「……幅、ですか?」
どういうことだろうと考える俺に、先輩はひとつの例を挙げてくれる。
杏,「悠真クンは、肥田くんのことをどう思う?」
悠真,「そうですね……お調子者のぽちゃ専、でしょうか」
杏,「うん、そうだね。彼の内面はそんな感じ。じゃあ、見た感じはどう?」
悠真,「見た感じ……?黙っていればモテそう、とかそういうことですか?」
杏,「そうそう。なんだ、悠真クンも肥田くんのことそう思ってたの?」
悠真,「いえ。俺は他の女子からの評判を口にしただけですよ」
杏,「あー、なるほどね」
実際、言われてみれば顔は整っているのかもしれない。
しかし俺としては、どうしても普段のイメージが強いせいか、女子の言い分にもあまりピンと来ていなかったりする。
悠真,「それで? 爽がどうしたんですか?」
杏,「彼もある意味、内面に問題があるでしょ?だからこの前、女性のことはとにかく褒めろって教えたの」
悠真,「褒めろ……?」
杏,「そう。たとえ、自分の好きじゃない痩せ型でも、どこかに良いところがあるはずだ、って。そこを褒めてあげよう、ってね」
悠真,「…………」
その言葉を聞いた俺は、なぜ爽があそこまで花子を、猛烈に間違った方向で褒めていたのか理解した。
……だめだ、あいつ先輩の言ったことを理解してない。
杏,「美桜ちゃんのリハビリも大事だけど、せっかくだし彼も治してあげないと」
悠真,「そうですね。ぜひお願いします」
せめて初対面の人に、自分の性癖を押しつけないようになってもらいたいものだ。
悠真,「美桜には、どんなリハビリをさせてるんですか?」
杏,「んーと、男性にふれている状況のイメトレさせたり。目隠しして、悠真クンのマネしたあたしとふれあったり」
悠真,「マネ……って」
杏,「ダメだった?」
悠真,「……別に、美桜の症状がよくなるんなら構いませんが」
しかし一体、なにをしているんだろうか。この先輩は。
悠真,「それで、成果の方はどうです?」
杏,「ぜんぜんダメ。あたし以外でも匂いでわかっちゃうし。イメトレだといつの間にか男性同士の絡みになるし」
悠真,「……ああ」
そう言えば、美桜は妄想癖も治さないといけなかったな。
杏,「ま、そんなわけだから。悠真クンも手伝ってあげてね?」
悠真,「はい、わかりました」
いつもやってることではあるが、協力者が加われば、新たな進展が望めるかもしれない。
それは願ってもいないことだ。
杏,「それで最後に、風紀委員だけど……」
悠真,「はい」
杏,「夕莉に聞いてね」
悠真,「は?」
杏,「あたしにはわかんないところあるし、委員長は夕莉だし。それに、一緒のクラスでしょ?」
悠真,「はぁ、まぁ……」
杏,「だから、そういうことで。よろしくー」
悠真,「…………」
まさか、最後に来て全部を月嶋に投げるとはな……。
悠真,「はぁ……」
杏,「あれ? 呆れちゃった?」
悠真,「いえ。やっぱり、先輩は先輩なんだな、と」
杏,「それって褒めてるの?」
悠真,「先輩のことを再認識しただけです」
杏,「むぅ~。なんかバカにされてる感じがする」
別にそう言うつもりはないが、少し残念で少しホッとしたのは確かだ。
杏,「ま、なんでもいっか。それじゃせっかくだし、もう一局やろ?」
悠真,「将棋ですか? 先輩も好きなんですね」
杏,「んー、好きっていうか……ハマってきた、みたいな感じ?」
悠真,「……?」
たくさん練習してきたのに、今更ハマり直すのか?
杏,「ほらほら、並べてー」
投了状態のまま放置されていた盤面を崩し、再度並べ直そうとしたところで、予鈴のチャイムが鳴る。
杏,「あれ、もう終わり?」
悠真,「そうみたいですね。残念ですが、また今度ということで」
杏,「そうだね。じゃ、また放課後に来てね?」
悠真,「はい、わかりました。……あ、そうだ。ちょっと遅れても大丈夫ですか?」
杏,「ん? なんかあるの?」
悠真,「ええ。保健室へ、ヤボ用です」
杏,「えっ!? 佐和田センセーのところに戻るの!?」
悠真,「違いますよ。というか、一度入ると言ったのに、そんな中途半端なことはしません」
杏,「ならいいけど。それじゃ、何しに行くの?」
悠真,「まぁ、その……お礼を言いに」
杏,「くすっ、そういうことかぁ。うん、わかった。行ってらっしゃい」
俺は、そんな笑顔の先輩に見送られながら、生徒会室を後にした。
そんなわけで、放課後。俺はここへと足を運んでいた。
悠真,「失礼しま[――]」
葵,「……でね、その時こなみちゃんが悠真くんのことをね」
奈緒,「はぁ……いつまで続くんだ、その子供自慢は?」
葵,「えー? まだ始まったばかりだよ?」
どうやら先客……というか、葵さんが来ていたようだ。
奈緒,「……ん? ああ、ほら。お前の愛しい息子が来てるぞ」
葵,「あ、ほんとだ! 悠真くん、どうしたの?気分悪いの?」
悠真,「いえ、別の用で来たんですが……と言うか、来るの早いですね浅葉先生」
ホームルームが終わってから、まっすぐ来たのだろうか?
葵,「ちょっと、近くの教室に用事があったから、ついでに顔出してみたんだー」
悠真,「そうでしたか」
奈緒,「それより悠真、いつも通り『葵さん』って呼んでやったらどうだ?」
葵,「あ、うんうんっ!そうだよ悠真くん。名前で呼んで欲しいなー?」
悠真,「そうは言っても……」
と、そこではたと気づく。
いつもここで葵さんの話をする時は、『葵さん』と言っていた気がする。
校内とは言っても、少し隔絶されている場所だしな。まぁいいか。
悠真,「……そうですね。わかりました、葵さん」
葵,「うんっ!」
そう呼ぶと、途端に葵さんは嬉しそうな表情を浮かべる。
奈緒,「それで? なんの用事だ?」
悠真,「ああ、ちょっとあんたにな」
奈緒,「アタシに?\bもう手伝いは不要と言ったはずだぞ?」
葵,「もう、奈緒ちゃんてば。さっきも、悠真くんがここを離れて寂しいって言ってたのに」
悠真,「あんたが? 寂しいって?」
奈緒,「んなわけあるか。悠真を追い出したって言ったら、勝手に葵が勘違いしただけだ」
葵,「ふふっ、奈緒ちゃんてば照れちゃって」
奈緒,「……ふん、知るか」
友人である葵さんの前でだけ見せる、照れくさそうな表情。
やはり、俺に対する時とは違うんだな、と改めて感じる。
悠真,「ともかく、仕事の手伝いに来たわけじゃない。ただ、ちょっと報告にな」
奈緒,「報告だと?」
葵,「あ、大事なお話なら、お母さん席外そうか?」
悠真,「いえ、葵さんにも言っておきたかったので。一緒に聞いてください」
奈緒,「そんな改まって、なんの報告だ?さっそく恋人でもできたのか?」
葵,「こ、こここ、恋人っ!? 昨日の今日なのにっ!?」
悠真,「落ち着いてください、葵さん。そうじゃなくて、その……生徒会へ入ったんです」
葵,「……え、生徒会?」
いざ報告してみると、少し気恥ずかしさを覚える。
奈緒,「そうか……なんだ、予想より早かったな」
悠真,「予想だって?」
奈緒,「もう忘れたか?言っただろ、お前のいるべき場所は他にあるって」
悠真,「…………」
そう言えば、そんなことも言われていた。
じゃあ、あの時からこの人は、俺が生徒会に入るとわかっていたのだろうか?
葵,「へー、生徒会かぁ……うん、がんばってね。悠真くんっ」
悠真,「はい。入ったからには精一杯やるつもりです」
奈緒,「こなみもいるんだろ?」
悠真,「ああ。書記をやってるそうだ」
奈緒,「そうか。ま、せいぜい妹や神鳳に迷惑を掛けてがんばれ」
悠真,「迷惑を掛けるな、じゃないのか?」
奈緒,「いいんだよ、掛けろ」
葵,「ふふっ、そうだね。生徒会の仲間なんだし。支え合って、この学園をよくしていってね?」
奈緒,「そう、葵の言うとおりだ」
悠真,「なら、最初からそう言えよ……」
葵,「奈緒ちゃん、いつも言葉が足りないからねー」
奈緒,「寡黙なんだよ、アタシは」
悠真,「自分から寡黙って言うか? 普通」
奈緒,「養護教諭は言っても良い決まりになっている」
悠真,「どこの世界の決まりだ」
葵さんがいると、上手く会話のフォローをしてくれるため、この人はいつも以上に適当な会話になる。
奈緒,「で、誰を狙ってるんだ?」
悠真,「誰って……」
奈緒,「生徒会の誰かが好きなんだろ?」
悠真,「別にそういうわけじゃない。それに、生徒会は恋愛禁止らしい」
奈緒,「は?」
葵,「恋愛禁止……って、どーいうことなの?」
悠真,「生徒会も風紀委員も、恋愛がらみで面倒な事態になったことは知ってますか?」
葵,「あー、うん。他の先生からちょっと聞いたよ」
奈緒,「辞めたヤツらも辞めたヤツらだがな。アタシには意味がわからん」
葵,「もー。そういうこと言っちゃだめでしょ、奈緒ちゃんっ」
奈緒,「付き合いを続けながら、それぞれの仕事をがんばればいいだけだろうが」
葵,「みんな、器用な子ばかりじゃないんだよ?」
奈緒,「はいはい……まったく、あいかわらず葵は甘い」
この人の意見には俺も賛成だ。だが……。
恋をしたら、そんなに人は変わってしまうのだろうか?俺には、わからない問題だ。
悠真,「……ともかく。それで生徒会メンバーは、恋愛禁止ということにしたそうだ」
奈緒,「なるほどな。神鳳のヤツらしいというかなんというか」
葵,「他の子はいやがってなかった?」
悠真,「まぁ、恋愛ごとには疎い人間ばかりなので……月嶋なんて、むしろ恋愛を否定していますし」
葵,「こなみちゃんも、興味なさそうだもんねぇ」
奈緒,「ま、お前は気にするな。忍ぶ恋というのも燃えるらしいしな? 葵」
葵,「わ、わたしは別に……というか、卒業してからだよぉ!」
水を向けられて、少し恥ずかしそうにする葵さん。
父さんのこと……だろうな。
悠真,「しかし、恋人もいない人に言われても説得力が無いな」
奈緒,「やかましい」
葵さんが父さんと結婚した経緯は細かく知らないが、先生と生徒だし、色々あったのだろう。
……まぁ、あまり詳しく聞く話でもないしな。
悠真,「それじゃ、そろそろ生徒会室へ行くぞ」
葵,「うん、がんばってね!」
奈緒,「ああ、待て悠真。餞別をやる」
そう言って、俺の手にその餞別とやらを握らせる。
悠真,「……飴?」
奈緒,「達者でな」
悠真,「卒業するわけじゃないんだが」
奈緒,「保健室登校からの卒業だ」
悠真,「ちゃんと授業も出てるぞ?」
葵,「うんうん。悠真くん、まだサボってないよ?」
『まだ』って、葵さん……俺は授業をサボりかねないと思っているのだろうか?
奈緒,「いいから持っていけ。他の役員にもあげれば、仲良くなれるだろ?」
悠真,「と言っても、元々の知り合いばかりなんだが……。あんたがそう言うなら、ありがたくもらっていくよ」
ここで断るのも野暮かと思い、飴をポケットに詰め込む。
悠真,「……ありがとな」
奈緒,「礼など良い」
悠真,「これのことだけじゃない。その……色々と、だ」
奈緒,「なら、なおさら言う必要なんてない。アタシはセンセイとして、当然のことをしただけだ」
葵,「ふふっ。奈緒ちゃん、照れちゃってるみたい」
奈緒,「葵、余計なことは言うな」
葵,「はーい。ふふふっ」
こうして見ていると、二人の仲がよくわかる。
まるで夫婦のような二人と、もう少し話していたい気持ちはあったが、新しい大事な仲間を待たせるわけにもいかない。
後ろ髪を引かれる思いだが、俺は保健室の扉に手を掛ける。
悠真,「じゃあな」
葵,「うん。行ってらっしゃい、悠真くん」
悠真,「はい。行ってきます」
奈緒,「……また、顔だせ」
そんな、ぶっきらぼうで優しい声を聞きながら、俺は保健室を後にした。
美桜,「それじゃユウくん、がんばろーねっ」
悠真,「ああ。よろしくな」
つい先ほどのこと[――]
悠真,「すいません、遅くなりました」
杏,「お、来た来た」
美桜,「やっほーユウくんっ」
悠真,「あれ、これだけですか?」
杏,「うん。今日はみんな別の場所でお仕事してるの。夕莉は風紀委員で、こなたんはそのお手伝いで……」
悠真,「爽はどうしたんです?」
杏,「肥田くん?……あれ、どうしたんだっけ?」
美桜,「先生のお手伝いで、社会科準備室に行きましたよー」
杏,「ああ、そうそう! それ!」
どうやら、微妙に忘れられていたらしい。哀れな……。
悠真,「じゃあ、俺も爽の手伝いに行った方がいいですか?」
杏,「ううん、悠真クンにはちょっとお願いしたいことがあるの」
美桜,「えへへ、私のお手伝いだよー」
悠真,「美桜の?」
杏,「うん。中庭の花壇、知ってる?」
悠真,「ああ、そう言えば綺麗な花壇がありますね」
杏,「美桜ちゃんと、あそこのお手入れをしてきてくれる?」
花壇の手入れか……。
悠真,「やったことないんですが、良いんですか?」
美桜,「ユウくんには、私が教えるから大丈夫だよー」
杏,「ふふっ、そーいうこと」
悠真,「そうですか……わかりました。じゃあ、とりあえずこれをみんなに」
杏,「ん、飴?」
悠真,「俺が、生徒会のみんなと仲良くなるためのワイロです」
杏,「あぁ、佐和田センセーね?それじゃ、みんなでおいしく頂きましょうか」
悠真,「美桜にも、あとでやるな」
美桜,「わーい、ユウくんありがとっ」
悠真,「代わりにと言ったらなんだが、今日はよろしく頼む」
美桜,「うん、任せてっ! それじゃ神鳳先輩、行ってきまーす」
杏,「はい、行ってらっしゃーい」
[――]というわけで、美桜と共に中庭へと来ていた。
悠真,「それで、具体的には何をするんだ?」
美桜,「んとね、雑草を綺麗に取るのと、長い茎を切ってあげる作業があるんだけど……」
悠真,「なら、俺が雑草を担当する。どれを切れば良いのか、判断付かないしな」
美桜,「うん、わかったー。それじゃ、私はこっちからやっていくね」
悠真,「ああ、よろしくな」
そうして、俺たちは作業を始める。
雑草を見分けるのに集中している内、ほとんど会話もしないまま、気づけば空が茜色に染まっていた。
ようやく慣れてきたので、スピードも上がってると思うんだが……まだ結構終わっていない場所があるな。
美桜,「ユウくん、そっちはどう?」
悠真,「あと3分の1って所だ」
美桜,「そっかー。じゃあ、手伝うね」
悠真,「美桜の作業は、もう終わったのか?」
美桜,「うん、終わったよー」
……そう言えば、美桜は普段から花の手入れには慣れているんだったな。
悠真,「じゃあ、すまないが頼む」
美桜,「えへへ、任せてっ。ここくらいから始めれば良い?」
悠真,「ああ。俺と逆方向に回ってくる感じでな」
美桜,「うん、わかったー」
座り込んだ美桜は、これも手慣れた感じで素早く雑草を引き抜いていく。
悠真,「さすが、手慣れてるな」
美桜,「いつもやってるしねー」
悠真,「でも、ここの手入れは前からやっていたわけじゃ無いんだろ?」
美桜,「生徒会に入ってから、やらせてくださいってお願いしたの。前までは、神鳳先輩がずっとお手入れしてたんだよー」
美桜の口から出た意外な名前に、少し驚く。
悠真,「ここを? 先輩が?」
美桜,「うんっ。こうして綺麗に咲いてるのも、先輩のお陰なんだよー」
悠真,「……確かに、綺麗だよなここ」
美桜,「そうだねー」
悠真,「そう言えば、神社の花壇はどうなんだ?相変わらず、毎日美桜が面倒見てるのか?」
美桜,「うん、やってるよー」
悠真,「美夕さんは手伝わないのか?」
美桜,「んー……たまに手伝ってくれるかな?でも、私も好きでやってるから」
悠真,「美桜が面倒見てくれるなら、おばあさんも安心だな」
美桜,「えへへっ。前こっちに来た時、ちゃんと育てられてるって言ってもらっちゃった」
悠真,「へぇ。それは良かったな」
あの神社と美桜の住んでいる家は、元々は祖父母の物だ。
だが5年ほど前、美桜の両親に神社と家を譲り、自分たちは市外に買った家へと移り住んでしまったのだ。
悠真,「最近、おじさんとおばさんは帰って来たか?」
美桜,「ううん、あんまりー。でもたまに、お姉ちゃんとは向こうに行ってるんだ」
悠真,「そうか……ま、元気なら良い」
美桜,「お父さんもお母さんも、元気だよー」
美桜の両親……というかおじさんは、桜南ニュータウンからずいぶん離れた場所で、長いあいだ単身赴任生活を送っている。
まだ美夕さんも美桜も小さかった頃に行ったのだが、おばさんは最近までこちらに残って、娘二人を育てていた。
だが、二人とも充分面倒を見た……ということで、夫の単身赴任先へと引っ越してしまったのだ。
悠真,「寂しくなったりしないか?」
美桜,「お姉ちゃんいるし、大丈夫だよ。それに、お父さんはずっと独りで寂しかったと思うし」
悠真,「……それもそうだな」
自分の事より、まず人のことか……実に美桜らしい回答だ。
美桜,「ふふっ、そうだ。お姉ちゃんって言えばね、ユウくんに会いたがってたよー」
悠真,「俺に?」
美桜,「うん。『ユウちゃんと最近遊んでなーい』って。昨日も言ってた」
昨日とは、またタイムリーな話題だな。
美夕さんは、普通に話している分にはとても気の良いお姉さんなのだが。
会う度に、こなみとは別の意味でからかわれるんだよな……。
悠真,「その内、顔を出すと伝えておいてくれ」
;▲一応、指定どおり打っとく
;▲名前と声なし
美桜,「うん、わかったー」
言われてみれば、始業式以来、神社に顔を出してないな。
美夕さんもそう言っていることだし、今度行ってみるとするか。
そうやって話している内に、俺と美桜の距離がかなり狭まっていた。
どうやら、ようやく終わりが見えてきたようだ。
悠真,「……ん? 美桜、ちょっと来てくれ」
美桜,「なーに?」
悠真,「これって雑草か?」
美桜,「え? どれー?」
悠真,「ほら、これだよ」
場所を空けて、美桜を俺の隣に座らせた瞬間……。
美桜,「わわっ」
悠真,「っと、危な[――]」
体勢を崩し、転びかけた美桜の肩を抱いてしまう。
美桜,「……ぐすっ」
悠真,「あ……悪い」
そうして結局、最後の最後に美桜を泣かせてしまうのだった。
その日の夜。
ティナ,「生徒会? ですか?」
悠真,「ああ。……って言っても、わからないか?」
コタロー,「いえ、ティナ様ならご存じですよー。ですよね、ティナ様ー?」
ティナ,「コタローうるさい」
コタロー,「ああぁ、ティナ様ー。使い魔をそんな乱暴に扱わないでくださいませー」
悠真,「まぁ……知ってるなら良いんだが。というか、あんまり手荒に扱うな。糸がほつれるだろ?」
コタロー,「そんなぬいぐるみみたいに言わないでもらえますでしょうかー」
どこからどう見ても、ぬいぐるみっぽい見た目をしておきながら、なにを言っているんだコイツは。
ティナ,「コタローの言うとおりです。ばかにしてると、頭からガブリといかれます」
悠真,「そう言っているお前のその扱いは、馬鹿にしているようにしか見えないんだが」
ティナ,「ちがいます、しつけです。わたしが主人ということを、たたきこんでいるのです」
コタロー,「いえ、馬鹿にしているだけですねー」
ティナ,「しつけです」
悠真,「……まぁ、なんでもいいが」
ため息を吐きながら、しつけ? の様子をボーッと眺める。
ティナ,「ところでユウマさん」
悠真,「なんだ? って、しつけはもう終わりか?」
ティナ,「うでがつかれました」
悠真,「そうか」
相変わらず自由なヤツだな……。
コタロー,「ティナ様は貧弱ですからねー」
悠真,「その上、飽きっぽいみたいだしな」
ティナ,「わたしのことなど、どうでもいいのです。ユウマさんはだれと恋するか、きめましたか?」
悠真,「そんなすぐに決まるわけないだろうが」
コタロー,「ユウマ様の意思などどうでもいいですので、さっさとお相手を決めてくださいませんかねー?」
ティナ,「そうです。はやくわたしに、恋の妖精のおしごとをさせてください」
コタロー,「ティナ様をとっとと満足させてやってくださいませー」
二人して、俺にワイワイとどうしようもない文句をぶつけてくる。
悠真,「お前達、そうやって簡単に言うけどな[――]」
コタロー,「おや?」
と、会話の途中で何かに気づいたような声を上げるコタロー。
悠真,「人が話してる最中になんだよ?」
コタロー,「どうやら、お話どころではなくなった様子でしてー」
ティナ,「コタロー、どういうこと?」
コタロー,「これはまた、ややこしいお方がいらっしゃるようですよー」
いったい何のことだ? と聞こうとした、その瞬間[――]
???,「んふっ、元気してたかしらぁん? クソガキちゃん」
悠真,「なっ……!?」
どこからどうやって入ってきたのか、見たことも無い男が部屋に立っていた。
あの羽根と鎌は……死神か?
ティナ,「あ、う……」
ティナのやつが、怯えている……?
コタロー,「あのー、よそ様の部屋に入るときはせめてノックくらいはして頂きませんとー」
???,「なぁんだ、やっぱりアンタも一緒だったのねぇん?なら、話が早いわ。そのクソガキ、よこしなさい」
コタロー,「だ、そうですが。どういたしますかティナ様ー?」
ティナ,「や、やだ……」
コタロー,「と言うことですので、お引き取りくださいますか?ヒュベ様ー?」
???,「はぁ~? このアタシがそう言われて引き下がるとでも思ってるのぉん?」
コタロー,「ヒュベ様がしつこいクソオカマということは重々承知しておりますので、なんならわたくしがお相手いたしますがー」
???,「フン、犬風情が……このアタシに、舐めた口利いてんじゃ無いわよっ!!」
『ヒュベ』と呼ばれた死神の鎌が、コタローめがけて振り下ろされる。
だが、切っ先がぬいぐるみのような身体にふれようとしたその瞬間。コタローが白く光り[――]
悠真,「…………は?」
どこから現れたのか、大きな狼が大鎌を口で止めていた。
オオカミ,「ウウウウ……!!」
???,「……チッ」
以前ティナがそうしていたように、鎌を消す死神。
オオカミ,「フン……なんだ、もう終わりか?」
???,「るっさいわねぇ……出しゃばるんじゃないわよ、クソ犬!」
オオカミ,「相変わらず、やかましいオカマだ……。キサマが先に鎌を振るってきたのだろうが」
???,「挑発してきたのはアンタでしょうが!」
悠真,「…………?」
なんだ、この状況は?
目の前の、大きな狼は一体……なんで言葉を喋れるんだ?
いや、それよりコタローはどこに……。
???,「むしろ、なんでアンタが邪魔すんのよ。ここはアタシに協力しても良いんじゃないの?」
オオカミ,「目的にそれほど違いは無いかもしれんが、キサマのようなオカマにティナは預けられん」
ティナ,「コタロー……」
悠真,「……は? コタロー?」
って、まさか。この狼が……?
???,「使い魔の分際で、私情を挟まないでくれるぅ?なんなら、邪魔できないように始末しちゃおうかしらん」
コタロー,「男のくせに、ベラベラと……キサマのその喉笛、咬みちぎって喋れなくしてやろうか?」
???,「オホホ、主人を亡くした野良犬が面白いこと言うわねぇ~。次は手加減してあげる余裕、ないわよぉん?」
コタロー,「その言葉、そっくりそのまま返してやろう」
異様な雰囲気の中、コタローらしき狼と、再び鎌を取り出したオカマ喋りの死神が対峙する。
ティナ,「ユウマさん、わたしどうすれば……」
すがるような目で俺の裾を引っ張るティナ。
……かなり身の危険を感じるが、確かにここは止めるべきだな。
俺は勇気を出して、コタローと死神の間に立つ。
悠真,「おい、お前ら。いい加減にしろ。人の部屋で何するつもりだ?」
???,「……あら?」
コタロー,「邪魔をするな、どいていろ」
悠真,「誰がどくか。この家には、葵さんもこなみもいるんだ。俺にはみんなを護る義務がある」
ティナ,「ユウマさん……」
と、そんな緊迫した空気の中。
???,「あら?あらあら? あらあらぁ~ん!?」
悠真,「うおっ」
俺を見ていた死神が、今にも顔がくっつきそうなほど近づいてくる。
???,「なによ坊や、いい男じゃなぁ~い!名前は? 身長は? 3サイズは?」
悠真,「ちょっ……な、なんなんだアンタは?」
???,「ん~? アタシ? アタシはヒューベリオン。そこのガキと同じ、死神よんっ」
まぁ、死神なのは充分わかっているんだが。
悠真,「そ、それでヒューベリオン。お前の用件はなんだ?あと、俺から離れろ」
ヒューベリオン,「あらぁん、坊やってば……恥・ず・か・し・が・り・屋・さん♪ ンフッ」
悠真,「…………」
さっきまで、コタローとにらみ合っていた死神とは思えないほどテンションが高い。
……いや、というか仕草も含めて気持ちが悪いな。
悠真,「で、目的は? さっき、ティナをよこせとか言っていたが」
ヒューベリオン,「今、坊やが言ったとおりよん。そこのガキを連れて帰るのが、アタシの目的よ♪」
言いながら、チラリとティナの方へ目を向けるヒューベリオン。
ティナ,「うう……」
コタロー,「…………」
ヒューベリオン,「坊やも知ってるんでしょ? その子、家出してるのよぉ」
悠真,「ああ、それは知っている。でも、本人に帰る気はないようだぞ。だよな、ティナ」
ティナ,「は、はい……かえりたくありません」
ヒューベリオン,「ちょっとガキィ……あんまりアタシの手を煩わせないでくれるぅ?」
ティナ,「き、きもちわるいのでこっち見ないでください」
コタロー,「……先ほども言ったとおり、貴様には任せられん。どうしてもと言うならオレが相手になるぞ」
ヒューベリオン,「チッ……あ~もう、メンドクサ。なんでアンタがそのガキに使われてんのよ」
コタロー,「キサマに語る義務などない」
ヒューベリオン,「フン、だいたい想像つくけどねぇ。……ま、アタシも正直めんどくさいってのが本音だし。好きにしたらぁ?」
悠真,「そうなのか?」
ヒューベリオン,「まぁね。その子の気配感じたから様子を見に来ただけだし。でもまさか、こんなイイ男のいる家に住んでるなんてねぇ」
悠真,「…………」
コタローを見る時とは違う、ねっとりとした視線を向けてくるヒューベリオン。
ヒューベリオン,「それで? アタシも名乗ったんだから、坊やも名前ぐらい教えてくれなぁい?」
悠真,「……浅葉悠真だ」
ヒューベリオン,「あらあら、男らしい名前っ! ますます気に入ったわぁん。坊やは、オトコドウシに興味ある? あるわよね!?」
悠真,「さっぱりないな」
ヒューベリオン,「な……なんですって!?」
そんな驚くようなことなのだろうか?
ティナ,「あの、あの、ユウマさん」
悠真,「ん? なんだ?」
ティナ,「わたしは、おとこどうしでもおうえんします。でも、オカマさんはやめてください」
悠真,「安心しろ。どちらにしても、未来永劫ありえない」
ヒューベリオン,「そんなっ!」
大きなショックを受け、落ち込んだ様子のヒューベリオン。
ヒューベリオン,「フフ……フフフ……いいわ、燃えてきたわよぉ~!」
悠真,「燃えられてもな……」
ヒューベリオン,「坊や、覚悟なさい! 必ずアナタを、アタシの虜にしてあげるっ!」
悠真,「いや、だから俺は……」
ヒューベリオン,「それじゃ、今日の所はこれで失礼するわねん。チャオ~♪」
;☆バグ対応のため、逐次処理演出に切り替えました。
俺に向かって投げキッスをしたかと思うと、突然目の前から消え去る。
……なんだったんだ、一体。
ティナ,「あの、ユウマさん、コタロー……」
悠真,「ん……?」
コタロー,「どうした」
ティナ,「あり……がと」
連れて行かれないようにかばったことに対してか、はずかしそうにお礼を言ってくるティナ。
コタロー,「気にするな。オレはお前の使い魔だからな」
悠真,「……というかだ、コタローって何者だよ」
コタロー,「だから使い魔だと言っているだろうが。まさかお前、本当にただのしゃべるぬいぐるみと思っていたのか?」
悠真,「いや、まぁ……」
ティナ,「これが、コタローの真のすがたです」
悠真,「仮の姿と真の姿にずいぶんギャップあるが。なんで普段は、あんな見た目なんだよ?」
コタロー,「でかくて邪魔だとティナには言われるからな。それに……」
悠真,「それに?」
コタロー,「女が怖がって逃げていく」
悠真,「…………そ、そうか」
コタロー,「はぁ、若い娘に抱きしめられたい……」
コタローの正体は、ただのぬいぐるみではなく、ただのエロ犬だったらしい。
そして、再びコタローの身体が白く光ったかと思うと、あっという間にいつものぬいぐるみ姿に戻る。
ティナ,「ふぅ、これで元通りです」
何事もなかったかのようにコタローを頭に乗せるティナ。
コタロー,「やはりこちらの姿の方が、女性の皆様にはモテモテでございますよねー」
悠真,「そうだな、モテるといいな……」
コタロー,「何でございましょうか、その含みのある言い方は。夢くらい見させて頂いてもよいのではないですかねー?」
悠真,「望み薄という自覚はあるんだな」
ティナ,「あの、コタロー。わたしはカワイイと思うから。ぎゅってする?」
コタロー,「胸のふくらみもないお子様に抱きしめられましてもねー」
コタロー,「って、ああっ!ティナ様ー!?絞まってます、首が絞まっておりますー!」
ティナ,「ぽいっ」
ティナの怒りにふれたコタローは、哀れにもゴミ箱へと放り込まれる。
悠真,「意外だな。ティナもそういうの気にしているのか」
ティナ,「なんのお話でしょう」
悠真,「いや、何でもない。それより……」
どこかへ行ってしまった、ヒューベリオン……だったか、あの死神のことを聞いてみることにする。
悠真,「さっきの死神、あの様子だとまた来るんじゃないか?」
ティナ,「うっ……」
コタロー,「どうでしょうねー? 本人も様子を見に来ただけなどと言っておりましたし、無理にティナ様を連れ戻そうとは考えてなさそうですがー」
ゴミ箱から這い出て来ながら、コタローが言う。
悠真,「そうなのか?」
コタロー,「ええー。ま、わたくしもおりますし、我々にも色々と事情がありますのでー」
悠真,「お前達の事情は知らないが、そういう事ならまぁいい」
ティナは同じ死神から追われる身だが、ヒューベリオンはそれほど熱心ではない……と、そんなところなのだろう。
コタロー,「ですが、ユウマ様を口説きには来るかもしれませんねー」
悠真,「うっ……」
ティナ,「うぅ……、もうあいたくないです」
ティナと二人して、憂鬱なため息をつくのだった。
;※■4月19日(金)
金耀日(星期五)
ヒューベリオンの来襲から一夜明けた、金曜日。
悠真,「終わったか、葵さんのハグ」
こなみ,「うん。……あれ、美桜さんは?」
悠真,「ああ、会長の手伝いで先に学校へ行くってメールが入ってた」
こなみ,「わたし達は手伝わなくて良いのかな?」
悠真,「俺もそう聞いたんだが、一人で充分らしい」
こなみ,「そっか」
悠真,「ほら、行くぞ」
こなみ,「うん」
再び、こなみと同じ学校に通うようになってから、初めての二人きりの登校。
家でも顔を合わせているというのに、なぜだか少し新鮮な気分だった。
こなみ,「もう桜も、ずいぶん散っちゃったね」
悠真,「そうだな……」
さすがに4月も後半にさしかかったせいか、この間まで綺麗に咲き誇っていた桜も、その何割かは葉桜となっていた。
悠真,「この分だと、今週いっぱいには散りそうだな」
こなみ,「うん。また来年、だね」
悠真,「名残惜しいけどな」
こなみ,「あれ。兄さん、桜好きだったの?」
悠真,「改めて聞かれると返答に困るが。日本人として、それなりに好きだぞ」
こなみ,「そっか。わたしも、ピンク色で好き」
悠真,「色で決まるのか……」
こなみ,「かわいいでしょ? ピンク」
悠真,「女の子らしいとは思うな」
こなみ,「女子力高いからね、わたし」
悠真,「その発言自体が、女子力低そうだぞ」
こなみ,「兄さんには負けないよ」
悠真,「俺と張り合うんじゃない……」
そんな、いつもと変わらない会話をしながら、散りかけている桜の並木道を歩く。
こなみ,「こうやって二人で歩いていると、周りからはカップルとして見られちゃうかな?」
悠真,「……いきなり何を言っているんだお前は」
こなみ,「兄さんのファンから恨まれたくないな、って思って」
悠真,「ファンとか言われてもな……。それを言ったら、俺の方が危険だろ」
こなみ,「なんで?」
悠真,「もう忘れたのか?お前には、10万円の賞金がかかっていたんだぞ」
こなみ,「そっか。そう言えばそんなこともあったね」
悠真,「まだ、つい先週の話なんだがな……」
我が妹ながら、大物然としているというか、肝が据わっているというか。
悠真,「ま、あまり気にする必要はないだろ。なんせ俺たちは有名人だからな」
こなみ,「それもそうだね」
主に、賞金首のポスターのせいだがな……。
恐らく、美颯学園のほぼ全校生徒が、俺たち兄妹のことを知っていると思われる。
悠真,「そうだ。先輩に生徒会の仕事を紹介してもらったんだが。将棋部って、ちゃんと活動していたんだな」
こなみ,「うん。昨日も夕莉先輩のお仕事を手伝ったあと、杏先輩に相手してもらったよ」
悠真,「どうだ、楽しいか?」
こなみ,「楽しいよ。まだ一回も勝ててないけど」
悠真,「らしいな……俺も昨日手合わせしてもらったが、さすがに強かった」
こなみ,「兄さんも負けたの?」
悠真,「というか、俺が勝てるのはこなみくらいだぞ」
こなみ,「なんだか、そう言われると屈辱」
悠真,「……悪い、そういうつもりじゃなくてだな」
こなみ,「大丈夫、わかってるから。でも強いよね、杏先輩」
悠真,「だな。さすが将棋部の部長だ。……ああ、もう将棋部って名前はないのか」
こなみ,「わたしはいつでも将棋部のつもりだよ」
悠真,「こなみは、将棋部のついでに生徒会にいるだけだしな」
最初の希望が叶えられているようなら、何よりだ。
こなみ,「今日のお昼は、学食だよね?」
悠真,「ああ。今日も俺と一緒でいいか?」
こなみ,「わたしは構わないけど。兄さんこそ、わたしと一緒でいいの?」
悠真,「嫌がる理由なんてないが」
こなみ,「ほら。美桜さんとか夕莉先輩が寂しがらないかなって」
悠真,「確かに隣の席だから、一緒に食べることもあるな。でも、別に約束もしてないぞ」
それにそもそも月嶋は、アルバイトで昼休みはいないこともある。
こなみ,「そっか。じゃあ今日のお昼は兄さんを独り占めするね」
悠真,「ああ、好きに独占してくれ」
こなみ,「そうやってスルーされると寂しい」
悠真,「俺にどうして欲しいんだ、お前は」
こなみ,「んーと……恥ずかしがったり、とか?」
妹相手に、どうやって恥ずかしがれと言うんだ。
悠真,「……ん?」
もうすぐ桜並木も抜ける、坂道の途中。
悠真,「こなみ、ちょっとこっち来い」
こなみ,「……? なに、兄さん」
ああ、そうだ。やっぱりか。
悠真,「ちょっとじっとしてろ」
こなみ,「え? に、兄さん……?」
こなみから香る、甘い女の子の匂い。
まるで、壊れ物を扱うかのように。そっと、頭へと手を伸ばす。
こなみ,「あ……」
ふれたとたん、ピクッと身体を震わせるこなみ。
悠真,「ほら、そのまま」
こなみ,「う……ん」
そうして俺は[――]
悠真,「……ほら、取れたぞ花びら」
こなみ,「花びら?」
悠真,「? ああ、桜の花びらだが」
こなみ,「……そのまま、なでなで」
悠真,「は?」
こなみ,「いいから、ほら。なでなでして」
悠真,「あ、ああ」
細くて柔らかなこなみの髪の毛を、軽く抑えるようになでる。
こなみ,「…………」
悠真,「これで良いか?」
こなみ,「うん、許してあげる」
悠真,「許すって言われてもな……何かしたか、俺?」
こなみ,「妹をドキドキさせた罰」
悠真,「ドキドキ?」
まったく身に覚えがないことで、罰を受けたのか、俺は。
こなみ,「いきなり立ち止まれ、って言って手を伸ばしてくるから。キスでもされるのかと思っちゃった」
悠真,「キスって……そんなわけあるか」
こなみ,「ほっぺならしてもいいよ?」
悠真,「遠慮しておく」
こなみ,「毎日、葵さんにはしてもらってるのに?」
いつも寝てるはずのこなみが、なんで知ってるんだ?
悠真,「あれは……仕方ないだろ。引き受けないと、泣かれる」
こなみ,「ふーん……葵さんが良いなら、わたしから兄さんにするのもいいんだよね?」
悠真,「いや、それは……」
と、そこまで言って気づいた。これは多分、いつものあれだ。
悠真,「……お前は、俺をからかうのがそんなに楽しいのか?」
こなみ,「あ、わかっちゃった?」
悠真,「ここまでされて、わからないわけあるか。ほら、行くぞ」
こなみ,「はーい。……あ、そうだ兄さん」
悠真,「なんだ?」
立ち止まり、こなみの方を振り返る。
すると、すぐ目の前までこなみの顔が迫っており[――]
こなみ,「ちゅっ」
悠真,「……なっ」
こなみ,「ふふっ……しちゃった」
俺の頬へと、その柔らかい唇を押し当ててきた。
悠真,「しちゃったって……公衆の面前だぞ?」
こなみ,「誰もいないし、大丈夫だよ?」
悠真,「大丈夫でも、俺の心臓に悪い。勘弁してくれ……」
こなみ,「ドキドキした?」
悠真,「ドキドキというか、バクバクしたな」
こなみ,「そっか。兄さんには長生きして欲しいから言うこと聞くね」
悠真,「ああ。そうしてくれるとありがたい」
こなみ,「次は、玄関でチューしてあげる」
悠真,「……勘弁してくれ」
葵さんに見られたら、何を言われることやら……。
こなみ,「ふふっ。でも、満足」
悠真,「満足って、なにがだ?」
こなみ,「キスした時、ちょっとだけ恥ずかしそうだったから」
悠真,「…………」
まさか、こなみのヤツ。俺を恥ずかしがらせるために……?
こなみ,「ほら、兄さん。学校行こう?」
悠真,「はぁ……そうだな」
妹の将来を心配しつつ、俺たちは学校へと向かった。
ホームルームも終わった放課後のこと。
美桜,「ユウくん、生徒会室行く?」
悠真,「ああ。美桜も一緒に行くか?」
美桜,「うんっ」
悠真,「じゃあ、爽と月嶋も一緒に……って、あれ?」
既に、二人とも教室からはいなくなっていた。
美桜,「あ、夕莉ちゃんは今日、アルバイトなんだって」
こんなに早く教室を出て行くなんて、よっぽど急いでいるのだろうか。
悠真,「爽は……まぁいいか。どうせ生徒会室へ行けば、いやでも顔を合わせるしな」
帰り支度をし、美桜と連れだって教室を出る。
悠真,「もうすぐ、美桜の誕生日だな」
美桜,「あ、うん。ふふっ、ユウくんよりちょっと先にお姉さんになっちゃうね」
悠真,「お姉さんって……たった一ヶ月の違いだろうが」
美桜の誕生日が5月8日で、俺の誕生日が6月11日。
日にちが近いせいで、昔から何かとセットで扱われることが多かった。
悠真,「今年は、何か予定があるのか?」
美桜,「連休もあるし、お父さんとお母さんがお姉ちゃんとこっち来なさいって」
悠真,「そうか、それなら何よりだ」
美桜,「えへへ。でも、一晩だけで帰るよ」
悠真,「ずいぶん急ぎだな。もっとゆっくりしてきたらどうだ?」
美桜,「お姉ちゃん、ゼミの集まりがあるんだって。あと、神社も気になるしねー」
悠真,「社務所の方か?」
美桜,「うん。お休みだから、人が来るかもだしー」
悠真,「って言っても、あの神社に来るのは地元の人ばっかりな気がするが」
美桜,「えへへ、そうだねー」
美桜のおじいさんが町内会の幹部を長年やっていたので、あの神社はその関係の参拝客がよく訪れる。
おじいさん達が引っ越してしまった後はむしろ、その孫の姉妹ががんばって切り盛りしているのを見に来てくれている感じではあるが。
悠真,「失礼します」
美桜,「こんにちわー」
杏,「お、来た来た。二人とも、お疲れー」
悠真,「まだ、誰も来てないんですね」
杏,「何よー、あたしがいるじゃないの」
悠真,「いや、先輩はいつでもいるじゃないですか」
杏,「そんな、住んでるみたいに言わないでもらいたいなー?」
ほとんど住んでるようなレベルだと思うが……。
杏,「そうそう。今朝はありがとうね、美桜ちゃん」
美桜,「あ、いえっ。神鳳先輩のお役に立てて、よかったです」
杏,「美桜ちゃんはいてくれるだけで空気が和むから、いつでもあたしの役に立ってるよ!」
悠真,「そんな、空気清浄機じゃないんですから……」
杏,「でも、和むでしょ?」
悠真,「それは、まぁ」
美桜,「えへへっ……」
チラリと美桜に視線を送ると、照れくさそうに笑っていた。
悠真,「それで、今日は?」
杏,「あー、うん。美桜ちゃんはプールへ行ってくれる?こなたんがいるから、お手伝いしてきて欲しいの」
美桜,「はい、わかりましたー」
杏,「で、悠真クンはちょっと話があるからここにいて」
悠真,「話……ですか?」
杏,「あー、そうそう。肥田くんもだった。彼が来るまで待っててくれる?」
悠真,「はぁ……」
俺と爽に話? いったい何だろう。
そして、美桜が出て行ってから数分後。
爽,「こんちゃーっす」
杏,「あ、やーっと来た! まちくたびれたでしょ、もぉ」
爽,「え、は? な、なんすか一体?いつも、おれの存在を忘れかけてるのに?」
悠真,「哀れな扱いを受けているんだな、爽……」
杏,「男性陣の二人に話があって待ってたの。ほら、こっち来なさいっ」
爽,「は、はぁ……?」
訳が分からない、といった様子の爽だが、素直に俺と会長の前まで来る。
爽,「なんすか、話って?」
杏,「えっとね。二人とも、明後日の日曜日に用事ある?」
爽,「おれは、特に……悠真はどうだ?」
悠真,「俺も、これと言ってないですね」
杏,「よし、んじゃー学校に来てくれる?」
悠真,「学校に?生徒会の仕事ですか?」
杏,「ううん。悠真クンたちの歓迎会」
悠真,「歓迎会……」
爽,「あー。そういや前にやりたいって言ってましたね」
杏,「せっかく短期間で4人も入ったんだもの。いまこそ歓迎会を開く絶好のタイミングでしょ?」
悠真,「そういうことなら……でも、学校ということはここでするんですよね?」
爽,「おれ達も、何か適当にお菓子とか持ってきた方が良いっすか?」
杏,「ん? 二人とも、なに言ってるの?」
爽,「いや、なに言ってるのって……」
悠真,「歓迎会、するんですよね?」
杏,「うん。だから、水着持ってきてね」
爽,「は?」
悠真,「……水着?」
歓迎会というと、ジュースやお菓子を囲んでわいわいやるものだと思ったのだが……なぜ水着?
杏,「プールの使用許可は、もうもらってるから」
悠真,「ああ、いや。あの……プールって、どういうことですか?」
杏,「あれ、知らない? うちの学校、温水プールあるよ?」
悠真,「いえ、それは知ってますが。歓迎会って、プールなんですか?」
杏,「うん、そうだよ。ほら、よく言うでしょ?仲良くなるには裸と裸の付き合い、って」
爽,「それ、銭湯で言うことっすよね」
杏,「仲良くなれればなんでも良いのっ」
いまでも、ずいぶん気心しれた連中だと思うのだが。
……と言うか。
悠真,「ちょっと待ってください。俺たちは良いとしても、他のみんなは違うんじゃないですか?」
杏,「んん? 違うって?」
悠真,「水着姿を俺たちに見せるんですよ?恥ずかしがると思うのですが」
杏,「元々他人に見せる物だし、あたしは恥ずかしくないよ?」
悠真,「先輩はよくても、月嶋とか美桜は……」
杏,「夕莉も美桜ちゃんもこなたんも、わかったって言ってたけど?」
爽,「プールの使用許可は?」
杏,「管理の先生と、貸し切りってことで話ついてるよ」
爽,「うわー、さすが会長」
悠真,「…………」
すでに根回し済みだったか……。
杏,「だから、あとは二人だけなんだけどなー?」
爽,「ま、用事ないのは本当なんで、おれは別に良いっすよ。悠真は?」
悠真,「俺も全員が了承済みなら、特に断る理由はありません」
杏,「くすっ、ありがと。じゃあ全員参加ね」
爽,「それにしても、仕事早いっすねー。貸し切りの申請も、どうやって通したんすか?」
杏,「え? 知らないの?」
爽,「知らないって……なにがっすか?」
杏,「肥田くん、昨日は他の先生のお手伝いしてたでしょ?」
爽,「はぁ、まぁ……」
杏,「で、今日はこなたんと美桜ちゃんがプールの監視役を手伝ってるんだけど」
悠真,「それって……まさか、手伝いをする代わりに?」
杏,「まぁねー。事務仕事もあったけど、それはあたしがやっつけたし」
爽,「相変わらず、悪魔的な根回しの良さっすね。おれ、何も知らずに働いてましたわ」
杏,「くすっ。そのお陰で楽しい一日を過ごせるんだから、別にいいでしょ?」
本人にその気があるのかどうかは知らないが、完全に手の平の上で転がされていた訳か。
さすがというか、なんというか……。
悠真,「はぁ……わかりました。それで、話は終わりですか?」
杏,「うん。で、今日の悠真クンはー……」
悠真,「こなみと美桜を手伝ってきます」
杏,「くすっ、そうだね。よろしくー」
みんな先生の手伝いをしているのに、俺だけしていないのもすっきりしないしな。
杏,「じゃ、肥田くんはあたしの手伝いねっ」
爽,「うぇー、事務仕事か……了解っす」
杏,「当日は楽しみにしててね、悠真クン。あたしの水着で悩殺しちゃうからっ」
悠真,「……お手柔らかにお願いします」
それだけ答えて、俺は生徒会室を後にした。
;※■4月21日(日)
日耀日(星期天)
悠真,「こなみ、準備できたかー?」
こなみ,「うん、いま行くー」
葵,「ああ、こなみちゃんっ!下着忘れてるよっ!」
こなみ,「ありがとうございます、葵さん。水着のまま帰る羽目になるところでした」
何をしているんだ、こなみは……。
ティナ,「たくさんの女性と、休日にプールでーとですか」
悠真,「デートって……4人もいるんだから、デートとは言わないだろう?」
ティナ,「はーれむですね。ユウマさん、すけこましです」
悠真,「どこでそう言う言葉を覚えてくるんだ、お前は。それに、男は俺だけじゃないぞ?」
ティナ,「ということは、だ、だんせいと……!?」
何かおかしな誤解をしていないだろうか、こいつは。
ティナ,「だいじょうぶです。前にも言ったとおり、おとこどうしでもユウマさんをおうえんします」
悠真,「前にも言ったとおり、それはあり得ないから応援しなくて良い」
はぁ……と息を吐いていると、リビングからこなみが顔を出す。
こなみ,「お待たせ、兄さん。もう大丈夫だよ」
悠真,「ちょっと聞こえたが、なんで下着が必要なんだ?」
こなみ,「兄さんは、羞恥に悶える妹の姿が見たいの?」
悠真,「どういう流れで、そんな話が出るんだよ」
こなみ,「それとも、濡れた水着を穿かせて、充分に乾かないまま外を歩かせたりしたい?」
ティナ,「ユ、ユウマさん、へんたいですね……」
悠真,「おい待て。俺は、なんで下着が必要なんだって聞いただけだぞ」
こなみ,「だから、帰りにおしっこ漏らしちゃったと思われないため」
悠真,「……もうちょっと、俺にわかる言葉で教えてもらえるか?」
こなみ,「下に水着を着ているの。だから下着がないと羞恥に悶えちゃう」
悠真,「なら、最初からそう言ってくれ……」
こなみ,「見る? 水着」
そう言って、スカートをつまみ上げようとする。
悠真,「見せなくて良い。用意できたなら、行くぞ」
こなみ,「兄さんを悩殺まちがいなしなのに、残念」
悠真,「どうせプールで嫌ってほど見るんだ。楽しみに取っておくよ」
そう言えば、神鳳先輩も昨日、悩殺とかなんとか言っていたな……。
ティナ,「コナミさん、のーさつがんばってくださいです」
こなみ,「うん、任せてティナさん」
悠真,「なんの宣言だ……」
そんな会話をしていると、葵さんも出てくる。
葵,「二人とも、歓迎会楽しんできてねっ」
こなみ,「はい。兄さんに渾身の泳ぎを見せつけてきます」
葵,「がんばれ、こなみちゃんっ」
ティナ,「ふぁいとです」
悩殺したり泳ぎを見せつけたり、大変だな……。
葵,「あ、そうだ!悠真くん悠真くん」
悠真,「?はい、なんでしょう」
とてとて、と小走りで俺の前まで来る葵さん。
そしてそのまま、両手を広げ……。
葵,「ぎゅ~~っ」
悠真,「…………」
いつものハグをされるのだった。
こなみ,「ティナさん、せっかくだしわたし達も」
ティナ,「いっしょにするですか?」
こなみ,「うん。ほら、こうやって。ぎゅ~~っ」
ティナ,「ぎゅ~~っ」
悠真,「…………」
まるで抱きまくらのように、三人から一斉に抱きつかれる。
葵,「ふふっ、こうしてると仲良し家族みたいだねー」
こなみ,「言うまでもなく、仲良し家族ですよ。ね、ティナさん?」
ティナ,「はい、まちがいないです。コタローもそう言ってます」
悠真,「なぜ、誰も俺に聞かないんだ?」
こなみ,「聞くまでもないからね」
葵,「えへへ、みんなあったかーい」
ティナ,「なるほど。これがうわさに聞く、おしくらまんじゅうというやつですね……」
悠真,「違うぞ、ティナ」
……なんだろうな、この状況は。
ハグから解放され、ようやく出発する俺たち。
美桜,「あ、ユウくん、こなみちゃん。おはよー」
悠真,「よう、美桜。早いな」
こなみ,「おはようございます」
少し余裕を持って家を出たつもりだが、既に美桜はうちの前で待っていた。
悠真,「さて……それじゃ、行くか」
美桜,「散っちゃったねー、桜」
悠真,「だな。寂しいか?」
美桜,「うん、少し。自分の名前に桜ってあるから、ちょっと思い入れあるのかもー?」
こなみ,「美しい桜って書きますからね、美桜さん。サクラチル……残念な結果です」
悠真,「この時期なら、散って当然だろ。と言うかそれ、別の意味を含んでないか?」
美桜,「私、不合格ー?」
こなみ,「美桜さんは合格です。百点満点です」
美桜,「わーい、やったー」
悠真,「何が百点なのか、さっぱりわからないぞ」
こなみ,「美桜さんが喜んでいるからいいの」
美桜,「うん、嬉しいよー?」
……やっぱり、よくわからないな。
集合時間の10分前にプールへ到着すると、既に全員が集まっていた。
挨拶を交わした俺たちは、すぐに更衣室へと向かう。
着替えを終えて戻ってくると、プールサイドには水着姿の神鳳先輩と月嶋がいた。
杏,「あれ、悠真クンだけ? 肥田くんはまだ着替え中?」
悠真,「はい。眠そうにフラフラしてました」
夕莉,「来た時からフラフラしてたもんね、肥田くん……」
悠真,「夜更かしでもしてたんだろ。そのうち目が覚めるだろうから、気にしなくていい」
杏,「悠真クンは眠くない?」
悠真,「それは、まぁ……規則正しい生活を心がけていますから」
実は、早起きしすぎたティナに起こされただけだが。説明も面倒だし、黙っておくことにしよう。
悠真,「ところでみんな、集まるのずいぶん早いですね?まだ集合時間にはなっていないのに」
杏,「あはは、みんな楽しみにしてくれてるってことじゃないかな?」
夕莉,「わたしはいつも、15分前行動を心がけてますから」
なるほど、真面目な月嶋らしい答えだ。
杏,「えー? 夕莉も、楽しみだったでしょ?」
夕莉,「し……知りませんっ」
悠真,「そう言えば、花子は呼ばなくて良いのか?」
杏,「いやー、それはマズイでしょー」
悠真,「? 生徒会の広報で協力してもらってるんですし、まずいことはないと思いますが……」
夕莉,「だめよ、浅葉くん。花を呼んだら、絶対に水着姿を盗撮されるわよ?」
悠真,「……ああ、それもそうか」
合点がいった。
確かに花子であれば、プールだろうが関係なくカメラを持ってきそうだしな。
杏,「ねぇねぇ、それよりあたしと夕莉に言うことがあるんじゃない? 悠真クン」
悠真,「言うこと、ですか?」
杏,「もー、相変わらず鈍いんだから。美少女二人が、こーんな刺激的な格好してるんだよ?」
夕莉,「ちょ、ちょっと先輩……」
悠真,「あぁ、水着のことですか」
なんて反応したらいいものかわからないから、極力ふれないようにしていたのに。
その目論見は、どうやらもろくも崩れさってしまったようだ。
杏,「で、どうどう? あたしの水着姿は。舐めるように観察してもいいんだよー?」
悠真,「そう……ですね」
ここは、なんて言うのが正解なんだろうか……?
悠真,「…………」
杏,「ほらほら、どう?」
悠真,「……素敵な、フリルですね?」
杏,「そこなのっ!?」
悠真,「すいません、どう答えれば良いのかわかりません」
夕莉,「神鳳先輩……そんな風に聞いたら、浅葉くんだって困るに決まってるじゃないですか」
杏,「ちぇー。ひと言、『似合ってるよ、杏』って言ってくれれば良いだけなのになぁ」
悠真,「良いだけなのに、と言われましても……」
杏,「ほら、せっかくだし言ってみて?」
悠真,「…………」
無理に言わせても、嬉しいのかどうかはわからないが。
言って満足するのであれば、それでいいのかもしれないな。
悠真,「似合ってますよ、神鳳先輩」
杏,「……ま、似合ってるって言ってくれたしいっか。名前を呼んでくれないのは悔しいけど」
どうやら、満足してくれたらしい。
杏,「じゃあ、次は夕莉の番ねっ」
夕莉,「え、わ、わたしですかっ!?」
杏,「ほらほら、しっかり立って悠真クンに見せてあげて?」
夕莉,「う、うう……」
悠真,「…………」
先輩の時と同じく、しっかりと月嶋の水着姿を観察する。
夕莉,「あ……だ、だめっ! そんなに見ちゃ……」
悠真,「そんな恥ずかしがることない。とてもよく似合ってるぞ。色も、月嶋の雰囲気によく合ってる」
夕莉,「う……あ、ありがとう。お気に入りの色だから嬉しい……けど、や、やっぱりあんまり見ないでっ」
悠真,「あ、ああ。そこまで言うなら……」
と、視線を逸らしたところで、先輩と目が合う。
杏,「…………」
なにやら文句を言いたそうな目で俺をにらんでいた。
悠真,「どうしましたか、先輩?」
杏,「なーんか、あたしの時と反応が違くない?」
悠真,「気のせいですよ。二人とも似合っているんだから、それで良いじゃないですか」
杏,「それはそうだけどー……」
爽,「ふわぁ~あ……」
そんな話をしていると、眠そうな顔をした爽がやってくる。
悠真,「やっと出てきたか」
爽,「いやー。着替えてる最中に、立ったまま寝てたわ」
夕莉,「寝不足なの?」
爽,「まーな。夜中までゲームしてたから、あんまり寝てなくてさぁ……あふぁ」
本当に眠そうなあくびをしながら、フラフラと立つ爽。
悠真,「冷たいシャワーでも浴びて、目を覚ましてきたらどうだ?」
杏,「それとも、プールに突き落とす?」
爽,「うっ……シャワー浴びてくるっす」
杏,「ちぇー、残念」
突き落としたかったのか、先輩……。
そして数分後。
しっかりと目を覚ましてきた爽が戻ってくるのとほぼ同時に、美桜とこなみも更衣室から出てくる。
杏,「あ、来た来た……って、美桜ちゃんスゴッ!?」
夕莉,「さ、さすが美桜だわ……」
爽,「おぉ……ゆ、揺れてるぞ」
そんな感想が聞こえる中、俺たちの元へと向かってくる、こなみと美桜。
美桜,「え、なにー? 私がどうしたのー?」
悠真,「……気にするな」
こなみ,「なんのことかは大体わかるけどね」
全員の視線がある一点に集中されてるしな……。
悠真,「それにしても、ずいぶん時間かかったな。こなみは下に着込んでたんだろ?」
こなみ,「わたしの着替えはすぐ終わったんだけど……」
美桜,「うう、私の着替えを手伝ってもらってたのー」
こなみ,「見て分かる通り、美桜さんの立派な突起物が収まりきらなくて」
美桜,「わわっ!こ、こなみちゃんっ!?」
こなみ,「ほら兄さん、見て。これがぜんぜん収まらなくて。ほらほら」
悠真,「わかったから、そんなに美桜を押し出すな。うっかりさわりそうになるだろ」
こなみ,「それは、立派な突起物に?」
美桜,「ゆ、ユウくんがっ……!?」
悠真,「美桜に変な想像をさせるようなことを言うんじゃない」
さっきもそうだが、反応に困る話題を俺に振らないでもらいたいものだ。
杏,「……ちょっと夕莉さん、あの肉の塊はどうなってるんですの?」
夕莉,「わたしに言われても……というか、なんですかそのしゃべり方」
杏,「不公平ですわよね、そう思いませんことっ!?」
夕莉,「そう言っている先輩だって、充分大きいじゃないですか」
杏,「うぅ……。でも身長がある分、美桜ちゃんみたいにインパクトあるサイズじゃないしー」
爽,「いやぁ……確かにアレは、インパクトありますなぁ」
夕莉,「女性の胸をジロジロ見るなんて、失礼ですっ!」
杏,「でも夕莉だって、あのポインポインはうらやましいんじゃない?」
夕莉,「そ、それは……まぁ」
悠真,「…………」
とりあえず、聞こえないふりをしておくか。
こなみ,「兄さん、兄さん」
悠真,「ん、なんだ?」
こなみ,「わたしの水着、どう?悩殺された?」
悠真,「悩殺、って言われてもな……」
なんと反応した物かと考えていると、初めて見る水着なことに気がつく。
悠真,「それ、新しく買ったのか?」
こなみ,「うん。今日が初お披露目」
悠真,「そうか。よく似合ってるぞ」
こなみ,「本当? かわいい?」
悠真,「ああ、とっても可愛い」
こなみ,「ふふっ……うん、兄さんがそう言うなら安心だね」
俺を男性代表の意見とするのはどうかと思うが……。ま、こなみが納得しているのなら、よしとしよう。
こなみ,「じゃあ次は、美桜さんね」
美桜,「え、わ、私もっ!?」
そう言うと、美桜のことをグイグイと俺の方へ押し出す。
……けっきょく全員の水着を、俺が寸評することになっている気がする。
こなみ,「ほらほら、せっかくの新しい水着なんですから。兄さんにしっかりと見てもらいましょう」
美桜,「うぅ~、恥ずかしいよぉ……」
こなみ,「そう言わず。上から下まで、舐め回されるように見せないと」
美桜,「な、舐め回されるように!?」
悠真,「そんな風には見ないから、安心しろ。というか、嫌ならあまり見ないようにするが……」
美桜,「だ、大丈夫だよっ! ユウくんが見たいなら……!」
悠真,「まぁ、美桜がそう言うなら……」
;#say 爽,「おぉ……」
;#say 杏,「でか……!?」
;#say 夕莉,「わぁ……」
恥ずかしそうにしながらも、俺の前に立つ美桜。
成長著しい美桜の一部は、やはり男としては気になるが、それよりも全体の明るい印象は、とても美桜らしいと感じる。
悠真,「……うん、良いと思う。水着もそうだけど、髪飾りも似合ってるな」
美桜,「あ、これ?えへへ、水着に合わせてみたんだー」
こなみ,「良かったですね、美桜さん」
杏,「確かにその髪飾り、似合ってるねー」
美桜,「えへへ、ありがとうございますっ。神鳳先輩も、そのお星様かわいいですよー」
杏,「あ、気づいた? あたしも水着に合わせてみたんだー。そうそう、さっきね。悠真クンが夕莉の水着をね……」
夕莉,「ちょ、ちょっと先輩!なんの話をしているんですか!?」
杏,「ん? 悠真クンに似合ってるって褒められて、嬉しそうにしていた話だけど?」
美桜,「そうなんだー。良かったね、夕莉ちゃんっ」
こなみ,「先輩。ちょっとその話、詳しく聞かせてもらえますか?」
夕莉,「え、えぇっ!?」
杏,「あのね、あたしが[――]」
悠真,「…………」
女の子同士で、ワイワイと楽しそうに会話する輪から、一歩離れる。
爽,「いやぁ、実にかしましくて楽しそうだな」
悠真,「楽しそうなら、お前も混ざってきたらいいんじゃないか?」
爽,「“姦かしましい”という漢字は、女だけで構成されているんだぞ。男のおれや悠真には、出る幕などない」
悠真,「……なるほど」
それは確かに言えているかもしれない……と思いつつ、楽しそうな四人の会話を、聞くとはなしに聞いていた。
[――]それから。
会長の号令に従い、めいっぱい遊ぶこと1時間。
悠真,「良い天気だ……」
俺はプールサイドの椅子に腰掛け、空を眺めていた。
夕莉,「まったりし過ぎじゃない?」
声に反応して顔を起こすと、目の前に月嶋が立っていた。
悠真,「さすがにあれだけ騒げばな……少しは休憩させてくれ」
まるで子供に戻ったかのように遊び倒したせいか、少しばててしまっていた。
悠真,「というか、月嶋も休憩に来たんだろ?」
夕莉,「うん、ちょっとね。神鳳先輩に付き合ってたから、少し疲れちゃって」
悠真,「こなみも爽も美桜も、やたらと元気だしな」
夕莉,「まだ夏じゃないのに、こんなにプールを満喫することになるとは思わなかったわ」
そう言って、笑顔を見せる月嶋。
悠真,「なんだかんだで楽しんでるな?」
夕莉,「ふふ、そうかも」
ふと、誰かの荷物からバイブ音が聞こえる。
悠真,「携帯か?」
夕莉,「うん、そうみたい。これ、肥田くんの荷物じゃないかしら」
悠真,「そうか……おーい、爽っ。携帯鳴ってるみたいだぞー」
爽,「え、マジで? サンキュー、いま行くわー」
先輩と何か話してから、こちらに向かってザブザブと泳いでくる爽。
……案外速いな、アイツ。
爽,「ふぅ……んじゃ、交代だ悠真」
悠真,「交代?」
爽,「充分休んだだろ? 行ってハーレム気分を味わってこい」
悠真,「……ハーレム、なぁ」
果たして、女性三人から振り回されるであろう状況を、ハーレムと呼んで良いのだろうか。
杏,「おーい、悠真クーン! はやくー!」
悠真,「既に根回し済みってことか」
爽,「まーな。んじゃ、よろしく」
仕方ない……と息を吐きながら、三人の元へと向かう。
杏,「よしよし、来たわね」
こなみ,「いらっしゃい、兄さん」
美桜,「えへへ、ユウくん戻ってきたー」
悠真,「みんなで何をやってたんですか?」
杏,「えー? あたし達が他の男と何してたか気になるの?もしかして悠真クンって、独占欲強い方?」
悠真,「いや、そんなことはひと言も[――]」
言ってないんですけど、と言おうとするのをこなみがさえぎる。
こなみ,「肥田先輩が美桜さんに襲いかかろうとするのを、わたしと杏先輩で止めてたんだよ」
美桜,「え、ええっ? そうだったのっ?」
悠真,「本人が驚いてないか」
杏,「いやー、肥田くんだから安心だと思っていたのに、とんでもないケダモノだったね彼は!」
二人とも、適当なことを……。
美桜,「わ、私あぶなかったのかな、ユウくんっ!?」
悠真,「そうだな。少なくとも、爽よりもこの二人の方が美桜にとっては危険だろうな」
杏,「そう言う悠真クンは危険じゃないのかなー?」
こなみ,「美桜さん的に言うと、兄さんの相手は肥田先輩だから、全然危険じゃないですよね?」
美桜,「うん、もちろんっ!」
悠真,「……こなみ、美桜相手にそういう話を振らないでくれ」
途端に目を輝かせ始める美桜。
杏,「悠真クンってば、ソッチの人だったの?」
悠真,「わかってて言ってますよね」
杏,「えー、なんのことかなー?」
そんな笑いながら言われても、説得力は皆無だ。
悠真,「それより、俺の質問に答えてもらえませんか。先輩」
杏,「あー、ゴメンゴメン。何してたかだっけ?」
こなみ,「ボール遊びとか、潜水競争とか。あとは浮き輪で漂ったり?さっきと変わらないよ」
悠真,「最後のはお前の特権だろう?」
いつの間に荷物へ忍び込ませていたのか、こなみだけちゃっかりと浮き輪を装着していたりする。
こなみ,「兄さんも、ビート板で漂う?」
悠真,「少しぐらい、浮き輪を貸してくれ」
こなみ,「次は美桜さんに貸す約束になっているから、兄さんはその後ね」
悠真,「まぁ、別になんでもいいんだが……」
特に借りたいわけでもないし……と思っていると、美桜が口を開く。
美桜,「えと……ユウくん、それなら私と一緒に使う?」
悠真,「俺と一緒に使うと、泣くことにならないか?」
美桜,「す、少しくらいなら、我慢するよ……?」
悠真,「しなくていい。せっかくみんなで遊んでいるんだ。楽しい日に、泣き顔は似合わないだろ?」
美桜,「あ……えへへ。うんっ」
杏,「わ、悠真クンてばキザー」
こなみ,「さすが、賞金首にまでなる男は違いますね」
悠真,「……なぜ俺が責められる?」
杏,「さーて、喋るのもいいけど、そろそろ遊ばない?」
悠真,「そうですね、遊びましょうか」
爽,「おーい、おれと月嶋さんも混ぜてくれー」
悠真,「ん?」
杏,「お、戻ってきた」
美桜,「わーい、夕莉ちゃーんっ」
そうして、六人でまた水遊びに興じるのだった。
杏,「あ~……疲れたわぁ……」
爽,「そりゃ、あれだけはしゃげば当然っすよ……」
悠真,「まったくですね」
杏,「もぉ、なによ。二人してー」
かく言う俺たちもかなり疲れているので、先輩のことを言えない程度には羽目を外しすぎていた。
夕莉,「わたし、ちょっと飲み物買ってくるね」
悠真,「ああ、行ってらっしゃい」
プールには美桜とこなみだけが残っており、パシャパシャと水面を叩きながら楽しんでいる。
あれだけ遊んだのに、まだまだ元気が有り余っているようだ。
悠真,「……ん?」
と思ったが、美桜が慌てた様子でプールサイドに上がる。
そして、急ぎ足でこちらへと来た。
悠真,「どうしたんだ、美桜?」
美桜,「あ……えへへ、ちょ、ちょっとね」
悠真,「……?」
ごそごそと荷物を漁り、タオルを持って、また逆のプールサイドへと歩いて行く。
悠真,「どうしたんだ、美桜のヤツ?」
爽,「急いでいる時点で察してやれ、悠真」
悠真,「そう言われてもな……」
杏,「お花を摘みに行ったんだと思うよー?」
悠真,「花を摘みに? ……って、ああ」
トイレに行くから急いでたわけか。
杏,「ところで……悠真く~ん。お願いがあるんだけどぉ」
悠真,「……お願い、ですか?」
杏,「うん。聞いてくれるぅ?」
その猫なで声に、少し嫌な……というか、面倒な気配を感じる。
さて、どうするか[――]
;▽選択肢
俺も飲み物を買いに行く
先輩のお願いを聞いてみる
トイレと言って出て行く
爽に任せて逃げる
;※A.俺も飲み物を買いに行く(夕莉好感度+1)
悠真,「頼んだぞ、爽」
爽,「は?おれ?」
杏,「あ、ちょ、ちょっと悠真クンっ!?」
悠真,「ジュース買ってきますので、後は爽に言ってください」
それだけ言い残し、そそくさとその場を後にする。
夕莉,「あれ、浅葉くんも?」
悠真,「ああ、喉渇いてな」
方便で来たものの、喉が渇いたのも嘘ではない。
悠真,「月嶋は、もう飲み終わったのか?」
夕莉,「うん。結構カラカラだったみたいで。すぐに飲み終わっちゃった」
悠真,「水の中にいるからわからないが、知らない間に汗をかいてるんだろうな」
話しながら俺も適当なジュースを買う。
プルタブを開け、口を付けようとしたところで月嶋がつぶやく。
夕莉,「……ふふっ。こなみさん、楽しそう」
浮き輪に乗り、ぼーっと天井を見上げているこなみを見て、月嶋が笑っていた。
悠真,「あいつ、プールでは昔からああやって漂っているのが好きみたいなんだ」
夕莉,「いいよね、ああやって浮かんでいるだけなのも」
悠真,「学校のプールに浮き輪を持ってくるのは、どうかと思うがな」
夕莉,「別に禁止されてないけど?」
悠真,「え、そうなのか?」
夕莉,「うん。競泳のレーンでやっていたら怒られるだろうけど。今日は水泳部もいないし、良いんじゃないかな」
悠真,「そうだったのか……さすが風紀委員長は物知りだな」
夕莉,「好きで覚えたわけじゃないけどね。でも、知っておかないと取り締まれないし」
悠真,「ま、それもそうか」
校則も知らない風紀委員じゃ、さすがにやっていけないしな。
夕莉,「ずいぶん他人事みたいだけど、浅葉くんも覚えてね?」
悠真,「言われなくても、基本的なことは知っているつもりだが」
夕莉,「基本的なことじゃダメでしょ? 風紀委員なんだから」
悠真,「……そうだったな」
生徒会役員は、イコール風紀委員でもある。
前に、月嶋が言っていたことだ。
夕莉,「ふふっ。今度みんなも交えて、みっちり教えてあげるね」
悠真,「……楽しみにしておくよ」
やぶ蛇だったかもしれないな。
悠真,「しかし委員会もそうだが、月嶋はアルバイトもあって、毎日大変そうだな」
夕莉,「そう? ちゃんと、お休みの日もあるけど」
悠真,「なら良いが……そう言えば、いつも休みの日は何してるんだ?」
夕莉,「普通だと思うよ? えっと……本を読んだり、お買い物に出かけたり、友達と遊んだり」
悠真,「なんだか本当に、普通の女の子みたいだな」
夕莉,「わたし、普通の女の子のつもりなんですけど?」
悠真,「いや、悪い。学校以外での月嶋って見たことがないから、想像が付かないんだ」
夕莉,「わたしは、変なことをしてても不思議じゃないってこと?」
悠真,「変なこと……というか。休日に勉強してても不思議ではないな」
夕莉,「そこまでガリ勉じゃないよ?」
悠真,「ああ、それがわかってホッとした。なら、花子とも遊んだりするのか?」
夕莉,「それは……最近はないかな」
少し月嶋の顔が沈む。
夕莉,「ほら、あの子ってわたしのこと嫌ってるでしょ?」
嫌ってる……か。
悠真,「そう言う月嶋はどうなんだ? 花子のこと、好きか?」
夕莉,「え、わたし?」
気持ちを説明するのが難しいのか、少し考える素振りを見せる。
夕莉,「……ちょっとムッとすることもあるけど、嫌いにはなれないかな。たった一人のお姉さんだしね」
悠真,「そうか……。花子も、もしかしたら同じ気持ちなんじゃないか?」
夕莉,「え、花が? わたしのことを?」
悠真,「当事者じゃないから、無責任なことを言うが。傍から見ている分には、決して嫌ってるようには見えない」
夕莉,「そっか……うん、ありがとう浅葉くん」
悠真,「ただの、無責任な見解だ。お礼を言われるようなことじゃないぞ」
夕莉,「ふふ……それでも、嬉しかったから」
そんな月嶋の柔らかい笑顔を見ながら、俺たちは会話に花を咲かせた。
;※■合流4へ
;※B.先輩のお願いを聞いてみる(杏好感度+1)
……仕方ない。
悠真,「で、お願いってなんですか?」
杏,「お、やったっ。悠真クン釣れたー」
悠真,「……やっぱりお断りします」
杏,「あー、うそうそっ!ほら、ちょっとあたしの後ろに来てくれる?」
悠真,「後ろ?」
何をさせられるのかと首をかしげていると、先輩が俺が動くよりも先にこちらへと背中を向ける。
杏,「んじゃ、肩を揉んでくれる?」
悠真,「……肩、ですか」
杏,「うん、そう。プールで運動したせいか、疲れちゃってねー」
悠真,「そこでなぜ、俺に振るんでしょう?爽もいるじゃないですか」
爽,「どうしておれが?」
悠真,「いや、どうしってって……ねえ、先輩」
同意を求めるために視線を向ける俺。
だけどまあ、何故だかこうなってしまう。
杏,「だって女の子じゃ力が弱いし、肥田くんより悠真クンの方がステキだしー」
爽,「それを言われるとつらいなー」
悠真,「ちっとも辛そうに聞こえないぞ」
俺はため息をつきながら、先輩の背中へと向かうと、爽は『頑張れよ』といわんばかりにニヤケ面で行ってしまう。
するとまあ、後に残るのは俺と先輩となったわけだ。
悠真,「と、言うことで。それじゃ先輩の肩をもみます」
杏,「わ、やったっ」
元々俺にやらせる気満々だったようだし、恐らくここまで来たら、抵抗するだけ無駄だろう。
観念しながら、先輩の肩に手を伸ばす。
杏,「…………」
手の先にふれる、水に濡れた先輩の肩。
それを、指先で掴むように力を込める。
杏,「んっ……」
悠真,「結構こってますね、先輩の肩」
杏,「え、ほんとぉ? ……んくっ」
悠真,「何気にデスクワーク多いようですし。もしかしたら、姿勢が悪いのかもしれません」
杏,「そっ……あんっ、かな……んぅっ」
グッと揉み込む度に、先輩の口から艶めかしい吐息が漏れる。
その色気のせいか、吸い付くような先輩の肌を少し意識してしまう。
……何を考えているんだ、俺は。
杏,「あんっ……ね、ねぇ、悠真……クン?」
悠真,「はい、なんですか?」
杏,「今なら、うっかりおっぱい揉んでも……あふっ、怒らないよ? ……んあっ」
悠真,「…………」
杏,「……って、いたっ!いたたたたたっ!!ち、力入れすぎ、悠真クンっ!」
悠真,「制裁です」
杏,「いたたた、痛い痛いっ!乙女の大事なお肌が傷ついちゃうぅっ!!」
ため息を吐きながら、力を弱める。
杏,「はぁ、はぁ……い、痛かったぁ……」
悠真,「反省しましたか?」
杏,「うぅ……充分したよぉ。もう、悠真クンてば真面目すぎ~……」
悠真,「俺が本気にしたら、どうするんですか?自分の身体くらい、大事にしてください」
杏,「ちぇー。半分本気だったのになぁ」
そのつぶやきは聞こえないふりをしつつ、肩揉みを続ける。
しかし、思いっきり握ったのが功を奏したのか、最初よりもかなりコリがほぐれているようだった。
杏,「ん、くっ……ねぇ、悠真クン?」
悠真,「また変なことを言ったら、さっきよりも強い力で握りますよ?」
杏,「い、言わないって! もっと別のことっ!」
悠真,「なら聞きます。なんですか?」
杏,「生徒会、どーお?慣れた?」
悠真,「そう言われましても。まだ、二日しか働いてませんから」
杏,「あれ、そうだっけ? もっと長い気がするんだけどなぁ」
悠真,「先輩が何かと俺に絡んできていたから、長く感じるだけじゃないですか?」
杏,「あはは、それもそっかー。……んっ」
それからしばらく、会話をせずに肩を揉み続けた。
コリもほぐれ、先輩の艶めかしい吐息の回数も少なくなった頃、俺は不意に話しかける。
悠真,「……今日は、ありがとうございました」
杏,「ん、突然なに?」
悠真,「とても楽しかったので、今のうちにお礼を、と思いまして」
杏,「くすっ。お礼なんていいよ。あたしが楽しめると思ったから、企画しただけだし」
悠真,「別に、動機はなんだっていいんです。俺も楽しんでるんですから」
それは、嘘偽りない俺の気持ちだった。
杏,「そっか……でも、その言葉はまだ早いんじゃない?」
悠真,「早い、ですか?」
杏,「うんっ。だって今日はまだ、これからが本番だもんっ!」
そう言って、先輩は俺から離れる。
杏,「ん、よし!肩も軽くなった!ありがとね、悠真クン」
そうして、くるっと回ってプールへと向かう先輩。
杏,「こーなたーん、続きやろーっ!」
悠真,「…………」
確かに、先輩の言うとおりだ。
今日はまだ……これから、だよな。
;※■合流4へ11
;※C.トイレと言って出て行く(美桜好感度+1)
悠真,「すいません、俺もちょっと花を摘みに行ってきます」
杏,「あ、ちょ、ちょっと悠真クンっ!?」
それだけ言い残し、そそくさとその場を後にする。
用を済ませてトイレを出たところで、プールサイドでぼーっとしている背中が目に入った。
悠真,「どうしたんだ、美桜?」
美桜,「あ、ユウくん」
くるっと振り返り、満面の笑みを向ける美桜。
美桜,「えへへ、変なところ見られちゃったね」
悠真,「ぼーっとして、何かあったか?」
美桜,「あ、ううん。何もないんだけど……神鳳先輩に、生徒会へ誘ってもらってよかったなー、って考えてたの」
悠真,「まだ、結論を下すには早いと思うぞ」
美桜,「そうかもだけど。でも、ほら。今日もとっても楽しいよ?」
確かに、今日の美桜はいつもより更に元気だったと思う。
いや。美桜だけに限らず、月嶋もこなみも爽も元気だ。
もしかしたら、俺もそうなのかもしれない。
美桜,「ユウくんは楽しくない?」
悠真,「……いいや。楽しいな」
美桜,「えへへ、よかったー」
まんまと先輩の術中にはまった気がするが、今日の所は大人しくはめられておくとしよう。
悠真,「生徒会の仕事はどうだ? もう慣れたか?」
美桜,「んー、どうかなぁ……まだ、ちゃんとできるのはお花の世話だけだしー」
悠真,「他にはどんなことをやってるんだ?」
美桜,「んとね、神鳳先輩の書類作りを手伝ったり、こなみちゃんとお勉強したりー」
悠真,「勉強?」
美桜,「うんっ。お仕事に必要だから、って。いろんな書類の手続きの方法とか教えてもらってるの」
悠真,「なるほどな……先輩が教えてくれてるのか?」
美桜,「神鳳先輩だったり、肥田くんだったりだけど……夕莉ちゃんが入ってからは、夕莉ちゃんに教えてもらってるんだー」
悠真,「月嶋は、生徒会の仕事もわかるのか」
美桜,「うんっ。夕莉ちゃん、すごいんだよー?」
悠真,「そうか……」
さすが月嶋だな。非の打ち所がない。
悠真,「じゃあ、俺には美桜が教えてくれよ」
美桜,「え、私が?」
悠真,「ああ。ダメか?」
美桜,「ううん、だめじゃないけど……まだちゃんと覚えてないから、間違えちゃうかもだよ?」
悠真,「だから、間違えないように教えるんだよ。美桜もしっかり覚えられて、一石二鳥だろ?」
美桜,「そっかー……うん、難しいけどがんばって教えるねっ!」
悠真,「よろしくな」
美桜,「うん。えへへ、楽しみにしててね?」
悠真,「ああ。期待してる。さて……そろそろ戻るか?」
美桜,「うんっ」
美桜に生徒会の仕事を教えてもらうことを想像しながら、俺たちは先輩のいる場所へと戻った。
;※■合流4へ
;※D.爽に任せて逃げる(こなみ好感度+1)
悠真,「おい爽、お前の尊敬する会長が呼んでいるぞ」
爽,「は? いや、呼んでいるのは悠真……って、お、おいっ!?」
杏,「あ、ちょ、ちょっと悠真クンっ!?」
悠真,「すいません、妹が来て欲しそうにしているので、ちょっと行ってきます」
我ながら苦しい言い訳だとは思うが、それだけ言い残して、そそくさとその場を後にする。
ぼんやりとした様子で、プールを眺めていたこなみの元へと向かう。
すると、俺に気づいたこなみがこちらに向かってきた。
悠真,「悪い、邪魔したか?」
こなみ,「別に良いけど、来て欲しそうにはしてないよ?」
悠真,「……聞こえてたか」
こなみ,「わたし、兄さんの声に関しては地獄耳だから」
悠真,「俺限定なのか?」
こなみ,「兄さんの声なら、たとえ1キロ先でつぶやいていたって聞き分けられるよ」
悠真,「こなみなら、うっかりやりかねないな……」
こなみ,「残念。さすがに冗談でした」
悠真,「大丈夫だ、わかっているから」
本当に出来たら、人類の能力を超越しているとしか思えない。
こなみ,「せっかく兄さんが戻ってきてくれたんだし、遊ぶ?」
悠真,「そうだな……俺は構わないが。何をするんだ?」
こなみ,「んー……」
何か考える素振りを見せたと思うと、こなみが甘えるように俺にくっついてくる。
悠真,「こなみ?」
こなみ,「兄さんにくっつく遊びがいいかな」
悠真,「……遊びなのか、これは?」
こなみ,「まったりしたいなぁ、って思って」
悠真,「まったり? 遊ぶんじゃなかったのか?」
こなみ,「んー……」
眠そうな声を出したかと思うと、こなみは俺に体を預けるようにして腕の中に落ち着く。
こなみ,「すぅ……すぅ……」
悠真,「……こなみ?」
こなみ,「ん……兄さん……」
気持ちよさそうに、小さな寝息を立てるこなみ。
まったく、本気でまったりしすぎだ。
悠真,「はぁ……ったく」
そこまでまったりしなくてもいいだろ……と呆れつつも、しばらくこなみの小さな背中を支えておいた。
;※■合流4へ
;※■合流4 ここから■
プールで遊び疲れた俺たちは、学食で昼食を摂ってから生徒会室へ場所を移し、歓迎会を続行した。
最終的には、知らない間に先輩が持ち込んでいたボードゲームで盛り上がったが、なぜそんな物があるのかと月嶋に怒られたのは言うまでも無い。
杏,「いやー、遊んだ遊んだー」
夕莉,「はぁ……学校でこんなに遊んでいいのかしら」
爽,「まぁまぁ。歓迎会なんだし、たまにはいいじゃん」
こなみ,「息抜きも大事ですよ、夕莉先輩」
美桜,「えへへ。今日の歓迎会、とっても楽しかったよー?」
悠真,「月嶋も楽しかっただろ?」
夕莉,「それは、まぁ……」
悠真,「なら、明日から仕事をがんばれば、それで良いんじゃないか?」
夕莉,「……うん、そうだね」
言って、柔らかい笑みを浮かべる月嶋。
美桜,「あ、ねぇねぇ夕莉ちゃん。この前言ってたお店だけどー」
夕莉,「うん、あそこがどうしたの?」
悠真,「…………」
何気なく俺は、そんなみんなの輪から一歩離れて歩く。
そして窓から見える空を眺めながら、ここ最近の充実した日々を振り返る。
思えば、始業式から色々なことがあった。
特に思い出深いのは[――]
;▽選択肢
#select_var 4,神鳳先輩との出会い,an01,月嶋との距離,yr01,美桜との変わらぬ日常,mo01,こなみの入学,kn01,0,50,100,10,#FF0000,0
;※出現条件:キャラポイントを持っている場合は該当するキャラの。ひとつも持っていない場合は4人全員の選択肢が登場
;※例えば、杏ポイント1であれば、Aの選択肢が出現。選択の余地が無い(1キャラのポイントしか無い)場合は、選択肢を出さずに該当する番号へ飛ばす。
;※2ポイント持っているキャラがあれば、その選択肢確定。
#seladd text=神鳳先輩との出会い target=*kyo014_06
#seladd text=美桜との変わらぬ日常 target=*kyo014_07
#seladd text=こなみの入学 target=*kyo014_08
#seladd text=月嶋との距離 target=*kyo014_09
#seladd text=神鳳先輩との出会い target=*kyo014_06
#seladd text=美桜との変わらぬ日常 target=*kyo014_07
#seladd text=こなみの入学 target=*kyo014_08
#seladd text=月嶋との距離 target=*kyo014_09
;※A.神鳳先輩との出会い(杏好感度+1)
……神鳳先輩、だな。
悠真,「…………」
ちらり、と前を歩く先輩の後ろ姿を眺める。
生徒会と部活を合体させる、やりたい放題な印象の会長だが……。
そんなムチャクチャも許してしまえる、不思議な魅力を備えていた。
特に、俺に関して言えば、賞金首の問題もあったんだけどな。
……なぜだろうか。いつのまにか、どうでもよくなっていたらしい。
杏,「悠真クン、疲れちゃった?」
ふと、そんな本人に話しかけられ、少し戸惑ってしまう。
悠真,「……いえ、そんなことないですよ」
杏,「なーんか、物思いに耽っちゃってる感じしたけど?」
悠真,「ええ、まぁ。少し考え事を」
杏,「へー、考え事?もしかして、あたしのことだったりして?」
悠真,「はい、先輩のことを考えてました」
杏,「なーんて……って、え? ほ、ほんとにっ?」
悠真,「この二週間くらいを思い返していたんです。先輩のせいで賞金首にされたな、と」
杏,「なんだ、そういうことかぁ……。悠真クンがデレたと思って、びっくりしちゃった」
悠真,「デレが足りないと言っていたのに、デレると驚くんですか?」
杏,「驚くに決まってるよー。まだ悠真クンの攻略、全然進んでないし」
悠真,「俺、いつの間にか攻略を進められていたんですね」
杏,「そうだよー?近いうちに攻略完了しちゃうから、覚悟してねっ」
悠真,「期待しないで待っておきます」
杏,「ぶー。やっぱりデレが足りないなぁ、悠真クンは」
そんな俺の反応に、ブツブツと文句を言う先輩。
悠真,「ああ、そうだ。明日はまた放課後に、生徒会室へ顔を出せばいいですか?」
杏,「うん、それで大丈夫。よろしくねー」
悠真,「はい、こちらこそよろしくお願いします」
杏,「早く仕事を覚えてもらうために、ビシバシしごいてあげるからっ」
悠真,「俺が厳しさで逃げない程度でお願いします」
杏,「悠真クン、厳しくすると逃げちゃうの?」
悠真,「さぁ、どうなんでしょう。こう言った活動は、経験がないのでなんとも」
杏,「くすっ。それじゃ、もし泣き出しちゃったら優しく抱きしめてあげるね?」
悠真,「わかりました。絶対に先輩の前では泣かないようにします」
杏,「もー。デレないなぁ、悠真クンは」
そんな、いつもと変わらないやり取りを交わしつつ、俺たちは学校を後にした。
;※■合流5へ
;※B.月嶋との距離(夕莉好感度+1)
月嶋……だろうか。
悠真,「…………」
一年生の時も同じクラスだったが、その頃は今のように、仲良く会話をすることはなかった。
ましてや、今日みたいに遊びに行くこともなかったしな。
美桜を通じて、少しだけ会話をする程度。そんな仲だったはずなんだが……。
夕莉,「どうしたの、浅葉くん。疲れた?」
いつの間に俺の前へ来たのか、前の集団から離れた月嶋が話しかけてくる。
悠真,「いや、ちょっと考え事をな」
夕莉,「へぇ? ……女性のこと?」
悠真,「…………」
確かに、女性のことではあるが。
ここは、なんと答えるべきなのだろう?
夕莉,「ふふっ、黙っているってことは当たり?」
悠真,「……まぁな」
夕莉,「ひょっとして、佐和田先生のこととか?」
悠真,「……? なぜ、そこであの人の名前が出てくる?」
夕莉,「なんで、って。保健室のお手伝いをやめたから、佐和田先生に会えなくて寂しいのかなって思ったんだけど」
悠真,「……残念ながら、不正解だ」
別に、絶縁したというわけでもないしな。保健室にいるんだから、会おうと思えばいつでも会える。
夕莉,「じゃあ……もしかして、神鳳先輩のこと?」
悠真,「違う。月嶋のことだ」
夕莉,「わたし? ……って、わたしっ!?」
そんなに意外なことを言っただろうか?
悠真,「二年生になってから、よく話すようになったと思ってな」
夕莉,「あ、あぁ、そういう事? はぁ……びっくりしちゃった」
いったい月嶋は、俺が何を考えていると思ったのだろうか。
夕莉,「でも、言われてみればそうかも。一年生の時は、美桜を含めた三人で話してたくらいだよね?」
悠真,「だな。それが今じゃ、同じ生徒会に所属しているんだから、不思議な話だ」
夕莉,「そうだね……」
悠真,「花子に、お礼を言わないといけないかもな」
夕莉,「え、なんで花に?」
悠真,「あいつが賞金首のポスターを作ったのが発端だろ?」
夕莉,「……言われてみれば、そうかも」
悠真,「最初に見た時は、ただ呆れかえるだけの代物だったが」
しかし、それがおかしな方向に動き出した結果、いつの間にか俺はここにいる。
夕莉,「あの時は、本当にごめんなさい。うちの花が……」
悠真,「それはもう気にしなくていい。元々、怒っていたわけじゃないしな」
夕莉,「うん、ありがと」
それから会話が途切れた俺たちは、しばらく無言で歩く。
悠真,「…………」
夕莉,「…………」
夕莉,「浅葉くん」
悠真,「ん、なんだ?」
夕莉,「……いっしょにがんばろうね。生徒会」
悠真,「ああ。俺だと至らないところもあるだろうが、よろしくな」
夕莉,「うん、こちらこそ」
赤く照らされる、月嶋の笑顔。
それはとても綺麗で、いつまでも見ていたいと……そう思わせる魅力に溢れていた。
;※■合流5へ
;※C.美桜との変わらぬ日常(美桜好感度+1)
美桜……か。
悠真,「…………」
先輩と知り合ったり、こなみが入学してきたり、ティナが居候したりと、色々慌ただしい日々だったが。
そんな中でも、いつもと変わらない美桜の存在は、俺の心に癒やしを与えてくれた。
美桜,「ユウくん、ぼーっとしてどうしたの?」
いつの間に近くへ来たのか、前の集団から離れた美桜が話しかけてくる。
悠真,「ああ……ちょっと考え事をな」
美桜,「悩みなら聞くよ?あんまり役に立たないと思うけどー……」
悠真,「いや、悩みじゃなくて、美桜のことでちょっとな」
美桜,「え、私?」
自分の名前が出たことに、意外そうな声が上がる。
悠真,「美桜はいつでもマイペースだな、って思って」
美桜,「そうかなー? 私、マイペース?」
悠真,「俺から見ると、だけどな。だから、美桜といると精神的なリズムが元に戻って和むんだ」
美桜,「えっと……それ、褒めてくれてるの?」
悠真,「ああ。最高に褒めているつもりだぞ」
美桜,「そっかー。えへへ……ありがとね、ユウくん」
悠真,「マイペース過ぎるのも困りものだけどな。始業式の日にのんびり神社を掃除していたり」
美桜,「わわっ!? そ、そのことは忘れてよぉー」
悠真,「もうしばらくは、笑い話として楽しませてくれ」
美桜,「うぅ~、恥ずかしい……」
悠真,「ま、次から気をつければいい」
美桜,「うん、がんばるー」
そんなのんびりとした会話をしながら、俺たちは家路についた。
;※■合流5へ
;※D.こなみの入学(こなみ好感度+1)
そうか……こなみが入学してきたんだったな。
悠真,「…………」
思えば、今のこうした人間関係が出来たのも、こなみが俺と他の人たちを結びつけていたからかもしれない。
一緒に行った学食で、月嶋の意外な一面を見たり。知らないうちに生徒会へ入っていたり。……ああ、俺より高い賞金首になったこともあったな。
こなみ,「兄さん、考え事?」
いつの間に近くへ来たのか、前の集団から離れたこなみが話しかけてくる。
悠真,「ああ、少しな」
こなみ,「ふぅん……?」
俺の顔をじっと眺めるこなみ。
まるで、考えていることを全て見透かされているような気がする。
……特に、こなみのことだしな。
こなみ,「もしかして、わたしのこと考えてたの?」
悠真,「なんでわかるんだ」
こなみ,「当たっちゃった?」
本当に見透かされているとは……。
悠真,「あまり心を読むなよ」
こなみ,「兄さんは、わたしをなんだと思ってるの?」
悠真,「こなみは、俺より俺のことをよく知ってるからな」
こなみ,「ふふっ、兄さんのおかしな笑い方も知ってたしね」
悠真,「そう言えばそうだったな」
あの人に指摘されて、最初に相談したのもこなみだったか。
こなみ,「それで、わたしでどんな妄想してたの?」
悠真,「妄想なんてするか。ただ、お前が入学してきてからの二週間、色々あったなって思ってな」
こなみ,「わたしも、将棋部を目指して生徒会に入るとは思わなかったよ」
悠真,「俺だって、このメンツと一緒に生徒会活動をするとは、夢にも思わなかったぞ」
こなみ,「……いろいろあったよね」
悠真,「ああ。多分、これからもな」
こなみ,「そう考えると、楽しみかも」
悠真,「せっかく生徒会に入ったんだ。めいっぱい楽しもう」
こなみ,「そうだね」
しばらく無言で歩く俺たち。
こなみ,「……あふっ」
すると、隣から眠そうなあくびが聞こえてきた。
悠真,「さすがに、遊び疲れたみたいだな」
こなみ,「うん、ちょっと眠い……兄さん、だっこして?」
悠真,「家まで我慢しろ」
こなみ,「う~、兄さんの鬼畜……」
悠真,「はぁ……仕方ない」
放っておくと何かにつまずきかねないため、きゅっと手を握ってやる。
こなみ,「あ……兄さんの手、冷たいね」
悠真,「こなみの手が温かいだけだ。ほら、ちゃんと歩けよ?」
こなみ,「はぁい……」
そんな、少し不安になる返事をするこなみを引っ張りながら、俺たちは家路へとついた。
;※■合流5へ
金耀日(星期5)
葵,「悠真くん、朝だよー起きて起きてー」
悠真,「ん……」
葵,「あ……ごめんね。朝陽、まぶしかった?」
悠真,「平気です。おはようございます」
葵,「うん、おはよう。少しじっとしててね?」
その言葉と共に、葵さんの顔が近づく。
葵,「……ちゅっ♪」
悠真,「葵さん、そろそろ朝のそれは……」
葵,「ほっぺにちゅーのこと?」
悠真,「親子のコミュニケーションだってのはわかってるんですが」
これは毎朝繰り返されている、浅葉家の習慣だ。
葵,「今までずっと続けてきたから、しないと落ち着かないんだよね」
最近こそ笑って未亡人だと話しているものの、父さんが亡くなった頃はずっと沈みっぱなしだった。
そんな葵さんの記憶があるためか、悲しませたくないという思いが昔から俺の中にある。
だからこの習慣も、あまり強く否定できないのだった。
葵,「せめて、悠真くんに彼女ができるまで続けちゃだめ、かな?」
悠真,「そんなこと言ったら、ずっと続けることになりますよ?」
葵,「わ、わたしは全然かまわないけど……でもそれって、彼女をつくる気がないってこと?」
悠真,「俺にそんな甲斐性ないですからね」
葵,「そういうこと言って、悠真くんはいきなりおウチに彼女を連れてきちゃいそうだからなぁ……」
葵さんからだと、俺はそんな男に見えるのだろうか。
葵,「悪い女の人に騙されたりしないか、お母さんは心配だよ?」
悠真,「……気をつけます」
しかし、俺としてはそんな葵さんの方が心配で仕方ない。
将来、俺やこなみがこの家を出ることになったら、どうなってしまうのやら……。
葵,「うふふっ、こんなにのんびり話してたら遅刻しちゃうね」
悠真,「そうですね、そろそろ着替えます。こなみはまだ寝てますよね?」
葵,「うん、起こすのは悠真くんにお願いしていい?」
悠真,「わかりました。支度をしたらすぐ起こします」
元々こなみは朝が弱くて、葵さんが声をかけてもなかなか起きようとしない。
だから、昔から妹を起こすのは俺の役目だった。
悠真,「こなみ、入るぞー?」
悠真,「っと、悪い。着替え中だったのか」
こなみ,「別にノックなんてしなくてもいいのに」
悠真,「そういうわけにはいかないだろう」
こなみ,「兄さんって身内にも気を遣う人だよね」
悠真,「最低限の礼儀ぐらいはな。でも、今日は起こしに来るのが遅すぎたか」
こなみ,「ううん、昨日は早く寝たから自然に目が覚めたの。そうじゃなかったら、いつも通り兄さんが来るまでぐっすりだったよ?」
年頃だというのに、こなみは平然と俺の前で着替えを続ける。
葵さんに続き、兄としては妹の将来もかなり心配だ。
もっとも、妹のほうでも兄の将来を心配していそうだが。
こなみ,「どうかな、この制服?」
悠真,「へぇ、似合ってるんじゃないか?ああでも、スカートは短くしすぎないようにしろよ」
こなみ,「どうして? パンツが見えるから?」
悠真,「うちの風紀委員長は、そういうのにうるさいからな。怒らせると般若みたいな顔になる」
こなみ,「そうなんだ。じゃあ、気をつけないといけないね」
そしてまた、兄の前でスカートの丈を調節する妹。
葵さんもそうなのだが、この家の女性陣は俺を男とは見ていないらしい。
まぁ、俺も家族を女として見てはいないので、お互い様だが。
こなみ,「……スカートの長さ、このぐらいなら平気?」
悠真,「どれ、見せてみろ」
こなみ,「ん」
悠真,「もう少し長いほうがいいんじゃないか?」
こなみ,「じゃあ、そうする。……下着の色とかもチェックされたりするの?」
悠真,「そこまではしないと思うが、お前だってそんなに派手なのは穿かないだろ」
こなみ,「うん、こんな感じ」
ぴらりと、恥ずかしげもなくスカートをまくって見せる妹。
悠真,「お願いだから、年相応の恥じらいを持ってくれ」
こなみ,「恥じらいは持ってるけど相手は兄さんだし、今さら下着を見られたところでなんとも」
悠真,「俺相手にも持ってくれ、と言っているんだ」
こなみ,「兄妹で気にするほうが珍しいと思うよ?」
悠真,「その意見も、わからないでもないけどな」
一応、こなみとの兄妹仲はいいほうだと思う。
それが功を奏してか、こんな場面でもこなみは平然としたままだ。
俺もいちいち取り乱したりはしないから、
原因の一端を担っている可能性はあるのだろう。
こなみ,「この髪型だと、子供っぽいかな?」
悠真,「いや、よく似合ってる」
こなみ,「スカートの丈もこれで平気?」
悠真,「ああ、平気平気」
こなみ,「どうでもいいって顔してる」
悠真,「勝手に人の心を読むな。朝飯できてるらしいから急げよ」
こなみ,「うん」
こなみと話してると、心を見透かされてるんじゃないかと思う時がある。
恥じらいを見せない妹に諦めを感じる兄としては、その心境を汲み取ってもらいたいとは思うのだが。
こなみ,「……なんだか久しぶりだね」
悠真,「何がだ?」
こなみ,「兄さんと一緒に登校するの」
悠真,「確かにな。まさかお前が、俺と同じところを志望するとは思ってなかったけど」
こなみ,「家から近いのが一番。早起きするの得意じゃないし」
悠真,「早く自分ひとりで起きられるようになれよ?」
こなみ,「でも、今日は起きられたよ」
悠真,「そのぶん、早く寝たんだろ?」
こなみ,「夜更かししても、兄さんが起こしにきてくれるから安心だしね」
悠真,「そうじゃなくて、ひとりで起きる努力をだな……」
こなみ,「起こすのめんどくせーって顔してる」
悠真,「生まれつきそういう顔なんだよ」
俺はこなみの頭を撫でる。小さな頃から、妹をあやす特別な技がこれだ。
ただ、癖になるほどやっているせいか、昨日のように妹以外の頭にも手を伸ばしてしまう時がある。
こなみ,「ふふっ……」
悠真,「ほら。葵さんが待ってるんだから、早く支度しろ」
こなみ,「うん、分かった」
もう一度頭を撫でると、こなみは嬉しそうに目を細める。
仕方ないヤツだ、と思いつつも、そんな妹の身支度を手伝うのだった。
こなみ,「おはようございます」
葵,「うん、おは……ああっ、こなみちゃんっ!」
こなみ,「はい?」
葵,「か、可愛いっ。制服すごく似合ってるっ。あーもう、お嫁にいかせたくなーい!」
こなみ,「ありがとうございます。葵さんも可愛いです」
葵,「ううん、わたしなんて全然!地味で目立たなくて、大きな石の裏にくっついてるダンゴムシみたいなものだし!」
こなみ,「ダンゴムシ、可愛いですよ。すぐ丸まるところとか。ねえ、兄さん?」
悠真,「そこで俺に振るのかよ」
葵,「……あれ。こなみちゃん、また胸が大きくなった?」
こなみ,「少し」
葵,「さ、サイズはいくつになったの?」
こなみ,「兄さんの前でそういう話をしてもいいんですか?」
葵,「ああっ、だめっ。朝ご飯のときにする話でもないしねっ」
こなみ,「いっそのこと、胸のサイズを言い当ててもらうとか。ねえ、兄さん?」
悠真,「お前、面白がって俺に話を振ってるだろ」
こなみ,「うん」
葵,「はぁ、母親より娘の胸のほうが大きいなんて……」
こなみ,「まだまだ葵さんのも大きくなります」
葵,「そうかなっ? ほんとにそう思うっ?」
こなみ,「ねえ、兄さん?」
悠真,「はぁ……」
こなみ,「そんなの知るかって顔されました」
葵,「最近の女の子って、みんな発育いいんだもんな……」
いったい俺は、どんな反応を返せばいいんだろうか……。
美桜,「あ、ユウくんおはよー」
悠真,「よう、おはよう。外で待ってるならチャイムを鳴らしていいんだぞ?」
美桜,「うん、でも急がせちゃ悪いしー。……あれ、こなみちゃんは一緒じゃないの?」
悠真,「ああ、こなみなら[――]」
こなみ,「兄さん、お待たせ。美桜さんもおはようございます」
ようやく、葵さんのハグから解放されたらしい。
美桜,「わぁ! こなみちゃん、制服すごく似合ってるー!ピカピカの1年生だもんねー」
こなみ,「ありがとうございます。ピカピカです」
美桜,「その帽子も可愛いー。今度の1年生からだっけ、制服とセットになったの」
こなみ,「そうみたいです。兄さんもかぶってみる?」
悠真,「なんで俺が?」
こなみ,「似合うと思って」
美桜,「うんうん、ユウくんは似合いそう」
こんなデカい男が女子の帽子をかぶっても、不気味なだけだと思うが……。
悠真,「ほら、それはいいからさっさと行くぞ」
こなみ,「準備はできてるよ」
美桜,「今日から三人で登校だね。嬉しいなー」
美桜は昔からこなみを可愛がってくれてたからな。
三人で通えるのは本当に嬉しいみたいだ。
悠真,「……っと。先にいつものを済ませなきゃな」
美桜,「あ、うん……」
嬉しそうにしていた美桜の顔が、一瞬で曇る。
久しぶりで緊張しているのだろう。
昨日はバタバタしてたから、帰りに少ししただけだしな。
悠真,「悪い、こなみ。ちょっと待っててくれ」
こなみ,「わかってる」
悠真,「ほら、美桜。手」
美桜,「……ん」
おそるおそる差し出された美桜の手を、そっと握りこむ。
毎朝、電信柱一本分のリハビリテーション。
少しずつでも男に慣れるよう、一本先の電柱まで手を引いて歩くのが、俺の役目だった。
悠真,「大丈夫か?」
美桜,「うん、がんばる」
美桜は、自分からは手を握り返してこない。
そうした瞬間、涙が止まらなくなることは過去に経験済みだった。
悠真,「あともう少しだからな」
美桜,「…………」
こなみがいるのを気にしているのか、今日はいつもより歩みが速い。
そして目的の電柱を通り過ぎた瞬間、美桜はパッと俺の手を放した。
悠真,「よくがんばったな、美桜」
美桜,「……ありがとう、ユウくん」
こなみ,「よしよし」
さわれない俺の代わりに、こなみが美桜の頭を撫でてくれる。
美桜,「こなみちゃんも、待たせちゃってごめんね」
こなみ,「そんな風に謝ると、また兄さんに叱られますよ?」
悠真,「またってなんだ」
美桜を叱ることなんて、そうそう無いと思うんだが。
こなみ,「ほら、すごく怒った顔してます」
悠真,「この顔は生まれつきだ……って、さっきも言った気がするぞ」
そんな風に、こなみとじゃれ合っていると、ふいに美桜が口を開く。
美桜,「ふたりともありがとう」
悠真,「美桜……」
こんな風に笑われると、俺たち兄妹は何も言えなくなってしまう。
悠真,「ほら、落ち着いたんなら行くぞ?入学式から、こなみを遅刻させるわけにはいかないからな」
こなみ,「兄さん、早く美桜さんの頭を撫でられるようになったらいいね」
悠真,「別に、そんなつもりは……」
こなみ,「美桜さんの髪、さらさらですごく手ざわりいいよ」
悠真,「…………」
こなみ,「それにふんわりいい匂いがして……兄さん、聞こえてる?」
悠真,「聞こえてるよ」
美桜,「こなみちゃん、そんなに撫でられたらくすぐったいよー」
悠真,「はぁ……もう勝手にしろ。先に行くぞ」
美桜,「あぁっ、ユウくん待ってー!」
こなみ,「大丈夫です。兄さんは、美桜さんやわたしを置いていったりなんてしませんから」
悠真,「……早く来い。本当に先に行くぞ」
こなみ,「ほら、この通り」
美桜,「ふふっ、ホントだね。それじゃ、ユウくんと一緒に学校いこー!」
こなみ,「はいっ」
学園に着くと、見知った背中が視界に入る。
悠真,「おはよう月嶋」
夕莉,「ああ、浅葉くん。おはよう」
悠真,「今日は挨拶運動ないんだな?」
夕莉,「ええ……って、あれ? 今日は一人なの?」
悠真,「いや、三人だ」
夕莉,「三人?」
俺が後ろを指すと、そこには女の子同士の会話に花を咲かせている二人が歩いていた。
美桜の隣の人物に、月嶋は不思議そうに小首を傾げる。
悠真,「おーい、二人とも。こっちだ」
美桜,「夕莉ちゃん、おはよー」
夕莉,「おはよう、美桜。こちらは……新入生かしら?」
こなみ,「はい。今日からこちらの学園でお世話になります」
ぺこりと礼儀良く挨拶を交わす我が妹。
兄の前ではスカートをめくるような妹でも、家の外ではしっかり者になる。
悠真,「ちなみに、この人が風紀委員長の、月嶋夕莉さまだぞ」
こなみ,「そうなんだ、この方が噂の……」
夕莉,「……? その子、浅葉くんの知り合いなの?」
こなみ,「はじめまして、浅葉悠真の妹でこなみと言います。兄がお世話になっています」
夕莉,「あ、浅葉くんの妹!?」
悠真,「ああ。俺の妹だ」
夕莉,「…………」
悠真,「何か言いたそうだな、月嶋」
夕莉,「だって浅葉くんに妹さんがいたなんて……」
美桜,「夕莉ちゃん、知らなかったの?」
夕莉,「美桜だって教えてくれなかったじゃない」
美桜,「だって夕莉ちゃん、ユウくんの話をすると怒るんだもん」
悠真,「怒るほど嫌われてるのか」
夕莉,「別に怒ってるわけじゃないけど……それでこなみさん、わたしの噂って?」
こなみ,「それはですね」
悠真,「うちの風紀委員長さまは、美人で優しいって話をしててだな……」
こなみ,「怒ると般若のように恐ろしいっていうのは、言っちゃいけないことだったの?」
悠真,「余計なことを言うんじゃない、こなみ」
瞬間、月嶋の痛い視線が俺へと刺さっていた。
俺は即座にこなみの耳元へと歩み寄る。
悠真,「少しは話を合わせてくれっ」
こなみ,「慌ててる兄さん面白い」
悠真,「お前……」
怒られてる俺を見たいだけだったか。
夕莉,「……なるほど。よーく分かりました」
敬語になる月嶋。
美桜,「夕莉ちゃん、怒ってる?」
夕莉,「全然、怒ってません」
笑顔に無理がありすぎる。
夕莉,「こなみさん、教室の場所はわかる?」
こなみ,「はい、大丈夫です」
夕莉,「わからないことがあったら遠慮なく聞いてね」
こなみ,「ありがとうございます。……兄さん、風紀委員長さんすごく優しいよ?」
悠真,
「だから言っただろう、般若みたいに美人で優しいと」
夕莉,「言い訳にしては無理があると思いますよ?」
悠真,「その……月嶋、さん?」
夕莉,「ちょっと浅葉くんと話し合わないといけないから、美桜たちは先に行っててくれる?」
美桜,「う、うん……ユウくん、がんばっ」
こなみ,「今夜はお赤飯だね、兄さん」
花子/???,「まさか、あの浅葉悠真に妹がいたなんて……!しかも、メチャクチャ可愛い!」
花子/???,「これはスクープだわ、スクープっ。急いで記事を書き上げなきゃ……!」
悠真,「ふぅ……」
月嶋の怒りを静めることに全力を尽くした結果、どうにか解放してもらえた。
額の冷や汗をぬぐいつつ、月嶋が情の通じる相手で助かったと天に感謝する。
悠真,「……?」
ふと、一歩踏み出したところで、さっきまで一緒だった妹の姿を見かける。
悠真,「こなみ、こんなところでどうしたんだ?」
こなみ,「あ、兄さん」
悠真,「1年の教室までの道がわからなかったか?」
こなみ,「そうじゃなくて……これ」
悠真,「これ? ……って」
それは、昨日のうちに剥がしたはずのポスターだった。
なぜ、また貼られているんだ?いや、それより……。
悠真,「36000円……!?」
昨日は確か、21000円だったはず。
この一晩で、何があったんだ……?
こなみ,「兄さん、悪いことでもしたの?」
悠真,「俺には全く身に覚えがない」
こなみ,「身に覚えが無くても、自首しないと」
悠真,「だから身に覚えが無いと言っているんだが」
こなみ,「わたしが付き添ってあげる」
悠真,「目的は賞金か?」
こなみ,「わたしと葵さんのためにも、兄さんには罪を被って欲しいの」
悠真,「36000円で兄を売るんじゃない」
せめてもう一桁増えてからにしてもらいたいものだ。
いや、どちらにしろ売られるのはゴメンだが。
悠真,「そもそもだ。俺がいなくても、朝ちゃんと起きれるのか?」
こなみ,「…………」
悠真,「葵さんも仕事で大変なんだぞ。俺を家計に変えるよりは、手伝わせるほうがいいと思わないか?」
こなみ,「そうだね。兄さんには妹の世話をしてもらうことにする」
悠真,「よく言ったぞ、こなみ」
ぽんっとこなみの頭に手を置くと、そのまま妹の頭を帽子の上から撫で回す。
悠真,「さて。入学式もあることだし、教室まで案内するか」
こなみ,「案内されてあげるとします」
悠真,「よし、それじゃついてこい」
一年生の教室は向こうか……と考えつつ歩いていると、どこかで見た顔が近づいてくる。
爽,「んん? 悠真、こんなところでどうした~?」
悠真,「ちょっとな」
こなみ,「どうも」
爽,「お、君ってもしかして1年生?ちょっと痩せすぎじゃないかなぁ」
悠真,「お前の性癖を押しつけるんじゃない」
爽,「でもどうしたんだ、こんな可愛い子をつかまえて」
悠真,「人聞きの悪いことを言うな。道案内しているだけだ」
爽,「へぇ~? ねぇキミ、もうちょっとご飯を食べるようにしたら、もっと魅力的になると思うけど、どう?」
こなみ,「どうかな?」
悠真,「俺に聞かれてもな……。というか性癖を押しつけるなと言っているだろ、爽」
爽,「別にいいだろ~? ちょっとくらい」
悠真,「こなみ、こいつは肥田爽。生徒会の副会長で、自分の性癖を他人に押しつけるのが趣味の男だ」
こなみ,「はじめまして、浅葉こなみと言います。いつも兄がお世話になっています」
爽,「ああ、よろし……って、え? 兄?」
こなみ,「はい、こちらが浅葉悠真です」
悠真,「いまさら紹介されてもな」
爽,「……悠真」
悠真,「なんだよ、改まって」
爽,「妹さん、太らせてみないか?」
悠真,「お断りだ」
爽,「いやーしかし、悠真にあんな妹がいたなんて意外だったわ」
こなみを1年生の教室に送り届け、戻ってきたところでさっそく妹の話をしだす爽。
……まぁ、しかし釘は刺しておくか。
悠真,「悪いが、あまり騒がないでやってくれ。あいつに迷惑はかけたくない」
爽,「迷惑?」
悠真,「賞金首の妹だって広まったら、あいつも大変だろ?」
爽,「それならなおさら話題は尽きないだろうな、うむ」
悠真,「どういうことだ?」
爽,「有名な賞金首の妹にして、可愛い容姿とあのスタイル!まぁ、俺としては横幅がもっと欲しいところだが」
悠真,「…………」
爽,「そこらの男はまず放っておかないだろうなぁ」
爽の声を聞いてか、クラスの男子連中がいっせいに耳をピクンと動かす。
それと同時に、背中から強い重圧を感じていた。
爽,「それで? 妹さんはどんな男性が好みなんだ?」
悠真,「そもそも男性に興味がないみたいだぞ」
爽,「まさか同性にしか興味のない……百合百合なのか!?」
悠真,「そうじゃない。単純にめんどくさいんだろ、そういうの」
爽,「あの容姿で男に興味がないなんて、変なとこばっかり兄貴に似ちまったんだなぁ……」
悠真,「別に、俺のせいでも無いと思うが」
こなみの場合、恋愛とかよりも将棋が大事だろうしな。
かく言う俺も、恋人を作りたいなどと思わない。
親不孝な話だが、現状では葵さんが孫の顔を見られる可能性は、限りなく低そうだ。
爽,「悠真はモテるんだから、ちょっとはその類まれなる体質を活かしてみたらどうだ?」
悠真,「勝手に体質にするな。それと言ってるだろ。俺は、恋愛に興味がないんだよ」
爽,「周りを見ろって。そんなことを言っていると機会は永遠に来ないぞ?」
悠真,「機会っていわれてもなぁ……」
爽に言われるまま、周りを見渡してみるが、そこにはクラスメイトが居るだけだ。
美桜,「ん? なーに、ユウくん?」
夕莉,「美桜に何か用?」
悠真,「いや、なんでも」
夕莉,「あ。こなみさんと言えば、無事に教室へたどりつけたかな?」
悠真,「俺が送ってきたから大丈夫だ。な、爽?」
爽,「ああ、そうだな……って、月嶋さんも悠真の妹さんのこと、知ってるんだ?」
夕莉,「わたしも、今朝はじめて見たわ。浅葉くんにあんな妹さんがいたなんて意外だった」
爽,「おれと似たようなこと言ってるなー」
悠真,「どういう意味で意外だったんだか」
似ていないとでも言いたいのだろうか。
爽,「そういや、月嶋さんも妹なんだっけ?確か双子のお姉さんがいるって話をどっかで聞いた気が……」
夕莉,「わ、わたしのことなんてどうでもいいわ。美桜、あっちに行こっ」
美桜,「うんー」
爽,「……おれ、なんかマズイこと言っちまったかぁ?」
悠真,「いろいろあるんだろ、月嶋にも」
あいにく、俺にはそれを詮索する趣味はない。
爽,「ああ、そうだ。いろいろあると言えば、うちの生徒会もいま大変なんだよ」
悠真,「大変なのはいつものことじゃないのか?」
爽,「確かにいつも大変なんだが、今は危機的状況でさ」
悠真,「あまり穏やかな言葉じゃないな」
爽,「春休みに生徒会のメンバーが何人か抜けちまったせいで、深刻な人手不足なんだよ」
悠真,「月嶋の風紀委員会もそんな話をしてた気がするが……」
爽,「まぁ、結論から言うと、向こうの役員とうちの役員が熱愛しちまってな」
そう言えば、恋愛沙汰と言っていたが。
爽,「そのままごっそり抜けちまったわけさ。仕事より恋が大事~とか言ってな」
悠真,「はた迷惑な話だな」
爽,「んで、次の選挙までに何人かメンバーを補充しなきゃならないんだが……」
そこで言葉を区切って、しっかりと俺の顔を見据える爽。
爽,「うちの会長が悠真に興味を持っててさ」
悠真,「……俺に?」
爽,「例の貼り紙を見たんだよ、賞金首のヤツ。それで一度、悠真に会ってみたいらしくてな」
悠真,「物珍しさだろ? そんなよくわからない人間を生徒会に迎え入れたがるなんて、どうかしてるぞ」
爽,「まぁ、入れとは言わないから、会うだけ会ってみてくれないか?」
悠真,「……悪いが、生徒会の活動自体に興味がないんだ。それとあいにく、放課後の予定は埋まっててな」
保健室を根城にしている、教師らしさがかけらも無い
養護教諭を思い浮かべながら、そう返す。
それと正直、今の生徒会にいいイメージがないというのもある。
こっちは、ふざけた貼り紙に許可を出されて迷惑してるんだしな。
葵,「はーい、ホームルームを始めまーす。立ってる人は自分の席に着いてねー」
爽,「おっと、今日も元気だなー未亡人先生」
悠真,「お前も早く席に戻ったほうがいいぞ」
爽,「へいへい。でもさっきの話、考えといてくれよな」
悠真,「…………」
爽の言葉には答えず、前を向く。
葵,「あ、痛っ!?」
そうこうしている間に、葵さんがつまずきながら教壇にあがった。
葵,「こほんっ。えっと、今日はみんなも知っている通り、入学式のあと、1年生との対面式があります」
葵,「入学式の間、在校生は春休みの課題テストを[――]」
女子生徒A,「あれー? 先生、今日もジャージなんですか?」
女子生徒B,「昨日、ビシッと決めてくるって言ったのにー」
葵,「あっ!ど、どどどどうしよっ!わたしったら、ついうっかりしてっ……」
あわあわとあわてだす葵さんに、クラスのみんなは可愛いだの言ってもてはやす。
さすがにこればかりは、フォローできそうもないな……。
課題テストが終わった後、俺は対面式の前に保健室へと来ていた。
悠真,
「今日の対面式、出ないのか?」
奈緒,「保健のセンセーはここでお留守番だ。ああいう集会じゃ、具合が悪くなるのもいるから待機しておかないとな」
悠真,「そうか。一応、仕事はしているようで安心した」
奈緒,「それより、こんな短い休み時間まで顔を出さなくていいんだぞ?」
悠真,「別にあんたの顔を見に来たわけじゃない」
奈緒,「お前も素直になれないお年頃ってヤツか」
悠真,「じゅうぶん素直なつもりだぞ」
現に、別の用事があって来ただけだしな。
奈緒,「しかし、葵は大丈夫なのか?さっきも半泣きでアタシんところに来たが……」
悠真,「葵さんが?」
奈緒,「対面式に着る正装を貸してくれだとさ。アタシとじゃ服のサイズが違うから、制服を持て余した新入生みたいになってたわ」
悠真,「貸したのかよ」
奈緒,「面白そうだったからな」
式のあと、またしてもクラスメイトから持てはやされる姿が目に浮かぶ。
生徒に可愛がられるのも、それはそれで葵さんの長所には違いないが。
奈緒,「お前もそろそろ行かないと式に遅れるぞ」
悠真,「そうだな。じゃあ、これ」
奈緒,「なんだその飴?」
悠真,「昨日、帰る前にここの飴を頂いて行ったから、補充しとく」
奈緒,「あーん」
悠真,「口を開けてどうした?」
奈緒,「アタシになめさせろ」
悠真,「自分で好きなだけ口に入れればいいだろ」
奈緒,「……つーか、飴ぐらい勝手に持ってけ。そんなことでアタシが怒るとでも思ったか?」
悠真,「思わないから持ってきたんだよ。あんたは意外と損をする性格してるからな」
奈緒,「…………」
悠真,「じゃあ、対面式に行ってくる」
式も間近だからだろうか、保健室を出た廊下は静まりかえっていた。
悠真,「さて、と」
このまま体育館に行くと早すぎるかもしれないな……。
などと考えていると。
杏,「おーい、おーい、はろー?」
悠真,「ん?」
杏,「大丈夫? あたしの声、聞こえてるー?」
杏,「んーどうしようかな、下手に動かすのは危なそうだし……」
何かあったのだろうか。
あの見かけない制服は、うちの生徒じゃないっぽいが……。
悠真,「どうしたんだ?」
杏,「うん、貧血を起こしちゃったみたいでね。急にこの子が倒れ込んできたんだ」
悠真,「なら、保健室に運ぼう」
杏,「動かしても平気?」
悠真,「倒れた時、頭とか打ってたか?」
杏,「ううん、それはへーき。あたしがガッチリ受け止めたから」
悠真,「そいつはお手柄だな」
杏,「あ、運ぶの手伝おっか?」
悠真,「手伝いはいいから、一緒に来てくれ。膝、擦りむいてるぞ」
杏,「このぐらい大丈夫。それより早くこの子を運んであげて?」
悠真,「そうだな……なら、ちょっとここで待っててくれ」
杏,「わ、すごっ。軽々とお姫さま抱っこ……」
悠真,「すぐ戻る」
奈緒,「んー、どうした?」
悠真,「貧血で倒れたみたいだ。見てくれるか」
奈緒,「わかった。そっちのベッドに寝かせてくれ」
悠真,「ああ、了解。それと絆創膏もらっていくぞ」
すぐに廊下へと戻るも、あの女性はいなくなっていた。
悠真,「どこに行ったんだ……?」
さっと視線を巡らすと、廊下を歩く彼女の後ろ姿が目に入る。
悠真,「……はぁ」
待ってろって言ったはずなんだがな。
悠真,「おい、ちょっと待ってくれ」
杏,「待ちませーん。ありがとね、保健室に運んでくれて」
そうは言うが、膝から血が出ていた女性を放っておく訳にはいかない。
悠真,「……いいから、止まれ!」
杏,「!?」
強引に手首をつかんで振り返らせる。
その瞬間、吸い込まれるように目を奪われた。
尋常じゃない瞳の力。
身動きができなくなるほど、その独特な光彩に引きこまれる。
杏,「……見かけによらず強引なんだ、キミって」
悠真,「待ってるように言っただろ?」
杏,「このぐらい大丈夫だとも言ったけど?」
話してるうちに、片側の頬が不自然に赤くなっていることに気付く。
悠真,「その頬はどうしたんだ?」
杏,「え、なにかおかしい?」
悠真,「赤くなって腫れてる」
杏,「あーさっきの子、階段の上のほうから倒れてきてね。受け止めたときに肩でもぶつかったのかな」
悠真,「ちゃんと冷やしたほうがいいぞ」
杏,「このぐらいへーきだってば。ていうか、キミ……」
悠真,「あとこれ、絆創膏。擦りむいた膝に」
杏,「……ありがと。キミ、浅葉悠真クンだよね?」
悠真,「なんで俺の名前を?」
杏,「だってキミ、有名人だし。ちなみにあたしはキミのひとつ年上、3年生だよ」
悠真,「なら保健室に行きましょう、先輩」
杏,「堅苦しいから呼び捨てでいいってば。[神鳳杏,じんぽうあん]、それがあたしの名前」
杏,「これでもこの学園の生徒会長さんなんだ」
悠真,「……生徒会長、だって?」
再び脳内に浮かび上がる賞金首のポスター。
昨日から何かと俺を悩ませるソレの隅には、確かに生徒会の印鑑が押されていた。
つまり[――]
悠真,「あのポスターを掲示する許可を出したのは、神鳳先輩ですか?」
杏,「だから、杏で良いってばー……って、ポスター?」
悠真,「俺の賞金首ポスターですよ」
杏,「ああ、アレかぁ。そうだよね、キミにとっては良い迷惑だろうし……」
悠真,「……ま、その件について今はあとにしましょう。他に痛いところはないですか?」
杏,「……ちょっと手首が痛いかな」
悠真,「あっ……」
そう言われて、先輩の腕をずっと握りっぱなしだったことに気づく。
悠真,「すみません、気付きませんでした」
杏,「へー、もっと俺様最強な子かと思ってたのに、きちんと謝れる子なんだ」
悠真,「そんな偉そうに振る舞っているつもりはないのですが」
杏,「だってほら、キミって女の子にモテるみたいだし?鼻がにょっきにょきに伸びきってるのかな~って」
悠真,「…………」
杏,「あれ、怒っちゃったの?」
悠真,「別にそういうイメージでもかまいませんよ。とにかく頬の治療だけはしてもらってください」
杏,「さっきの子みたいにお姫様だっこは~?」
悠真,「あいにく、健康な人にそういうサービスはしてません」
杏,「健康じゃないよ、ケガ人だよー」
悠真,「なんでもいいですから。早く保健室へ行きましょう、神鳳先輩」
杏,「あのー」
杏,「年頃の女の子にこれはないと思うんですけどー」
奈緒,「よく似合ってるぞ、その湿布。なあ、悠真?」
杏,「や、似合ってませんって! 乙女なんですよ、乙女!嫁入り前の大事な時期に、なんてことをしてくれちゃってるんですか!」
奈緒,「文句があるならそいつに言え。アタシだったら、普通は治療せずに放置してる」
杏,「じゃあ、キミに文句を言ってもいい?」
悠真,「保健室では静かにしてください」
なんとなく気付いてはいたけど、どうやらウチの生徒会長は無駄に騒がしい人らしい。
とりあえず治療も済んだし、出て行くとするか。
悠真,「じゃ、思わぬ復讐もできたので、そろそろ失礼します」
奈緒,「復讐って何のことだ?」
悠真,「先輩の情けない声を聞くのと、頬に湿布を貼ってもらうこと」
杏,「むぅー、どうしてそんなイジワルを言うかなぁ?」
悠真,「……賞金首のポスター」
杏,「うっ」
奈緒,「ああ、そういやあのポスターは生徒会公認になっているのか」
悠真,「あれには少々悩まされているんです。せめて先輩の情けない声でも聞かないと、俺が報われません」
奈緒,「ならついでに、神鳳の写真でも撮ったらどうだ。なぁ、神鳳?」
杏,「うう……撮影はNGですよぉ」
奈緒,「すまん、断られた」
悠真,「弱いな、養護教諭」
別に本気で先輩の写真を撮りたいわけじゃないが。
奈緒,「ま、それはともかく。お前ら、とっとと対面式に行ってこい」
悠真,「ああ……って、そう言えばベッドの方は?」
奈緒,「ただの寝不足だろう。ぐっすり寝てるぞ」
悠真,「そうか……なら良かった。それじゃ先輩、お大事に」
杏,「あっ、待って待って!じゃねっ、佐和田センセー」
奈緒,「まったく……手間の掛かるヤツらだ」
保健室を後にした俺は、教室へと向かっていた。
杏,「ちょっとちょっと、歩くの速くない?」
悠真,「神鳳先輩は湿布くさいですよ」
杏,「キミが貼らせたんでしょっ!?」
悠真,「貼ったのは佐和田先生ですし」
本当はこのまま歩き去ってもよかった気はするが、
俺は足を止めて先輩の用件を聞くことにする。
悠真,
「で、まだ何か用があるんですか?」
杏,
「せっかくだし、話題の賞金首さんともう少しお話ししようかなと思って」
悠真,「あのポスターを貼り出した理由を聞かせてもらえるなら、いいですよ」
杏,「う。それは……」
悠真,「納得できるかはともかく、なにかあるんじゃないですか?話してください。聞きますよ」
杏,「んーと、話せば長くなるんだけど……」
言葉を選ぶように考え込む先輩。
それほどまでに複雑な理由なのか?
杏,「……つい、うっかり?」
どうやら、まったくそんなことは無さそうだった。
杏,「あのポスター作ったの新聞部なんだけどね?許可下さ~いって持ち込まれたとき、ちょうど手が離せなくて」
悠真,「まさか、まともに見ないでハンコ押したんですか?」
杏,「ううん。勝手に押して~って、ハンコ渡しちゃった。てへっ♪」
悠真,「…………」
杏,「あ、もしかして怒ってる?」
怒ってるんじゃなく、呆れているだけだ。
しかしなんというか、そこまで言われたら憎むものも憎めないというか。
それにどうやら、迷惑をかけたって言うのはわかってるみたいだしな。
悠真,「……ま、復讐も済んだことだし。そういうことならわかりました。チャラにします」
杏,「え? 良いの?」
悠真,「いつまでも根に持っててもいいですか?」
杏,「あ、うそうそ! 人に恨まれるのは怖いからねー」
途端に破顔する先輩。
悠真,「それで? 話はなんですか?」
杏,「あー、うん。そのポスターの件で、謝っておこうかなって」
悠真,「あんがい律儀なんですね」
杏,「これでも生徒会長だからねー。……ところで」
悠真,「? まだ何かあるんですか?」
杏,「うん。あのさ、もしかしてキミって変な人?」
悠真,「初対面の後輩をつかまえて、いきなりなにを言っているんですか?」
杏,「だって、初対面の相手なのに過保護だし。ポスターのこともあっさり許しちゃうし」
悠真,「過保護って、怪我の治療のことですか」
杏,「普通あそこまで親切にされたら、コイツあたしに気があるのかな~って思うよね」
悠真,「もう一度言っておきますが、そういうつもりは毛頭ありませんから」
杏,「そこまでキッパリ否定されると、それはそれで女の子としてのプライドが傷つくなぁ」
なんて、それほど傷ついた様子もなく答える神鳳先輩。
杏,「でもね。あたし、そんなキミに興味が出てきたんだ」
悠真,「……は?」
突然なにを言い出すんだ、この生徒会長は。
杏,「どうしてあたしを助けたのかな、とか。一体どうしてキミはそういう子に育ったのかな、とか」
そう言って、先輩はその吸い込まれそうな瞳を俺へと向けてくる。
悠真,「いきなり他人の生い立ちに興味を示す先輩も、そうとう変な人ですよ」
杏,「気を悪くしちゃったならごめんね?」
悠真,「いえ、構いませんが……」
杏,「それで、キミはどうしてあたしに親切なことをしようと思ったの?」
悠真,「怪我人を放っておくのも気持ち悪いですからね。自己満足に付き合わせただけです」
杏,「本当に?」
『それだけじゃないよね?』
そんな意味が含まれていると感じた俺は、仕方ないなと思いながらも続く言葉を口にする。
悠真,「……ただ、こう思っているだけです」
悠真,「目の前で怪我をしている子が居て、それを見てみぬ振りをすることが、俺にはできない」
そう、それは確かに、俺の生い立ちに関わることだ。
悠真,「もしその子の傷が残っている姿を見たら、後になって俺は後悔してしまうに違いないから」
誰かの悲しい顔は、もう見たくない。
それが身近な人であろうと、例え見ず知らずの他人であろうとも変わることが無い……それだけだ。
悠真,「嫌なんですよ。万が一にも、誰かが泣くようなことになってしまうのは」
杏,「…………」
悠真,「だから、出来ることはやっておきたい。要約すると、自己満足になるでしょう?」
杏,「ふふっ、確かにそうかも」
悠真,「なので、また湿布を貼られたくなければ頬は大切にしてください」
杏,「うっ……今、キミをカッコイイと思った、あたしの気持ちを返して欲しくなったなぁ」
悠真,「カッコよくなんて無いですから、どうぞお返しします」
『それじゃ』と軽く頭を下げて通り過ぎようとするも、俺の行く手をさえぎる先輩。
杏,「待って待ってっ、もうちょっとだけお話させて?」
悠真,「すいません、対面式もありますし続きはまた今度。というか、先輩も出ないといけないはずでは?」
杏,「また今度……ね。よしよし、そういうことなら話は早いかな♪」
悠真,「先輩?」
杏,「今度があるなら、あたしとキミは今から友達ねっ」
悠真,「……友達、と言われましても」
杏,「いいでしょ? 悠真クン♪」
悠真,「いきなり下の名前ですか」
それが先輩の言う“友達”なのだろうけれど。
杏,「こっちを呼ぶときも、下の名前でいいからね?」
悠真,「……わかりました、神鳳先輩」
杏,「強情だなぁ、悠真クン……って、あれ?どこ行くの?」
悠真,「ですから、対面式ですよ。神鳳先輩も急いだ方がいいんじゃないですか?」
杏,「あ、ちょ、ちょっとぉ! んもぉ……」
杏,「…………」
杏,「浅葉悠真クン、ね。やっと会えた」
杏,「でも実際に話してみた感じだと……」
杏,「……この賞金額は、安すぎると思うな」
[――]放課後。
無事に式とHRを終えた俺は保健室にいた。
奈緒,「対面式はどうだったんだ?」
悠真,「何事もなく平和に終わったよ。そっちは?」
奈緒,「飴なめてた」
悠真,「いつも通りだったってことか」
保健室が平穏無事というなら、それは何よりも喜ばしいことだ。
悠真,「さっきの女子生徒は?」
奈緒,「ああ、さっきクラスのヤツが迎えに来て、戻っていった。元気そうだったぞ」
悠真,「そうか」
この人の見立て通り、ただの寝不足だったのだろう。
奈緒,「あれから神鳳とはどうなった?」
悠真,「外に出てすぐ別れたから、まともに話もしていない」
奈緒,「あいつにしては珍しい淡泊っぷりだな」
悠真,「先輩のこと、よく知ってるのか?」
奈緒,「うちの学園では有名な生徒会長だろう。あいつのことだ、対面式ではふざけた挨拶をしたんじゃないのか?」
悠真,「いや、なんか急な用事ができたとかで、爽……副会長が代わりに挨拶してたぞ」
『みんな、もっとご飯を食べよう!』
……という必死な訴えだったが。
しかしそれはそれで、ふざけた挨拶には違いない。
悠真,
「そもそも、なんであの人だけ着てる制服が違うんだ?」
奈緒,「あれは生徒会長用の特注らしい。うちの制服は似合わないんだと」
悠真,「似合わないって……そんなことしていいのか?」
奈緒,「あいつはうちの学園の理事長と親しいらしいからな」
悠真,「多少のワガママは通るってわけか」
奈緒,「なんだ、神鳳のことが気になるのか?」
悠真,「……そんなんじゃない。ただ、やたら派手で目についただけだ」
知り合ったばかりの相手に、友達になろう……とか、俺にはなかなか言えそうにもないセリフだと思う。
悠真,「…………」
そんな、廊下で話したときのことを思い返していると、あの先輩の笑顔も一緒に思い浮かぶ。
確かこんな感じに……。
奈緒,「おい悠真。気色悪い笑い方をするな」
悠真,「生徒に向かって、気色悪いとはどういうことだ?」
奈緒,「お前は普段から表情が固いんだよ。たまに笑うと、歪んだ顔に見えて気色悪い」
悠真,「歪んだ顔? 俺がか?」
奈緒,「ああ、お前がだ。鏡の前で笑ったことはあるか?」
悠真,「自分の笑顔を見ようだなんて思わないだろ、普通」
奈緒,「なら、今度見てみると良い。驚くぞ」
悠真,「そこまでか?」
奈緒,「ああ、そこまでだ。表情さえ動かさなければ、いい男に見えるんだがな」
悠真,「そんな褒められ方されても嬉しくないぞ」
奈緒,「神鳳も似たようなもんだ。口さえ開かなきゃ、いい女なんだがな」
そう言って、さりげなく神鳳先輩のフォローを入れる。
悠真,「さぁな。俺にはよくわからん」
奈緒,「わかってやれ。あの性格だから、いろいろと損をしているんだよ」
悠真,「……へぇ」
この人も、言葉遣いでかなり損をしているタイプだ。
口さえ開かなければ、男の一人や二人くらいはすぐ捕まえられるだろうに。
悠真,「さて、と……。仕事も終わったし、俺はもう帰るぞ」
喋りながら動かしていた手元を止め、借り物の白衣を脱いで綺麗にたたむ。
奈緒,「アタシも今日はこれであがるから、家まで車で送ってやろうか?」
悠真,「遠慮しとく。あんたも仕事が早く終わる時ぐらい、ゆっくり休んだほうがいいぞ」
奈緒,「そういうことばっかり言ってるから、お前は賞金首なんかにされるんだ」
悠真,「……知るかよ、そんなの」
奈緒,「気をつけて帰れよ」
悠真,「ああ。じゃあな」
校舎を出ると、空の上のほうに夜の帳が差し掛かる。
きっと葵さんも心配しているだろうし、早く帰ることにしよう。
そんなことを考えていると、ふと脳裏に昼間のことが浮かんでくる。
杏,「どうしてあたしを助けたのかな、とか。一体どうしてキミはそういう子に育ったのかな、とか」
俺がこういう人間になった理由……か。
胸の鼓動に手を当てながら、そのことに思いを馳せる。
……なんてことはない。簡単なことだ。
ふと、満開の桜を見上げ、遠い過去のことを思い浮かべる。
そして、そんな過去の幻影に語りかけるように呟く。
悠真,「これは、お前に貰った命だ。無駄になんかしない、誰かのためにこの命を使う」
悠真,「最後のその時まで、俺は全力で生きていかないといけない。……そうだろ?」
悠真,「いつか、もう一度会えるといいんだがな」
それが簡単なことではないのは知っている。
なにしろ、相手は……。
悠真,「さて、と」
葵さんから電話が掛かってくる前に、帰るとしよう。
悠真,「ん?」
家の前まで来て、首を傾げる。
なぜなら、家の前にバカでかいダンボール箱が置いてあるからだ。
悠真,「…………?」
なんだこれ? 葵さんが何か通販でもしたのだろうか。
悠真,「…………」
とりあえず、このまま放置しておくわけにもいかない。
用心しながら、ゆっくりと近づいてみる。
悠真,「…………」
見たところ、どうやら封はされていないらしい。
さて、中には何が[――]
ティナ/謎の少女,「…………」
悠真,「…………子供?」
ティナ/謎の少女,「あ、いえ。せくしーがーるですが」
悠真,「そうか」
そのまま段ボールを閉じようとしたところで、子供が声を上げる。
ティナ/謎の少女,「けっして、あやしい者では」
そうは言うが、明らかに怪しい。
何より、そこのふざけた大きさの刃物がことさら怪しい。
悠真,「なぁ、それは……って」
よく見ると、それは大きな鎌だった。
ティナ/謎の少女,「あ、これは……ええと。草刈りをしていましたので」
悠真,「…………」
こんなものを持っているということは、もしかしてコイツは[――]
ティナ/謎の少女,「ほんとうに、あやしい者では」
悠真,「この状況で、その言葉を信じろと言うのか?」
ティナ/謎の少女,「…………」
悠真,「そんな同情を誘うような目で見てもダメだ」
ティナ/謎の少女,「あなたも好きものですね」
悠真,「色気もないのに、生足で誘うな」
ティナ/謎の少女,「この世の中、しんじられるものはなにもありません」
悠真,「だからって開き直るな」
ティナ/謎の少女,「どうすればいいのでしょう」
悠真,「それはこっちの質問だ」
普通じゃないっていうのは、最初に見た時からわかっている。
問題は、こいつの正体だ。
悠真,「とにかく、そこから出てこい。じゃないとガムテープで封をして、そのまま離島へ宅配するぞ」
ティナ/謎の少女,「それはあんまりだとおもいます」
奇妙な少女は鎌を抱えつつ、もぞもぞとダンボールから這い出してくる。
悠真,「で? そんなダンボール箱に入って何をしてたんだ?」
ティナ/謎の少女,「ダンボールあたたかいです」
悠真,「……そういうことを聞いているんじゃなくてだな」
ティナ/謎の少女,「ぶつんですか?」
悠真,「少女を虐待する趣味など無い。それより……」
俺は、その子の持ち物を指して質問をする。
悠真,「そのバカでかい鎌はなんなんだ?」
ティナ/謎の少女,「ですから、これは」
悠真,「これは?」
ティナ/謎の少女,「……草刈りにつかいます」
悠真,「そんな理由で、納得するとでも思ったのか?」
ティナ/謎の少女,「思ってません」
悠真,「……とにかく、ココに居座らないで帰ってくれ。家に入れないだろ」
ティナ/謎の少女,「帰るところありません」
悠真,「無いって……親は?」
ティナ/謎の少女,「いません」
悠真,「じゃあ家は……」
ティナ/謎の少女,「ダンボールあたたかいです」
悠真,「それはさっきも聞いた」
頭の中で情報を整理しながら、一番の懸念事項に触れてみる。
悠真,「なぁ。お前は何者で、何をしに来たんだ?」
ティナ/謎の少女,「…………」
ストレートな問いかけに、謎のダンボール少女は鎌の柄を握りしめる。
ティナ/謎の少女,「わたしは」
悠真,「正直に話してくれ。よほどのことがない限り、驚いたり怒ったりしないから」
ティナ/謎の少女,「……わかりました」
ダンボール少女は小さくうなずいて俺を見つめてくる。
ティナ/謎の少女,「わたしは、恋の妖精です」
悠真,「…………」
ティナ/謎の少女,「ほんとうです、信じてください」
悠真,「嘘だよな?」
ティナ/謎の少女,「ちがいます、ほんとうに恋の妖精なんです」
必死な様子で、そう訴える少女。
ティナ/謎の少女,「わたしは、あなたの恋を叶えにきました」
悠真,「悪いな、昔からそういうのに興味ないんだ」
ティナ/謎の少女,「知ってます」
悠真,「なら、どうしてその恋の妖精さんが俺のところへ来るんだ?」
ティナ/謎の少女,「それは……」
いちいち、身の丈以上もある鎌が目に止まる。
その大きな鎌で何をしようというのか。
少女が言ったとおり、草刈ではないことだけは確かだ。
俺は小さなため息を一つ。
悠真,「ダンボール、片付けておくんだぞ」
ティナ/謎の少女,「…………」
少女を無視して、俺は家に入ろうとする。
ティナ/謎の少女,「でも」
そんな俺の背中へ向けて、そいつは語りかけてくる。
ティナ/謎の少女,「恋をしたらかわると思うんです」
ティナ/謎の少女,「今より幸せになれると思うんです」
何を言っているんだろう、この少女は?
ティナ/謎の少女,「だから……恋を、しませんか?」
本当に、わけがわからない。
悠真,「……いい加減にしてくれ」
少女が持つ大きな鎌を見て、小さなため息が漏れる。
こんなモノを持った恋の妖精なんて、聞いたことがない。
俺が知る中で唯一、鎌を持つ者がいるとすれば。
それは恐らく[――]
[――]恋から、最もかけ離れた存在だ。
悠真,「違うだろ、お前は。恋の妖精なんかじゃなくて[――]」
こなみ,
「兄さん、帰ってきてるの?」
こなみ,「やっぱり帰ってきてたんだ。外から兄さんの声が聞こえた気がして」
耳慣れた妹の呼び声に視線を向ける。
だが、こなみを見て振り返ったその瞬間には。
こなみ,「兄さん、この大きいダンボールは……?」
悠真,「ああいや……」
今までそこにいたはずの奇妙な少女は、もうどこにも見当たらなかった。
悠真,「あのダンボールは俺があとで片付ける。暗いから中に入ろう」
こなみ,「…………」
悠真,「こら、俺の心を読もうとするな」
こなみ,「そんなに万能じゃないよ、わたしは」
俺は、夢でも見ていたのだろうか。
こなみを促しながらも、視界の端に映るダンボールだけが、あれは現実だったと俺に主張してくるのだった。
あの後。
しばらくして外に出ると、すでにダンボールの箱はなくなっていた。
恋の妖精と名乗った少女の姿も見当たらない。
こうなると、ますます現実だったのか自信がなくなってくるな……。
それはともかく、夕食後。
俺はというと、妹の部屋にお邪魔させられたりしていた。
悠真,「これでどうだ?」
こなみ,「うっ……」
ふだん無表情の妹の顔が歪み、好手だと言うことがわかる。
いや、好手というか……なるほど。
詰んだのかもしれないな、これは。
悠真,「待ったするか?」
こなみ,「兄さん。真剣勝負の世界には、待ったなんてないよ」
悠真,「じゃあ、どうする?」
こなみ,「……参りました」
こなみの投了の言葉を最後に、本日の対局は終了となった。
こうした手合わせは、兄妹のコミュニケーションとして浅葉家では日常の風景になっている。
もっとも俺から誘うというよりも、こなみから仕掛けてくることのほうが圧倒的に多いが。
こなみ,「わたしの桂馬さんが……」
悠真,「好きだよな、桂馬」
こなみ,「だって、動き方が面白くてプリティーだし」
悠真,「……よくわからん」
こなみは、桂馬を取られると途端に調子を崩すほど、桂馬が好きらしい。
なので、こなみと対局する時は、ある意味王将よりも重要視している。
今回の対局でも、真っ先に桂馬を取りに行ったのは言うまでもない。
こなみ,「それじゃ、一枚脱ぐね」
悠真,「おいこら、神聖な対局に変なルールを持ち込むな」
こなみ,「え? でも、そういう決まりじゃなかった?」
悠真,「それはこなみが勝手に言い出しただけだろ?」
こなみ,「記憶にございません」
と言って、まだ脱ごうとするこなみ。
悠真,「だから脱ぐんじゃない。罰ゲームなら、今度ジュースでもご馳走してくれ」
こなみ,「それは構わないけど……兄さんは女体に興味が無いの?」
悠真,「妹の裸に興味が無いだけだ」
こなみ,「母の裸は?」
悠真,「そっちにも興味は無い」
こなみ,「母と妹以外の裸は?」
悠真,「興味あるに決まってるだろ」
そんな俺の率直な発言に、ちょっと驚いた様子のこなみ。
こなみ,「女性に興味があったんだ?」
悠真,「当然だ。俺を仙人か何かとでも思ってるのか?」
こなみ,「うん、思ってた」
悠真,「残念ながら俺は、一般的な年頃の男子だよ」
こなみ,「一般的な年頃の男子は、妹のパンツを見てハァハァ言わないと思う」
悠真,「誰がいつ言った」
こなみ,「今朝の兄さん、まるで獣みたいな目でわたしのことを見てたから」
悠真,「どこがだよ」
こなみ,「昨夜も、寝ている妹の部屋に忍び込んで、こっそり下着を持って行ってたし」
悠真,「ちょっと待て。それはいつの夢の話だ?」
こなみ,「けさ見た夢」
本当に夢の話かよ。
悠真,「勝手に夢と現実をすり替えるんじゃない」
こなみ,「大丈夫、兄さんをからかってるだけだから」
悠真,「夢をネタにしてからかう前に、現実を見ろ」
こなみ,「よく見えないの。特に盤面が」
沈んだ顔で、投了した対局から目をそらすこなみ。
悠真,「……一緒に片付けてやるから」
こなみ,「ありがとう、兄さん」
さっきの表情はどこへ行ったのか、途端に笑みを浮かべる。
勝ったのは俺のはずなんだが……まったく。
我が妹ながら、良い性格している。
こなみ,「そうだ兄さん、明後日は時間ある?」
悠真,「明後日? いつものあれか?」
こなみ,「うん」
悠真,「わかった。予定もないし、大丈夫だぞ」
こなみ,「奈緒さんのお手伝いは?」
悠真,「明日のうちに片付けておくから問題ない」
こなみ,「今日の帰りは遅かったから、お手伝いが忙しいのかなって思ったんだけど」
悠真,「もう大体は片付けてきたから、すぐ終わる」
こなみ,「そっか、ならいいけど。葵さん、兄さんの帰りが遅いって心配してたよ」
悠真,「それで、ハグの時間がいつもより長かったのか」
こなみ,「わたしもハグしてあげようか?」
悠真,「妹の将来のためにも、遠慮させてもらう」
こなみ,「残念」
悠真,「そのうち、こなみにもハグする相手が現れるから。それまでの辛抱だ」
こなみ,「兄さんにも?」
しまい終えた駒の箱を横手に置き、俺はこなみの頭へと手を伸ばす。
悠真,「……こなみが彼氏を作るまではな」
こなみ,「すると兄さんは、一生ハグする相手が現れないと」
悠真,「お前は、一生彼氏を作るつもりが無いのか?」
こなみ,「今のところ、そんな予定は無いよ。昔みたいに、兄さんに面倒見てもらうから」
悠真,「昔って……小さい頃のあれか?」
こなみ,「毎日わたしの身体を気遣ってくれて、嬉しかったな」
悠真,「あの時と違って、すっかり元気だろうが」
こなみ,「うん、ピンピンしてる」
悠真,「なら、彼氏の一人くらい作ったらどうだ。ずっとこのままだと、葵さんが泣くぞ?」
こなみ,「兄さんも同罪でしょ?」
それを言われると、さすがに何も言えなくなってしまう。
悠真,「……お互い、親孝行には程遠いな」
こなみ,「心配させないようにしないとね?」
悠真,「だな」
くしゃっと髪を撫で上げると、こなみは嬉しそうに微笑むのであった。
そんな顔を見ていたら、俺も自然と[――]
こなみ,「ふふっ……良い笑顔だね、兄さん」
悠真,「……笑顔?」
こなみ,「うん。今、わたしを撫でながらニコッて」
悠真,「そういえば。俺の笑顔が気色悪いと言われたんだが、どう思う?」
こなみ,「別に。そんなことないと思うよ?」
悠真,「そうか……そうだよな」
恐らくあの人の目が狂っていただけだろう。
こなみ,「あ。でも、たまに変かも」
悠真,「変、だって?」
こなみ,「うん。変というか……歪んでる?」
悠真,「歪んでる……」
そう言えば、あの人も歪んでるだの固いだの言っていたな。
こなみ,「お店で、店員さんに接客してもらってる時とか、たまにだけどね」
悠真,「そうだったか……」
自分ではまったく意識していないが、こなみがそう言うのであればそうなのだろう。
こなみ,「多分だけど、葵さんも知っていると思うよ」
悠真,「三人一緒にいる時にも、歪んでたからか?」
こなみ,「うん」
悠真,「……そうか」
やはり、俺の笑顔には何か問題があるようだ。
;※■4月7日(日)
日耀日(星期日)
葵,「ちょっ……ちょっと待って、悠真くん! こなみちゃん!」
悠真,「どうかしましたか?」
葵,「それはわたしのセリフだよぉ。いきなりこんなところへ連れて来て」
こなみ,「何か問題でも?」
葵,「まだお洗濯が残ってたのに~」
日曜日。
俺とこなみの二人で、葵さんを連れて駅前まで来ていた。
悠真,「まぁ、洗濯は帰ってから俺とこなみでやりますから」
葵,「えっ。悠真くんと、こなみちゃんが!?」
こなみ,「葵さんの下着はわたしが担当しますので、安心してください」
葵,「そ、そうなんだ……?」
こなみ,「残念そうですね」
葵,「ち、違うの。悠真くんに下着を洗われたいわけじゃないよっ!?」
悠真,「別に俺が洗っても構いませんが」
葵,「そ、そんな……駄目だよ、悠真くんっ」
悠真,「恥ずかしがる物でもないですからね。母親のですし」
葵,「母親……そ、そっか……」
こなみ,「まだ女として見られたいお年頃ですか?」
葵,「そ、そそそんなことないよっ!?これは、息子の成長を喜ぶ母親としての感情でね!?」
こなみ,「はい。ちゃんと分かってますから」
葵,「……本当だからね?」
こなみ,「つまり、兄さんに全部洗濯させれば良いんですよね?」
悠真,「さりげなく、ぜんぶ押しつけようとするんじゃない」
葵,「うぅ、本当に分かってる……?」
そんな葵さんを見ながら、楽しそうにするこなみ。
悠真,「それで、葵さんを連れ出した理由ですが」
俺はこなみの頭をこつんとつついて、葵さんに用件を述べる。
悠真,「いつもがんばってくれている葵さんに、俺たち兄妹からのささやかなプレゼントです」
葵,「プレゼント? もしかして……」
こなみ,「今日の炊事洗濯は、すべて兄さんとわたしに任せてください」
悠真,「お昼も、ご馳走します。といっても、お小遣いから払える程度の安い外食ですが」
こなみ,「せっかくのお休みですし、めいっぱい楽をしてください」
俺とこなみがお世話になっているのは、紛れもない事実だ。
そんな、守られている俺たちに出来ることといえば、こんな些細なことくらいしかない。だから、そんな日ごろの恩も込めて[――]
悠真,「いつもありがとうございます。葵さん」
こなみ,「ありがとうございます」
こうして、頭を下げるのだ。
葵,「悠真くん……こなみちゃん……」
そんな俺たちを前にして、葵さんはじんわりと瞳を潤ませる。
葵,「二人とも、大好きっ!!」
そう言って、葵さんはこなみと俺へ、猛烈な愛情をハグで表してくれるのだった。
葵,「う~ん、お腹一杯♪」
昼食を終えて、俺たちは並んで駅前大通りを歩いていた。
ここは駅から延びている歩行者専用の舗道で、大小様々な店が軒を連ねる。
今日は特に、若い家族連れやカップルの姿が目立つようだ。
葵,「んふふ~」
こなみ,「葵さん、ご機嫌ですね」
葵,「うん、お母さんは大満足だよっ♪」
悠真,「たかがファミレスでそういわれると、次はもっと良いところに連れて行きたくなるな」
こなみ,「今度は高級レストランでも行く?」
悠真,「なるほど、それもいいかもな」
葵,「ううん、値段は関係ないの。二人がもてなしてくれていることが嬉しいんだから」
こなみ,「そういうものですか?」
葵,「そういうものなのっ♪」
とても満足そうに笑う葵さん。
我が家のこうした催しは珍しくなく、俺とこなみの時間とお金に都合がつけば、頻繁に行っていた。
勿論、誕生日や母の日なども精一杯もてなしている。
こなみ,「喜んでもらってよかったね、兄さん」
悠真,「ああ、やってよかった」
葵,「じゃあじゃあ、次はお母さんが息子と娘にご褒美あげちゃうねっ!」
悠真,「ご褒美、ですか?」
葵,「と言うわけで、まずはこなみちゃん!」
こなみ,「え、わたし?」
葵,「さ、お洋服を見に行きましょう!」
こなみ,「あ……ちょ、に、兄さん、助け[――]」
葵さんの勢いに飲まれたこなみは、そのまま連れて行かれる。
悠真,「けどまぁ」
あれだけ喜んでくれるなら、やり甲斐があるな、と。
改めて感じる。
俺たちみたいな歪な親子のコミュニケーションは、多分これくらい大げさでちょうど良いのだろう。
そうした母の愛情を受け取るのも、俺たちの役割だと思う。
そう……母の愛情。
それがどんなものかを、俺たちは知らない。
俺もこなみも、本当の母親をまだ物心つく前に亡くしているからだ。
死んだ父親に聞いた話では、こなみを産んですぐのことだったらしい。
だから、こういった催しは葵さんのためではあるが。
その実、妹のためでもあるし、俺のためでもあった。
悠真,「親……か」
葵さんには、本当に感謝している。
……いや、してもしきれないくらいだ。
こんなことでは返せない恩を、俺たちは受けているのだと思う。
だから葵さんには……。
いや、葵さんだけじゃない。
大事な人には、ずっと笑顔で居て欲しい。
それが俺の、偽らざる本当の気持ちだった。
悠真,「もうあんな思いは……」
そう。あんな思いはもう、したくない。
耳をつんざく、タイヤの擦過音。
それが聞こえたと思った瞬間、僕は宙に舞い上がっていた。
そして鈍い衝撃とともに、地面へと強く打ち付けられる。
わずか一瞬のことに、僕はこの時、何が起こったのかすら理解できずにいた。
悠真,「う……ぁ……」
体を動かそうとして痛みが走る。
その痛みに顔を歪めると、次は鼻につく血の臭いに気づく。
血がどこから流れ出ているのか、僕は初めてそのことに気付いた。
悠真,「僕の……血?」
自分はどうして血を流して倒れているんだろう?
そう考えていた僕に、慌しく駆け寄ってくる足音。
やがて、何度も声をかけられていることを理解する。
だけどこの時は、僕の視界も聴力も、何を見ているのか、何を聞いているのかすらあやふやで。
悠真,(ダメだ……ちからが出ないよ……)
固く冷たいアスファルトへと、顔を埋めるようにして沈んでゆく。
そしてなんとなくだけど悟った。
悠真,(死ぬの……かな?)
ゆっくりと目を閉じる。
そこは、痛みも苦しみも無い世界が広がっていた。
このままこうしているだけで楽になれるんだって、簡単に理解できてしまう。
ティナ姉/???,「ねぇ。キミは、それでいいの?」
唐突に、そんな声が聞こえた。
とても優しくて、とても悲しい。
色々な感情を内包しているような、不思議な声。
そんな問いかけに、僕は言葉を振り絞る。
悠真,「い……や、だ……」
力の限りそう答え、目を開く。
するとそこには[――]
ティナ姉/???,「そう……だよね。いやだよね」
紅い瞳、綺麗な髪、大きな鎌。
あまりにも異質で、異様なその女性は、僕を悲しげに見下ろしていた。
悠真,「だ……れ……?」
ティナ姉/???,「わたし? わたしはね……死神」
悠真,「し……に……がみ……?」
ティナ姉/???,「そう、死神。あなたには、わたしが見えるんだね」
その言葉は、どういうことなのか。
ティナ姉/???,
「死神が見えるのはね、今から死ぬ人だけなの」
ティナ姉/???,「だから、ね。あなたは……」
悠真,「しぬ……の?」
こくり、とお姉さんはうなずく。
その瞬間、脳裏に浮かんだのは、僕の帰りを待っているはずの、父さんとこなみの顔だった。
悠真,「いや……だ……、だめ……」
二人の笑顔が凍り付く様子が、どうしてかとてもリアルに思い浮かんでしまう。
ティナ姉/???,「ねえ、そんな顔をしないで?苦しくないから。死んだら、楽になれるから」
この時の自分がどんな顔をしていたのか、僕にはよく分からない。
けど[――]
悠真,「あ……あ……お姉さん……も」
僕は、気付いてしまった。
悠真,「どうして……そんなかお……してる、の」
ティナ姉/???,「そんな顔って? わたし、どんな顔しているの……?」
悠真,「なきそう、な……」
そう。
どうすればいいのか、わからない顔だ。
ティナ姉/???,「そっか……うん、そうかも」
ティナ姉/???,「だってわたし、あなたに死んでほしくないから」
悠真,「しにがみ……なのに?」
ティナ姉/???,「うん、死神なのにね。ほんとに、わたしってこういうの向いてないなぁ」
それどころじゃないはずなのに、自分のせいなのだろうかと申し訳ない気持ちになる。
ティナ姉/???,「やっぱり、哀しい顔より笑顔が見たいんだ」
なぜだかそんなお姉さんを見ていられなくて、僕はどうにか力を振り絞って笑おうとした。
でも、それはきっと、上手な笑顔にはならなくて。
ティナ姉/???,「くすっ……ありがとう。優しいんだね?」
それからお姉さんは、ぎゅっと目を閉じてほんの少し何かを考える。
ティナ姉/???,「……ねえ、助けてあげようか?」
悠真,「僕……しぬんじゃ……ないの?」
ティナ姉/???,「うん……あなたの命は、ここで尽きるわ」
ティナ姉/???,「だからね、あたらしい命をあげる」
ティナ姉/???,「ここに一つ、あげられる命があるから」
朦朧としていく意識の中。
僕はお姉さんの言葉の意味を理解していなかった。
ティナ姉/???,「でもね、一つだけお願いしてもいいかな?」
悠真,「な……に…………?」
ティナ姉/???,「哀しい顔は、もう嫌だから」
ティナ姉/???,「わたしの代わりに、みんなを[――]」
ティナ姉/ ,『笑顔に、してね?』
あの人のことについて、俺が覚えているのはそこまでだ。
それが夢だったのか、現実だったのか。後になってみればそれすらも曖昧でよくわからない。
気がついたとき、俺は病院のベッドの上で。
何かチューブとか、機械とか、いろんなものがくっつけられていたのは覚えている。
そしてまず、最初に父さんやこなみの泣いている顔が飛び込んできて。
悠真,(……ごめん、なさい)
誰かを泣かせてしまったことが、ただ無性に哀しくて。
本当は死んでいたはずだと考えると、その涙は、とても重く苦しく僕の胸を締め付けてきて。
悠真,(……生きてる、から)
どうにかそれを訴えながら、ただ僕はひたすらに。
『笑って欲しいな』……と、願っていた。
散々、葵さんのお返しに付き合った帰り道。
こなみ,「お洗濯する時間、もうないね」
葵,「乾燥機もあるし、だいじょーぶ!帰ったら、いっぱい洗濯していっぱい乾燥させちゃおっ♪」
悠真,「いえ、だから俺たちが……」
葵,「悠真くん、お母さんの下着に興奮するのはまだ早いと思うの」
悠真,「しませんよ」
葵,「そ、そんなっ!?」
こなみ,「葵さん、葵さん。兄さんは、母と妹以外の女体にしか興味ないそうです」
家族以外の異性に興味を持つのは、当然だと思うのだが。
葵,「う、うそ……」
悠真,「なんですか、その反応は」
葵,「ゆ、悠真くんは、そんな彼女がもういるの!?」
悠真,「いませんよ」
葵,「……本当に?」
こなみ,「兄さん歴の長いわたしによれば、兄さんに彼女がいないのは事実です」
悠真,「別に良いだろ、いなくても」
葵,「えっ、悠真くんモテないの!?こんなにカッコイイのに!?」
こなみ,「いえ、モテモテです」
悠真,「こら、勝手に答えるな」
葵,「ふ、不純異性交遊ね!?ダメよ悠真くん! モテちゃダメ!」
悠真,「モテてもモテなくてもダメなんですか?」
こなみ,「『悠真くんはわたしのもの!』……ってことですよね、葵さん?」
葵,「そ、そういう意味じゃなくてっ」
悠真,「こじれさせるんじゃない、こなみ」
葵,「それより、悠真くんっ!彼女さんがいないのは、本当なの?」
悠真,「ええ、本当ですよ」
葵,「そう……うん、わかった。それなら信じるねっ!」
悠真,「そうしていただけると何よりです」
葵,「でもね、悠真くん。……こなみちゃんも」
こなみ,「……? はい」
悠真,「なんでしょう?」
神妙な面持ちの葵さんに、俺たちは姿勢を正す。
葵,「今日みたいなこと、すっごく嬉しいんだよ。本当に。でもね……」
葵さんはそこで言葉を句切り、いつもの優しい表情を浮かべる。
葵,「本当ならね、わたしよりももっと自分のことに時間を割いて欲しいの」
悠真,「…………」
それは多分、葵さんという一人の女性の気持ちであり。
そしてまた、二人の子を持つ母親としての気持ちでもあるのだろう。
葵,「だからね、年相応に遊びに行ったり。彼氏や彼女を作って青春を謳歌したり……」
葵,「未熟なお母さんだけど、そう思っちゃうんだ」
俺とこなみは顔を見合わせて、互いに苦笑と言うか、それに近しい表情を表に出す。
それは葵さんの心配事が、見事に的中していると言うこともあるけれど……。
悠真,「葵さん。今日は、俺たちの大事な時間と思っちゃだめですか?」
葵,「それは……で、でもね、悠真くん」
悠真,「俺もこなみも、大事な時間を使うべき相手はわきまえているつもりです」
こなみ,「兄さんの言うとおりですよ、葵さん」
葵,「ふ、二人とも……」
葵,「大好きぃー!」
悠真,「ぐおっ」
こなみ,「く、苦しい……」
葵,「うう……こんなにできた子供を持てて、わたし嬉しい!」
悠真,「ぐっ……ちょ、ちょっと葵さん……」
首を締め上げる腕にタップし、このキまりすぎている状況を伝える。
葵,「え? あ……ご、ごめんね!ギュッてしすぎちゃった!?」
訴えが通じて、葵さんは慌てて俺たちを解放する。
悠真,「はぁ、はぁ……こ、こなみ?」
こなみ,「うぐっ」
わざとらしいセリフを口にしながら、パタリと倒れ込むこなみ。
葵,「ああ、こなみちゃん!? こなみちゃーーん!!」
悠真,「ふぅ……ったく」
往来でそんなコントを繰り広げる二人から少し距離を取り、咲き誇る桜を眺める。
すると、撫でるような優しい風が吹き、花びらを散らす。
悠真,「…………」
俺は舞い上がるソレを目で追いながら、そのままゆったりとした空を見上げた。
悠真,「なあ、見ているか?」
ここにはいない誰かへ、言葉を向ける。
悠真,「あんたのお陰で、俺はみんなを笑顔にできているみたいだ」
それは遠い過去のこと。
胸の中で、静かに律動する命に語りかけていた。
悠真,「……ありがとうな」
俺は一度、死んだ。
その時に見たものが夢だったのか現実だったのか、未だに俺は確信を持てずにいる。
でも、一つだけ言えるのは[――]
あの時に授けられたこの命を、俺は大切な人達の笑顔を守るために使いたい。
悠真,「今度会えるのは、俺がもう一度死ぬときか?」
出来ることならば、せめて笑顔でお礼を伝えたい。
今の自分の幸せも、みんなの幸せを守っていけるのも、すべてはあのお姉さんのおかげなのだから。
悠真,「……どうすれば会えるんだろうな」
ふと。
つい先日出会った、もう一人の奇妙な少女のことを思い出す。
あいつは、あのお姉さんのことを何か知らないだろうか?
悠真,「……いやいや」
そんな考えを、頭を振って振り払う。
葵,「悠真く~ん! そろそろ行きましょー?」
悠真,「あ、はい」
掛けられた声に振り返り、最後にもう一度空を見上げて、呟く。
悠真,「じゃあな、また来るよ」
そして俺は歩き出す。
また、あのお姉さんに会えるときが来ることを願って。
家に帰り着くと、どこかで見た物体が置かれていた。
葵,「あれ?」
こなみ,「門の脇に不審な物体が」
悠真,「…………」
あの段ボール箱だった。
こなみ,「また段ボール?」
葵,「またって?」
こなみ,「一昨日も、似たような段ボールを家の前で見かけまして。ねぇ、兄さん?」
悠真,「そう言えばそうだったな」
こなみ,「あれってどうしたの?」
悠真,「片付けようと外に出たら、もう無くなってた」
……しかし、どうするべきだろう。
あの少女をかばうつもりはないが、このタイミングで開けられると面倒でしかない。
こなみ,「これって、あの時と同じ段ボールかな」
悠真,「いや、違うんじゃないか?」
葵,「もしかしたら、宅配の途中なのかもしれないね」
こなみ,「でもその割には、宛名とかないみたいですよ」
葵,「あ、本当だ。うーん、どうしよっか……」
悠真,「いいよ、俺が中身を確かめておくから。二人とも、家の中へ」
葵,「悠真くん、でも……」
悠真,「夕飯の材料、早く冷蔵庫に入れないとまずくないですか?」
こなみ,「言われてみれば。アイスが溶けてしまいます」
よし、よくぞ言ったこなみ。
買い物カゴへ、お気に入りのアイスを勝手に入れただけはある。
悠真,「そういうわけですから、これは任せて下さい」
葵,「そっか……うん、わかったよ悠真くん」
こなみ,「それじゃ、兄さん。あとはよろしく」
葵,「先に戻って、晩ご飯の準備しておくからねっ!」
悠真,「はい、お願いします」
そして葵さんとこなみは、俺を残して一足先に家の中へと戻っていく。
悠真,「……さて、と」
家のドアが閉まるのを確認してから、俺はダンボール箱の前に立つ。
まぁ、確認するまでもないが。
悠真,「……やっぱりか」
案の定、開けてみると例の少女が中に入っていた。
ティナ/謎の少女,「出直してきました」
今度はご丁寧に、自己紹介までダンボールに書いてある。
ティナ/謎の少女,「これ、読んでくれてますか?」
悠真,「はぁ……読んだよ」
どうあっても、俺に恋の妖精だと認めさせたいらしい。
悠真,「一昨日と同じ段ボールだな。そんなに暖かいのか?」
ティナ/謎の少女,「あたたかいです」
悠真,「……なぁ。お前は、死神なんだろ?」
ティナ/謎の少女,「…………」
だが死神少女は、この期に及んで首を横に振る。
そして、これを読めとばかりに恋の妖精の文字を指さしていた。
悠真,「それはもういい」
ティナ/謎の少女,「驚かないんですね」
悠真,「……お前が初めてじゃないからな」
悠真,「名前は?」
ティナ,「……ティナ」
何気なく聞いたことだが、名前があることに少し驚きを覚える。
悠真,「職業は?」
ティナ,「恋の妖精です」
悠真,「草刈りが大好きな、か?」
ティナ,「…………」
幼い外見とは不釣り合いな大鎌。
初めてそれを見た時からわかっていた。
この少女は、かつて俺の前に現れ命を救ってくれた、あのお姉さんと同じ存在。
……そう、死神なのだ。
悠真,「ティナ……だったか。お前は、何をしに来たんだ?」
ティナ,「あなたに折り入ってご相談が……」
悠真,「相談?」
ティナ,「その、恋をしませんか?」
悠真,「前にも言ったが、そういうのに興味ないんだ。悪いな」
ティナ,「……今はそうでも、未来はわかりません」
死神が未来を語るなんて、滑稽だ。
むしろ人間の未来を閉ざし、終わらせることが仕事だろう。
悠真,「誰かが、もうすぐ死ぬのか?」
ティナ,「ちがいます」
悠真,「……そうか」
その言葉を素直に信用できるわけではないが、ともかく、内心で安堵の息をつく。
ティナ,「わたしは、あなたに恋をしてほしいです」
悠真,「なんでだ?」
ティナ,「幸せに、なってほしいから」
悠真,「お前が、俺に?」
ティナ,「はい。恋をすれば、笑顔になれるとおもうんです」
悠真,「笑顔に……」
ティナ,「哀しい顔より、わたしは笑顔がみたいです」
そんな言葉に、俺は。
……ずっと昔に見たあの人が、重なった。
なぜだろう?
気が付けば、目の前のティナと名乗る少女にそっと手を伸ばしていた。
ぐりぐりと頭を撫でつけながら、触れられるものなんだなと感心すらしてしまう。
まぁ、相手は超常現象の体現だからな。
それはそれとしても……。
悠真,「お前、冷たいぞ?」
ティナ,「ずっと外にいましたので」
悠真,「そういう問題なのか?」
ティナ,「今度は、あなたの恋であたためてください」
ティナ,「そうすれば、きっとわたしもあなたもぽかぽかです」
悠真,「…………」
何だか頭が痛くなってきた。
言っていることも意味も不明なこいつの相手を、俺以外の誰がするんだ?
……全く、ばかげている。
ティナ,「だから、恋をしませんか?」
悠真,「……はぁ」
馬鹿げている。本当に馬鹿げている。
こいつはこいつで、あの時のお姉さんじゃないって分かっているはずなのに……。
俺はこんなことを聞いてしまう。
悠真,「なぁ。お前、帰る場所はあるのか?」
ティナ,「……ありません」
悠真,「そうか、だったら[――]」
葵,「ゆ、悠真くんっ!? その子は……」
こなみ,「兄さん、女の子を誘拐してきたの?」
悠真,「そんなわけ無いだろ。滅多なことを言うなよ」
その後、ティナを連れて家の中に入ると、当たり前ではあるが葵さん達は目を丸くして出迎える。
まぁ、俺も……あの鎌をどうしたんだとか、羽根をどこへしまったとか、色々と目を丸くしたのだが……。
とりあえず、そこは今は突っ込まないことにする。
悠真,「あー、ええと。こいつはですね」
ティナ,「はじめまして、恋の妖精です」
悠真,「なんて、少し夢見がちですけど。ごくごく普通の女の子です」
先が思いやられる出だしだった。
葵,「お名前はなんていうの?」
ティナ,「ティナです」
こなみ,「ティナさん? 日本人ではない……?」
悠真,「……父親がイギリス人らしい。いわゆるハーフってヤツだ」
さて、問題はここからだ。
名前以外のところで、どういう設定を作ってごまかすかだが……。
こなみ,「で、そのハーフの可愛い子を、どうして兄さんが連れてきたの?」
悠真,「それなんだがな……」
妙な嘘を吐くよりは、余計なことを言わないだけにして、後はありのままで押し通すか。
悠真,「さっきのダンボールの中に入っていたんだ」
葵,「入ってたって……どうして?」
悠真,「さぁ……家出でもしてきたんじゃないですか?」
ティナ,「家出、ちがいます」
こなみ,「違うと言ってるけど」
悠真,「違うことは無いぞ? なあ、ティナ!」
少しは話を合わせて欲しいのだが……。
ティナ,「家出ではなく、巣立ちのときを迎えただけです」
葵,「巣立ち……なの?」
こなみ,「つまりは、家出ですね」
ティナ,「ですから、ちがいます」
悠真,「はぁ……」
本人は否定しているが、どうやら葵さんとこなみの中では家出娘で落ち着きそうだ。
葵,「でも、どうして家出なんて……」
こなみ,「ティナさん、どうして?」
そう言うと、俺達の視線がティナへと集中する。
ティナ,「ぎゃくたい……。そう、きっとアレはそう呼ぶのだと思います」
葵,「虐待!? ひ、ひどいっ!ティナちゃん、一体どんな辛い目にあったの!?」
ティナ,「はたらけと言われました」
こなみ,「働けだなんて、残酷すぎる」
悠真,「いや、そういう台詞は往々にして、言われる側に問題があるものじゃないか?」
葵,「うーん……。でも、ティナちゃんくらいの歳なら」
確かにティナくらいの見た目であれば、労働させてもいいのかどうか微妙なところだが。
まぁ、死神が実際の年齢と見た目が釣り合っているとも思えないがな。
悠真,「って、おいティナ。お前、親はいないとか言ってなかったか?」
ティナ,「はい」
悠真,「でもなんだ、その、親とか心配しないのか?」
ティナ,「はい。さいしょからいません」
葵,「最初から……って、どういうこと?」
こなみ,「なんにしても、色々とわけありなんだね」
悠真,「とにかく、放り出すのもアレなので。できれば今夜は、ウチに置いてやりたいんだが……」
こなみ,「わたしは構わないけれど」
ちら、と葵さんの方に目を向けるこなみ。
誘導するような会話をしつつも、やはり最後のところはどうしても葵さんを頼ってしまう。
だから俺もこなみと同じように、葵さんへと視線を向ける。
葵,「ぐすっ……こ、今夜だけとか言わないで!いつまででもいていいから、ティナちゃん!」
ティナ,「おせわになります」
……なんとか切り抜けられたか。
突然連れて来たにも関わらず、葵さんとこなみはまるで手品のようにティナの分まで夕食を用意してくれた。
家族三人ではなく、珍しくティナも加えた四人での夕食後[――]
ティナ,「ユウマさん、アオイさんと恋をしましょう」
悠真,「……なんだって?」
部屋までついてきたティナのいきなりの台詞に、俺はこめかみを押さえて頭痛をこらえる。
ティナ,「きこえませんでしたか?アオイさんを恋人にしましょう」
さすが死神。
どうやら常識からして欠如しているようだ。
悠真,「葵さんは俺とこなみの母親だ。母親とは恋人になれないんだよ」
ティナ,「でも、おいしいごはんを作ってくれました」
悠真,「だからなんだって言うんだ?」
ティナ,「おすすめです」
悠真,「あのなあ……」
ティナ,「恋人はごはんがおいしいほうがいいんですよ?」
……そもそも、最初に言うべきことを言ってなかった。
悠真,「断っておくが、俺は恋をする気はないぞ」
ティナ,「する気はない?」
訳がわからない、という顔をしていた。
悠真,「そういうのに興味はないと、言ったはずだが」
ティナ,「でしたら、どうしてわたしを拾ってくれたのですか?」
悠真,「聞きたいことがあってな」
ティナ,「恋愛そうだんなら、いつでも受付ちゅうです」
そんなティナの反応はスルーして、俺は構わずに本題に入ることにした。
悠真,「……ある死神に会いたいんだ」
ティナ,「死神ってなんのことでしょう。わたしは恋の妖精です」
悠真,「そこは今はどうでもいい」
ティナ,「どうでもよくはないです。受付ちゅうなのは、恋の妖精への質問だけです」
悠真,「……そうか」
これは、簡単には話を聞き出せそうにないな。
あまり強引に質問を繰り出して、へそを曲げられても困る。
現状では、ティナが唯一の手掛かりなのだから。
悠真,「分かった、今はもういい」
ティナ,「では、恋愛そうだんをどうぞ」
悠真,「いや、だからそっちには全く興味がない」
ティナ,「ですが、わたしは恋の妖精なので。ユウマさんには恋をしてもらわないと困ります」
悠真,「勝手に困っててくれ。恋愛相談しろと言われても、実際相談するような内容がないんだ」
ティナ,「そうですか……ねぇコタロー、どうすればいい?」
コタロー?いったい、誰と話しているんだ?
悠真,「もしかして頭の上のぬいぐるみか?」
ティナ,「おっとそうでした。いい機会ですから、しょうかいしておきましょう」
ティナ,「この子はコタロー。あなたの恋をたすける、かわいい使い魔です」
首を掴まれ、ダラリとぶら下がるぬいぐるみが妙に哀れを誘っていた。
悠真,「まぁ……その。お気に入りのぬいぐるみに名前付けるなんて、お前も意外とカワイイところがあるんだな」
ティナ,「ちがいます。かわいいのはわたしではなくコタローです」
悠真,「しかし、ぬいぐるみの趣味はそうでもない。不細工な猫だな、ソイツ」
ティナ,「滅多なことを言うものじゃないです。あなた、殺されますよ?」
悠真,「俺の恋を助けてくれる、かわいい使い魔じゃなかったのか?」
ティナ,「そういう一面もあるということです。この子は、お茶目さんなんです」
段々と、頭のゆるい子供の相手でもしている気分になってくる。
ティナ,「見てください、この勇姿」
悠真,「やる気のなさがにじみでてるな」
ティナ,「あなた、本当に殺されますよ?」
悠真,「頭の上でだらーんとしてる使い魔に、何ができるって言うんだ?」
ティナ,「聞いて驚くなかれ、です。この子は不思議な力を持っているんです」
悠真,「不思議な力?」
ティナ,「見てると癒されませんか?」
悠真,「…………」
ぬいぐるみを奪い取って、窓から放り投げてやりたい衝動に駆られる。
悠真,「なんでもいいが。つまりはその猫……コタローだったか?そいつはお前の使い魔という設定なんだな?」
ティナ,「設定とか言わないでください。それに猫じゃなくて、恐ろしいオオカミなんです」
悠真,「恐ろしいのかカワイイのか、どっちかに統一してくれ」
め息をついて話を流そうとしていると、ノックする音が聞こえる。
こなみ,「兄さん、ちょっといい?」
葵,「あのね、ティナちゃんのことでお話が……」
こなみと葵さんが、揃ってドアを開けて顔を覗かせていた。
悠真,「あ、はい」
話……か。
悠真,「…………」
突然、ティナみたいな身元不明の少女を預かるんだ。色々聞きたい事があって当然だろう。
葵,「あのね、ティナちゃんにどこで寝てもらうかなんだけど。わたしの部屋で一緒に寝るのでも構わないかなって」
悠真,「寝る場所ですか」
どうやら違ったらしい。
むしろ善意に溢れすぎていた。
悠真,「でも、葵さんが迷惑じゃないですか?」
こなみ,「兄さん、そんなにティナさんを抱いて寝たいの?」
葵,「お、お母さん、そういうのはちょっとどうかと思う!」
悠真,「……すみませんが、よろしくお願いします」
妙な誤解を招きそうなため、サッとティナを差し出す。
ティナ,「今日はもうおねむの時間です?」
悠真,「そうかもな」
というかティナのヤツ、既に眠そうだな。
こなみ,「ティナさん、寝ちゃう前にお風呂へ入らないと。案内してあげるから……あ、それとも一緒に入る?」
ティナ,「おふろ、ぽかぽかでお気に入りです」
こなみ,「それじゃ、一緒に入ろうか。ついでにトイレの場所とかも教えておくね」
ティナ,「はぁーい」
嬉しそうなティナは、こなみと一緒に部屋を出て行く。
悠真,「なんか、すみません。変なのを連れ込んでしまって」
葵,「ううん、だいじょーぶ。賑やかで楽しいもの」
悠真,「あの……俺が言うのもどうかと思いますが、そんなにあっさり受け入れていいんですか?」
あんまりと言えばあんまり過ぎる葵さんの防犯意識に、どうしてもツッコミを入れたくなる。
葵,「それなんだけど……悠真くんはどう思う?」
悠真,「どう、というと?」
葵,「やっぱり、警察に相談したりした方がいいのかな……って思うんだけど」
悠真,「え、警察ですか?」
葵,「うん……」
悠真,「いや、それは……」
正直、死神の年齢なんてわからないからな。あの見た目で、100歳とか言う可能性だってあるし。
それより、そもそもアイツには戸籍もなにもあるはずが無い。
そんな状態で警察に相談しても、色々と面倒なことになるだけなのは明らかだ。
悠真,「……あの。先ほどもその話になりましたが、いろいろ訳ありらしいんです」
葵さんに余計な心配をかけさせているようで、気が引けるが……。
悠真,「だから、あいつが自分から何か言い出すまでは、このままにしてやってくれませんか?」
葵,「そっか……うん、わかった。経緯もちゃんと知らないのに、それはまだ早かったよね」
悠真,「いえ。葵さんが気にするのは当然です」
葵,「ふふっ。これでも一家の大黒柱だからね」
そうやって冗談めかして言っているが、色々と葵さんの迷惑になるのは事実だ。
口に出せないのがもどかしいが、ありがとうございますと心の中で礼を述べる。
葵,「それじゃわたしも聞いてみるけど、ティナちゃんのこと何か聞き出せそうだったらお願いね?」
悠真,「はい、分かりました」
しかし、葵さんのちゃんとした大人の対応には驚かされる。
これには少しばかり、葵さんへの認識を改めざるを得ないようだ。
葵,「でも、無理に聞いたりするのは駄目だからね!ティナちゃん、悠真くんに懐いているみたいだし……」
悠真,「いや、そういうわけでも」
ない、と思うんだが。傍から見ると、そうでも無いのだろうか?
葵,「あ、でもでも! それっていいのかなっ!?あんな小さな子相手に、もしも悠真くんが手を出しちゃったら……」
悠真,「それは無いので、安心してください」
……やはり、葵さんは葵さんだったようだ。
;※■4月8日(月)
月耀日(星期1)
[――]翌朝。
ティナ/???,「つんつん」
何かが頬に触れる。
薄く目を開けると、競うように朝陽が射し込んできた。
ティナ,「おはようございます」
悠真,「……ああ、おはよう」
そういえば、コイツと一緒に住むことになったんだったな。
小さな人差し指が、何度も頬に突撃を繰り返してきている。
ティナ,「まだねむいですか?」
悠真,「いや。それより腹が減った」
ティナ,「わたしもお腹すきました」
悠真,「なら、起きて朝飯にするか」
体を起こそうとすると、ちょうどティナと向かい合う形になる。
悠真,「……どこに座ってるんだよ、お前は」
ティナ,「ユウマさんのお腹です。お馬さんに乗ってるみたいです。ぱかぱか」
悠真,「馬なら背中だろ。そもそも、なんでお前が俺の部屋にいるんだ」
ティナ,「起こしにきてあげました。ぱっかぱか」
悠真,「苦しいから暴れるな。というかだな、この体勢はちょっと……」
ティナが腰を振るせいで、ギシギシとベッドが揺れる。
葵,「悠真くん、もう朝だよー。お母さん、今日は早めに家を出るか……ら……」
ティナ,「ぱっかぱっか」
悠真,「…………」
なるほど、これが浮気した男性の気分なわけだな。
別段、浮気しているわけでもなんでもないが。
ティナ,「はぁ、ふぅ……朝からいい運動になりました」
悠真,「とりあえず、降りてくれないかティナ」
葵,「ゆゆ、悠真くん!? ベ、ベッドの運動って、どういうことなの!?」
やはり、変に勘違いさせているようだ。
悠真,「あの、葵さん。これはですね」
葵,「お、お母さんね、別にそういうことがいけないとは思ってないの」
まずい。聞いてないなこれは。
葵,「悠真くんだって年頃だし、とうぜん女の子にも興味あるものね。うん、それはわかってる、わかってるよ」
どうやら、まったくわかっていないようだ。
葵,「でもね……でもねっ!?」
泣きそうな葵さんは、そのままズリズリと後ずさっていく。
葵,「よりにもよって、そんな小さい女の子と……!よくないっ、そういうのよくないよぉ!」
これは、どう言えば誤解をとくことができるのだろうか。
悠真,「なんてこった……」
その後、葵さんの誤解を完全に解くまでに、貴重な朝の数分間を浪費したのだった。
葵,「なーんだ、ティナちゃんが悠真くんを起こしていただけだったのね?」
悠真,「わかっていただけて何よりです」
葵,「悠真くんを起こすのは、わたしがやりたかったのになぁ……」
悠真,「別に一人でも起きられるのですが」
葵,「そうそう、起こすのはティナちゃんに取られちゃったけど、いつものはさせてくれるよね? ねっ?」
悠真,「え、あの[――]」
と、俺が止める間もなく。
葵,「ちゅっ♪」
悠真,「…………」
ティナ,「…………」
葵,「……しちゃった」
ティナが見ている目の前で、頬にキスをする葵さん。
葵,「えへへ。今日もいい天気だよ、悠真くん。はりきって月曜日がんばろーっ」
悠真,「……がんばります」
俺は世間一般の母親像を知らない。
だからきっと、こうするのが当たり前なのだろうと信じていたい。
悠真,「こなみは起きてますか?」
葵,「ううん、まだぐっすり」
やっぱり、ちゃんと起きることができたのも一日だけだったか。
葵,「急がなくていいから、着替えたらこなみちゃんのことお願いね」
悠真,「はい、了解です」
葵,「もうすぐ朝ご飯も出来るから。後でティナちゃんも一緒に降りてきてね」
悠真,「ちゃんと連れて行きますので」
葵,「はぁ、今日も悠真くんは可愛いなぁ~」
そんな呟きを残しながら、部屋を出て行く葵さん。
悠真,「さて……」
ティナ,「アオイさんは、恋人にしないのではなかったのですか?」
無言で親子のスキンシップを見守っていたティナへと向き直る。
悠真,「だから母親だ。恋人ではない」
ティナ,「ですが、マンガでよみました。ちゅーをするのは恋人同士のはずです」
悠真,「死神もマンガを読むのか?」
ティナ,「恋の妖精です」
悠真,「別になんでもいいが……。それより、マンガの知識で現実を語るんじゃない」
ティナ,「そういうものですか」
悠真,「そういうものだ」
俺が言い切ると、今ひとつ納得のいかない様子ながら、それ以上は追求してこなかった。
悠真,「……さて」
それじゃ、着替えてこなみを起こしに行くか。
悠真,「こなみ、入るぞ」
こなみ,「んー……もう朝なんだ」
悠真,「まだ眠いなら横になってていいぞ」
こなみ,「うぅん、おきるぅ……」
こなみが寝起きに出す声は、普段からは想像できないほど甘ったるい。
そしてこういう声の時は、頭が回ってない証拠だ。
昔から早起きだけは本当に苦手な妹だった。
こなみ,「あれぇ、おはちゅーはぁ?」
悠真,「なんだよ、おはちゅーって」
こなみ,「おはようのぉ、ちゅぅぅ」
悠真,「それは俺じゃなくて、葵さんの役割な」
こなみ,「……あー」
悠真,「待て待てっ。着替えるなら、脱ぎ出す前に言ってくれ」
こなみ,「兄さんは、相変わらずそういうの気にするんだぁね」
悠真,「大丈夫かよ、足下がフラついてるぞ?」
こなみ,「んー」
今にも倒れそうなほど、立っているのがやっとな様子のこなみ。
こなみ,「やっぱりぃ、もう少しベッドで横になってるぅ」
悠真,「仕方ない……5分だけだぞ。ほら、ベッドまで歩けるか?」
こなみ,「へーき……枕を抱っこしてぇ……」
悠真,「それは俺の頭だ」
こなみ,「ん、んー……」
実は起きてるんじゃないかと思わなくもないが、普段のこなみが繰り出すボケとは違うので、本当に眠いのだろう。
こなみ,「兄さん、抱っこぉ」
悠真,「はいはい。それじゃいくぞ?」
こなみ,「んー」
こなみを抱っこして、ベッドの上に転がす。
コロンと布団の中に納まるのは、
ちょっとした小動物のようで可愛かったりするが。
悠真,「いいか、5分だけだぞ? 制服、ここに置いたからな」
こなみ,「はぁい」
あと2~3時間は平気で眠りそうな声を出すこなみ。
こなみ,「くー……」
悠真,「だらしない顔になってるぞ」
寝起きのこなみは、人様にお見せできないな。
悠真,「はぁ……」
幸せそうに眠りこけるこなみを見ていたら、ため息が出た。
将来こんな妹に、もしも彼氏ができたらと思うと、今から申し訳なさでいっぱいになってくる。
それと今日は、俺にため息を吐かせる元凶がもう一つあった。
ティナ,「なるほど、アオイさんではなくコナミさんが恋人だったのですね」
悠真,「ちがう、こなみは俺の妹だ」
ティナ,「いもう、と?」
悠真,「つまり葵さんと同じで俺の家族だ。恋愛対象じゃない」
ティナ,「おかしいですね。恋人のようにみえたのですが」
悠真,「ティナの目は節穴だな」
ティナ,「こんらんしてきました。ちがいがよく分からないです」
悠真,「そんなことで、よく恋の妖精が勤まるな」
ティナ,「ばかにしていますね?恋についてはたくさんべんきょうしているんですよ」
悠真,「マンガでか?」
ティナ,「はい。さんさつも読みました」
悠真,「そうか、がんばったな。いいから朝飯にするぞ」
どうやら俺の想像以上に、にわかな妖精らしかった。
美桜,「ユウくん、こなみちゃんおはよー」
悠真,「ああ、おはよう」
こなみ,「おはようございます、美桜さん」
美桜,「って、あれー? そっちの可愛い女の子は?」
悠真,「ええと……こいつはだな」
ティナ,「おはようございます。恋の妖精ティナです」
こなみ,「昨日から、しばらく一緒に暮らすことになりました」
美桜,「へー、ティナちゃんだね? よろしくー」
ティナ,「はい、よろしくです」
よろしく……って。
悠真,「お前、それだけなのか?」
美桜,「うん? 他になにかある?」
自己紹介も何もかも、ツッコミどころしか無かったと思うのだが。
悠真,「……相変わらず大物だな、美桜は」
美桜,「えへへ、ユウくんに褒められちゃったー」
半分くらいは本気で褒めているしな。
美桜,「あ、ティナちゃんに自己紹介がまだだったね。ユウくんとこなみちゃんの幼なじみで、一ノ瀬美桜です」
ティナ,「っ! おさななじみですか」
美桜,「うん、そうだよー」
ティナ,「いちのせ……ミャオさんですね。おぼえました」
美桜,「えへへ、私も覚えたよー」
ミャオじゃなくてミオなんだが。
……本人は気にしていないっぽいし、まぁいいか。
悠真,「それよりティナ、お前なんで付いてきているんだ?」
ティナ,「いけないですか?」
悠真,「学園は部外者立ち入り禁止だぞ。家にいたらどうだ」
ティナに留守番させるのも、だいぶ危険な気もするが。
ティナ,「しかたないですね。すがたを消しておきます」
こなみ,「消して……?」
悠真,「あ……あー。ハーフだから日本語が不自由なんだろう。立ち去りますって意味だよな?」
ティナ,「そういうことじゃありませんが」
『いいから話を合わせろ』と、小声で言う。
ティナ,「そうですか……。では、話を合わせて家にもどります」
悠真,「はぁ……」
誰も信じない話とは言え、危なっかしすぎるぞアイツ。
しかし、やっぱり誰にも見えないように姿を消せるのか。さすが自称・恋の妖精だ。
こなみ,「ティナさん、家にひとりで大丈夫かな」
悠真,「だからって、学園には連れて行けないだろ?」
美桜,「ダメなのかなぁ?」
悠真,「部外者だからな……。それより、早いとこいつものを済ませよう」
美桜,「う、うん……よろしくお願いしますっ」
そっと差し出された美桜の手を軽く握る。
こなみ,「美桜さん、がんばってください。クール受け、最高ですよね」
美桜,「クール……受け……っっ……」
いつもと同じ、電柱一本分のリハビリ。
……だが、今日は。
何か別の視線を感じるのだが、それは気のせい……では、ないんだろうな。
夕莉,「おはようございます」
こなみ,「おはようございます」
美桜,「おはよー、夕莉ちゃん」
悠真,「おはよう、月嶋。週が明けたら、また挨拶運動か」
夕莉,「ええ、今の時期だけですけどね」
さすが、風紀委員長さまは仕事熱心だ。
どこかの恋の妖精に、爪の垢を煎じて飲ませてやりたい。
学園に着いた俺は、美桜たちと別れて近くの中庭へと立ち寄る。
ここは休み時間や放課後になると人が集まる、学園でも有数の人気スポットだ。
とはいえ、朝のこの時間ならそれほど人目を気にする必要もない。
悠真,「ティナ、出てこい」
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ティナ,「見えてはいけないのではなかったのですか?」
悠真,「付いてくるなと言ったはずだぞ?」
ティナ,「それよりも、ユウマさん、ユウマさん」
聞いてないな、こいつ……。
ティナ,「あの……ユウマさんには何人の恋人さんがいるんですか?」
いつの間にかとんでもない誤解をし始めていた。
ティナ,「アオイさんにコナミさん、そしてミャオさん……」
葵さんとこなみはそもそも家族だと言っているのに、頑として聞き入れないらしい。
ティナ,「それにさきほどの、つきしまユリユリさんもキレイな方でした」
悠真,「誰だよ、ユリユリって」
ティナ,「おさななじみも恋のていばんですから、ミャオさんもすてがたいです」
悠真,「……それで?」
ティナ,「カワイイ人がいっぱいで、だれをえらぶか迷います」
頭が痛くなってくる……。
ティナ,「そうです、ユウマさん。いいことを思いつきました」
話し出す前から嫌な予感しかしない。
ティナ,「あの人たち全員を恋人にするのはどうでしょう。ユウマさんならできると思います」
案の定、どうしようもないことを思いついていた。
悠真,「悪いが、そこまで器用な性格じゃないんだ」
ティナ,「家に帰ったらカワイイ女の子がたくさんいる生活、いいと思いませんか?」
悠真,「それを恋と呼ぶのか、お前は」
恋愛に興味などないからどうでもいいが、この妖精は期待を遙かに下回るダメっぷりだ。
ティナ,「ユウマさんは欲のない人なんですね」
悠真,「そういう話じゃないだろう。とにかくだな……」
ティナ,「あっ」
悠真,「ん、なんだ?どうかしたのか?」
ティナ,「嫌なけはいが……いえ、なんでもないです」
嫌な気配? なんのことだ?
ティナ,「かえります」
悠真,「あ、あぁ。そうしてくれると助かるが……」
ティナ,「ねむくなったので、おうちでおひるねしますね。それでは」
;★消滅ムービーとずれるので一瞬だけ羽根の位置ずらしてます
悠真,「…………」
恋の妖精って、ずいぶん自由なんだな。
悠真,「さてと……」
ティナが帰るのを見送った後、ヤボ用のために保健室へと向かう。
大した用事でもないから、別にあとでも良かったが……などと考えながら歩いていると。
花子/???,「あーめんどくさ……」
悠真,「ん?」
休み明けにもかかわらず、ものすごく気だるい声に足を止める。
気持ちは分からないでもないと思いつつ、チラリとその声の主へと視線を送ってみると……。
花子/???,「まったく、一体だれよ。勝手に剥がして回って。金額の修正だけじゃすまないじゃないのよ」
花子/???,「こっちはスクープ記事を作らなきゃならないってのに、もー……」
決定的な現場を、目撃してしまった。
悠真,「おい、そこのあんた」
花子/???,「あによ、うっさいなー。忙しいんだから話しかけないでよ」
悠真,「俺も話しかけたくは無いが、そのポスターについては一言あって然るべきだと思ってな」
花子/???,「はー? なによ、ひとこと……って、げえぇっ!?あんたは浅葉悠真!?」
絵に描いたような二度見をしたあと、その現行犯は横に飛び退いていく。
花子,「いつの間にあたしの背後をっ!?新聞部の[真影の暗殺者,ポートレートアサシン]と畏れられる月嶋花子ともあろうものが、なんたる不覚っ……!」
悠真,「ポート……なんだって?」
花子,「ポートレートアサシンよ、ポートレート!けっこう気に入ってるんだから、放っておいて!」
悠真,「わかったわかった、それで新聞部の阿鼻叫喚さんに質問なんだが」
花子,「真影の暗殺者だってば!」
悠真,「別になんだっていいだろ」
花子,「良くないわよ! ちゃんと呼びなさいよ!」
よっぽど、ポートなんちゃらと呼ばれたいらしい。
悠真,「それはソレとして、ひとつ聞きたい事がある」
花子,「ふん、なによ? 言ってみなさい、浅葉悠真っ!」
悠真,「そっちの名前は……月嶋花子、だったか?」
『月嶋』という、聞き覚えのある苗字が引っかかる。
花子,「あによ、あたしの名前に文句でもあるわけ?」
悠真,「いや、同じ学年で月嶋夕莉っていうのがいるから、気になっただけだ」
花子,「夕莉はあたしの妹っ。……双子なのよ、一卵性双生児ってやつ」
悠真,「妹だって?」
ああ……そう言えば、爽がそんな話をしてたな。
だが当の月嶋は、その話題をなんとなく嫌がっていた気がする。
悠真,「双子ってことは、俺と同じ学年か」
花子,「それがどうしたってのよ」
悠真,「いや、それはどうでもいいんだが。そのポスターについて聞きたい」
花子,「はー? コレがなんだっての?」
悠真,「どういうつもりでこんなのを作ってるんだ?」
花子,「あらら?美颯学園のカリスマ浅葉悠真があたしに興味津々?」
悠真,「いや別に」
花子,「少しぐらい興味持ってよ!放っておかれるのも寂しいじゃない!!」
悠真,「そんな話はどうでもいいから、今すぐ校舎内に貼った無駄な印刷物を全て剥がせ」
花子,「な、なによ! そんな怖い顔したって我が新聞部は屈しないんだからね!!」
表情を変えたつもりはないんだが、そんな怖い顔してたのだろうか?
花子,「正しい報道、真実を皆に伝えるのがあたしの役目!」
悠真,「とりあえず落ち着けよ、花子」
花子,「花子って呼ばないで!今度その名前で呼んだら、あんたのことを社会的に抹殺してやるわよ!」
悠真,「じゃあ、なんて呼べばいいんだ?月嶋じゃ、妹のほうと区別がつかなくなるだろう」
花子,「……花子以外だったら別になんでもいいわ」
悠真,「ダンゴムシでもか?」
花子,「人間ですらないじゃない!そもそも、どうしてその名前がでてきたのよ!!」
悠真,「花子はツッコミが早いな」
花子,「だから花子言うなっ! 月嶋よ、月嶋花子!!」
だから花子と呼んでいるというのに、なにが気に入らないのだろうか。
花子,「あー!もういいわっ。そうやって澄ました顔でいられるのも今のうちっ」
怖い顔の次は、澄ました顔か。
花子,「いつか絶対、あんたのスキャンダルをスクープしてやるんだからね!覚えておきなさいよ、浅葉悠真っ!」
悠真,「ああ覚えとくよ、花子」
花子,「だから花子って言うなぁーーーっ!」
悠真,「……やれやれ」
ものすごいハイテンションで、怒りつつ去って行く花子。
結局、ポスターを作った理由も聞けなかったわけなんだが。
しかし月嶋妹と比べると、てんで正反対の姉のようだ。
悠真,「それにしても……」
どうして月嶋妹は、姉の話をされるのを嫌がったんだろうか?
俺のポスターを作っている張本人の妹だから?
悠真,「…………」
まぁ、普通ならば身内の迷惑を明かしたくは無いだろう。
だが、月嶋の性格ならば謝って来る気がする。
悠真,「ふむ……」
何か腑に落ちない気はしたものの、花子のことは頭の片隅へと追いやっておくことにしよう。
しかし……。
悠真,「なんだこれは」
『賞金はターゲットを生け捕りの上、新聞部の部室まで連れて来た際に引き替えとなります』……だと?
しかも先週から、また値段も上がってるぞ。
悠真,「はぁ……」
花子と話しても、埒があかないのはわかった。
そうなると……気は進まないが、仕方ない。
悠真,「……剥がすか」
と言うわけで、俺はいま生徒会室の前にいる。
杏,「はいはーい、どーぞ~」
悠真,「失礼します」
杏,「おー、悠真クン! 遊びに来てくれたの?」
悠真,「いえ。ひとつ聞きたい事があって来ました」
杏,「うん? 聞きたい事?」
俺は剥がしたポスターを神鳳先輩に見せる。
悠真,「これなんですが」
杏,「あれ、値段が上がってる?」
悠真,「それはこの際どうでも良いんですが。なんでまた、こんなものが貼られているんですか?」
杏,「あー、なんか凄い大量に作っちゃってるらしくて。金額とかだけ書き換えて、使ってるみたいね」
悠真,「なら、新聞部に言って許可を取り消すことはできませんか?」
杏,「許可を? うーん……」
悠真,「細かいことを言えば、俺の肖像権とかもあると思うんですが?」
杏,「あー……うん、もちろんそれはわかるんだけどね。あんまり言って聞いてくれる子じゃないから」
悠真,「それは確かに」
先ほど遭遇した、花子のことを思い返す。
確かに、相手が生徒会長だからと言って、素直に聞くようなタマには見えないな。
悠真,「一応言っておくと、正直俺のことはどうだっていいんです。あまり良い気分がしないのは確かですが」
杏,「へぇ……というと?」
悠真,「他の人の迷惑になる可能性があるってことです」
杏,「他の人? あっ……まさか、恋人とか!?」
なぜそんな前のめりになるのだろう。
悠真,「違いますよ。妹が今年入学したんです。兄のポスターで妹に迷惑を掛けるわけにはいきませんから」
杏,「へー、妹か。どんな子? かわいい?」
悠真,「教えません」
杏,「なによー、ケチ」
悠真,「そんな風にスネても無駄です。で、どうですか?」
杏,「そうね……じゃあ、取引をしましょう」
悠真,「取引?」
杏,「うん。悠真クンがここにサインをしたら、ぜ~んぶ解決しちゃうカモよ?」
スッと差し出された紙を見ると、それは生徒会への入会申請書だった。
悠真,「一応お伺いしますが、理由は?」
杏,「あのね、そもそも承認のハンコを押しちゃったのも、人手が足りないから忙しくてつい……って、言ったよね?」
悠真,「ええ、聞きましたね」
杏,「悠真クンが生徒会に入ってくれたら、根本的な問題が解決しちゃうかもしれないんだけどなぁ」
悠真,「現在進行形の問題が解決していないんですが」
杏,「そこはそれ。言うこと聞かないと、本年度の部費がどうなるか分かってるんだろうな、オウ? って」
悠真,「まるっきり脅迫じゃないですか」
杏,「まーね。だから、出来ればやりたくないの。でも、キミが手に入るなら悪事にも手を染めちゃうよ?」
悠真,「……どうしてそこまで?俺に生徒会の経験なんてありませんよ」
杏,「くすっ……初めてなら、あたしがたーっぷり教えてあげる」
悠真,「…………」
杏,「あ、なに!?その『なに言ってんだこの人?』みたいな顔っ」
悠真,「すごいですね。俺の考えていることが分かるなんて」
杏,「もー、本気で誘っているのになぁ。それで、どう? この取引は」
悠真,「お断りします。間違ったことはして欲しくないですし、そもそも俺は生徒会には入れません」
杏,「えー、なんで? 佐和田センセーのお手伝いがあるから?」
悠真,「それもありますけど……やる気も無い人間を、生徒の代表である生徒会に入れないでください」
生徒会には、生徒のため、学園のために働きたい……そう考えている人を入れるべきだ。
そしてそれは、生徒会長の指名を待つのでは無く、自らやりたいと名乗り出るのが理想だろう。
悠真,「俺は、自分と周りのことだけで手一杯なんです。生徒会みたいな、とても大事な仕事を請けられるような男じゃありません」
杏,「へぇ……? そっかそっか。ただ単に、やりたくないってだけじゃないのね?」
悠真,「ただ単に、やりたくないだけですよ」
杏,「くすっ。うん、わかった。やっぱりマジメだね、悠真クンは」
悠真,「なんとでもおっしゃってください」
なにがおかしいのか、笑いながら褒められる。
杏,「でもそうなると、あのポスターの件はどうしよっか?」
悠真,「先輩から、新聞部に注意することはできないんですか?」
杏,「それはもちろん出来るけど……。あんまり期待しないでね?」
悠真,「……分かりました」
なにせ相手はあの花子だからな。仕方がないだろう。
悠真,「すみませんが、よろしくお願いします」
杏,「元々こっちのミスでもあるんだし、悠真クンの頼みなら、ドンと任せてっ! あ、でも……」
悠真,「何か問題でも?」
杏,「あたしを下の名前で呼んでくれたら、もっとがんばるんだけどなぁ♪」
悠真,「下の名前ですか」
杏,「あ、ちなみに悠真クンを役員にすることは、諦めてないからね?」
悠真,「…………」
先ほどからやりたくないと言っているのだが、人の話を聞かないのだろうか、この先輩は。
杏,「さ、ほら。呼んでみてっ。その瞬間から、あたし達は今度こそ友達だよ?」
悠真,「じゃ、今日のところは失礼しますね、神鳳先輩」
杏,「もー、悠真クンのけちー!」
そうして遠吠えのような声をBGMに、生徒会室を後にした。
爽,「悠真、今朝は教室来るの遅かったな」
悠真,「色々あってな。最終的には生徒会室へ行ってきた」
爽,「んん? なんだ、うちの会長に会ったのか?」
悠真,「まぁな。というか、お前が会ってくれって言ってたんだろうが」
爽,「悠真のことだから、自分から会いに行くことはないだろう思ってたんだけどな」
爽の言うことは尤もだと思うし、俺だって用がなければ会うつもりもなかった。
しかし、いざ会ってみると、先輩の人柄がいまいちつかみきれないというか把握できない。
悠真,「なぁ。神鳳先輩って、一体どんな人なんだ?」
爽,「おいおい、なんだよ。お前も会長のことが気になってるのかぁ?」
悠真,「……お前も、っていうのは?」
爽,「うちの会長は黙ってればいい女だろ?だから、興味を持つ男たちも多いんだよ」
保健室で聞いたとおりだ。周りから見ても、あの人は黙っていればいい女らしい。
知り合い方が特殊だったせいかもしれないが、俺は先輩の容姿について、それほど気に止めてはいなかった。
悠真,「興味があるわけじゃないんだが、会長から生徒会に入らないか、と誘われてな」
爽,「……やっぱりか」
悠真,「そこで、どうやってきっぱり断れるかを問いたい」
爽,「それは無理な相談だな」
きっぱりと断られてしまった。
悠真,「どうやら俺は相談した相手を間違えたようだ」
爽,「間違えたって……一応これでも、生徒会副会長なんだぞ、おれ?」
悠真,「じゃあ、生徒会長の勧誘を断る方法を言ってみてくれ」
爽,「無い」
悠真,「他に適した人物はいないかな……」
爽,「おーい悠真、目をそらさないでくれー?」
爽の情けない声を聞き流しながら教室を見渡すと、ちょうど月嶋が教室へと入ってくる。
悠真,「……月嶋か」
そうだな、聞くだけ聞いてみるとしよう。
爽とは違って、的確な助言をしてくれそうだしな。
悠真,「おーい、月嶋」
夕莉,「あれ? 浅葉くん、どうかした?」
悠真,「ちょっと相談があるんだが」
夕莉,「んと……少し待っててくれる?今ちょっと、美桜のことで……」
悠真,「美桜? あいつがどうかしたのか?」
夕莉,「え、ええ、少しね」
悠真,「……?」
その怪しげな様子に、俺は小首を傾げるのだった。
美桜,「…………」
悠真,「そうか、そんなことがあったのか」
夕莉,「えぇ……」
恥ずかしそうに視線をそらす月嶋。
俺はその視線がはずされた紙袋の中身を取り出し、順繰りに机の上へと並べていく。
ただの漫画。そうとは言えない雰囲気が、表紙から感じられた。
悠真,「ドッグ・ステイ」
美桜,「あ、それは首輪をつけた男の子がねっ」
悠真,「説明しなくていいぞ」
美桜,「う、うん」
悠真,「続・ブルーライン」
美桜,「あ、それは前編がすっごく濃厚な[――]」
悠真,「だから説明は不要だ」
美桜,「う、うん。そ、そうだよね?」
ようは、BL本というヤツだな。それもかなり濃い類の。
……頭が痛くなる。
悠真,「一体、この本はどこから持ってきたんだ?」
美桜,「えっとね、花ちゃんが貸してくれたの」
悠真,「はなちゃん?」
……って、誰のことだ?
夕莉,「これって、花から借りたの?」
美桜,「……うん」
悠真,「その子とは、よく本の貸し借りをしてるのか?」
美桜,「借りてばかりだけど……う、うん。男の人に慣れるには、まず二次元からだって」
夕莉,「二次元って」
悠真,「確かに、二次元には違いないが……」
一冊手に取り、ペラッとページをまくってみる。
そこには糸を引いたキスをする、男×男の世界が広がっていた。
夕莉,「あ、浅葉くん……そういうのに興味あるの?」
こんな世界もあるのか、と考えつつ眺めていると、月嶋からそんな恐ろしい言葉を投げかけられる。
美桜,「え、ユウくんも読むっ!?」
悠真,「食いつくんじゃない」
美桜を牽制しつつ、BL好きを興奮させないようにそっと本を閉じておく。
悠真,「なるほどな、月嶋の悩ましい顔の理由はこういうことか」
夕莉,「そういうこと。しかもまさか、身内が絡んでたなんて……はぁ」
悠真,「身内?」
夕莉,「わたしの双子の姉よ。花子って言うんだけど」
悠真,「ああ、それで『花ちゃん』か」
ようやく繋がった。
……って、花子のヤツはコッチの趣味があったのか。
夕莉,「とにかく美桜はこんなの読んじゃダメっ。マンガは没収するからねっ」
美桜,「ええー、どうしてー?」
夕莉,「内容が不健全だからっ。それに、教室へマンガを持ち込むのは禁止よっ」
美桜,「そんなぁ、ひどいよ夕莉ちゃーん」
悠真,「没収する必要はないんじゃないか?」
夕莉,「ちょ、ちょっと浅葉くんっ。変なページを見せないで!」
悠真,「え? これのどこが……」
と、本を見てみると、まさに本番シーンを開いていた。
;#say 夕莉,「…………」
;#say 美桜,「…………」
夕莉/美桜,「…………」
夕莉,「もう浅葉くんって最低っ」
俺が持っていた最後の一冊を奪い取って、月嶋は自分の席に戻っていく。
怒った様子が花子に似てるかもしれないと思いつつ、その背中を眺める。
美桜,「うぅぅ、持っていかれちゃったぁ……」
悠真,「とりあえずお前は今日一日、俺にムッツリと呼ばれる刑な」
美桜,「えぇっ、どうしてー?」
悠真,「俺の問題解決の糸口を怒らせたのには、お前にも一因があるからだ」
美桜,「…………」
悠真,「おい、聞いてるのか?」
美桜,「うん……ユウくんは糸を引くキスとかしたことあるの?」
悠真,「黙れムッツリ」
けっきょく打開策が思いつかないまま、放課後へと突入してしまう。
先輩の名前を呼ぶのは構わないが、やはり生徒会に入るのは同意しかねる。
やる気の問題もあるが、そもそもこの仕事が先約だしな。
奈緒,「ほれ、白衣だ。今日もよろしく頼むぞ」
悠真,「なぁ。アンタのお古じゃなくて、俺の分の白衣を用意しようという気にはならないのか?」
奈緒,「アタシのじゃ、サイズが合わないか?」
悠真,「微妙にな。だけどそれだけじゃなくて、あんたの白衣からは女の匂いがするんだよ」
奈緒,「いいもんだろ、大人のオンナの匂いってヤツは」
悠真,「……言ってろ」
そんなやりとりをしながら、渡された白衣をまとう。
悠真,「で、今日は何をすればいいんだ?」
奈緒,「何をしたい? 松と竹と梅の3つから選べ」
悠真,「それって、けっきょく全部やらされるハメになるんだろ」
奈緒,「そこまで鬼じゃない。早く選べ」
悠真,「じゃあ、梅」
奈緒,「便所の見回り。紙が切れてたら補充な」
やれやれと小さなため息をつきながら、言われた仕事に必要な物を取りにいく。
ま、のんびり校舎をブラつくにはちょうどいいか。
悠真,「……じゃ、行って来る」
奈緒,「あと今日は女子のほうも頼む」
悠真,「いや、それはダメだろ。そっちでやってくれ」
奈緒,「やれるならやってる。健康診断の準備で忙しいんだ、アタシは」
悠真,「それとこれとは別物じゃないか?」
奈緒,「どうせ放課後なら女子もほとんど残ってないだろ」
悠真,「……もし残ってたら?」
奈緒,「ラッキーだと思え」
悠真,「俺に見られた相手はそう思わないだろうけどな」
奈緒,「年頃の男にとってはドキドキものだろう?」
悠真,「悪い意味でな」
本当に出会ったとしたら、気まずいだけに決まってる。
嘆息しつつ、保健室をあとにした。
悠真,「ふぅ……」
残り三分の一って所か。
悠真,「さて……」
次はこの階のトイレになるのだが、近くには生徒会室がある。
未だ打開策も思いついてない現状、なるべくなら避けて通りたいのだが……。
悠真,「よし」
後に回そう。
杏,「あ!」
悠真,「……あ」
予期せぬ遭遇に、お互い一声だけ発して固まる。
先輩はちょうど女子トイレから出てきたところで、タイミング的には最悪だった。
杏,「すごいね、感動の再会。ひょっとして生徒会室に来てくれたの?」
悠真,「人違いです」
そう言って立ち去ろうとするも、神鳳先輩はめげずに話しかけてくる。
杏,「それじゃあ、女子トイレのノゾキ?」
悠真,「これですよ」
両手に持ったトイレットペーパーを頭上にあげて、バンザイのポーズをとる。
杏,「あー。白衣を着てるってことは、また佐和田センセーのお手伝い?」
悠真,「ま、そんな感じです」
杏,「キミってほんと働き者だよね。まさに生徒会で仕事をするために産まれてきたような子っ」
悠真,「そうですね」
杏,「あ、流された。なんか傷つくなーそういうの」
悠真,「傷ついたのなら、保健室へどうぞ」
トイレットペーパーを抱えなおし、何とか先輩から逃れようとする俺。
どうもこの人とのやり取りはしっくりこない。
……俺との会話に流されないと言うか、なんだか苦手意識みたいなものがあるのかも知れないが。
杏,「忙しそうだし、手伝おうか?」
悠真,「その対価として生徒会へ入りたくはないので、遠慮します」
杏,「あはは、そこまですると思う?」
悠真,「先輩ならやりかねないかな、と」
しかし、知り合って間もないと言うのに、どうしてこの人は俺に構おうとするのだろうか?
それは生徒会に入れたいから……だけではない気がする。
杏,「キミって、あたしのお手伝いは拒むのに、佐和田センセーのお手伝いはしっかりこなすんだね?」
悠真,「ええ、まぁ」
杏,「気になるなぁ。ね、どうして?」
悠真,「1年のころに保健委員をやってたんですが、佐和田先生に目を付けられまして」
杏,「それだけ?」
悠真,「ええ。以来、何かとコキ使われているってだけです」
杏,「……じろりー」
悠真,「なんですか、その目は」
杏,「それ、本当かな~って思って」
悠真,「信じる信じないは勝手です」
杏,「ま、それもそうだね」
先輩は小さく微笑んで見せると、何故か俺が持っていたトイレットペーパーを奪っていく。
悠真,「急になんですか?」
杏,「手伝ってあげる。キミだって仕事でもなければ、女子トイレになんか入りたくないでしょ?」
悠真,「それはまぁ、入りたくはないですが」
しかし、ここで借りを作るのはやはりためらってしまう。
;▽選択肢
手伝ってもらう
丁重にお断りする
;※A.手伝ってもらう(好感度+1)
悠真,「……すみません、やっぱりお願いしてもいいですか」
杏,「どうしてそんなに苦渋の決断って顔してるのかなぁ。そんなにあたしの使用後のトイレに入りたかった?」
悠真,「いえ、そういう欲求は全くないです」
杏,「素直になってもいいんだよ?ちょっとくらい変態でも、あたしなら平気だし」
悠真,「変態行為を勧めてくるのも立派な変態ですよ」
杏,「なるほど、悠真クンに特殊性癖は見られず……と。ちょっと安心したかも」
悠真,「何の調査をしているんですか……」
杏,「くすっ、それじゃ女子トイレの方は任せて。このくらい、どんどん頼ってくれていいんだからね?」
;※B.丁重にお断りする
悠真,「自分でやるからいいです」
杏,「そんなにあたしの使用後のトイレが見たい?」
悠真,「…………」
杏,「ごめんね。これでも一応、女の子なんだ」
そう言われてしまうと、男である俺にはもう反論のしようもない。
悠真,「こちらこそすいません。そういうことなら」
杏,「うん、任せてね」
;※■合流0へ
;※■合流0 ここから■
先輩は、俺から奪ったトイレットペーパーを持って女子トイレへ入っていく。
があるのか表しかないのか、未だ判断しかねるけど。なんだか飄々としている人だな、と感じる。
悠真,「……どうして俺は、あの人に目をつけられてるんだろうな」
やはり、ほんの少しだけ。あの先輩は苦手だ。
杏,「うーん……」
爽,「どうしたんすか、会長。また賞金首の貼り紙なんか見て……」
杏,「浅葉悠真……かぁ」
爽,「あー、そう言えば悠真と会ったそうっすね。どうでした?」
杏,「一言で言うなら、生徒会に欲しい人材かな」
爽,「悠真から聞いてましたが、本気なんすね会長」
杏,「でも、素直に生徒会へ入ってくれるとは思えないのよねー……」
爽,「でしょうねぇ。悠真は自分が納得しない限り、安請け合いもしないと思いますよ」
杏,「…………」
爽,「だからあいつがやらないと言ったら絶対です。会長も諦めたらどうっすか?」
杏,「そう言われて、諦めると思う?」
爽,「あんまり思わないっすね」
杏,「あたしもね、一度決めたことは貫く主義なの」
爽,「しつこい女は嫌われるんじゃないすか?」
杏,「酷いこと言うなー、もう。あ、そうそう。ねぇ、肥田クン?」
爽,「なんすか?」
杏,「キミって、悠真クンと仲良いんだよね?」
爽,「向こうがどう思っているかは知らないすけど。少なくとも、入試の時から仲良くしているつもりっすよ」
杏,「へー? じゃあさ、悠真クンの弱点……知らないかな?」
爽,「いや、そう言われましても。あいつの弱点なんて、想像もつかないんすけど」
杏,「何でもいいからっ♪些細なことなら別に恨まれたりしないでしょ?」
爽,「ん~、弱点……弱点ねぇ」
杏,「別に弱点じゃなくてもいいから、何か彼の情報ない?」
爽,「情報……ああ、そう言えば。悠真には一つ下の妹がいるんすけど」
杏,「あ、うんうん。今年入学してきたんでしょ?」
爽,「ええ、そうなんすけど、これがまたとってもかわいくて。ガリガリでさえ無ければなぁ……」
杏,「キミの主観はいらないわよ?」
爽,「……こほん、要するにですね。妹のこなみちゃんを味方につけるというのはいかがです?」
杏,「味方に?」
爽,「ええ、味方に。……あーいや。さすがにそれは無いっすかね?」
杏,「妹ちゃんを味方に、か……うーん」
爽,「……あの、会長?」
杏,「よしっ! それでいこう!!」
爽,「え、マジすか」
杏,「ね、ね、それで妹ちゃんは何年何組?血液型は? 好きな食べ物は!?」
爽,「さぁ。おれも先週知り合ったばかりですし」
杏,「…………」
爽,「え、ちょっと、何すか!その『うっわ、コイツ役に立たねぇ』みたいな顔は!?」
帰宅後。部屋へと戻る前にリビングに顔を出してみる。
こなみ,「兄さん、おかえりなさい」
ティナ,「こんな時間にかえってくるなんて、ふりょーですね」
悠真,「学生にもいろいろあるんだよ。……それよりも」
顔を合わせるなりツッコミどころしかないなんて、どういうことなんだ。
悠真,「ティナのその格好はなんだ」
ティナ,「きのうの夜、コナミさんにいただきました」
悠真,「こなみに……?」
こなみ,「サイズの合うパジャマがこれしかなかったから」
悠真,「むしろ、いつそんなエキセントリックなパジャマを買ったんだ」
こなみ,「何年か前に、ノリで。でも、一度も着てないの」
まぁ……普通に考えたら、なかなか着られないだろうな。
ティナ,「あたたかいです。きのうも今日も、ぐっすりねむれました」
悠真,「そうか、それはよかったな。で、どうしてこの時間からパジャマを着てるんだ?」
ティナ,「ですから、今日もぐっすりねむれました」
悠真,「……ずっと昼寝してたのか?」
ティナ,「ユウマさんのおふとんも、なかなかの寝心地です」
しかも人のベッドを勝手に使っていたのか。
悠真,「まったく……居候にしてはいいご身分だ」
こなみ,「兄さん、嫌味な姑っぽくなってるよ」
悠真,「姑で結構だ、葵さんにも迷惑かけてるしな。せめて家事の手伝いくらいはしても……」
葵,「悠真くんおかえりなさいっ!晩ご飯の準備出来てるから、早く着替えて来てねっ」
と、思ったが。葵さんが、ティナにやらせるわけないか。
ティナ,「アオイさんのごはん、おいしいです。おなかペコペコなので楽しみです」
葵,「えへへ、ありがとうティナちゃん♪みんな揃うまで、座って待っててねっ」
ティナ,「わかりました」
葵さんに連れられて、ティナはとことこ料理の並ぶテーブルの方へと行ってしまう。
待たせるのも悪いし、着替えてくるか……。
こなみ,「あの、兄さん。ちょっといい?」
悠真,「ん、どうかしたか?」
こなみ,「相談したいことがあるから、ご飯の後で部屋まで来てほしいんだけど」
悠真,「相談……? 分かった」
珍しいな、こなみからなんて。
こなみ,「うん、よろしくね」
それほど深刻な様子ではないようだが。……とにかく、食事の後で行ってみるか。
そして、夕食後。
相談は、今夜も対局の相手をしながら聞くことになった。
悠真,「[――]将棋部?」
こなみ,「うん。あったら入りたいんだけど、ないの?」
悠真,「とりあえず、うちの学園では聞いたことないな。あ、悪い。これってもしかして詰みか?」
こなみ,「…………」
本日二度目の対局。
こなみ,「参りました」
悠真,「よくわからないが、おつかれ」
こなみ,「よくわかってない人に負ける悔しさと言ったら」
相変わらずの連勝街道を更新してしまった。
もちろんルールはわかっているが、感覚で指しているため、手を抜いてやろうにも俺にはそのやり方すらわからない。
こなみ,「う……」
悠真,「どうした、足が痺れたのか?なんなら、足のマッサージでもするぞ」
こなみ,「勝者は余裕があるよね」
悠真,「別に余裕と言われるほどのことでもないが……」
こなみ,「そんな余裕綽々の兄さんには、妹の足をマッサージする権利を与えます」
悠真,「はいはい。勝者の余裕で揉んでやるよ」
こなみが俺に向けて、痺れた足を伸ばしてくる。
そんな足を軽く揉んでみると、男の俺と違ってとても柔らかい。
……妹も知らないうちに、どんどん女らしくなっていくんだな。
悠真,「どうだ?」
こなみ,「ん、気持ちいい」
悠真,「そいつは良かった。しかし正座が苦手なくせに、対局するときは必ずするよな?」
こなみ,「将棋は正座で指すのが礼儀だから」
悠真,「こなみの将棋に対する姿勢は、プロ顔負けだな」
こなみ,「でも、兄さんには正座も将棋も勝ったためしがないよ?」
悠真,「将棋はともかく、正座は競うものじゃないだろ」
こなみの足の裏や指の付け根を揉みほぐしながら、少しばかり苦笑してしまう。
そんな俺を見てか、こなみはちょっと悔しそうだ。
こなみ,「精進あるのみ、かな」
悠真,「だな。俺が暇なときは揉んでやるよ」
こなみ,「足を? それとも将棋の腕を?」
悠真,「どっちもだよ……っと、はい終わり。それじゃ、駒を片付けるぞ」
こなみ,「あ、片付けは自分でする」
悠真,「なら、頼む」
こなみ,「兄さんの[玉,タマ]、片付けるね」
悠真,「タマじゃなくて、ギョクな」
こなみ,「次こそは兄さんの[玉,タマ]、獲ってみせるよ」
悠真,「だからギョクって言え、違う意味に聞こえる」
わざと言ってるんだとわかってても、ついツッコミを入れてしまう。
ちなみに本来は、段位が上の人……ようは強い人が王将を使い、下位の人がギョクを使うらしい。
勝ち続ける俺に、王将を使えとこなみは言うが、駒も将棋盤もこなみのだからな。王将は譲ることにしている。
……まぁ、そもそも俺は、そう言ったこだわりを持っていないというのもあるが。
こなみ,「わたしの玉は獲らせないからね」
悠真,「こなみに、タマはないだろう?」
こなみ,「いきなりシモネタ?」
悠真,「シモに誘導したがっているのはお前だ。さっさと片付けるぞ」
こなみ,「タマがあったら弟になっちゃうね。ということで、この玉は譲渡」
悠真,「はいよ」
こなみの手から、ギョクを受け取る。
こなみ,「これからも妹ということで、ひとつ」
悠真,「とつぜん弟になっても、朝は起こしてやるよ」
こなみ,「なら安心だね」
悠真,「……早く、ひとりで起きられるようになろうな」
こなみの将来を心配しつつ、片付けを見守るのだった。
;※■4月9日(火)
火耀日(星期二)
今日は、いつも通りに美桜やこなみと三人での登校だ。
しかしティナのやつ、今朝は起きてすらこなかったな。そろそろ、ニート妖精とでも呼んでやりたくなってくる。
こなみ,「今日は、兄さんの賞金いくらになってるだろうね」
美桜,「そろそろ五万円くらいいっちゃったり?」
悠真,「まったく嬉しくないな……」
美桜,「あれ、なんだろー?」
金額が上がったからと言って、俺になにか良いことがあるわけじゃない。
男子生徒B,「おっ、なんだこれ?」
女子生徒B,「えーこれってマジでー?」
男子生徒A,「いきなりラスボスきちゃった感じっすなー」
美桜,「ユウくん、見て見てー」
悠真,「ん? 何をだ……って」
悠真,「こ、こなみ……!?」
こなみ,「兄さんとお揃いだね」
悠真,「あのな……揃わなくていいだろう、こんなの」
美桜,「こなみちゃんすごいねー。ユウくんより賞金が多いよ!」
こなみ,「ついに兄さんを越えました。嬉しいです」
悠真,「いや、そんな冗談を言ってる場合じゃないと思うが」
仲良く並んだ、こなみと俺の手配書を眺めながら、これはどういうことだと考えずにはいられない。
……とりあえず、これを貼ったであろう犯人に、後で事情聴取するとしよう。
休み時間。
俺はとある犯人を探すために、廊下をうろついていた。
まぁ、その犯人と言うのは、俺の目の前で大声を上げているわけなのだが。
夕莉,「ちょっと花、これはなんなのっ!?」
花子,「いきなりあによっ!?あんたって年がら年中、怒ってるんじゃない?」
夕莉,「わたしを怒らせてるのは花でしょう?これはどういうことなのよ」
花子,「は?賞金首のポスターだけど?」
夕莉,「だから、どういうことなのかって聞いているのっ」
どうやら月嶋妹の方は、姉に対して俺と同様の質問をぶつけているみたいだ。
これは一足遅かったかな、と思いつつ二人に声を掛ける。
悠真,「よう、姉妹喧嘩か」
夕莉,「あ、浅葉くん!?」
花子,「のわっ!? 浅葉悠真!?」
悠真,「月嶋、俺もそっちの姉に用事があるんだが、いいか?」
夕莉,「え? え、ええ……」
花子,「しっしっ、あんたなんてお呼びじゃないわよ」
悠真,「姉妹で顔はそっくりなのに、ずいぶんと対照的な反応だな」
夕莉,「一応、双子なんだけどね……」
花子,「別に双子だからって、性格まで似るわけないでしょーが」
……本当に対照的だ。
悠真,「ところで花子。これについて説明してくれるか」
花子,「花子言うなっ!」
悠真,「じゃあ、ダンゴムシ」
花子,「だからなんでそうなるのよ!」
夕莉,「あ、浅葉くんって、花と知り合いだったの?」
悠真,「ちょっと、ポートなんとかの縁でこの前な」
花子,「どんな縁よっ!?それと、あたしの呼び名は[真影の暗殺者,ポートレートアサシン]だってば!」
夕莉,「え? ポート……?」
悠真,「おい花子。妹も知らないのに、誰がそう呼んでるんだ?」
花子,「うっさいわね、ほっときなさいよ!それより、花子言うな!」
悠真,「じゃあ、妹とどう呼び分ければいいんだよ?」
花子,「夕莉のことはブスとでも呼んでおけばいいわ。そして、あたしのことは月嶋様と呼ばせてあげるわよ?」
悠真,「分かったよ、花子」
花子,「だから花子って言うなぁーーーっ!」
夕莉,「あ、あの、浅葉くん」
悠真,「ん、なんだ月嶋?」
夕莉,「その……ごめんなさい。花が色々と迷惑をかけちゃったみたいで……」
悠真,「花子がやったことだろ。月嶋が謝る必要は無いと思うが」
花子,「まったくその通りだわ」
悠真,「花子は黙っていてくれ」
花子,「だから花子って言うなぁーーーっ!」
悠真,「そう呼ばれたくなかったら、人の妹を勝手に賞金首にしないでくれ」
花子,「勝手にって、人聞き悪いわねっ!」
夕莉,「こなみさんは知らないんでしょ?じゃあ勝手にしたんじゃない!」
花子,「なんですってぇ!?」
悠真,「待て待て。俺は別に、怒鳴り合いをしたいわけじゃない」
姉妹のにらみ合いが始まろうとしたところで、俺はその根源をバッサリと切って捨てることにする。
ここで喧嘩になったところで、一つしか無い問題がいくつにも膨れあがるだけだしな。
悠真,「なぁ花子。これはお前ら新聞部が独断でやっているのか?」
花子,「あたし達が作ってるのは確かだけど……い、色々あるのよ!」
夕莉,「色々って何? それは、浅葉くんやこなみさんを困らせてまで、やる理由になるの?」
花子,「そ、それは……」
悠真,「理由があるならちゃんと聞こう。話してくれないか?」
なるべく角が立たないように優しく言ってみる。
俺としても理由が聞けるならば、納得することがあるかもしれない。
花子,「あ、あたしも女子たちに頼まれただけで……」
悠真,「頼まれた?」
花子,「アンタのファンの子達に……その」
夕莉,「だからって、やっていいことと悪いことがあるでしょ?」
花子,「うう……わ、わかってるわよ、それくらい!でも、頼られたら応えてあげたくなっちゃうでしょ!?」
夕莉,「なっちゃうでしょ、じゃありません!」
つまり、なんだ。
俺をダシに騒ぎたい連中がいて、花子はそれに担ぎ上げられたってだけか。
夕莉,「ちょっと、浅葉くんからもなんとか言ってあげて?」
悠真,「そうだな……こなみのも頼まれたのか?」
花子,「ええ、そうよ。男子連中がぞろぞろと集まって、あたしにお願いしてきたわ」
悠真,「それで、すぐにポスターを作って貼り出したわけか」
花子,「それも、ちゃんと生徒会公認のね」
悠真,「なに?」
言われてポスターを見てみると、確かに生徒会承認のハンコが押されていた。
悠真,「本物……?」
夕莉,「そう……みたいね」
悠真,「いったいどういうことだ。ハンコを押したのは、俺のポスターだけじゃなかったのか?」
花子,「ふふん、甘いわね浅葉悠真!もしものために、写真なしの白紙ポスターにもハンコを押しまくっておいたのよ!」
夕莉,「えっ……!?」
まあ、それはそれとして。
悠真,「花子、俺からふたつほど聞きたいことがあるが答えてくれるか?」
花子,「な、何よ……」
悠真,「生徒会からは、今回の件について何か言われていたか?」
花子,「今回の……?あー、そうそう。会長から散々小言をいわれたわね。ふん、自分たちからハンコ渡してきたくせに」
悠真,「そうか」
どうやら会長は、しっかり俺との約束を果たしてくれていたみたいだ。
……結果は散々だけど。
しかしまあ、こればかりは会長だけが原因じゃない。どちらかといえばこちらが本題だ。
悠真,「じゃあ、あともうひとつ。悪いことをしたとは思っているか?」
花子,「そ、それは……」
夕莉,「花、どうなの?」
花子,「その……ちょっと悪ノリし過ぎたかな、とは思ってるわよ」
夕莉,「花……それが悪いって態度?」
花子,「な、なによっ!だから、悪いことしたとは思ってるっつーの!」
夕莉,「じゃあ、しっかり浅葉くんに謝りなさい!」
花子,「う……そ、その。……悪かったわね」
よっぽど謝るのがイヤなのか、プイッと顔を背けながら謝罪の言葉を口にする花子。
夕莉,「は~な~?しっかり謝りなさいって言ってるでしょ!?」
花子,「う、うぅ……」
悠真,「大丈夫だ、月嶋。反省しているなら、それでいい」
夕莉,「でも、浅葉くん……」
悠真,「つまりお前は、みんなが楽しんでくれるかも、って思ってやったんだろう?」
花子,「えっ?」
悠真,「何だ? 違うのか?」
花子,「それは、まぁ……」
悠真,「なら話は簡単だ。今度からはもう少し、迷惑にならない形で楽しませてくれ」
夕莉,「ちょ、ちょっと浅葉くん!?」
悠真,「俺からは以上だ。月嶋もそれでいいか?」
夕莉,「でも、こなみさんが……」
悠真,「あいつも気にしていない様子だった。むしろ賞金額が俺より高いから、喜んでいたくらいだ」
夕莉,「……浅葉くんがそう言うなら」
悠真,「だから、今後は慎んでくれるなら今回はチャラにしよう。それでどうだ?」
花子,「しょ、しょうがない……わね」
悠真,「よし、俺と花子との約束だ」
花子,「う~……だから、花子言うなっ」
悠真,「月嶋も、悪いな」
夕莉,「ううん、大丈夫」
夕莉,「でも……花? 浅葉くんが許しても、わたしは許さないからね。帰ったら、みっちりお説教よ」
花子,「ひっ……」
悠真,「……どこの家庭も、妹の方が強いのだろうか」
つい、そんな感想が口を突く。
俺は月嶋姉妹の様子を眺めながら、どこかほほえましい気持ちになった。
ぼんやりと授業の内容を聞き流していると、昼休みを告げるチャイムが鳴り響く。
悠真,「さて」
学食に行くために席を立ち、廊下へと出てみると……。
こなみ,「あ、兄さん」
悠真,「ん?」
こなみ,「今からお昼? 良かったら一緒していい?」
悠真,「……あぁ、そうか。弁当を持って来ていないんだったな」
こなみと一緒に……か。そうだな[――]
;▽選択肢
学食に誘ってみる
断る
;#seladd text=学食に誘ってみる target=*kyo05_01
;#seladd text=断る target=*kyo05_02
;※A.学食に誘ってみる(好感度+1)
悠真,「別に構わないぞ」
こなみ,「ほんと? 断られると思っちゃった」
悠真,「断る? って、なんでだ?」
こなみ,「だって兄さんのことだから。『友達作りのために、クラスメイトと仲良く食べなさい』とか言いそうだし」
悠真,「……それもそうだな。じゃあそうするか?」
こなみ,「兄さんのいじわる」
悠真,「冗談だよ。今から学食なんだが、一緒に行くか?」
;※■合流1へ
;※B.断る
悠真,「せっかくなんだし、俺とじゃなくてクラスメイトを学食に誘ってみたらどうだ?」
こなみ,「兄さんは、妹とお昼を過ごすのがいやなの?」
悠真,「そういうわけじゃないが……友達を作る、良い機会だろ?」
こなみ,「兄さんとがいい」
悠真,「……はぁ」
懐かれて悪い気はしないが。
ここまでマイペースだと、クラスメイトと仲良くやれているのか不安になるな。
悠真,「わかったわかった。それじゃ、一緒に学食へ行くか?」
;※■合流1へ
;※■合流1 ここから■
こなみ,「うん。行く」
嬉しそうにするこなみと並んで、学食へと歩き出す。
……と、そこで再び思うことがあった。
こなみが弁当を持っていないということは[――]
葵,「あー、二人ともいたっ!」
悠真,「…………」
こなみ,「兄さん、葵さんがこっちに向けて猛ダッシュしてくるよ?」
悠真,「そうみたいだな。あとみんなの前では、葵さんではなく浅葉先生だ」
こなみ,「どうする? 逃げる?」
悠真,「いや、逃げる必要も無い……と、思うんだが」
などと問答をしている内に、葵さんが到着する。
葵,「はぁ、はぁっ、ま、間に合った……。二人に、食費わたすの、わ、忘れちゃって……!」
悠真,「浅葉先生、廊下を走るのはどうかと思います」
葵,「で、でもね、お母さんね、二人にお小遣いを、渡しそびれて……」
ふー、と息を吐き、呼吸を整える葵さん。
こなみ,「先生、そういうのは家でお願いします」
葵,「えー? お小遣いあげるぐらい、許してほしいなー」
悠真,「校内で教師が生徒にお金を渡してたら、問題ですよ。今日のこなみの飯代は、俺が出しときますから」
葵さんの負担を軽くするため、週に二、三回は、学食や購買で食べることにしている。
どんなに疲れていても手作り弁当を用意してくれる人なので、説得するのにはかなり苦労した。
ちなみに今日は、こなみが初めて学食で食べる日となる。
葵,「おウチに帰ったら、悠真くんのぶんもわたしが払うからね」
悠真,「気にしないでください。……って言っても聞いてはもらえませんよね?」
葵,「うん、気にしちゃう。子供にお金を使わせたがる親がいると思う?」
悠真,「それは、まぁ」
こなみ,「兄さん、もらっておけば?」
悠真,「……そうだな。じゃあ、ありがたく後でいただきます」
葵,「うん、い~っぱいあげるねっ♪」
悠真,「使った分だけでいいですから」
ポンッと大金を渡してしまいそうな勢いなので、あらかじめ釘を刺しておく。
悠真,「んじゃ、行くかこなみ」
こなみ,「うん。それじゃ、浅葉先生」
葵,「はい、いってらっしゃい。たくさん食べてくるんだよっ!」
悠真,「はい。失礼します、浅葉先生」
葵さんに見送られて、俺とこなみは学食へと向かう。
本来であれば葵さんも食事に誘いたいが……ここでは教師と生徒だからな。そういうわけにもいかない。
こなみ,「おおー」
悠真,「こなみ的には合格というところか?」
こなみ,
「うん。明るくて雰囲気もいいし、素敵な食堂だね」
美颯学園の学生食堂は、レジや給仕などを学生が……それも、基本的には寮生のアルバイトでまかなわれている。
というのも、寮の食事もここで出しているため、寮生の自主性向上の一環ということでここでのバイトを奨励しているそうだ。
こなみの言うように雰囲気も良いが、味もなかなかだと思う。全体的に、レベルの高い学生食堂と言えるだろう。
悠真,「こなみの学食デビューだ。なんでも好きな物を頼めよ」
こなみ,「ここは食券とか買わなくていいの?」
悠真,「学食と言えば定番だがな。残念ながら、ここはオーダー式だ」
こなみ,「それはそれで大変そうだね」
悠真,「確かにな。特に学生が大挙してくるこの時間は、店員も忙しそうにしてるぞ」
こなみ,「兄さんもその一員だけど?」
悠真,「今日からは、こなみもな。それより空いてる席、どこがいい?」
こなみ,「外の景色がよく見えるとこ」
悠真,「んじゃ、あそこだな。行くか」
こなみを連れて窓際の席を確保する。
まだここを利用する一年生がほとんどいないお陰か、今日はやたらと空いている。
しかもこんな見晴らしの良い席を取れることはそうそう無いので、ラッキーと言えるだろう。
悠真,「さて……どうする?」
こなみ,「兄さんは何を食べるの?」
悠真,「んー、そうだな……」
いつも何を頼んでいたかな、と頭の中に思い浮かべていると、不意に声を掛けられる。
夕莉,「いらっしゃいませ。メニューお持ちしました」
悠真,「え?」
夕莉,「……え?」
悠真,「えーと……月嶋、か?」
夕莉,「そう……ですね?」
言葉遣いに戸惑ったのか、敬語が混じる。
そう言えば月嶋も寮生だったが……まさかここでバイトしていたとは。
何度も来ているというのに、今まで見かけなかったのが不思議なくらいだ。
こなみ,「夕莉先輩、それ似合ってる。ね、兄さん」
悠真,「ああ、確かに」
夕莉,「これは、その……」
もじもじと、視線を気にしている様子の月嶋。
悠真,「気に入ってないのか、制服?」
夕莉,「そ、そうじゃないけど。ちょっと、その、恥ずかしくって……」
悠真,「恥ずかしい……か」
夕莉,「う……な、なんですか」
似合っているのは本当なんだがな。
こなみ,「兄さん」
悠真,「……っと」
テーブルの下でこなみの爪先が、俺の脚をぽてりぽてりと突いてきたので、視線をそらす。
つい、まじまじと見すぎてたみたいだ。
悠真,「それで、月嶋はここでバイトか?」
夕莉,「ええ、まぁ。寮住まいだから、なにかとお金がいるし」
悠真,「そうか……それにしても大変だな。風紀委員の仕事だけじゃなく、バイトまでして」
夕莉,「この仕事は楽しいからいいんだけどね。風紀委員会のほうは大変」
悠真,「そう言えば、前の委員長が辞めたんだったな。それが響いているのか?」
夕莉,「ええ。うちの学園の風紀委員は選出方法が少し変わってるから、人数にも余裕がなくて……」
確か各クラスから選ばれるんじゃなく、学年から数名選抜されるんだったか。
普段の生活態度や遅刻回数、諸々を選考材料にされた、学園公認の優等生集団みたいなものだ。
そして、そんな優等生の筆頭である風紀委員長が月嶋だ。
悩みは、一つや二つでは足りないことだろうな。
夕莉,「次の風紀委員選出はまだ先だから、できればそれまでに新しい人を入れたいのだけど……」
悠真,「なるほどな、それは悩みの種だ」
夕莉,「そうね。だけどもっと深い悩みの種が一つあるの」
悠真,「それは?」
夕莉,「うん……神鳳先輩がね」
悠真,「神鳳先輩が? 何かしたのか?」
夕莉,「……ちょっとね」
そんな苦笑交じりの表情から察するに、どうやらあの人がやらかしたのは間違いなさそうだ。
ポスターのハンコの件もそうだが、案外ドジることが多いのかもしれない。
そんな俺たちのため息交じりの会話に、隣で見ていたこなみが不思議そうに首を傾げる。
こなみ,「じんぽー先輩って?」
夕莉,「あ、こなみさんは知らないのね。一応、ここの生徒会長よ」
こなみ,「その生徒会長さんがどうして問題に?」
夕莉,「ちょっとね。いろいろと困った先輩で……」
こなみ,「厄介な人なんですか?」
夕莉,「厄介というかなんというか」
悠真,「まぁ、一筋縄ではいかない感じはするな」
こなみ,「じゃあ、気をつけて会いにいかないと」
夕莉,「会いにいくの?」
こなみ,「はい、ちょっとした相談に」
悠真,「相談?」
こなみ,「部活のこと」
ああ、と納得する。
こなみ,「もう一回、調べてみたんだけど。やっぱり美颯学園に将棋部は無いみたいなの」
そう言えば昨晩、そんな話をしていたな。
こなみ,「だから、部員ひとりで新しい部を創れるか聞いてみる」
悠真,「なるほどな、そういうことか……」
夕莉,「こなみさんは、将棋が好きなの?」
悠真,「あぁ。父親の影響で、小さい頃からやってるんだよ」
そんな渋い趣味に、『へぇ~』と驚く月嶋。
まぁ、意外だよな確かに。
こなみ,「ところで兄さんと夕莉先輩に、その会長さんの攻略方法をお聞きしたいのだけど」
悠真,「と、言われてもな……」
夕莉,「そうねぇ……」
あの人に、攻略方法なんてあるのだろうか?
こなみ,「無いの?」
悠真,「正直言うと、俺にはよくわからん」
そもそも、先週知り合ったばかりの人だから、深く知らないと言うのが本当の所だが。
夕莉,「わたしも、ちょっとわからない……かな」
こなみ,「そうですか……」
悠真,「でも多分、力にはなってくれるんじゃないか?」
ポスターの件で相談した時も、責任の所在は置いておいて、相談に乗ってくれたしな。
こなみ,「わかった。それじゃ、後で生徒会室に行ってみるね」
夕莉,「気をつけてね、こなみさん」
悠真,「取って食うわけじゃないんだから、そこまで心配しなくても……って、そうだ。オーダー取りに来たんだろ?」
夕莉,「あっ! そ、そうだったわね」
たまたま空いているから良かったものの、ついつい長話をしてしまった。
悠真,「さて、メニューも来たことだし。こなみはどうする?」
こなみ,「じゃあ、兄さんのおすすめので」
悠真,「お前は外食する時も、いつも俺任せだよな。俺と同じのばっかりで……」
こなみ,「だって、そのほうがお会計も簡単だし」
悠真,「素直に面倒だからって言っておけ」
こなみ,「うん、自分で選ぶの面倒」
悠真,「そのうち食べるのも面倒とか言いだすなよ?」
こなみ,「その時は、兄さんに食べさせてもらうから」
悠真,「俺が食べさせるの前提かよ」
夕莉,「……ふたりは仲がいいのね。少し羨ましい」
ふと、俺とこなみの会話に、月嶋は少し寂しそうな声を漏らす。
そうして思い浮かぶのは、花子の傍若無人な姿。
しかしそれでも、なんだかんだ俺には月嶋姉妹の仲が悪いようには見えなかった。
悠真,「隣の芝は青く見えるってだけだ。ほら、接客係がそんな顔してたら、客が不安になるぞ」
夕莉,「うん、ありがとう浅葉くん。お客さんに励まされるなんて、接客係失格ね」
そう言って、柔らかく微笑む。
悠真,「……そうでもないかもな」
夕莉,「? どういうこと?」
悠真,「そうやって、月嶋の笑顔が見られるんだ。接客のされがいもあると思うぞ」
夕莉,「…………」
悠真,「?月嶋?」
夕莉,「あ、え、えっと……ちゅ、注文が決まったら呼んでね」
月嶋は、そそくさとテーブルから去って行ってしまう。
こなみ,「……さすが賞金首」
悠真,「どういうことだ?」
こなみ,「さぁ」
悠真,「ほら、なんでもいいから注文決めろ」
こなみ,「はぁい」
放課後のこと。
出席番号が同じ俺と美桜は、今週いっぱい週番をすることになっていた。
悠真,「ふぅ、こんなものか……。美桜、そっちはどうだ?」
美桜,「うん、こっちももうすぐ終わるよー」
シャーペンを走らせながら、返事をする美桜。
美桜,「ねえねえ、ユウくんの名前もわたしが書いていい?」
悠真,「ああ、悪いな」
美桜,「ううん。ユウくんには、黒板を消すのもやってもらっちゃってるしー」
効率のため、週番の作業は分担していた。
美桜,「あ、ユウくんの名前ちょっと曲がっちゃった」
悠真,「どれ、見せてみろ」
美桜,「待って。今、消して書き直すから」
悠真,「別に書き直す必要はないだろ、名前が曲がったぐらいで」
美桜,「ううん、もう少し可愛く書きたいしー」
日誌をここまで楽しそうに書ける週番も珍しいと思う。
悠真,「お前の字は丸いよなぁ……」
美桜,「ユウくんは国語の先生みたいに綺麗な字を書くよね」
悠真,「父親が国語教師で、字にはうるさかったからな。あとお前、ここの漢字まちがってるぞ」
美桜,「え、どこー?」
悠真,「ほら、ちょっとシャーペン貸してみろ」
美桜,「…………」
悠真,「ああ悪い、少し顔が近かったか」
ヘタに泣かせるわけにもいかないし、気をつけないとな。
美桜,「……ユウくんの喉仏にドキドキしちゃった」
悠真,「なんでそんなところにドキドキするんだよ?」
美桜,「えー、でも女の子は、割とそういうところ見ちゃうと思うよ?」
美桜,「あと、手の指とか甲の血管とか……」
悠真,「細かいところばかりだな」
こんな風に感情を素直に出せるのは、うらやましく思う時もある。
夕莉,「あ……」
悠真,「ん?」
教室の扉へ目を向けると、そこには月嶋の姿があった。
悠真,「月嶋、まだ帰ってなかったのか」
美桜,「夕莉ちゃんだ、どうしたのー?」
夕莉,「えと……ちょっと、人を探してて。ふたりは週番だったわよね」
美桜,「うん。これから先生に日誌を持っていくところ」
夕莉,「そうなの……じゃあ、がんばってね美桜」
美桜,「夕莉ちゃんも少しお話ししていかない?」
悠真,「人を探している、と言ってるだろ。なんなら手伝うぞ、月嶋?」
美桜,「あ、そうだねっ! 日誌出したらわたしも手伝うよ?」
夕莉,「それは……その」
一瞬だけ、月嶋は俺の顔を見る。
それに気付いて俺も目を向けるのだが、途端に顔をそらされてしまう。
悠真,「…………?」
夕莉,「せっかくだけど、大丈夫よ。二人とも知らない、風紀委員の人だから」
美桜,「そっかー。残念」
夕莉,「ふたりとも、また明日ね」
悠真,「あ、あぁ……」
美桜,「ばいばーい」
悠真,「…………」
どこか逃げるような後姿に、俺は納得がいかずに席を立つ。
うちのクラスの風紀委員は、月嶋だけだ。
なら多分、この教室に来たのは何か別の理由があったはずに違いない。
悠真,「悪い、美桜。日誌たのむな」
美桜,「うん、任せてー」
悠真,「月嶋」
夕莉,「え……?」
悠真,「何か、美桜に用事だったんじゃないのか?俺がいて都合が悪いなら、席を外すぞ」
夕莉,「…………」
しかし、所在なさげに立ちすくむ月嶋。
悠真,「悪い。違ったか?」
夕莉,「えっと、その……」
月嶋にしては珍しく、どうも歯切れが悪い。
夕莉,「ふ、二人きりのところを邪魔しちゃ、悪いかなって」
二人きり?って、俺と美桜のことだろうか。
悠真,「何を言ってるんだ?」
夕莉,「な、何って」
悠真,「俺も美桜も、ずっと昔の小さい頃から一緒なんだぞ?それに美桜の友達を、邪魔になんて思うわけあるか」
夕莉,「あ……うん、だよね」
悠真,「むしろ月嶋がいれば美桜も喜ぶだろ。ほら、一緒に……」
そう言って、月嶋を誘おうとした矢先。
美桜,「ユウくん、日誌書き終わったよー?」
教室の中から、とてものんきな声が聞こえてくる。
なんて間が悪いんだ、美桜……。
悠真,「……で、一緒にどうだ?」
夕莉,「ううん、大丈夫。わたしもまだお仕事あるし、行くね」
悠真,「そっか。悪いな、呼び止めて」
夕莉,「ううん。その……ありがと」
悠真,「いや、こっちこそ急いでるところ悪かったな。それじゃ、また明日」
夕莉,「うん、またね」
月嶋の後ろ姿を眺めながら、その様子のおかしさを考える。
悠真,「…………」
普段の真面目なものとも、昼のお茶目な雰囲気とも違うあれは一体、なんなのだろう?
そんな、答えの出ない疑問に頭を悩ませていると、美桜が教室から顔を出す。
美桜,「ユウくん、お仕事完了したよー」
悠真,「ああ、聞こえてるぞ。それじゃ、提出して帰るか」
美桜,「うんー」
ま、あれこれ詮索するのも悪いかもな。
月嶋にも事情があるだろうし、何より俺が首を突っ込むのもおかしな話だ。
悠真,「…………」
美桜,「ん? どーしたの、ユウくん?」
悠真,「いや、なんでも」
横手を歩く美桜を見ていると、やっぱり思わずにはいられないことがある。
美桜,「えへへー。日誌、かわいく書けたよー」
悠真,「そんなにがんばる必要、なかったんじゃないか?」
美桜,「いいの。だって楽しいよ?」
悠真,「……そうか」
やっぱり月嶋にも、こんな風に笑っていてもらいたいよな。
こなみ,「……失礼します」
杏,「あ、妹ちゃん!妹ちゃんでしょ、あなた!」
こなみ,「はい。妹ちゃんこと、浅葉こなみです。そういうそちらは神鳳先輩でしょうか?」
杏,「ええ。あたしが美颯学園生徒会長の、神鳳杏よ。よく来たわね!」
こなみ,「まるでわたしのことを待ち構えていたみたいですね」
杏,「あー、ちょっとお話してみたいな~、って思ってたら、ご本人が来たからね」
こなみ,「それは光栄です」
杏,「あたしのことは、お兄さんから聞いてたの?」
こなみ,「ええ、まぁ」
杏,「そっかそっかー。『俺、杏先輩のこと好きになっちゃったみたいだ……』とか言ってた?」
こなみ,「いえ、特には。ただ、苦悩の表情を浮かべていました」
杏,「微妙な反応だー」
こなみ,「嫌ってるわけではないと思いますが、ちょっと苦手かもしれません」
杏,「えぇ、そうなのー? それはショックかも」
こなみ,「あの……ところで今日は、聞きたいことがあって来たのですが」
杏,「あ、ごめんね。なにかな?」
こなみ,「実は新しい部を創りたいのですが、部員ひとりでは無理でしょうか」
杏,「新しい部、かぁ……ちなみに何部を創りたいの?」
こなみ,「将棋部です」
杏,「へぇ、こなたんは将棋をする人なんだ」
こなみ,「こなたん?」
杏,「なみたんの方が良い?」
こなみ,「いえ、会長さんのお好きなように」
杏,「くすっ、動じないところはお兄さんにそっくり。でも、新しい部か……」
こなみ,「やはり、部員ひとりではダメでしょうか」
杏,「う~ん……部ではなく同好会としてならOKだけど、部活動じゃないから部費は下りないと思うよ?」
こなみ,「あ、それでしたら取りあえずはこれでどうにかしようかと」
杏,「自分の賞金を自分で受け取るの?」
こなみ,「はい。問題がありましたか?」
杏,「新聞部に聞いてみないと、ちょっとわからないけどね。でも、このイベントはもう終わりらしいよ?」
こなみ,「終わり?」
杏,「今朝、新聞部の部長さんが来てね。珍しく落ち込んだ様子で、終わりにするって言ってたの」
こなみ,「となると、賞金は……」
杏,「残念だけど」
こなみ,「大金を手に入れるチャンスだったのに……」
杏,「こなたん、なかなか図太いね?晒し者にされたんだから、怒りそうなものだけど」
こなみ,「特に何も変わったことはありませんでしたし、気にしていませんよ」
杏,「さっすが兄妹。強いなぁ」
こなみ,「それで、同好会ということでも構いませんので。申請の仕方はどうすればいいですか?」
杏,「ん~……よし! こうしようか。こちらの出した条件をクリアしたら部として認める。どう?」
こなみ,「いえ、あの。同好会でも構わないと今……」
杏,「部員、欲しくない?」
こなみ,「…………」
杏,「この条件をクリアすると、なんと部活動を承認しちゃう上に部員までついてきます!」
こなみ,「はあ、それでしたら一応、聞くだけでも」
杏,「ふふふ……将棋で、あたしと勝負して勝つ!」
こなみ,「勝てばいいんですか?」
杏,「そう、あたしに勝てばいいだけ!」
こなみ,「ちなみに、負けたらどうなりますか?」
杏,「うーん、そうだねー。どうしよっかなー?」
こなみ,「……あの。ひょっとして、ですけど」
杏,「うん? なぁに?」
こなみ,「先輩って腹黒ですか?」
杏,「よし! 対局を始めよっか、こなたん!」
こなみ,「なるほど。兄さんが苦悩する理由がわかりました」
夜、リビングで夕飯ができるのを待っている時のこと。
ティナ,「ごっはん、ごっはんー♪」
悠真,「……なぁ、ティナ。お前、昼間は何をしていたんだ?」
ティナ,「おひるねですが」
悠真,「恋の妖精はどうしたんだ?」
ティナ,「こい……? あっ」
どうやら、本気で引きこもり生活をしているようだ。
悠真,「忘れてたのか?」
ティナ,「そんなわけないです。そもそもユウマさんがいけないのです」
悠真,「何で俺のせいなんだよ」
ティナ,「だれと恋をするのかはやく決めてください」
悠真,「だから、そもそも興味がないと言ってるだろ?」
ティナ,「これでは商売あがったりです。ごはんをたべて寝るしかないじゃないですか」
悠真,「いや、他にもあるんじゃないか?俺をその気にさせるとか」
ティナ,「そのくらいはじぶんで何とかしていただかないと、わたしも過労でたおれてしまいます」
悠真,「働けよ、恋の妖精」
と言っても、俺のために恋の妖精をがんばってもらいたいわけでもないが。
悠真,「けどお前な、いくらなんでも食っちゃ寝をするだけと言うのは[――]」
こなみ,「……ただいま、帰りました」
ふらりと、制服姿のこなみがリビングに入ってくる。
悠真,「あ、ああ、お帰り。遅かったな」
ティナ,「おかえりなさいです、コナミさん」
こなみ,「…………」
悠真,「って、どうしたこなみ? すごい顔色だぞ?」
葵,「ど、どどどど、どーしたの、こなみちゃんっ!?」
こなみ,「わたしの、わたしの……」
葵,「何があったの? お母さんに相談してみてっ、何だって聞いてあげるからっ!」
悠真,「こ、こなみ……?」
生気の無い表情は、さながらゾンビのようだった。
悠真,「おい、いったい何があったんだ?」
こなみ,「わたしの、玉を……」
悠真,「……タマ?」
こなみ,「取られました」
葵,「[――――]!」
悠真,「あ、葵さん!?」
そんなこなみの衝撃告白に、葵さんは泡を吹いて倒れてしまうのだった。
結局のところ、なんてことはない。
こなみ,「将棋に負けてしまいました」
ということだそうだ。
葵,「はぁ~、良かった。お母さんてっきり……」
こなみ,「てっきり?」
葵,「え? え、えーっとぉ……あ、そうだ!夕飯の用意するね~っ」
ティナ,「てっきり、何ですか?」
悠真,「俺に聞かれても知らん」
こなみ,「わたしにも教えて?」
悠真,「こなみが言ったことだろうが」
俺に何を言わせたいんだ、コイツらは。
悠真,「しかし、青い顔して帰ってくるから、何かと思ったぞ」
こなみ,「また入院しちゃうと思った?」
悠真,「縁起でも無いことを言うんじゃない」
ティナ,「コナミさん、どこか調子がわるいのですか?」
悠真,「ああ、いや。今の話じゃなくてな……」
こなみ,「ちょっとね。小さい頃に入院してたことがあるの」
ティナ,「にゅういん……そうだったんですか」
こなみ,「楽しかったな、入院生活」
悠真,「何を言っているんだお前は。毎日ベッドで退屈そうにしてただろうが」
こなみ,「でも、毎日かかさず兄さんが来てくれたし。父さんもちょくちょく顔を見せてくれたよ?」
そう言えばそうだった。
小さい頃のこなみは、俺にはあまり懐いておらず、父さんにベッタリだったからな。
今でこそ、軽口で俺をからかうまでに仲良くなったが……それを思うと、実に感慨深い。
悠真,「父さんも仕事で忙しかったはずなのに、よく時間を作ってくれてたよな」
こなみ,「そうだね……兄さんも」
悠真,「俺は別に、やること無かったしな。それに、妹のお見舞いをするくらい当然だろ」
こなみ,「ふふっ……そっか。じゃあ、兄さんが入院したらわたしも毎日お見舞いしてあげるね?」
悠真,「だから縁起でも無いことを言うんじゃない」
ティナ,「その時は、わたしもいっしょにおみまいします」
悠真,「ティナが? 病院に来るのか?」
ティナ,「はい。わたしがおみまえば、たちどころに元気いっぱいですよ」
悠真,「…………」
死神がお見舞いに来るって、それこそ縁起としては最悪ではないだろうか。
悠真,「ま、病院の話は置いておいて。こなみが将棋で負けるとは珍しくないか?」
こなみ,「いつも兄さんには負けているよ」
悠真,「それはそうだが……。ネット対戦では、勝ち越してるだろ?」
こなみ,「一応、だけど」
悠真,「そんなお前を負かすツワモノが身近にいるとは思わなかったぞ」
こなみ,「うん、わたしもびっくり」
棋譜を思い浮かべているのだろうか、真剣に考え込む様子のこなみ。
このひたむきな姿勢がある限り、いつか今日の対戦相手にも勝てる日が来るのだと思う。
悠真,「いい勉強ができたな」
こなみ,「うん」
悠真,「それで? 心の傷はもう癒えたのか?」
こなみ,「兄さんが頭を撫でてくれれば大丈夫」
悠真,「ったく……仕方ないな」
こなみ,「んっ……」
こなみの頭に手を伸ばし、優しく撫でてやる。
悠真,「次はがんばれよ」
こなみ,「うん。負けないためにも修行する」
悠真,「修行?」
尋ねる俺の腕を、ちょいちょいとティナが引っ張ってくる。
ティナ,「わたしも頭をなでてもらえると、だいじょうぶです」
悠真,「何が大丈夫なんだよ……ったく」
それ以上なにか言うのも面倒なので、ティナの頭をクシャクシャと撫でてやる。
悠真,「それで? 修行ってどういうことをするんだ?」
こなみ,「実は師事を仰ぐことになりまして」
悠真,「師事を仰ぐ? 誰に?」
こなみ,「将棋部の部長に」
悠真,「え? 将棋部はないって言ってなかったか?」
こなみ,「なんと、本日発足」
悠真,「へぇ……そうだったのか」
神鳳先輩との話し合いが上手く行っていたんだな。
部員も、こなみ一人だと思っていたが、師事を仰げるような強い人もいるのであれば安心だ。
ティナ,「ユウマさん、ユウマさん。観たいテレビがあるのでもういいです」
悠真,「お前は本当に自由だな……」
撫でていた頭を自由にしてやると、たたーっとテレビの前へ行く。
というかティナのやつ、完全に我が家になじんでいるな。
悠真,「こなみ。学園生活、楽しくなりそうか?」
こなみ,「うん、とっても」
悠真,「なら良かった」
そうなると、目下の問題で一番大きいのは……。
ティナのことを脇によけておけば、神鳳先輩による生徒会への勧誘攻撃をどうかわすか、だな。
こればかりは、頭の痛い問題となりそうだった。
;※■4月10日(水)
水耀日(星期三)
美桜,「あれー? 今日はこなみちゃんいないの?」
悠真,「ああ、用事があるらしい。朝早く眠そうにして出ていったぞ」
こなみにしては珍しい早起き。
もしかしたら、今日から始まる部活に心が躍って仕方なかったのかも知れない。
美桜,「用事ってなんだろうね?」
悠真,「さぁな、こなみに会ったら直接聞いてみるといい。それより、いつものやるぞ」
美桜,「う、うん。よろしくねっ」
悠真,「ああ、こちらこそな」
美桜の手をそっと握ると、口元を押さえて声を我慢する。
美桜,「……っん」
そうして今日も電信柱一本分の距離を歩く。
いつものリハビリを終えて、俺と美桜は並んで学園へと向かう。
しかし、美桜の顔がまだちょっと腫れぼったいため、極力ゆっくりとしたペースでの歩みだった。
美桜,「はぁ……」
悠真,「泣いたことを悔やんでるのか?」
美桜,「昨日読んだマンガで、ちょっとショック受けて……」
悠真,「マンガ? 月嶋に取り上げられた、アレのことか?」
美桜,「ううん、あれはもう全部読み終わってるよ」
悠真,「……そうか」
なるほど、それで返すために学校まで持って来てたわけだな……。
美桜,「ユウくんが見た漫画の続きを昨日読んだの。そっちでは、ヒロインが男の人とケンカしててね」
悠真,「え? あの漫画にヒロインがいたのか?」
美桜,「うん。いたよー」
あの手の作品は男しか出ないと思っていたが、違うのか。考えを改めねばならないな。
悠真,「で、それがどうしたんだ?」
美桜,「その人がヒロインに向かって言ったの」
悠真,「なんて?」
美桜,「……すぐ泣く女はうぜえって」
悠真,「そうか」
美桜,「…………」
悠真,「……何が言いたい?」
聞かなくてもなんとなくわかるが。
美桜,「ユ、ユウくんも……うざいって思ったり、する?」
悠真,「……はぁ」
やっぱりな。
呆れるやら感心するやらで、思わずいろんなものが混じり合った息を吐き出してしまう。
悠真,「俺は、泣いている美桜をうざいなんて思ったことは一度もない」
美桜,「ほんと?」
悠真,「嘘ついてどうする。それより、本質から目をそらすほうが問題だと思うぞ」
美桜,「本質って?」
悠真,「お前は男にさわられて、泣かずに済むのか?」
美桜,「…………」
まぁ、これも聞かなくてもわかるのだが。
美桜,「む、無理~……」
悠真,「だろうな。でも、それを治すため、がんばってリハビリしてるんだろ?」
美桜,「それはそうだけど。いつ治るか分からないし……」
悠真,「じゃ、治るまで泣かしてやる」
美桜,「たくさん泣くよ?」
悠真,「たくさん泣けばいい。けど、その分だけ笑ってくれるなら、それでチャラだ」
美桜,「……笑うの?」
悠真,「ああ。笑ってくれ」
こいつは、周りを幸せにしてくれる笑顔を振りまく。
それに和んでいるのは俺だけじゃないはずだ。
こなみだって、月嶋だって、葵さんだって、爽だって。多分、周りの人間はみんな、美桜の笑顔が大好きなはずだ。
悠真,「笑顔はお前の得意分野だろ?だから代わりに、俺の前では泣いていいんだよ」
美桜,「…………」
悠真,「それじゃ、イヤか?」
ううん、と小さく漏らしながら首を横に振る。
美桜,「えへへ、なんかまた涙が出てきたー」
美桜の泣き笑いに苦笑が漏れる。
悠真,「……ああ、それで良い」
とても幸せそうな顔に、こちらも胸が温かくなってくる。
それは紛れもなく、俺の大好きな美桜の笑顔だった。
程なくして学園へ着くと、何やら騒がしい雰囲気に校内が包まれていた。
悠真,「まさか……」
花子のヤツ、懲りずにまた賞金首のポスターを……?
俺は靴を履き替えながら、なにやら騒がしい人だかりへと視線を向ける。
美桜,「ユウくん、すごい人だかりだねー」
悠真,「そうだな」
美桜,「何があったんだろう?」
悠真,「さぁ……いっしょに見に行くか?」
美桜,「うん。行こっ」
男子生徒にぶつからないよう美桜を誘導しながら、掲示板の前まで来ると……。
悠真,「…………?」
昨日まで貼られていたこなみのポスターと、ついでに俺のポスターもきれいさっぱり無くなっている。
だが、その代わりに『生徒会からのお知らせ』という紙が貼られており[――]
;▲生徒会将棋部というところをクローズアップ
;▲ディテールが見当たらない? ので、画像はそのままに
美桜,「生徒会将棋部?って何だろうねー?」
悠真,「……なんだろうなぁ?」
その紙には、『生徒会は、本日より生徒会将棋部に改名いたします』と書いてあった。
美桜,「あれ? ねぇねぇ、ユウくん。これって……」
悠真,「……こなみ?」
お知らせは、更に『新役員:浅葉こなみ(1年)』と続いている。
こなみのやつ、まさか……?
悠真,「悪い美桜、お前は先に教室へ行っててくれ」
美桜,「ユウくんはどうするの?」
悠真,「将棋部のことで、ちょっとな」
美桜,「え? あ、ちょっと、ユウくーん?」
美桜の声を振り切りながら、俺は生徒会室へ向けて急ぐのだった。
悠真,「…………」
神鳳先輩がいることを願いながら、生徒会室のドアへと手をかける。
すると先客がいたのか、よく聞き慣れている声が聞こえてきた。
夕莉,「神鳳先輩、これはどういうことなんですか!」
……月嶋、だろうか?なんとなく用件の察しはつくが。
俺はあえてノックもせず、扉にかけた手をぐっと引く。
悠真,「失礼します」
杏,「あれ、悠真クン?今日は朝からお客さんが多いなぁ」
夕莉,「浅葉くん……」
先輩の横には、こなみが控えていた。
こなみ,「兄さん、どうかしたの?」
悠真,「それはこっちのセリフだ。どういうことになってるのか、説明してもらいたいんだが」
こなみ,「うん。今日から生徒会で杏先輩のお手伝いをすることにしたの」
悠真,「……生徒会だと? 将棋部じゃなく?」
杏,「生徒会将棋部だよね?」
こなみ,「はい、そうです」
悠真,「どういうことなんですか、先輩」
杏,「そんな怖い顔で睨まないでほしいな」
悠真,「睨まれるようなことをしてるのが、悪いんでしょう」
夕莉,「浅葉くんの言うとおりです」
こなみ,「でも、少なくともわたしについては、兄さんに睨まれるようなことはしていないかと」
杏,「そうだそうだ~」
悠真,「なに? どういう意味だ、こなみ?」
こなみ,「だって、杏先輩が将棋部の部長」
こなみは手を添えてその部長さんを紹介してくれる。
神鳳先輩がそうです、と。
悠真,「……ちなみに聞くが。昨日負けた相手は?」
こなみ,「杏先輩」
悠真,「そして、お前の師匠というのが……」
こなみ,「将棋部の部長こと、杏先輩」
悠真,「……そういうことか」
杏,「んっふっふ、あたしはこなたんの師匠なのです」
悠真,「こなたん?」
杏,「こなみちゃんのことっ。かわいいでしょ?」
こなみ,「はい、かわいいです」
まぁ、本人が納得している呼び方なら、構わないが。
悠真,「…………」
こなみが将棋に負け、先輩を部長として将棋部が発足したのはわかった。
いや、正直それについても、よくわからないが。
しかしそれでどうして、こなみも生徒会へ入るということに至ったのだろう……?
こなみ,「どうやら、意味が分からずに思い悩んでいるようです」
杏,「うん? 今の説明で分からなかったの?」
こなみ,「恐らく」
杏,「う~ん。じゃあ、もっと詳しく説明しよっか?」
夕莉,「はぁ……そうですね。わたしも意味がわからないので、しっかり説明してください」
それまで先輩をずっと睨んでいた月嶋だったが、これ以上の威圧は意味をなさない事を知ってか、態度を崩す。
杏,「そう言えば、夕莉ってそもそもどうして怒鳴り込んできたの?」
夕莉,「生徒会の名称のことってさっき言ったじゃないですか!名前を勝手に変えるだなんて、非常識です!」
生徒会将棋部……だったか?
確かに月嶋みたいに規律に厳しい人間なら、怒鳴り込みたくもなるだろうな。
杏,「あー、それならいま話した通りだけど」
夕莉,「それでは意味が分かりません」
悠真,「俺も同じく」
杏,「えー?もう結構詳しく喋ったのになぁ」
杏,「んーと……なんだろ。簡単に言うと、ギブアンドテイクってヤツ?」
夕莉,「ギブアンドテイク?」
こなみ,「わたしが将棋部を作りたいと杏先輩に相談したのですが、一人だと同好会になるから部費もおりないらしく」
杏,「それで、生徒会も人数が少なくてとても困ってるんだよ~ってこなたんに相談をした結果」
;#say こなみ,「合体しました」
;#say 杏,「合体しちゃった♪」
こなみ/杏,「合体しました」「合体しちゃった♪」
何だかジャキーンと効果音が鳴りそうな具合に、こなみと先輩は仲良く合体ポーズをとっていた。
そんな二人を前にした俺と、たぶん月嶋も、同時に激しい頭痛に襲われる。
悠真,「それでこなみは、部活動ができる代わりに生徒会の仕事を兼務することになったわけか」
こなみ,「うん、そういうこと」
ようやく意味がわかった。確かに、ギブアンドテイクだ。
しかし、人数の少ない部活同士が部室をシェアしたり、合体したりすることは爽から聞いたこともあったが。
その合体相手が生徒会というのは聞いたことも無い。
夕莉,「ふざけないでください」
杏,「そんなつもりは無いんだけど?」
夕莉,「そんなことあります!」
杏,「どうして?」
夕莉,「生徒会は各部の予算割り当てなど、それらの仕事を公平に行うことが前提なんですよ?」
杏,「仮にも生徒会長なんだから、それくらい知ってるよ?」
夕莉,「それが特定の部活と合体なんて……他の部に対して、どうやって公平な立場を保つんですか?」
なるほど、言われてみればその通りだ。俺は月嶋の正論に対して、反対の言葉が思いつかない。
……が、神鳳先輩はそうでもないらしい。
杏,「部員人数と、実績に応じた額にするつもりだよ。ほら、これが予算表」
夕莉,「……これは」
杏,「問題ある金額にはなっていないと思うんだけどなぁ?」
既にその辺りは、上手いこと調整済みらしい。
さすが生徒会長。やる時はやるらしい。
夕莉,「そ、それでも、やっぱりおかしいです!代表機関である生徒会と、部活動が一緒になるなんて……」
杏,「だからギブアンドテイクなんだよ、夕莉」
夕莉,「……え?」
杏,「あたしはこなたんに将棋部を作りたいと相談されたから、生徒会に入ってもらう代わりに仕事を手伝ってもらう」
こなみ,「わたしは生徒会の仕事を手伝う代わりに、先輩は将棋部員として、一緒に部活をしてもらう約束です」
夕莉,「理解できなくは無いです。ですが……」
夕莉,「…………」
月嶋は言葉を詰まらせる。
それはきっと俺も同じなんだと思う。
こなみの為に部を作ってくれて、でも、そんな常識ハズレのことが許せるわけがなくて……。
正しいことばかりが正しいのだろうか?
……なんて考えもなくもない。
夕莉,「……わかりました。もう、結構です」
杏,「ありがと、わかってくれてよかったよ」
夕莉,「ええ。いくら言っても、先輩には通じないことが分かりました」
杏,「えー?夕莉の言うことも、ちゃんと聞いてるんだけどなぁ」
夕莉,「ただ、ひとつ知っておいて頂きたいことがあります」
杏,「うん? なにを?」
夕莉,「部活申請に必要な人数は最低五人です。現在の生徒会の人数を合わせても足りません」
杏,「あれ、そう? あたしと、こなたんと、肥田クンと……」
当人は恐らく寝耳に水だろうが、爽も知らないうちに、人数へと加えられていた。
相変わらず貧乏くじを引きやすいというか、哀れなヤツだ……。
杏,「あとは悠真クンに、夕莉が入れば合計五人?」
夕莉,「なんでわたしが入ってるんですかっ!」
悠真,「俺も、生徒会に入るのはお断りしたつもりですが」
杏,「悠真クンも夕莉も、あたしと合体しちゃえばぜんぶ解決なんだけどなー?」
夕莉,「しません」
悠真,「なんでもかんでも、くっつけたら解決するわけではありませんよ」
杏,「えー? でも風紀委員と一緒になれば、夕莉が困っててもあたし達が助けてあげられるよ?」
夕莉,「……結構です!」
神鳳先輩の申し出を、月嶋は力強く否定する。
夕莉,「とにかく。部活申請にも、生徒会の名称についても、風紀委員はそれを認めていないことはお伝えしておきます」
杏,「本当に堅いなぁ、夕莉は」
夕莉,「ちゃんと改めてください。それでは、失礼します!」
そう言って、月嶋は生徒会室を出て行った。
風紀委員の抱える心労の一端を垣間見た気がする。
まぁ、生徒会長の結果オーライな方針とは真逆だから、ぶつかるのもわかるんだが。
杏,「それで、悠真クンはどうする?」
悠真,「遠慮させてもらいます」
杏,「こなたんが心配じゃないの?あたし、何するかわからないよ?」
悠真,「妹が慕っている相手ですから。それに先輩のことは、ある程度信頼できると思いますので」
こなみ,「わ、兄さん大胆発言」
杏,「その信頼できる先輩と、一緒に働くチャンスだよ?」
悠真,「それとこれとは話が別なので、お断りします」
杏,「もー。本当に強情なんだから」
こなみ,「ガンコな兄ですので」
なぜ、俺が悪いみたいになってるのだろうか。
悠真,「……それはともかく。先輩、ありがとうございます」
杏,「え? と、突然なに?」
悠真,「こなみの……妹のやりたいことを尊重してくれたことに対するお礼ですが」
杏,「や、やめてよ。そういうの、照れ臭いし……」
悠真,「ただ、まぁ。月嶋とか爽とか、周囲の人間に相談してから事を運ぶべきだとは思います」
杏,「あたし、そんな衝動的に見える?」
悠真,「衝動的じゃない人なら、もっとマシな名称を付けていたと思いますよ」
『生徒会将棋部』って、ただくっつけただけだしな。
杏,「えー? こなたんは良いって言ったのになぁ。ね?」
こなみ,「ええ。この安直さ加減がたまりません」
センスというか、名称のバカな感じが、こなみのツボに入ってるだけに思える。
悠真,「名前はともかくとして。少なくとも月嶋の目には、衝動だけで動いているように映っているのかも知れませんね」
杏,「んー……ふざけているつもりは、これっぽっちも無いんだけどね」
悠真,「主観ではなく、客観で考えたらいかがでしょう?」
杏,「それも分かってるよ。……分かってるんだけどなー」
それは納得すると言うよりも、どこか自分へと言い聞かせるようにつぶやく。
そして先輩は優しく微笑んで、こう続けた。
杏,「だけどね。後でこうしておけばよかったなんて、そんな後悔をして過ごしたくないんだ」
悠真,「…………」
杏,「くすっ、なーんて。結局は自分の都合なんだけど」
照れくさそうに、先輩はそんな笑みを俺へと向ける。
その行動理念は、やはり俺のよく知る誰かに似ていた。
ある日、自分の命をなくしてしまった男。後悔をしないよう、全力で生きようともがく……そんな男に。
だから俺は、それを否定することなどできない。
……できるはずがないんだ。
悠真,「そうですか」
杏,「あれ? 納得しちゃった?」
悠真,「一部は納得しました。でも一部はそうでもありません」
杏,「半端だねー。その、納得していない一部って?」
悠真,「……先輩のやり方では、月嶋は笑顔になれないんじゃないかな、と思います」
杏,「ふふっ、だろうねー」
悠真,「……わかってるのなら、いいです」
杏,「ねね。悠真クンって、もしかして夕莉の彼氏?」
こなみ,「それはちょっと聞き捨てならないですね」
悠真,「違います……というか食いつくんじゃない、こなみ」
杏,「じゃあ、どうして夕莉を笑顔にしたいの?」
悠真,「そんなの、決まってるじゃないですか」
俺は生徒会室の扉に手を掛けながら続ける。
悠真,「みんな笑顔のほうが、良いに決まっているからです」
そう言うと、先輩はぽかんと、こなみは微笑むようにして。
悠真,「じゃ、妹をよろしくお願いします」
生徒会室から出て行く俺を見送ってくれた。
[――]放課後。
結局あれからずっと月嶋は不機嫌な様子で、何度か話しかけてはみたものの、まともに会話をすることもできなかった。
そんな状態で寮へと帰っていった月嶋が気になった俺は、保健室でひとつお願いしてみることにする。
悠真,「仕事があるなら、寮関係のを優先させてくれ」
奈緒,「寮関係の仕事だって?」
この人は養護教諭であると同時に、学園にある女子寮の寮監も務めている。
なので俺は、女子寮に関する仕事もたびたびする機会があった。
悠真,「どうしたんだ?そんな物珍しそうな顔をして」
奈緒,「珍しいだろう?お前が、自分から仕事をやりたがるなんて」
悠真,「そうか?」
奈緒,「そうだ。で、それは今日貼り出されてたアレに関連することか?」
悠真,「まぁ、そんなところだな」
奈緒,「生徒会将棋部……だったか? 適当な名前だな」
悠真,「それは俺も会長に伝えたよ」
奈緒,「手が早いな。もう神鳳とそんな仲になってるとは」
悠真,「アンタが何を想像しているか知らんが。俺はただの、妹を取られた哀れな兄ってだけだぞ」
奈緒,「ああ、そう言えばこなみも生徒会に入ったんだったな。もしかして、それで生徒会将棋部なのか?」
悠真,「……ま、そんなところだ」
詳しく説明するのが面倒な俺は、それだけ答えておく。
奈緒,「お前は面倒ごとに巻き込まれるのが好きだな」
悠真,「好きになったつもりはないぞ?」
奈緒,「ま、そういうことにしておこう」
何か含んでいるようで、俺としては納得しかねるが……。
奈緒,「さて。女子寮に関する仕事なら、竹だな」
竹……って、残った松と竹の仕事のことか。
悠真,「内容は?」
奈緒,「アタシの服の洗濯を頼む」
悠真,「……何を言っている?」
奈緒,「お前こそ何を言っている。悠真が望んだとおり、寮での仕事内容だぞ?」
悠真,「それは寮の仕事じゃないだろ」
奈緒,「これも社会勉強の一つだと思って、我慢しろ」
悠真,「はぁ……分かったよ。頼んだのは俺だし、やってやる」
奈緒,「下着が欲しいなら持って帰ってもいいぞ?」
悠真,「いるか、そんなの」
とりあえず名目を得た俺は、寮へと急いで出かけることにしたのだった。
ここの洗濯室は、普段は寮生だけじゃなく運動部なども利用している。
今まで何度か無料化を求める声もあったが、自宅の洗濯物まで持ちこむ学生がいたため、お流れになったと聞いた。
悠真,「さてと……」
全自動だし、さっさと放りこんでおこう。
悠真,「…………」
しかし、下着ぐらいネットに入れておこうと思わないのか、あの人は。
嫌でも黒やら透けてる下着に目がいく。
少なくとも、我が家では見かけない色とデザインであるのは間違い無い。
……とにかく、周りの目がないうちに済ませるとしよう。
夕莉,「あ、浅葉く……」
悠真,「え?」
色々と洗濯物を放り込んでいると、聞きなれた声の主がこちらへとやってくるところだった。
俺にやましいことは何一つ無い。なんせ、頼まれてやっているだけだ。
だが、月嶋的にはちょっと違うらしい。
夕莉,「…………」
悠真,「何か言ってくれないか」
夕莉,「浅葉くんがそう言う人だと思わなかった」
悠真,「それだと、俺が悪いように思えるぞ」
夕莉,「誰のだか知らないけど、汚したんでしょう?」
悠真,「……そう来たか」
俺をどういう人間だと思っているんだ、月嶋は。
悠真,「ひとつ言わせてくれ。恐らく、大きな勘違いをしていると思う」
夕莉,「どんな?」
悠真,「ここへは、洗濯に来ただけだ。それも、これは俺のじゃない」
夕莉,「浅葉くんのじゃないのだから、そういうことなんでしょ?」
しまった、悪い方へ言い訳をしたみたいだ。
悠真,「だからこれは、佐和田先生に頼まれてだな……」
夕莉,「佐和田先生?保健室の?」
良かった、通じたか。
悠真,「ああ。だからこれは、俺が汚したわけじゃない」
夕莉,「……という言い訳?」
悠真,「そんなに疑われるほど、俺は普段から変態じみてるか?」
夕莉,「冗談よ」
悠真,「いま、本気の目をしていた気がするぞ」
でもまぁ……。
こうして目的の人物に出会えたので、あの人に感謝せざるを得ないことだけは確かだ。
悠真,「…………」
しかし、放課後になったお陰だろうか。
月嶋からの不機嫌なオーラは、日中よりもずっと薄れていた。
夕莉,「何?」
悠真,「ああ、いや。月嶋も洗濯か?」
夕莉,「ええ。……見ないでもらえるとありがたいのだけど」
悠真,「っと、悪い」
俺は月嶋から目を逸らし、洗濯物を放り込む作業を続ける。
洗濯物を放り込みながら、月嶋の後姿へと視線をやる俺。
別に月嶋の洗濯物を見たいわけじゃない。
夕莉,「…………」
朝、生徒会室で見せた月嶋とは、まるで別人なほどに静かだ。
夕莉,「ねぇ。浅葉くんは、わたしが規律にうるさい人間だと思う?」
悠真,「俺はうるさいと思ったことは無いな。月嶋が言うことは、いつだって正しいし理に適っている」
それが、会長みたいな人とは軋轢を生むのだろうけど。
でも決して、月嶋は悪くない。それは断言できる。
夕莉,「ありがとう。そう言ってもらえると、ちょっと嬉しいな」
悠真,「朝のこと、気にしてるのか?」
夕莉,「…………」
その問いに、月嶋は顔を伏せて小さく黙り込んでしまう。
なんと言ってフォローするべきか考えていると、月嶋はぽつりとつぶやく。
夕莉,「会長は、すごいよね」
悠真,「まぁ……そうだな」
夕莉,「自分が正しいと思ったことは、何が何でも実現しちゃう。それが例え、ルールを破ることになっても」
悠真,「…………」
朝の一件だけでなく、もしかしたらそれ以前にも、ああいうことがあったのかもしれない。
夕莉,「でもね、わたしはどうしても風紀委員長として言っておかないと、って思ったんだ」
悠真,「……そうだな。正しいと思うぞ」
夕莉,「だけど、わたしの言う通りにしていたら、誰も幸せになんてならないわ。こなみさんだって」
悠真,「確かに、そう言う面もあるのは仕方ない。しかし、誰かが言わないといけないことじゃないか?」
それが当たり前だ。組織の長が、決まり事をねじ曲げているのだから。
夕莉,「うん……ありがとう。ごめんなさい、つまらない話で」
悠真,「別につまらなくはない」
夕莉,「……え?」
悠真,「それと、月嶋が謝る必要も無い」
夕莉,「そう……かな?」
悠真,「ああ」
俺は月嶋が落ち込む理由が、自分の正しさに由来しているのではないかと思う。
じゃあ、そんな月嶋を俺はどう評価すべきか?それは、さして難しいものではないだろう。
悠真,「だからこれからも、月嶋には正しいことを言って欲しい。会長だけじゃなく、俺にも、花子にも。誰にだって」
夕莉,「…………」
悠真,「誰かが言わないと、間違ったことが通ってしまう。それじゃ、正しいことをしているヤツがバカみたいじゃないか」
夕莉,「うん……」
悠真,「今回は神鳳先輩がメチャクチャ過ぎたんだ。それは俺も、本人だって当然わかっている」
夕莉,「……そっか」
悠真,「ああ。だからさ」
夕莉,「うん?」
悠真,「月嶋がメチャクチャなことをするときは、俺が代わりに正しいと思うことを言ってやる」
夕莉,「浅葉くんが?」
悠真,「なんだ、その意外そうな顔は」
夕莉,「だって……」
悠真,「だって?」
夕莉,「女物の服を洗っている男性に言われてもね、って思って」
苦笑と言うよりも呆れたような笑い。
悠真,「……確かにな」
でも、よかった。ようやく笑ってくれた。
悠真,「次は月嶋のも洗濯してやろうか?」
夕莉,「結構です」
悠真,「遠慮するなよ」
夕莉,「普通、そこは男性が遠慮するところじゃない?」
悠真,「正論だ」
夕莉,「ふふっ。わたしが浅葉くんに正論を言われることはなさそうかな」
悠真,「そもそも俺には、月嶋が正論を言わない場面が想像つかない」
夕莉,「試しに言ってみたら叱ってくれる?」
悠真,「どんなことをだ?」
夕莉,「そうね……」
月嶋は視線を漂わせ、何か俺の不意をつくような事柄を探し始める。
夕莉,「佐和田先生の下着を洗えて、嬉しい?」
悠真,「一度も嬉しい素振りを見せた覚えはないが」
夕莉,「でも、寮生の間では有名よ。浅葉くんが、佐和田先生の召使いだって」
悠真,「心外だな」
しかし、お世話をしているのは確かなので、召使いではないとも言い切れなかったりする。
夕莉,「先生のお世話をするのが趣味なのよね」
悠真,「いや、そんな趣味を持った覚えは無いんだが」
夕莉,「それが反論?」
月嶋は得意そうに澄まし顔を見せる。
それはそれで月嶋のレア顔ではあるけれど、俺はその澄まし顔に対して言うべきことを言ってみる。
別にこれが正論と言うわけではないんだが……。
悠真,「……佐和田先生は、うちの父親の教え子でな」
夕莉,「教え子?」
悠真,「ああ、国語の教師をやってたんだよ。ま、その父親も数年前に亡くなってるんだけどな」
夕莉,「あ……」
バツが悪そうな表情を浮かべる月嶋。
……そういう顔をさせたかったわけじゃないんだが。
悠真,「俺から話したんだし、気にするな」
夕莉,「う、うん……」
ひと呼吸置いてから、言葉を続ける。
悠真,「たくさん、泣いてくれたんだよ」
夕莉,「…………」
悠真,「父さんが病気で死んだ時、本当の家族以上に泣いてくれた」
悠真,「……俺やこなみは、ただ唖然とするだけでさ。ぜんぜん泣けなかったんだ」
あの時の俺たちは、本当に虚ろで。
葵さんも、これからのことを気負っていたせいか、葬式ではただ気丈に、そして優しく、俺たちの手をギュッと握っていた。
……そんな中、あの人だけが。
俺たち三人の代わりに、父さんへたくさんの涙を捧げてくれたんだ。
悠真,「だから俺はあの人のためなら力を貸したいし、適当に笑っていられる日々を送らせてやりたいんだ」
夕莉,「…………」
悠真,「たんなる、俺のエゴなんだけどな。……どうだ? 説得力あったか?」
夕莉,「ありすぎ……かな」
悠真,「悪いな、重い話で」
夕莉,「ううん、その……納得した」
なら、話した甲斐があるってものだ。
悠真,「だからさ、月嶋。お前も笑っていてくれ」
夕莉,「え、どうしてわたしが?」
悠真,「父さんのことを聞いて、悲しんでくれたんだろ?なら、俺はそんな月嶋も適当に笑わせたい」
夕莉,「適当って、もう……」
悠真,「悲しい顔より、適当な笑顔のほうがいいだろ?」
夕莉,「適当になんて、笑いません」
そう言った月嶋は、とても優しそうな微笑を浮かべてくれていた。
悠真,「それで?月嶋の洗濯物は持って来た分だけか?」
夕莉,「うん、残りは手で洗う物だから」
悠真,「終わるまで暇だし、なんなら手伝うぞ」
夕莉,「……浅葉くんって、よくわからない」
悠真,「何がだ?」
夕莉,「いい人なのか、悪い人なのか……エッチな人なのか……」
悠真,「……ああ、悪い。手で洗うってそういうのか」
夕莉,「そういうのよ」
悠真,「でも、良いか悪いかは知らないが、普通にエッチな人だぞ俺は」
夕莉,「最低」
悠真,「男だからな。あきらめてくれ」
杏,「…………」
[――]夜、風呂から上がって部屋へと戻ると。
ティナ,「やっぱり、ユウマさんのおふとんがいちばん落ち着きます」
悠真,「昼間は勝手に使っても構わないが、夜は俺が使うんだから出て行ってくれ」
これから宿題を片付けなくてはいけないのだが、部屋の中にはティナが居座っていた。
ティナ,「なにを言っているんですか。おふとんは夜にこそひつようなものですよ」
悠真,「お前こそ何を言っているんだ……」
しかし、昼間は散々ゴロゴロ昼寝ばかりしているくせに、よく夜も眠れるな。
死神なのだから、人間の常識は通用しないのかも知れないが……。
悠真,「はぁ……死神には学校も試験も何にもないんだな」
ティナ,「ですから、恋の妖精です。いいかげんにおぼえてください」
悠真,「ここ数日、お前が多少なりともそれらしい言動をしているのを見た覚えがないぞ」
ティナ,「あ……け、けっして忘れていたわけではありませんよ?」
慌てているところを見ると、本当に忘れていたようだ。
ティナ,「あのですね、ユウマさん」
悠真,「なんだ?」
ティナ,「恋の妖精って、なにをしたらいいのでしょう?」
悠真,「…………」
頭が痛くなってくる。
自分で恋を叶えるなんて宣言しておいて、コレだ。アドバイスのしようもない。
悠真,「興味すらないんだから、俺に聞かれてもわかるか。そういうのは、頭の……ジローだったか?そいつと相談してくれ」
ティナ,「コタローです」
悠真,「わかったわかった。いい子だから、大人しくサブローと会話してような」
ティナ,「ですからコタローです。わたしの使い魔なんです」
悠真,「そこまで意地にならなくてもいいぞ?」
ティナくらいの外見なら、ぬいぐるみ相手に一人遊びというのも絵になるだろうしな。
そんなことを思いながら、適当にあしらっていたのだが。
コタロー/謎の声,「あのーあのー」
悠真,「とにかく、俺は宿題があるから[――]」
コタロー/謎の声,「そろそろしゃべってもよろしいですかねー?」
悠真,「…………」
ティナ,「た、ただのぬいぐるみです」
ティナは頭の上に乗っていたぬいぐるみ(?)を隠そうとする。
悠真,「おい、ちょっと待て。そのモンザエモンを貸してみろ」
コタロー,「モンザエモンではありませんですよー」
悠真,「……!?」
コタロー,「……よいしょっと。いやーずっと黙ってるというのもつらいものですねー」
ティナ,「この子はモンザエモンです」
コタロー,「いいえ、コタローでございますー。以後お見知りおきをー」
自然な日本語を話すぬいぐるみ。
悠真,「恋の妖精の次は、しゃべるぬいぐるみかよ……」
コタロー,「驚かれないのですねー。さすがはティナ様に目をつけられてしまった人間さんですー」
ティナ,「……なんだか悪意をかんじます」
悠真,「悪意しかなかっただろ、今の言い方は」
外見と同様に脱力した口調だが、やけに冗舌でなれなれしい。
そのぶん、コミュニケーション能力だけはティナよりもありそうだった。
コタロー,「さて、ティナ様ー。いい加減に、そろそろお仕事の方にも取りかかって頂きたいのですがー?」
ティナ,「……知らない」
コタロー,「そのように言われましても困りますねー。わたくしとしましては、人間の恋などどうでもよいことでございましてー」
悠真,「こいつは恋のサポートをしてくれるんじゃないのか?」
コタロー,「わたくしのようなぬいぐるみに何ができると言うのですかー」
悠真,「ぬいぐるみは喋らないと思うぞ」
しかも脱力したまま喋っているので、少し不気味だ。
コタロー,「最近のティナ様には、わたくしもほとほと困り果てているのですよー」
ティナ,「…………」
なんで使い魔の言葉に、主がしょんぼりする……?
どうも事情がつかめないな。
コタロー,「もう説得も面倒ですので、恋をするならちゃっちゃとしちゃってくださいませんかねー?」
悠真,「結局、俺次第なのか……」
コタロー,「見かけによらずティナ様も頑固な方でしてねー。わたくしの言葉には耳を傾けてくださらないのですー」
ティナ,「やです、恋の妖精はやめません」
ティナは、俺の腕を抱いてすり寄ってくる。
ティナ,「ユウマさんの恋が叶うまで、やめないです。そばにいたいです」
……何もできないくせに俺のそばにいたがる。
きっとティナも、最初からわかっていたはずだ。自分が恋の妖精になんてなれないことは。
悠真,「…………」
でも、同時に……。
こいつが死神として働くところを俺は見たくない。
死ぬ人間の魂を連れていく存在として、俺はティナのことを扱いたくはないのだろうと思う。
ティナ,「おねがいです、わたしを捨てないでください……」
悠真,「……わかってるよ」
自分でも、甘いなと思う。
悠真,「コタロー……だったな」
コタロー,「はい」
悠真,「お前の気持ちもわかるんだが、もう少しティナの好きにさせてやれないか?」
コタロー,「…………」
悠真,「俺の恋を叶える……それが目標らしいんだ」
ティナ,「ユウマさん……」
悠真,「お前の言う通り、見かけによらずこいつは頑固で、口で言う割に大したこともできなくて……」
悠真,「その上、寂しがりの食いしん坊で、今も俺のそばにくっついてるだけのニート妖精だけど[――]」
でも、ティナは。
悠真,「……こいつはこいつなりに、俺の幸せを願ってくれてるらしくてな」
コタロー,「…………」
悠真,「お前から見たらただのたわむれかもしれないが、それでも、人の幸せを願うのは良いことだと思う」
たとえそのやり方が間違っていたとしても、ティナの気持ちは否定したくない。
悠真,「俺のためにがんばってるんだろ?な、ティナ?」
ティナ,「ユウマさん……」
誰だってそうだと思う。恨まれるよりは、感謝されるような仕事をしたいだろう。
コタロー,「……そうでございますか」
コタローの眠そうな表情は変わらない。
こいつをそう簡単に説得できるとは思えないが……。
コタロー,「わかりました。では、ティナ様には恋の妖精をがんばっていただきましょー」
悠真,「は?」
あっさりと、説得完了していた。
コタロー,「わたくしといたしましても、お気持ち自体は理解できなくもないですからねー」
悠真,「そ、そうか、なら[――]」
コタロー,「ですが、猶予を差し上げられるのは、この方の恋を叶えるまでですよー?」
ティナ,「……そ、それでもいい」
なんだ、意外と話の分かる奴じゃないか。
……などと、思ったのだが。
コタロー,「ですから、さっさと恋とやらをして頂けませんかねー?」
悠真,「いや、だから俺は……」
ティナ,「コタローの言うとおりです。はやく恋をしましょう」
コタロー,「興味がないなどと、ざれ言はいい加減にしてくださいませんかー?」
悠真,「…………はぁ」
結局は、頭痛のタネが一つ増えただけなのだった。
;※■4月11日(木)
木耀日(星期四)
[――]翌日の昼休み。
俺はとある事情で保健室へと呼び出されていた。
悠真,「健康診断を手伝え?」
奈緒,「ああ。明日、おそらく半日はかかるかな」
悠真,「それは構わないが、何年生の男子を担当すれば良いんだ?」
奈緒,「男子……?何を言っている。女も担当するに決まっているだろう」
悠真,「ちょっと待て。さすがにそんなのは手伝えないぞ」
奈緒,「校医も若い女医だ。悪くない話だと思うが?」
悠真,「そういう話じゃないだろ」
この人には、世間体とか一般常識は無いのか?
女子の健康診断を手伝ったせいで翌日から悪い噂になったら、たまったもんじゃない。
悠真,「手伝うのは男子だけだ」
奈緒,「別に医者の真似事をさせようってわけじゃない。身長と体重の測定だけ頼む」
悠真,「そういうことじゃないだろ。アンタはそれで良いと思っているのか?」
奈緒,「ああ。何の問題があるんだ?」
どこからどう見ても、問題だらけだろう。
……と思ったものの、恐らく言っても無駄だ。譲歩するしか無いか。
悠真,「はぁ……わかったよ。俺に頼らなければならないほど困っているなら、やろう」
奈緒,「嬉しいくせに、いちいち屁理屈をこねるんじゃない」
悠真,「それはそっちだろ」
奈緒,「女子の測定と聞けば、やりたがるのが普通じゃないか?」
悠真,「まぁ、その気持ちもわかるが……。しかも、養護教諭公認だしな」
奈緒,「分かっているな」
悠真,「分かりたくない」
奈緒,「嬉しいんなら、思春期の男として正しい反応をしていろ」
悠真,「どういう反応をしろってんだ」
奈緒,「アホみたいに鼻の下を伸ばして笑え」
突然、笑えと言われてもな……。
悠真,「はははは……とか言えばいいのか?」
奈緒,「こら、変な笑い声を出すな。ベッドで人が寝ているんだぞ」
悠真,「あんたが笑えって言ったんだろうが」
奈緒,「まぁ……本当の病人でもないから、別に構わないんだが」
悠真,「は? それはどういう意味だ?」
奈緒,「ここには仮病を使って休みに来る奴がいるからな」
杏,「佐和田先生ひどっ。あたしがいることは黙ってるようお願いしたじゃないですかー」
奈緒,「ばーか、黙ってたってすぐバレる。そいつはアタシと違って仕事熱心だからな」
悠真,「…………」
杏,「わ、ちょっとー。悠真クンのその呆れた視線は何?」
悠真,「いえ、仮病が似合っているなぁと思って」
杏,「あたしって仮病キャラなの!?」
悠真,「むしろ、授業に出ている姿が想像できません」
杏,「ひどーい。こう見えても病弱キャラなんだよ?最初は本当に具合悪くて……ね、佐和田センセー?」
奈緒,「さぁ、どうだったかな」
先輩の味方をするつもりは一切無いみたいだ。
悠真,「どこの具合が悪いんですか、先輩?」
杏,「えっとね、こう、キュ~っと胸が締め付けられるの」
悠真,「胸ですか……理由とか、思い当たることは?」
杏,「うん、恋わずらいかな」
悠真,「そうですか」
杏,「わわっ、ちょっ!?」
悠真,「早く、その仮病を治してください」
……心配して損した。
奈緒,「悠真、神鳳は相手をするだけ無駄だぞ」
悠真,「たった今、それを思い知ったよ」
というか、言うのが遅い。
悠真,「で、健康診断の話だが」
奈緒,「ああ、アホみたいに鼻の下を伸ばして笑うんだったか?」
悠真,「それはアンタが勝手に言ってるだけだろう」
奈緒,「まぁ、ともあれ。お前はもう少し、感情を顔に出すべきだ」
杏,「あー、そうですそうですっ!いっつも無表情と言うか、神経質そうって言うか」
悠真,「もう仮病治ったんですか」
奈緒,「悠真、そいつをつまみ出すかはお前に任せる」
杏,「そんなの、つまみ出せって言ってるようなものじゃないですかー」
確かに、つまみ出したほうが静かになりそうではあるが。
悠真,「なぁ。俺って、そんな神経質そうに見えるか?」
奈緒,「まったく神経質じゃないのは知っているが、いつもムスッとしているぞ」
悠真,「それが神経質そうに見えると?」
奈緒,「そういう受け答えは、神経質そうに見えるかもな」
悠真,「……どういうことだ?」
杏,「ねぇ悠真クン。普通さ、楽しいこととかあったら笑ったりしない?」
悠真,「それは、まぁ……」
杏,「本当? 悠真クン、本当に笑う?」
悠真,「…………」
……どうだったろう? あまり記憶にないが。
悠真,「例えばどんなときに笑うんですか?」
奈緒,「女子の身長と体重を測れる時だな」
悠真,「そんな特殊な内容を、例えに出すな」
また、鼻の下を伸ばして笑えとでも言うのだろうか。
杏,「イヤらしい意味での笑いでもいいけど。悠真クンは、そういうのを顔に出してる?」
悠真,「自分から進んで出しているつもりはないですね」
杏,「う~ん……神経質そうに体重を告げられたら、ヤバいのかな!? って思っちゃうかも」
奈緒,「重い病気を告げるには、ちょうど良い顔なんだがな」
悠真,「そんな機会は無い」
杏,「だからね、ちょっと優しく微笑んでくれたりすると、あたしの体重って大丈夫なんだ~みたいになるでしょ♪」
悠真,「そういうものですか」
俺が男だからか、理解しがたいな。
杏,「ほら。人の笑顔ってさ、幸せを感じられるじゃない?けど悠真くんには、ちょっと幸福度が足りないと思うの」
奈緒,「確かにな。幸福とはほど遠いしかめっ面だ」
悠真,「そこまでか」
だが、客観的に見た二人がそうだと言っているのだから、一理あるのだろう。
杏,「そうだ! じゃあ、今ここで笑って見せたらどう?」
悠真,「笑うんですか?」
杏,「うんっ! 悠真クンの笑顔も見てみたいし」
悠真,「…………」
そう言われても、複数の身内から気色悪いだの歪んでるだのという評価を受けているしな……。
悠真,「すいませんが、またの機会に」
杏,「えー、なんでー?」
なんでーって言われても……。
どんな評価をされるのか不安だから、と言いたいのは山々だが、言わないことにしておく。
代わりに、とりあえず場をごまかしておくことにした。
杏,「んー……」
爽,「どうしたんすか、会長。さっきから思い悩んでる振りして」
杏,「実際に思い悩んでるの。こなたん、あたしがなにを考えてるかわかる?」
こなみ,「もしかして、兄さんのことですか?」
杏,「当たり。お昼にね、笑顔を見せてって言ったら断られちゃって」
こなみ,「あぁ……」
杏,「なんでかなって思ってたんだけど……もしかして、心当たりある?」
こなみ,「ええ、まぁ。この間、兄さんの笑い方は時々歪んでいると本人に指摘しまして」
爽,「こなみちゃん、ひでぇ!」
杏,「うわ。そりゃまたバッサリだねー」
こなみ,「兄のためを思って、つい。もしかしたら、その事を気にしているのかもしれません」
杏,「なるほどね……。悠真クンの笑顔って、そんなにひどいの?」
こなみ,「はい。と言っても、たまにですけど」
杏,「じゃあ、ちゃんと笑えてる時もあるんだ?」
こなみ,「ありますが……肥田先輩は、見たことありますか?」
爽,「あぁ、言われてみれば数えるほどだなぁ。あいつ、滅多に笑わないし」
杏,「ねぇねぇ、どんな風に笑ってた?」
爽,「んー……一歩引いた感じ、っすかね」
こなみ,「そうですね、わたしもそんな印象です」
爽,「楽しそうにしている輪を外から見てるというか……。とにかく、一緒にゲラゲラと笑うってことはないっす」
杏,「じゃあ、楽しそうにしているとつられて笑っちゃうのかな」
こなみ,「いえ、多分なんですけど。幸せそうな周りを見て、嬉しくて笑ってるんだと思います」
杏,「周り……」
爽,「あー、なるほどな。それだと、なんかしっくり来るわ」
杏,「ねぇこなたん。なら、あたしが幸せそうにしていると、悠真クンは笑ってくれると思う?」
こなみ,「恐らく?」
杏,「そっか……うん、わかった。それじゃ、ちょっと確認してくるね!」
爽,「ちょ、会長? 確認してくるって……」
杏,「行ってきまーす!」
放課後。
保健室での仕事を終えた俺は、とある事柄に頭を悩ませていた。
悠真,「…………」
そしてぺたぺたと頬をさする。
悠真,「何が違うんだ……?」
美桜,「お待たせ、ユウくん……って、どうしたの?」
悠真,「ああ、来たか美桜……って、月嶋も一緒か」
夕莉,「難しい顔をして、何か悩みごと?」
悠真,「ちょっとな」
美桜,「ちょっと?」
不思議そうに顔を見合わせる、美桜と月嶋。
悠真,「……! そうか、美桜や月嶋なら……」
美桜,「え、なになに?」
夕莉,「わたしたちがどうしたの?」
悠真,「二人に頼みたいことがあるんだが」
夕莉,「う、うん……」
悠真,「俺を見ていてくれるか」
美桜,「ユウくんを?」
夕莉,「うん……み、見てるけど?」
悠真,「よし……それじゃ、行くぞ」
夕莉,「は、はい」
美桜,「いいよー」
悠真,「…………」
夕莉,「…………え?」
美桜,「ねぇねぇユウくん、どこか痛いの?」
悠真,「いや、どこも痛くないというか……笑ってるんだが」
夕莉,「え、わ、笑ってるのそれ?」
悠真,「そうか……つまり、笑えていないということか」
夕莉,「あ、あの……浅葉くん?」
悠真,「いや、みなまで言うな。なんとなく理解している」
夕莉,「え、でも……」
悠真,「だから頼む。俺に笑い方を教えてくれないか?」
美桜,「笑い方を?」
悠真,「ああ。実はな……」
美桜,「そっかー。佐和田先生とこなみちゃんが……」
悠真,「まぁな」
夕莉,「うん……確かに、歪んでたかも」
悠真,「やっぱりそうか」
美桜,「それで、私たちに笑い方を教えて欲しいんだ?」
悠真,「ああ。特に二人は適任だしな」
夕莉,「美桜はわかるけど、わたしも?」
悠真,「ああ。接客してもらった時、良い笑顔だったぞ」
夕莉,「あ、あれはバイト中だったから……」
悠真,「営業スマイルができるということは、笑顔の作り方を知っているということだろ?」
夕莉,「それは……」
美桜,「お仕事中の夕莉ちゃん、素敵だよねー。制服もかわいいし」
悠真,「確かにな」
夕莉,「ちょ、ちょっと二人とも」
月嶋は、恥ずかしそうに頬を赤らめる。
悠真,「それで、どうだ?」
美桜,「私じゃ、どうやって笑ってるかわからないから、夕莉ちゃんに聞く方が良いと思うなー」
夕莉,「そう言われても……」
やはり、人に笑い方を教えるのは難しいのだろうか。
悠真,「せめて、笑った顔を見せてくれるだけでも良いんだが。どうだ?」
美桜,「あ、私もみたーい!」
夕莉,「ちょ、ちょっと美桜」
悠真,「だめか?」
美桜,「だめ……?」
夕莉,「うぅ……わ、わかったわよ!笑えばいいのよね?」
悠真,「ああ、頼む」
美桜,「わーいっ」
夕莉,「……もう、仕方ないわね。それじゃ、少しやってみるから」
夕莉,「ふふっ」
月嶋の笑顔は女優のように綺麗で、一分の隙も見当たらない。
美桜,「わぁ……」
悠真,「…………」
上がりすぎていない口角、優しげに垂れた目尻と眉。まさに教科書通りと言える、理想の笑顔だ。
悠真,「月嶋って、綺麗に笑うんだな」
夕莉,「そ、そう?」
美桜,「うん! 夕莉ちゃんの笑顔、とっても素敵だよ!」
夕莉,「美桜にそう言ってもらえたら、安心だわ」
確かに、美桜の言うとおり素敵な笑顔だ。
悠真,「…………」
だが、以前に見た時は、もう少し違っていた気がする。
学食で最後に見せてくれた表情は、なんというか……。
そう、とても“自然”だったと思う。
美桜,「どうしたの、ユウくん?」
悠真,「ああ、いや……ありがとうな、月嶋」
夕莉,「ううん。参考になれば良いんだけど」
悠真,「充分、参考になったぞ。とりあえず、もう少し練習してみる」
夕莉,「うん、がんばって」
美桜,「ユウくん、ふぁいとー!」
まずは、気持ち悪がられないようにならないとな。
悠真,「さて、それじゃ帰るか」
美桜,「はーい」
杏,「……ただいま」
爽,「あ、会長。どこ行ってたんすか?ちょっと予算関係の確認をお願いしたいんすけど」
杏,「あ……うん。わかった」
こなみ,「どうしました、先輩?見てはいけないものを見たような顔色ですけど」
杏,「こなたんの、言ったとおりだったよ……」
爽,「言ったとおりって。何がっすか?」
杏,「……歪んでた」
爽,「は? 歪んでた……って」
こなみ,「……あぁ」
美桜と並んで歩く帰り道のこと。
悠真,「なぁ美桜。俺って不幸に見えるか?」
美桜,「ううん?」
悠真,「即答だな」
美桜,「だってユウくんは不幸じゃないよ」
悠真,「お前は、俺のことをよく知っているからなぁ」
傍から見たら、両親を亡くしている時点で不幸に思われるかもしれないが。
だけど実際、俺は今の日常を気に入っていた。
美桜,「他の人にはそう見えないのかな?」
悠真,「それは……」
美桜に問われて、保健室でのことを思い浮かべながら口を開く。
悠真,「……俺は笑わないせいで、幸せそうには見えないらしい」
美桜,「ユウくん、笑うのにね?」
悠真,「俺が? いつだ?」
美桜,「……たまに?」
悠真,「ずいぶん、あやふやな回答だな」
俺の聞き方も悪いとは思うが。
しかし思い返してみれば、こなみからもこの前『いい笑顔』と言ってもらった覚えがある。
悠真,「じゃあ、俺はどういう時に笑っているんだ?」
美桜,「ん~と、みんなが笑ってる時かな?」
悠真,「みんなが?」
美桜,「うんっ。ユウくんはね、周りの人が笑顔になると、すごく素敵に笑うんだよ?」
悠真,「…………」
美桜,「知らなかった?」
悠真,「常に鏡を見ているわけじゃないからな。気づかなかった」
美桜,「でね、ユウくんの笑顔を見るとね、『わたしは上手に笑えているんだな~』って感じるの」
周りが良い笑顔になっているから、それを見て俺は笑顔になるのか……。
なるほど、俺の笑顔は美桜の笑顔を計る物差しなんだな。
まぁ、それを意識して美桜に笑顔を向けてやれるかどうかが問題ではあるが。
悠真,「それにしても美桜は、よく知ってるんだな。俺のことを」
美桜,「幼なじみだからねー。ユウくんは、私のことあんまりわからない?」
悠真,「いいや。よく知ってるぞ」
美桜,「えへっ。よかったー」
悠真,「…………」
美桜,「あ、ほら。ユウくんの素敵な笑顔、はっけんっ」
悠真,「え? 俺、笑ってるのか……?」
美桜,「写真、撮ろっか?」
悠真,「ああ、頼む」
美桜,「いくよー」
悠真,「…………」
美桜,「あ……」
悠真,「どうだった?」
美桜,「んと……消去しとく?」
悠真,「……ダメってことか」
美桜,「んー……言うと、途端に固くなっちゃうみたい」
悠真,「そうか……」
少し肩を落としながら俺は、家路へとつくのであった。
[――]その日の夜のこと。
ティナ,「アオイさんのつくるコロッケは、ぜっぴんです」
夕食後。部屋まで付いてきたティナは、やたら上機嫌だった。
コタロー,「本来、死神に食事など不要のはずなのですがねー」
ティナ,「い、いまは恋の妖精だから」
コタロー,「はいはい、そうでございましたねー」
悠真,「…………」
ティナ,「あの、あの、ユウマさん」
悠真,「ん、なんだ?」
ティナ,「これからも、ごはん食べていいですか?」
悠真,「ああ、いいんじゃないか?むしろ表向きは人間なんだし、食わないと変だろ」
ティナ,「そうですか。あんしんしました」
嬉しそうに目を細めるティナを眺めながら、少し真剣に考え込んでしまう。
ティナ,「ユウマさん?」
コタロー,「何かお悩みごとでございますかー?」
悠真,「ああ、いや……。最初会った頃は無愛想なヤツだと思っていたが。案外よく笑うよな、お前?」
ティナ,「そうですか?」
コタロー,「以前はそれほど笑っていませんでしたので、その疑問も当然かとは思いますよー」
悠真,「うちに来て、ティナが変わったってことか」
コタロー,「この家の方々は、ティナ様にダダ甘でございますからー。これだけ甘やかされていれば、それはもう幸せで笑わずにはいられないでしょうともー」
悠真,「なるほどな……。やっぱり、もう少し厳しくするべきか?」
ティナ,「そ、そんなことはないです。ぎゃくたいはいけないと思います」
コタロー,「ダメな子へのお説教の、何が虐待でございますかー?」
……まぁ、それはさておき。幸せだから笑わずにはいられない、か。
悠真,「んー……」
ティナ,「まだかんがえごとですか?」
悠真,「いや、幸せなら自然と笑うものだよなって」
コタロー,「いきなり真面目な顔でなにを仰っているのでしょうねー?」
悠真,「お前って、なかなか言うよな」
しかしこのまま悶々としてても仕方無い。事情を話してみるとするか……。
ティナ,「笑うのがへた? ですか?」
悠真,「ああ」
コタロー,「確かに、そういうお顔はお見かけしておりませんねー」
ティナ,「なら、ためしに笑ってみてください」
悠真,「よし……見てろよ」
今日見せてもらった月嶋の笑顔を参考に、俺は思いきって顔の筋肉を動かしてみる。
悠真,「……どうだ?」
コタロー,「皆さんに、揃って言われるだけのことはございますねー」
ティナ,「こわいですユウマさん」
……やはり、ダメらしい。
ティナ,「もしかして、いろんな人の前でそんな顔をしたのですか?」
悠真,「ああ。と言っても、周りのやつらだけだが。それがどうした?」
ティナ,「おねがいですから、二度としないでください」
コタロー,「好感度がダダ下がりになりそうですからねー。恋人を作るならそれがよろしいかとー」
ティナ,「きもちわるいにも程があります」
悠真,「そこまでか」
あまりに散々な評価に、笑顔どころか泣きたくなってくる。
……誰か、助けてくれ。
;※■4月12日(金)
金耀日(星期五)
本日、4月12日は健康診断だ。
そして俺はというと、珍しく緊張しながらそれを待ち構えていた。
俺の仕事は身長と体重を量り、それを用紙に記入すればいいだけらしい。
悠真,「では、出席番号順に入ってもらえますか?」
後輩女子A,「あ、賞金首の人だ」
後輩女子B,「やだ~、体重とか量られちゃうの~?」
後輩女子C,「し、下着とかも……見せちゃうの?」
;#後輩女子A,katr0001
;#後輩女子B,kbtr0001
;#後輩女子C,kctr0001
後輩達,「きゃー♪」
黄色い声を上げながら保健室へと入ってくる一年生。
……嫌がられていないようでなによりだが。
後輩女子A,「やーん、浅葉先輩に体重を知られるなんて恥ずかしすぎる~」
悠真,「はい、次の方どうぞ」
後輩女子B,「でも、自分のすべてを舐めるように見られるのもよくない?」
悠真,「はい、次の方どうぞ」
後輩女子A,「わかるわかる! 恥ずかしいっ、でも感じちゃ~う!みたいなのだよね~」
悠真,「はい、次の方どうぞ」
恥ずかしいなら、もっと恥ずかしがったらどうなのだろう。
しかし、これがあと何百人も続くことを考えると、頭が痛くなってくるな……。
悠真,「はぁ……次の方、どうぞ」
こなみ,「兄さん、疲れてる?」
悠真,「ちょっとな。だが、俺のことより今はこなみのことだ。ほら、量るぞ」
こなみ,「…………」
悠真,「ん? どうかしたか?」
こなみ,「兄さん、わたしのことは舐めるように見なくてもいいよ」
まさか最初にちゃんと恥ずかしがってくれたのが、実の妹だとは思わなかったな……。
まわりの女子生徒に辟易としている俺には、妹の恥ずかしがる姿はまるでオアシスだ。
こなみ,「…………」
悠真,「知られたくないのか?体重」
こなみ,「裸になった方がマシなくらいには、恥ずかしい」
悠真,「そっちはいつも恥ずかしがっていないだろうが」
風呂上がりに全裸で……ということはさすがに無いにしても、着替えを見たところで表情一つ動かさないからな、こなみは。
悠真,「ほら、後がつかえてるし早くしてくれ」
こなみ,「うぅ……」
ようやく観念したのか、おずおずと計測器に乗る。
こなみ,「…………」
悠真,「よし、いいぞ」
こなみ,「久しぶりの羞恥心」
悠真,「家にいるときとは違って、恥じらう女の子って感じがよかったぞ」
悠真,「仕方ないだろ、諦めてくれ」
こなみ,「笑顔で同じことを言ったら、諦めてあげる」
恥ずかしい思いをして、このまま大人しく引き下がれないというところか?
なら、妹の思惑を予想とは違う形で実現してやろう。
一瞬だけ目を閉じ、理想である美桜の笑顔を思い浮かべる。
そしてイメージに合わせ、表情を作りこんでから……。
悠真,「仕方ないだろ、諦めてくれ」
こなみ,「…………うわ」
悠真,「どういう『うわ』だ、それは」
こなみ,「杏先輩がショック受けるのも仕方ないなって」
悠真,「なんで、そこで会長の名前が出てくるんだ?」
こなみ,「昨日、兄さんの笑顔を見たらしいよ」
悠真,「昨日……?」
思い返してみるが、先輩に見せた記憶はない。美桜と月嶋の前で笑ってみせたくらいだろうか。
まさか、あれを見られていた……?
こなみ,「杏先輩に続いて、妹にまでショックを与えるなんて」
悠真,「俺だってショックを受けているぞ。……と、それはいいから。早く内科検診へ行ってこい」
こなみ,「うん。がんばってね、兄さん」
悠真,「ああ」
こなみが問診を受けに行ったところで、俺は頬に手を添えて、ムニムニと肉をつかむ。
やっぱり、俺に笑顔は無理なのだろうか……?
後輩女子A,「あ、あれってひょっとしなくても、私の体を見てニヤケないように気を遣ってくれてる~♪」
後輩女子B,「違うよ~、私のだよ」
後輩女子C,「え? わたしじゃないの?」
;#後輩女子A,katr0003
;#後輩女子B,kbtr0003
;#後輩女子C,kctr0003
後輩達,「もぉ、やだ~♪」
悠真,「……次の方」
仕事に集中するとしよう。
そんなこんなで健康診断も順調に進んでいき[――]
悠真,「はい、次の方どうぞ」
夕莉,「教室にいないと思ったら、こんなところに……」
美桜,「ユウくん、おつかれさまー。先生にはお手伝いのこと、伝えておいたからね」
悠真,「ああ、悪いな」
美桜と月嶋が保健室に入ってきた……ということは、次はうちのクラスだったか。
夕莉,「美桜はこのことを知ってたの?」
美桜,「うん、登校するときに教えてもらったの。手伝うって言ったんだけど、怒られちゃった」
夕莉,「怒ることないんじゃない?」
悠真,「女子だけならな。この後は男子も控えてるんだよ」
夕莉,「あ、そっか……って。女子の測定も手伝ってるの?」
悠真,「まぁ、そうだが……」
その、当たり前すぎる受け答えに一瞬動きが止まる。
悠真,「いま、なんて言ったんだ?」
夕莉,「え? 女子の測定も手伝ったの……って」
悠真,「そうだよな……そうだ。それが当たり前の反応だよな」
夕莉,「な、なに? 驚いた顔して……」
悠真,「いや、こちらのことだ。どこぞの養護教諭のせいでこうなっているからな」
すぐ近くにいる本人に聞こえるよう、わざと声を上げる。
奈緒,「アタシがなんだって?」
悠真,「常識って大事だなって話だ」
奈緒,「アタシに文句を言うのは勝手だが、健康診断が終わってからにしろ。後がつかえてる」
そう言い放つと、自分の持ち場へと戻っていった。
悠真,「さて……そんなわけで、俺が量ることになってな。悪いが、諦めてくれ」
美桜,「うんー」
夕莉,「…………」
月嶋が何かを言いたそうにしていたが、仕事を優先することにする。
悠真,「それじゃ、美桜からだな」
出席番号順ということで、美桜がまず俺の持ち場へと来る。
美桜,「ここに立ってればいい?」
悠真,「ああ。胸を張って、顎を引いてくれ」
美桜,「制服は脱がなくて平気?」
悠真,「脱ぎたいなら脱いでもいいぞ」
体重を気にしているのなら、服の重さは元々引いているので、ほとんど変わらないが。
美桜,「ぬ、脱いでもすごくないからやめとくね」
すごかったら脱ぐつもりだったのだろうか、美桜は。
美桜,「…………」
悠真,「どうした?」
美桜,「は、恥ずかしいなぁ、って」
悠真,「悪いな。我慢してくれ」
美桜,「うう……が、がんばるねっ」
悠真,「がんばるようなことでも無いぞ」
美桜,「…………あっ」
……?
美桜,「や、やだ……ユウくんってば」
美桜のヤツ、何を考えて……って、まさか。
悠真,「おい美桜、変な妄想をするんじゃない。というか、じっとしてろ」
美桜,「だ、だって、裸になって聴診器でお医者さんみたいにユウくんが……」
悠真,「ちょっと待て。聴診器で何をするんだ俺は」
美桜,「えっとね、その……えへへっ」
悠真,「そこではにかむな。というか妄想するんじゃない」
美桜,「えぇーそんなぁー」
悠真,「いいから、黙ってじっとしてろ。数字が変わるだろ」
美桜,「う、うん」
見てみぬふりをしながら、用紙へ記入していく。
しかし本当に恥ずかしそうだったな。なんだかんだで美桜も女の子なんだ、と実感する。
悠真,「ほら、次へ行ってこい」
美桜,「うん。がんばってね、ユウくんっ!」
美桜を見送りながら、次に並んでいる人物へと視線を移す。
悠真,「はい、次の方」
そうして、少し気恥ずかしさを感じながらも、クラスメイトの女子を数人測定する。
夕莉,「…………」
悠真,「っと、次は月嶋の番か」
夕莉,「あ、えっと……」
悠真,「ああ、荷物はそこのカゴに入れてくれ」
ポケットから携帯電話や財布を取り出し、月嶋はそわそわと身支度をする。
悠真,「…………」
ようやく測定する気になったのかと思えば、今度はハンカチやティッシュまで外に出す。
その様子を見ていたら、無理に測定器の上へ立たせるわけにもいかなくなった。
悠真,「美桜、ちょっといいかー?」
他の健診を終えて戻ってくる美桜へと声をかける。
美桜,「なにー?」
悠真,「朝の話だが。やっぱり手伝ってもらってもいいか?」
美桜,「うん、りょうかいー」
測定のやり方を美桜に伝え、俺は席から離れて月嶋から視線をそらす。
夕莉,「ご、ごめんなさい、わたし……」
悠真,「気にするな。本来、こうするのが当然だ」
夕莉,「でも……」
悠真,「俺が、月嶋の身長と体重を知ってもいいのか?」
夕莉,「…………」
悠真,「じゃ、頼んだぞ。美桜」
美桜,「任せてー」
不器用な性格なんだろうな、と思う。
損を損だと知っていて、自分から正論を吐くことに心を痛める。
俺が笑えないことを不器用と言ったが、月嶋もそれなりだと感じると、思わず苦笑しそうになる。
美桜,「えっと、身長が156センチで……」
悠真,「美桜、口に出てるぞ」
美桜,「あ、ご、ごめんね夕莉ちゃんっ!」
まぁ、美桜らしいと言えばらしいが。
美桜,「終わったよ、ユウくん」
悠真,「悪いな、美桜。それじゃ月嶋は、問診へ行ってくれ」
夕莉,「……ありがとう」
悠真,「どういたしまして」
そうして、少し恥ずかしそうにしながら月嶋は問診へと向かった。
花子,「げえっ、浅葉悠真!?」
やかましいのが来たか……。
花子,「まさかあたしのモデル顔負けな抜群ボディを舐めるように見ようと、出張してきちゃったりとかっ!?」
悠真,「いいから早く乗ってくれ」
花子,「ちょっと、アンタが測るって言うの!?」
悠真,「まさか花子も恥ずかしいのか?」
花子,「アンタみたいな男に、あたしのパーソナルデータを教えるなんて悪夢よ! あと花子って言うな!!」
意外だ……。花子のことだから、微塵も気にしないだろうと思っていたが。
悠真,「それなら安心しろ。量るのは美桜だ」
花子,「え、美桜ちゃんがっ!?」
美桜,「えへ、花ちゃんやっほー」
花子,「やーん、美桜ちゃんヤッホー! 今日もかわいいわぁ~」
さすが、漫画を貸し合うほどの仲。美桜も嬉しそうだ。
と言っても、男性同士がくんずほぐれつする漫画を貸し合う仲なので、微妙な気持ちにはなるが。
花子,「ちょっと、こっち見るんじゃないわよ! 浅葉悠真!」
悠真,「見て欲しい、という意思の裏返しか?」
花子,「違うわよ、この浅バカ!!」
斬新な呼び名で罵倒されてしまった。
悠真,「じゃあ、頼むな美桜」
美桜,「うん、任せてっ!」
俺が測定するのを嫌がる子だけは美桜に任せているが、一年生と違って二年生はその確率が高い。
というのも、俺と顔見知りな連中が多いから、身長はまだしも体重を知られるのは気恥ずかしいのだろう。
……いや、その反応が普通だと思うがな。
花子,「あ、ねえねえ。夕莉の身長はいくつだった?」
美桜,「えっと、156だったかな?」
花子,「ふっ、今日こそあの生意気なドブス妹に勝つときがきたわ」
一卵性の双子なんだから、顔はほとんど同じだと思うのだが。口にするとやかましいからな。
美桜,「はーい、測るから暴れないでねー」
花子,「毎日1リットルの牛乳を飲み続けた成果をみよ!」
美桜,「身長は155.8……」
花子,「…………え?」
悠真,「ほら、美桜。また声に出てるぞ」
美桜,「あ、そっか……えへへ、ごめんね花ちゃんっ。それじゃ、次の方どうぞー」
花子,「う、ウソよ!あたしがあの夕莉に2ミリも劣るなんてっ!」
悠真,「ほら。次の人がいるんだから、さっさと空けろ」
花子,「いいからもう一度よ、もう一度っ。姉のあたしが、妹より小さいわけないんだからっ」
悠真,「はぁ……美桜、悪いが言うことを聞いてやってくれ」
美桜,「うんー」
花子のリクエスト通り、もう一度測定する美桜。
待ってる学生も多いから、早くしてもらいたいんだがな……。
美桜,「んと……同じだよ?」
花子,「んにゃあぁにぃぃーーーっ!?おかしいわ、この保健室にある器具のすべてがおかしい!」
悠真,「おかしいのは花子の頭だ」
花子,「だから花子言うなーっ!」
悠真,「事実を伝えたまでだが」
花子,「もういい、浅葉悠真は引っ込んでなさい!」
悠真,「はい、では次の方どうぞ」
花子,「ちょっと、無視しないでくれる!?」
悠真,「どうしろと言うんだ」
まぁ、会話の内容から察するに、花子の事情はうっすらと理解しているわけだが。
悠真,「要するに、妹に勝てないと気が済まないわけか?」
花子,「当然よ!」
悠真,「そうか……美桜、体重はどうだ?」
美桜,「うん、花ちゃんの勝ちだよー」
花子,「きたきたきたーーーっ! どうよどうよ、これで女としてあたしのほうが上だってことが証明されたわけね!」
美桜,「うんうん、夕莉ちゃんは軽すぎー」
花子,「へっ?」
得意げだった表情が固まり、花子は慌てて美桜のそばに駆け寄る。
花子,「夕莉の体重がこれで、あたしのは……」
花子,「…………」
悠真,「花子? どうした?」
と、尋ねた瞬間。
花子,「っきゃああああぁぁぁーっ!いやっひぃやあああああーっ!?」
怒りの余り、日本語が不自由になる花子。
どうやら美桜が言った勝ちというのは、重量が上という意味だったらしい。
花子,「この世に神様なんていないんだわ……」
悠真,「その首にさげてるデジカメのせいじゃないのか?」
花子,「た、たとえそうでもスレイプニールを手放したりするもんですか!」
悠真,「スレイプニール?」
花子,「この子とあたしは一心同体っ、死ぬときも一緒って決めてるのっ」
悠真,「……デジカメの名前か」
花子,「うっふふ、今日も帰ったら優しく充電してあげるからね~」
こういうのも一応、少女趣味……っていうのだろうか。
悠真,「美桜は知ってたのか? デジカメの名前」
美桜,「うん、スレイプニールちゃん。かわいいよねー」
悠真,「……そうだな」
適当にうなずきつつ、花子にはとっとと帰ってもらった。
杏,「来ちゃった♪」
悠真,「そちらへ立っていただけますか」
杏,「あたし、悠真クンに会えて幸せだな~」
悠真,「では顎を引いて、まっすぐ背筋を伸ばしてください」
杏,「もぉっ、ひどい! 事務的すぎ!」
悠真,「そう言われましても」
杏,「ほら、もっとあるでしょ?美少女が『キミに会えて幸せ~』って言ってるんだから」
悠真,「はぁ、美少女ですか」
杏,「つっこむのはソッチじゃないでしょっ!?」
まぁ、幸せであるならそれで良いと思うが。
それより気になるのは……。
悠真,「先輩も、体重を見られて喜ぶタイプですか?」
杏,「喜ばないよっ!?」
悠真,「じゃあ恥ずかしい方ですか?」
杏,「恥ずかしくもないしっ!!」
こうして花子の後に神鳳先輩と会うと、少し花子にノリが似てるような気がしてくるな。
悠真,「そうだ、こなみに聞いたんですが。昨日、見たらしいですね」
杏,「え? あ、あー……悠真クンの、アレ?」
悠真,「はい。ショックを受けたそうで」
杏,「うん……ちょっと、想像してたのと違っててね」
悠真,「自分でどんな顔をしているのかわからないので、なんとも言えませんが」
ショックを受けるほどの自分の顔は、少し気にならないでも無いがな。
杏,「でも、安心して! いつかあたしが悠真クンのこと、素敵に笑わせてあげるから!」
悠真,「先輩が?」
杏,「うんっ! あ、いま試してみてもいい?」
そう言って、手をワキワキと動かす神鳳先輩。
悠真,「……嫌な予感がするので、遠慮しておきます」
杏,「えー? ちょっとくらい良いでしょ?」
参ったな。完全にやる気になってるぞ、先輩。
奈緒,「おいお前ら、後がつっかえているんだぞ。喋りたいんなら、後にしろ」
杏,「う、佐和田センセー……」
悠真,「……ふぅ」
助かった……。
奈緒,「ほら、さっさと測定器に乗れ」
杏,「うぅ……は~い」
杏,「測定、お疲れ様」
悠真,「これも仕事ですから」
俺は先輩の見送りがてら、男子学生を呼びに廊下へと出る。
さて……女子も終わったし、あとは気楽なものだ。
そんなことを考えていると、美桜も保健室から出てくる。
美桜,「ユウくん、佐和田先生が男子を呼んできてって」
悠真,「ああ、今から行くところだ。美桜は早く教室に戻っておけよ?」
美桜,「う、うん……ごめんね」
悠真,「気にするな」
杏,「あれ?その子、悠真クンのお手伝いをしていた子だよね?」
悠真,「ええ、そうですが」
杏,「どうして男子の測定は手伝わないの?」
美桜,「え、えっと……」
杏,「あ、分かった! もしかして、恥ずかしいとか?」
先輩の言葉に尻込みをする美桜。
まぁ、普通に考えれば、男子にふれられると泣いてしまうとは考えないよな。
さて、どうするか……。
;▽選択肢
余計なことはしない
上手いことはぐらかす
;※A.余計なことはしない
……そうだな。話しかけられているのは美桜だ。
俺が答えるのは逆に不自然になるし、先輩にいらぬ疑念を抱かせてしまうかもしれないな。
美桜,「あの……その……」
杏,「まぁでも、男子だと上半身裸だろうしねー。年頃の女の子じゃ、気になって測定できないか」
美桜,「は、はだか……!?」
悠真,「裸に反応するな、美桜」
杏,「そうそう。悠真クンだって脱ぐかもよ?」
美桜,「ゆ、ユウくんがっ!?」
悠真,「裸になるかは、佐和田先生に聞かないとわかりませんが。少なくとも、去年はそのままでしたよ」
杏,「えー、そうなの?」
美桜,「なーんだ……」
悠真,「どうして二人とも、残念そうなんでしょう」
杏,「だってー。悠真クンのセクシーな姿、見たかったもんね?」
美桜,「え、えへへ……」
これもセクハラに入るのではないだろうか。
悠真,「ほら、それよりも美桜。もう仕事は終わったんだから教室へ戻れ」
美桜,「あ、そっか。またね、ユウくん」
元気な様子で立ち去っていく美桜。
勘違いとはいえ、妙な方向へ話を持って行ってくれた先輩に心の中でそっと感謝する。
悠真,「ほら、先輩も」
;※■合流2へ
;※B.上手いことはぐらかす(好感度+1)
悠真,「……女子の測定はなにかとデリケートなので、もしものためにいてもらってただけなんです」
一応これも本当のことだしな。嘘は言っていない。
杏,「あー、なるほどね」
美桜,「えっと、あの……その」
悠真,「ほら、さっさと教室へ戻れ」
美桜,「う、うん……またね、ユウくん」
悠真,「ああ」
手伝えないことが情けないのか、ちょっとしょんぼりとしつつも素直に教室へと戻る美桜。
気にする必要などない、と言っているんだが……。
まぁ、アイツの性格を考えると仕方ないか。
悠真,「ほら、先輩も」
;※■合流2へ
;※■合流2 ここから■
杏,「う~ん」
何やら考え込む先輩。
悠真,「何か悩み事でもあるんですか?」
杏,「さっきの子、どこかで見た覚えがあるんだけど……どこだったっけ?」
悠真,「さぁ、俺に聞かれましても」
美桜も一年この学園に通っているからな。どこかで接触があってもおかしくはないが。
杏,「んー……ま、いっか」
悠真,「そうですか。じゃ、俺はこれで」
杏,「あ、待って待って! 健康診断だけど、もしものためにもう一人、手伝いがいるんじゃない?」
悠真,「さっきも言ったように、俺一人で問題ありませんよ」
そもそも美桜がいなくても、一年生はどうにかなっていたしな。
杏,「むぅ~……足りない」
悠真,「え? 何がですか?」
杏,「悠真クンには、デレが足りないと思うっ!」
突然なにを言い出すんだろう、この人は。
悠真,「俺はどうすればいいんですか?」
杏,「ほら、わかるでしょ!?『こっちこいよ……杏』みたいな感じでデレてくれればいいのっ!」
悠真,「神鳳先輩をそんな風に呼んだことはありませんが」
杏,「『杏』って呼ぶのがデレなのよ!わかるでしょ!?」
悠真,「いえ、さっぱり」
本当になにを言い出しているのだろうか、この生徒会長は。
悠真,「ほら、それよりも先輩。日常生活を送るために、教室へ戻ってください」
杏,「もー。だから、察してよ!」
悠真,「? 何をですか?」
杏,「優しーい先輩が、忙しーい悠真クンを手伝ってあげよっかな? って言ってるんだけど?」
悠真,「本音は?」
杏,「これを貸しにすれば、生徒会将棋部へと勧誘しやすくなるかなーって」
悠真,「俺は男子を呼びに行ってきますので。それでは」
杏,「あ、ちょ、今のなし、なーしーっ!」俺はそう言って、廊下を歩き出したのだが。
爽,「話は聞いたぞ、悠真ぁ!!」
杏,「ん?」
なぜか爽だけ、もう来ていた。
爽,「男のお前が女子の測定をしたと言うのに、おれたちにはどうして女子の測定員がつかない!?」
悠真,「佐和田先生がいるだろ」
爽,「バカ野郎っ!!」
悠真,「何を怒ってる」
爽,「おれたちだって、青春を味わいたいんだ!」
悠真,「本音は?」
爽,「若い女の子の頭皮からかもしだされる甘酸っぱい匂いを嗅ぎながら、診断されたい!」
悠真,「はぁ……?」
杏,「そっかそっか……ふふっ」
俺は爽へ、『心の底からどうしようもない奴を見る目』を向けてやる。
だが、そんな話を聞いていた先輩は。
杏,「ほらほら、ね?悠真クンにはあたしが必要になったんじゃない?」
悠真,「爽に匂いを嗅がれたいんですか?」
杏,「それはお断りだけど。でも男子を測るって言うことは、悠真クンのいろんなところも測れちゃうわけでしょ?」
悠真,「はぁ、まぁ……」
俺の身長と体重を知って、どうしたいと言うのだ先輩は。
まあ、それはそれとして。
悠真,「神鳳先輩が測ってくれるらしいが、どうだ爽?」
爽,「えー、会長っすか……?」
杏,「ちょっと肥田くん、どうして残念そうなのかなっ!?」
爽,「いえ、なんでもー。どうせなら、もっと別の、ぽっちゃり美少女を……」
悠真,「もういいから、爽は黙っててくれ。……というわけで先輩、お願いできますか?」
杏,「え、ほんとっ!?ま……まぁ、悠真クンが言うなら仕方ないかなー?」
悠真,「それじゃ、俺は男子を呼びに行ってきますので、佐和田先生に聞いて準備しておいてください」
杏,「りょーかいっ」
爽,「うえー、マジで会長がやるのかー……」
お前の希望は叶えてやったからな、爽。
杏,「ん~、終わったー」
俺の横に座り、記入作業で丸めていた背中を、ぐっと伸ばす先輩。
その表情たるや、なんとも清々しい。
悠真,「手伝い、ありがとうございました」
杏,「貸しだかんね♪」
先輩はそういうと、まるで屈託のない笑顔を向けてくる。
悠真,「まぁ、なんでもいいですよ。先輩の好きにしてください」
杏,「よーし、これで悠真クンに貸しを作れたぞっ!」
悠真,「先輩は孫請けですから、発注元であるソコの養護教諭に言っておきますね」
杏,「悠真クンが、まさかのトンネル会社!?」
悠真,「きっとたくさん飴をくれると思いますよ。三個くらい」
杏,「あたしの労力、安っ!?」
悠真,「会長ですし、人件費は抑えていかないと」
杏,「もー、そういう飴とかじゃなくて!ほら、もっとあるでしょ?」
悠真,「また湿布が欲しいんですか?」
杏,「違うわよっ!あたしはね、悠真クンだから手伝ってあげたんだよ?」
悠真,「それはありがとうございます」
杏,「え、それだけ? 他になにかあるんじゃない?」
奈緒,「いつまで漫才を続けるつもりだ。ここはお笑いの舞台じゃないぞ」
悠真,「漫才をしたつもりはないんだが」
杏,「ちょっと、佐和田センセーも悠真クンに一言いってあげてくださいよっ」
奈緒,「一言? 何をだ」
杏,「あたしの言うことを聞きなさいって」
奈緒,「と言うわけだ。言いなりになれ」
悠真,「言いなりって……下僕にでもなれと言うのか?」
杏,「あ、いいねそれっ!今日からキミ、あたしの下僕ね♪」
奈緒,「だそうだが、どうする悠真」
悠真,「お断りします」
奈緒,「悪い神鳳。お断りされた」
杏,「えー。そんなぁ」
というか、間に一人介して会話しないでもらいたい。
杏,「むー。悠真クンのケチー」
悠真,「下僕になるよりは、ケチと言われる方がマシです」
奈緒,「ガキか、お前らは……。あー、それより悠真、少し手伝え」
悠真,「今やってた、資料の整理か?」
奈緒,「ああ。すまんな」
杏,「え、ちょっ……あたしのお礼はー!?」
奈緒,「神鳳、おつかれさん。礼にそこの飴を好きなだけ持っていっていいぞ」
悠真,「良かったですね先輩、三個どころじゃありませんよ」
杏,「飴はいいから、悠真クンをくださいよぉっ!」
奈緒,「あたしに言ってどうする」
杏,「うう……そ、そうですけどぉ……」
奈緒,「ほら、お前は教室へ戻れ」
そうして先輩は、しょんぼりと肩を落としつつ保健室を後にする。
杏,「うぅ、失礼しましたぁ……」
しかし、助かったのも事実だしな。後で何か、お返しでもするべきかもしれない。
杏,「もぉ、悠真クンってば……」
美桜,「きゃっ」
杏,「あ、ごめんなさい。驚かせちゃった?……って」
美桜,「い、いえ、私の方こそごめんなさ……あっ」
杏,「さっき、悠真クンの助手をしていた子だ!」
美桜,「あ、は、はい」
杏,「教室に帰ってなかったの?」
美桜,「え、えと……」
杏,「あ、そっかそっか。もしかして、悠真クンを待っていたり?」
美桜,「いえ、その……」
杏,「あれ、違った?」
美桜,「役に立てないのはわかってるんですけど……。いつでもお手伝いできるよう、近くに居たいなって」
杏,「…………」
美桜,「え、えへへっ。でも、やっぱり必要なかったみたいで」
杏,「……ようやく思い出した。キミさ、夕莉と一緒にいた子だよね?入学式の前準備で、ちょっと話したことあったでしょ」
美桜,「は、はい。そうですけど……?」
杏,「知ってるかもだけど、あたしは生徒会長の神鳳杏。キミの名前、教えてくれる?」
美桜,「えっと……い、一ノ瀬美桜です」
杏,「美桜ちゃんね。うんうん……よし、ちゃんと覚えたぞ」
杏,「それで美桜ちゃん。突然だけど、一つ聞きたいことがあるんだ」
美桜,「はい、何ですか?」
杏,「悠真クンの笑顔って、見たことある?」
美桜,「あ、はい。ありますけど……」
杏,「気持ち悪くない笑顔だよ?」
美桜,「は、はい……えへへっ」
杏,
美桜,「ひゃっ!?」
杏,「ちょっと美桜ちゃん! その話、聞かせてもらえる!?」
美桜,「その話って、な、何を……?」
杏,「ほらこっち来てっ。一緒にお話しましょ♪」
美桜,「あ、ちょ、ちょっと先輩、そんな引っ張らないで……」
健康診断に続き、書類整理などを手伝っている内に、既に放課後の時刻となっていた。
結局、授業を一日サボってしまったな。ちゃんと連絡は行ってるから大丈夫だろうが……。
と、そんなことを考えながら机に向かっていると。
奈緒,「悠真。これに見覚えはあるか?」
悠真,「ん? 携帯電話?」
奈緒,「健康診断のときの忘れ物らしい」
悠真,「健康診断のときの……?」
その色や形には、どこか見覚えがあった。
というか、これは……。
悠真,「思い出した。月嶋のじゃないか?」
そう、確か月嶋が体重を測る時に置いていたものだったはずだ。
奈緒,「そうか、だったら頼む」
悠真,「頼むって何をだ?」
奈緒,「月嶋に渡しといてくれ」
悠真,「ああ、後で渡しておく」
そんな俺の返答が満足行かなかったのか、小さくため息を吐かれながら携帯を手渡される。
奈緒,「コレを届ける口実で、女の一人でも落として来いと言っているんだ」
悠真,「何を言ってるんだよ、教育者」
今度はこちらがため息を吐く番だった。
奈緒,「お前は、携帯がなくて困ってる女子を放っておくつもりか」
悠真,「……ったく、わかったよ」
奈緒,「じゃあ、行ってこい。なんなら、そのまま戻ってこなくても良いぞ」
悠真,「すぐ戻る」
保健室を出て月嶋を探していると、空が赤みがかってきていることに気付く。
悠真,「……急ぐか」
先ほどクラスにいた女子に話を聞いたところ、今日はバイトをしているらしい。
あそこの食堂は校舎と別棟だし、帰りに寄っていくにはちょうどいい。
夕莉,「あ、いらっしゃいま[――]」
悠真,「お、相変わらず良い笑顔だな、月嶋」
夕莉,「あ、浅葉くん? なんでここに……」
悠真,「なんでと言われてもな」
確かに、普段一人で学食を利用することは少ないが。
この間はこなみと一緒だったし、来たとしても爽や美桜たちと来ることが多いしな。
何より今は放課後だ。用事でもなければ珍しい客だと思う。
悠真,「邪魔して悪い。月嶋に渡すものがあってな」
夕莉,「え? わたしに?」
悠真,「ほら、忘れ物だ」
夕莉,「!?」
悠真,「その様子だと、月嶋ので合ってたか」
夕莉,「そういえばわたし、体重を測った時にそのまま……」
悠真,「ああ、さっき佐和田先生が気づいてな。念のために言っておくが、俺は弄ってないぞ」
夕莉,「大丈夫、浅葉くんはそういう人じゃないもの。……届けてくれて、ありがとう」
悠真,「礼を言われるほどのことじゃない。俺も先生に頼まれたから持ってきただけだ」
夕莉,「それでも、やっぱり嬉しいから」
悠真,「なら、気持ちだけ受け取っておくよ」
夕莉,「うん。……よかったぁ」
俺はいま恐らく、苦笑に近い歪んだ表情を浮かべているのだろう。
こういう時にこそ、上手な笑顔を浮かべたいが。世の中、そう上手くはいかないものだな。
悠真,「邪魔して悪かったな。長居も悪いし、俺はこれで」
夕莉,「……あ、あの」
月嶋の、少し控えめな声に呼び止められる。
悠真,「ん? どうかしたか?」
夕莉,「ひょっとして、いま忙しかったりする……かな?」
悠真,「そうだな……」
保健室に残してきた健康診断の資料の山と、不良養護教諭を思い浮かべる。
……が、『戻ってこなくても良い』と言っていた時の顔が思い浮かぶと、つい思考とは逆の言葉が出てしまった。
悠真,「ぜんぜん暇だぞ」
夕莉,「じゃあ、せっかくだから何か食べていかない?お礼に、ご馳走するから」
悠真,「いや、いいよ。月嶋に悪いしな」
夕莉,「でも……」
しゅんと落ち込んでしまう月嶋を見ると、悪いことをしている気になってくる。
月嶋の性格を考えると、貸し借りを作ることが嫌なのかもしれないな。
どうしたものだろうか……。
;▽選択肢
素直にご馳走になる
遠慮しておく
;※A.素直にご馳走になる(好感度+1)
悠真,「なぁ。月嶋のお勧めはなんだ?」
夕莉,「……え?」
悠真,「ご馳走になるから教えてくれ」
夕莉,「あ……う、うんっ。えっと、じゃあ……チーズケーキはどう?」
悠真,「なら、それをふたつ頼む」
夕莉,「ふたつ……?」
悠真,「片方は俺がおごる。そっちは月嶋のぶんな」
夕莉,「え?」
悠真,「なんだ、意外そうな顔をして」
夕莉,「だって、今はわたしが浅葉くんに……」
悠真,「……お礼だよ」
夕莉,「お礼って?」
悠真,「今、笑ってくれただろ?」
夕莉,「[――]!」
悠真,「昨日も表情を作る特訓に付き合ってもらったしな。そのお礼だと思って、受け取ってくれ」
夕莉,「も、もう、そんなのいいのに……」
悠真,「そういうわけで、チーズケーキを二つ頼む」
夕莉,「ふふっ……はい、かしこまりました」
呆れたのか、それとも観念したのか。月嶋は微笑みを浮かべつつ、ぺこりとお辞儀をする。
もうしばらく、ここには居座ることになりそうだ。
;※■合流3へ
;※B.遠慮しておく
悠真,「悪いな。せっかくだけど、遠慮しておくよ」
夕莉,「そう……」
悠真,「せっかくご馳走してくれるのに、そんなつらそうな顔を前にして食べたくないからな」
夕莉,「!?」
悠真,「接客は笑顔で爽やかに、だろ。練習してみるか?」
夕莉,「上手にできたら、チーズケーキ食べてもらえる?」
悠真,「上手くできなかったら、逆に俺がおごろう」
夕莉,「…………」
月嶋は小さくうなずいて後ろを向く。
そして、深呼吸をしてからもう一度振り向き……。
夕莉,「お客さま、いらっしゃいませー」
悠真,「…………」
夕莉,「……こんな感じでどう?」
文句のつけようがない笑顔だった。
悠真,「さすがだな。満点だ」
夕莉,「採点、甘過ぎない?」
悠真,「そんなに俺におごられたかったのか?」
夕莉,「……ふふっ、それもそうね。じゃ、ケーキ持ってくるから座って待ってて」
悠真,「ああ、よろしくな」
……せっかくご馳走になるんだ。
少しゆっくりしていくとするか。
;※■合流3へ
;※■合流3 ここから■
杏,「なるほど……男の子が苦手ねぇ?」
美桜,「……はい。それでユウくんには、いろいろと迷惑をかけちゃってるかなって思ってるんです」
杏,「そっか。悠真クンも男の子だもんね」
美桜,「はい……神鳳先輩にも、ご迷惑おかけしちゃって」
杏,「迷惑?って、なにが?」
美桜,「健康診断です。途中で代わってもらいましたし……」
杏,「あー、気にしないで。むしろ、あたしから頼んで手伝わせてもらったんだ」
美桜,「そうなんですか?」
杏,「まーね。男の子の測定に興味もあったし。それに悠真クンの身長と体重も測りたかったし……ぬふふっ」
美桜,「ゆ、ユウくんの……」
杏,「あれ? 悠真クンの数字が気になるの?」
美桜,「そ、そんなことはっ」
杏,「むしろ測りたかったとか?」
美桜,「う……」
杏,「くすっ……素直だなぁ、美桜ちゃんは」
美桜,「はうぅ、恥ずかしい~……」
杏,「でも、美桜ちゃんは悠真クンにもさわれないんだよね?」
美桜,「うぅ、そうです……」
杏,「そっか……よし、じゃあ特訓だ!」
美桜,「へ?特訓……ですか?」
杏,「イエース!ダメなら大丈夫になれば良い! でしょ?」
美桜,「そ、それはそうですけど……。でも、ユウくんにも手伝ってもらってて」
杏,「あたしも手伝うっ!」
美桜,「え……ええっ!?」
杏,「さらに今なら、もう二人ついてくるよ!」
美桜,「テレビ通販みたいですっ」
杏,「どうどう?やってみない?」
美桜,「な、何か怪しい教材を買わされたりするんですか、私……?」
杏,「だいじょーぶだいじょーぶ。美桜ちゃんにピッタリな部活があるってだけだからっ」
美桜,「部活ですか?」
杏,「うん。実はね[――]」
後輩女子A/ウェイトレス,「ありがとうございましたー」
月嶋にチーズケーキをご馳走になった、帰り際。
夕莉,「待って、浅葉くん!」
悠真,「ん?」
月嶋……?
悠真,「まだ保健室に忘れ物でもあったか?」
夕莉,「違いますっ。浅葉くんの背中が見えたから、ちょっと……」
悠真,「ちょっと?」
夕莉,「き、今日のお礼を言いに来たのっ!」
悠真,「さっきもらったばかりだろ」
もう、そのお礼は俺の腹の中にある。
夕莉,「結局、わたしもケーキもらっちゃったし……。だから、お礼を言わないとダメだと思って」
まったく、律儀だな。
夕莉,「だからね、その……ありがとう」
悠真,「……どういたしまして。どうだ、気は済んだか?」
夕莉,「……うん」
返事をしてからも、月嶋はなかなか引き返そうとしない。
悠真,「他にまだ用事があるのか?」
夕莉,「え、えっと……」
悠真,「ないなら、戻るぞ?」
夕莉,「用事というか、浅葉くんに考えておいてほしいことがあって……」
悠真,「考えておいてほしいこと?」
夕莉,「…………」
わずかにためらったあと、月嶋は話を続ける。
夕莉,「前に、その……風紀委員の実情を、浅葉くんに話したことがあったよね?」
悠真,「実情って……」
あれこれと色々あったような気はするが。
悠真,「生徒会と仲が悪いことか?」
夕莉,「うっ……確かにそれもあるけど。もっと、委員会内部のことと言うか」
悠真,「委員会……人が減ったことか?」
夕莉,「う、うん。そのことで、相談というかお願いがあるの」
悠真,「聞くから、言ってみてくれ」
夕莉,「その……ね。もし良かったら、なんだけど。うちの風紀委員会に、入ってもらえないかな?」
悠真,「……俺が?」
こくり、と小さくうなずく月嶋。
それは予想もしていなかった勧誘だった。
悠真,「風紀委員会か……」
委員の選出方法は特殊なため、俺のような人間では不向きのような気がしなくも無い。
月嶋の顔見知りと言う理由だけで選出されるのであれば、なおさらだ。
夕莉,「もちろん無理にとは言わないし、今すぐ返事が欲しいっていうわけじゃないの」
悠真,「なるほどな、言いたいことはわかった」
夕莉,「……ごめんなさい、急にこんなことを言われても困っちゃうよね」
悠真,「ああ、いや。困るというか、ちょっと理解できない点があるんだが」
夕莉,「理解……?」
悠真,「その……なんで俺を誘うんだ」
月嶋は実際に困ってはいるようだし、力になれるのなら、なってやりたいとも思う。
だが俺には保健室の手伝いがあるし、そもそも安請け合いしていい内容でもないだろう。
悠真,「顔見知りだから、誘ってるのか?」
夕莉,「ち、違うわっ!」
悠真,「なら、扱いやすそうだからか?」
夕莉,「それも違うっ!」
悠真,「風紀委員に適しているように見えた?」
夕莉,「それ……も、ちょっと違う気がする」
悠真,「じゃあ、なんだ?」
夕莉,「……恋愛を」
悠真,「…………」
夕莉,「恋愛を、否定しているから」
……なるほどな。
ちらっと聞いた話によると、風紀委員が減った理由は委員と生徒会役員との恋愛が原因らしい。
そう考えると……。
悠真,「なんだか納得してしまった」
夕莉,「……怒った?」
悠真,「いいや。それは事実だし、それが理由になる事情があるのも理解している」
夕莉,「じゃ、じゃあ……どう、かな」
悠真,「そうだな……。少し時間をくれるか?」
夕莉,「それはもちろん! 返事はいつでも……。浅葉くんの考えが決まった時で……」
俺じゃないといけない理由はわかった。だが、俺にも色々考えなければいけない事情がある。
夕莉,「本当に急なお願いでごめんなさい」
悠真,「いや、こっちこそすぐに答えられなくて悪いな。期待しないで待っていてくれ」
今の自分ができること、できないこと。それを見極めてから、返事をしないとな……。
;※■4月15日(月)
月耀日(星期一)
週の明けた月曜。
俺は月嶋への返事をどうしようかと考えながら、一人で登校していた。
こなみは生徒会。美桜も、今日は用事があるとかで先に行っている。
だが、不可解にも感じるその真相は、あっけなく判明した。
女子生徒A,「えーウソ、なにこれー?」
悠真,「…………」
前に見たことの在る光景に、賞金首の記憶がよみがえる。
また花子が何かしでかしたのだろうか。
悠真,「ん? あれは……」
人だかりの中、見慣れた後ろ姿を発見した俺は、掲示物の内容確認がてら近づいてみる。
悠真,「おはよう、月嶋」
呆れたような表情で掲示物を眺めていた月嶋は、そのままこちらへ視線を向ける。
夕莉,「ああ。おはよう浅葉くん……」
悠真,「また生徒会が、何かやらかしたのか?」
夕莉,「これを見てもらえる?」
悠真,「これって……」
そこには、前回と同じ『生徒会からのお知らせ』という紙に、でかでかと名称変更のお知らせが書いてあった。
悠真,「『生徒会将棋部あらため、生徒会』……って。元に戻しただけじゃないか」
ついでに『活動内容に対人対策が加わりました』ともある。
どういう意味かは知らないが、それ以外には……。
夕莉,「ここよ」
そう言って、月嶋が指さす先に、重大な変化があった。
悠真,「み、美桜っ……!?」
そう。そこには、『新役員:一ノ瀬美桜(2年)』と書いてあったのだ。
悠真,「月嶋、これは一体……?」
夕莉,「はぁ……それを聞くために生徒会室へ行ってみるわ。浅葉くんはどうする?」
悠真,「美桜と……対人対策?」
その響きに何かいやな予感がした俺は、月嶋の言葉にうなずき、その場を後にする。
杏,「いらっしゃい、二人とも」
悠真,「美桜……」
爽,「おう、悠真と月嶋じゃないか」
こなみ,「兄さん、夕莉先輩。いらっしゃい」
美桜,「ユウくん、夕莉ちゃん、おはよー」
夕莉,「おはようじゃありません!なんで美桜がここにいるんですか!?」
美桜,「ひゃうっ」
月嶋の剣幕に、すっかり怯えてしまう美桜。
杏,「なんでって、役員になったからだけど?」
夕莉,「美桜が自分から生徒会へ入ろうとなんて、するわけありません!」
そういうと、月嶋は生徒会の面々へと視線を向ける。
夕莉,「いくら人手が足りないからって……なんて言って美桜を巻き込んだんですか!?」
美桜,「夕莉ちゃん、わ、私は巻き込んでなんて……」
杏,「おほん。それについてはあたしから説明するわ」
美桜,「神鳳先輩……」
杏,「夕莉は、美桜ちゃんの悩みのこと知ってるわよね?」
夕莉,「もちろんです」
杏,「あたし達はその悩みをキブアンドテイクで解決するため、一致団結したのよ!」
美桜,「あのね、わたしの治療を先輩が手伝うって言ってくれたの。それで……」
杏,「ストップ、美桜ちゃん。いいの? 秘密が明るみに出ちゃうよ?」
美桜,「[――]っ!」
夕莉,「秘密?って、なんのことですか?」
杏,「この部の設立に関する理由のこと。美桜ちゃんのプライバシーに関わるから、秘密なの」
夕莉,「なっ……だからって、そんなこと[――]」
沸騰しかける月嶋を制しようと、俺は肩をぽんっと叩く。
夕莉,「浅葉くん……」
悠真,「悪いな、美桜。月嶋も、美桜を責めているわけじゃないんだ」
夕莉,「あっ……」
そこには、瞳を潤ませながら立ちすくむ、美桜の姿があった。
美桜,「ごめんね……ごめんね、夕莉ちゃん」
夕莉,「その……わたしは、美桜が自分で納得してるのであれば、怒るつもりは無くて……」
月嶋は筋を通すための正論を、会長へといい含めているつもりだったのだろう。
でも、それは小さな勘違いを友達にさせてしまった。
月嶋にしてみれば心苦しいだろう。
だけどそれは月嶋だけではなく、美桜もそう感じているみたいだった。
美桜,「あ、あのね、私がこの部に入ったのは……」
美桜が話しづらそうに口を開いたときだった。
陽気な調子で、会長が月嶋と美桜の間に割って入る。
杏,「悠真クンに好きなだけさわりたいんだよねー?」
美桜,「ふぇっ!?」
杏,「だから秘密だったの。わかってくれた?」
美桜,「ち、違いますよぉ」
杏,「さわる度に泣いちゃってたら、愛想つかされちゃうもんね」
美桜,「うう、神鳳先輩いじわるです……」
悠真,「俺がいつ、美桜の病気を理由に愛想を尽かすだなんて言いました?」
杏,「……悠真クン?」
途端に、空気が重くなる。
その理由が自分のせいだと言うのはわかっているが、止められない。
悠真,「俺は隣でずっと見てきたんです。美桜は、泣きながらもがんばって治そうとしているんです」
杏,「あ……」
美桜,「ユ、ユウくん……」
悠真,「それを先輩は[――]」
こなみ,「兄さん」
俺が何を言おうとしたのか察したのだろう。こなみが俺を制する。
悠真,「…………」
また、静寂が訪れる。
俺が怒っていることに戸惑っているというのが、その静寂を占める大半の理由なのは分かっている。
だけど、こればかりは譲れない。
杏,「……ごめんなさい。失言だったね」
悲しそうにそう言った先輩は、俺が初めて見る、悲痛な表情を浮かべていた。
悠真,「失礼しました」
重い空気になった生徒会室を後にする。
俺がきついことを言ったというのは理解しているつもりだ。
だからこそ、こうやって出てきたわけだったのだが……。
爽,「待ってくれ、悠真」
悠真,「……爽?」
そんな俺のすぐ後を追ってきたのか、爽が廊下に出てくる。
爽,「お前が怒るなんて珍しいな」
悠真,「まぁ……ちょっと、カチンと来てな。悪い」
爽,「いいさ、悠真の気持ちもわかる」
爽はそう言うと、軽い苦笑を浮かべながら肩をすくめて見せた。
爽,「おれも生徒会に入りたての頃は、先輩にしっちゃかめっちゃか引き回されてなぁ」
悠真,「……それはご愁傷様」
爽,「いまさら労っても、おせーよ」
そう、笑いながら文句を言う爽。
爽,「ま、別にいいんだけどな。だが、勘違いしているであろうことだけは訂正させてくれ」
悠真,「勘違い……って、なんのことだ?」
爽,「会長はな。冗談とか、目立ちたいとか。そういうエゴだけでコトを起こす人じゃないんだよ」
悠真,「…………」
爽,「あの人は、いつも一生懸命なんだ」
悠真,「一生懸命?」
爽,「ああ。何事にもな」
悠真,「それだけじゃわからん」
爽,「はは、そうかもな。でも、そろそろ分かってきてるんじゃないか?」
悠真,「…………」
俺はそれには答えないで、黙る。
……本音を言えば、わからないこともない。会長は常に、自分ではなく他人を思って動いていた。
悠真,「もしかして、こういう騒動になることも見越していたって言うのか?」
爽,「おれは会長じゃないからわからんが、そうかもな」
悠真,「だとしたら、なんでわざわざ月嶋を怒らせる必要があるんだ」
爽,「それもわからんけど。でも、あの会長ならできると思うんだ」
悠真,「できるって、何をだよ?」
爽,「月嶋さんを、笑わせること」
悠真,「月嶋を……?」
爽,「わからないって顔だな」
月嶋をターゲットにした、不可解な行動。
その裏に、そんな理由があるとするなら、俺は……。
悠真,「……そんなの、わかるかよ」
爽,「はは、それもそうだな。ついでに言うと、お前のことも笑わせたがってたぞ」
悠真,「ああ……らしいな」
爽,「だから、気をつけろよ。月嶋さんを見ていればわかるだろ? 会長はしつこいぞ」
悠真,「ため息が出る」
本当に、ため息が出る。
どこか会長には自分と近い物を感じていたが。……まさか、他人を笑顔にしたいだなんてな。
爽,「ま、そんなわけだから。あんまり会長を責めないでやってくれ」
悠真,「そうだな……さっきは悪かった、と伝えてくれるか」
爽,「俺が、か?」
悠真,「ああ。不快な思いをさせたと」
爽,「そんなこと、自分で言えばいいだろ?それに会長だって、自分が悪いと思ってるだろうよ」
悠真,「……そうか」
爽,「じゃ、それだけだ。会長はだいたい生徒会室にいるから、気が向いたら顔を出してやれ」
#chara_scroll 5,25,147,0,115 opacity=0,800 nosync爽は、楽しそうに笑いながら生徒会室へと戻っていく。
そんな後ろ姿を見送りながら、俺は会長のことを考えていた。
その日は、朝に生徒会室を出てから、結局一言も美桜や月嶋とは話さなかった。
いや、何を話していいのか分からなかった、というべきか……。
何をやっているんだろうな、俺は。
悠真,「はぁ……」
ため息を吐きながら、一人きりで帰りの坂道を下っていると、頭上から声が聞こえる。
???,「あ……」
悠真,「ん?」
ふと上を見上げると、そこには[――]
悠真,「そんなところで何やってるんだ?」
ティナ,「ユウマさんを、待っていました」
悠真,「俺を? 何か用事か?」
ティナ,「いえ、そういうわけではないです」
悠真,「……? いいから、降りてこい。見上げていたら首が疲れる」
ティナ,「はい、今そっちにいきます」
何が嬉しいのか、ティナはにっこり笑って飛び降りる。
悠真,「ティナっ……!?」
300驚く俺の目の前で、ゆっくりと地上へ降り立つティナ。
ティナ,「きました」
悠真,「お前……もしかしなくても、飛べるのか?」
ティナ,「とうぜんです。恋の妖精のちからをなめないでください」
どうやら、背中の羽根は伊達じゃないようだ。
悠真,「……っと。ティナ、その羽根しまえ。他の誰かに見られるとまずい」
ティナ,「そうでした。ひっこめます」
すうっと、虚空へ溶け込むように小さな翼が姿を消していく。
悠真,「……どうなってるんだ、それ?」
ティナ,「わたしにもよくわかりません。でも、ないと木の上にのぼれません」
悠真,「まぁ……それはそうだが」
ティナ,「あと、出しておかないと恋の妖精のちからを使えないです。でも、どうして翼なのでしょう」
悠真,「俺に聞いても知ってるわけないだろ」
さらっと『恋の妖精』に言い直しているところは突っ込まずに、肩をすくめてみせる。
要は、あの羽根があるときは死神モード、くらいの解釈でいいのだろう。
ティナ,「ユウマさん、どうしました?」
悠真,「ん? どうしましたって、何がだ?」
ティナ,「それは……」
コタロー,「ご機嫌が芳しくないように見受けられますからねー。その事を伺っているのでないでしょうかー」
ティナ,「…………」
どこか不安そうに、俺を見つめてくるティナ。
悠真,「俺は、そんなに怖い顔でもしているか?」
ティナ,「はい」
素直な奴だな、ティナは。
悠真,「……ふぅ」
少しささくれていた心を、深呼吸をして静めていく。
悠真,「それで、結局どうして俺を待っていたんだ?」
ティナ,「目がさめましたので。おむかえにきました」
よかった、ほんの少しだけど笑ってくれている。
悠真,「死神がお迎えとか、シャレにならないことを言うなよ。というかお前、今日も昼寝ばっかりしてたのか?」
ティナ,「にーとさいこうです。ちなみに死神じゃなくて恋の妖精です」
悠真,「そうか……恋の妖精というのは、家に引きこもって自堕落な生活をするのが仕事なんだな?」
ティナ,「あ、うそです。ちゃんと自宅けいびしてました」
大して変わらないだろ、それ……。
コタロー,「あのー、あのー、ティナ様ー?」
ティナ,「? コタロー、なに?」
コタロー,「ユウマ様に、なにやら言いたいことがあったのではー?」
ティナ,「そうでした、忘れるところでした」
悠真,「言いたいこと? なんだ?」
ティナ,「あの……」
悠真,「ん?」
俺の質問に対して、ティナは。
ティナ,「おかえりなさい、です」
悠真,「…………」
そんな、出迎えの挨拶をするのだった。
悠真,「いきなりどうした?」
ティナ,「? 目がさめましたので」
悠真,「それはもういい。というか、どうして不思議そうな顔するんだ……」
ティナ,「りゆうになっていませんか?」
悠真,「どうだろうな」
まったく、訳が分からない奴だ。
ティナ,「ならもう一回ですね。おかえりなさい、です」
ニートで役立たずの死神のくせに。まるで、それが当たり前のように言われて。
悠真,「……ただいま」
ティナ,「はいっ」
迂闊にも、少しだけ癒されてしまうのだった。
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這個宇宙,因深愛著你而閃耀光輝。