;此脚本编写者为Typical-Moon, STAGE——NANA版权所有,请勿擅自修改此脚本或直接发布使用此脚本制作的产品
■ 1996年 春 セツミ ■
『…確かに、幼い頃から丈夫な方じゃなかった…』
それでも小学校は普通に通えたし、
夏休みには真っ黒に日焼けするほど遊んだこともあった。
6月。中学に入ってすぐの頃。
来月から始まる、水泳用の水着を注文した翌日。
その時、初めて入院ってのを経験した。
一学期の中間テストの少し前、
降り始めた雨が、やけに冷たい日だった。
真っ白な梅雨空の中。
そりゃあ、最初の頃は、
クラスの皆んなも毎日のように見舞いに来てくれた。
退院した頃には、
週末の度に、家にも遊びに来てくれた。
…でも、そんなのは最初だけ。
どんどん学校から、社会から、置き去りにされてしまうわたし。
秋を迎え、冬を越し、
入院、退院、通院…そしてまた入院を繰り返し…
かつて、友達と呼んでいたクラスメイト。
いつしか、知り合いへと変わった。
そして、他人へと変わった。
季節を重ねる毎に、
彼等の記憶からわたしは消えたようだった。
「…どうやら、”良い気がしない”らしい」
「普通に生きている人にとって、わたしの存在ってのは」
「だから…消されたようだった…」
「幾つもの季節を、白い梅雨空を…
誰とも言葉を交わす必要もなく過ごした…」
「わたしの英語の教科書は、
1年生の中間テスト以降、まっさらな状態だった」
「…そこで…わたしの時間も止まったらしい」
#say ■ 8年後…2004年 主人公 初夏 ■
夏。流れる汗。
運転免許試験場に設置された、大きな電光掲示板。
一斉に点灯を始めたライト。
俺も他の皆んなと同じように、自分のナンバーを目で追う。
「237、237…」
チカチカと約8割ほどのライトが点灯する中、
無事に自分の受験番号が光ったことを確認した。
ガタンゴトン、
ちょうど昼過ぎの為か、よく空いていた車内。
そんなガラ空きの車内を、
俺は試験場からの帰路についていた。
左手には貰ったばかりの交通教本、
胸ポケットには真新しい免許証。
「これで俺も、普免持ちか…」
しみじみ呟くが、特に感慨はなかった。
別に、車に乗りたかった訳じゃない。
他に何かの目的があった訳でもない。
只、まわりの連中も教習所に通っていたし、
車の免許くらい取っておけと勧められただけだった。
その夜。
親に免許が取れたことを報告すると、
『そうか』と、短く返された。
試しに、車を貸してくれと言ってみたら、
同じように短く、駄目だ。とだけ返された。
別に車に乗りたかった訳じゃないけど、
その返答はあまりに予想通りだった。そんな親だった。
#say翌日。
#say寝覚めから胸が苦しかったので病院へと向かった。
#say普段から俺は、病気なんてもんに縁がなかった。
#sayだから、初診受付の待ち時間は、ひどく退屈に感じた。
やっと診察が終わったと思うと、
今度はレントゲンと血液検査にも行った。行かされた。
更に、長い長い時間を、ぼ~っと待たされ…
思わず、待合室にあったジャンプを3冊も読み、
4冊目に手を伸ばした時、
そのまま入院の手続きをさせられた。
胸ポケットに入れたままになっていた、真新しい免許証。
その出番は遠のいたようだった。
#say ■ 主人公 2004年 秋 ■
あんなにうるさかった蝉が鳴き止む頃。
相変わらず俺は病院に居た。
もちろん、ずっと入院していた訳じゃない。
出たり入ったりの繰り返しだった。
先月には、初めて手術ってのも経験した。
退院後は、原チャで5分の距離を通院もした。
それからも、入院、退院、通院、入院を小刻みに繰り返して…
PETだかイレッサだか知らないけど、
気づけば、その繰り返しで数ヶ月が経とうとしていた。
食欲が減った代わりに、貰う薬の量と種類が増えた。
自分でも、目に見えて体力が落ちてきたと実感できる。
足が細くなった気がするけど、
”それは気のせいじゃない”
と、体重計の針は教えてくれた。
なのに俺は…どこか客観的に自分を見ていた。
まるで他人事か、
テレビの1シーンでも眺めているようだった。
突然、身に起こったことに、頭がついて行けなかった。
リアルとして起こった実感が沸かなかった。
だから、自分自身のことの筈なのに、
どこか遠い場所から冷めた目でしか見れなかった。
冬の日。
街頭からクリスマスツリーが姿を消す頃、
年末ということもあってか、自宅に帰してくれた。
あくまでも一時的なものらしい。
それでも少しは嬉しかった。
みぞれ混じりの雨の中、
久しぶりに帰ってきた俺の家。
何故か、家族が全員揃っていた。
普段からそれほど話すことも無かった親なのに、
どこかギクシャクとしながらも、笑顔で迎えてくれた。
いつも口喧嘩ばかりしていた妹が、
俺の好きなクリームシチューとエビフライを作って待っていた。
こたつに並んで座った。みかんをむいてくれた。
やけに優しかった。それが印象的だった。
この時点で…俺は少しだけ察した。
ポケットに入れたままになった、例の真新しい免許証。
この免許証は、その価値を生かすことなく
終わるのかも知れないと思った。
ギクシャクとした不自然な笑顔に迎えられて…
冷静に、曖昧に、ひたすら薄っぺらく、
他人事のように俺はそう思った。
■ 主人公 2005年 1月 ■
年が明けて、また帰って来た病院。
何故かその日は、いつもの4階ではなく、
談話室のような部屋に行った。行かされた。
そして、オヤジと医者の先生、
それに俺も交えた三人で色んな話しを聞いた。聞かされた。
いわゆる、告知というやつなんだろう。
すごく遠回しな言い方だったが、
そう解釈した。死ぬらしい俺は。
「そうですか…」
だから、それだけを返した。他に言葉は見つからなかった。
入室してから出るまでに、口にしたのはこれだけだった。
俺の返事を受け、
手に持ったボールペンを走らせる先生。
恐らくはホスピスへの手続きだろう。
あくまでも事務的な態度だった。オヤジも似たようなもんだった。
…こんな簡単なモンなんだ…
それが俺の率直な感想だった。
そして、その日を境に4階から7階へと、
6人部屋から個室へと変わった。
それと、この7階自体は他の階と少し違っていた。
まず、床がピカピカになっていた。
天井も今までより、ずっと高く広々としていた。
病室の中もすごく綺麗で、大きな窓からは、
明るく日光を採り入れる仕組みなっているようだった。
きっと、ベッドも新品に近いものだろう。
真っ白なシーツが眩しい日射しに際立っていた。
…だけど、窓は少ししか開かなかった。
試しに計ってみると、
ちょうど頭がギリギリ通らない幅だった。
他にも、認識用の腕輪の色が変わった。
入院した日から、ずっと手首に巻かれていたビニール製の腕輪。
俺の名前や血液型が記載されていた。
その色が、青から白に変わった。
…高い天井、白いビニールの腕輪、15cmしか開かない窓。
そんな7階に移ったのは、
まだ、新春のつまらない番組が流れている頃だった。
あの子と初めて出会ったのも、
そんな年を明けてまもない頃だった…
;此脚本编写者为Typical-Moon, STAGE——NANA版权所有,请勿擅自修改此脚本或直接发布使用此脚本制作的产品
廊下の横、ナースステーションの向かいにある、
談話室のような場所。
人気のないその場所に設置された、
いくつかのソファーやパイプ椅子、それと大きめのテレビ。
その28型のブラウン管からは、
どうでもいい新春特番が今日も流れていた。
そんなつまらないテレビを、
さも、つまらなさそうに見ている、どこかの女の子。
小柄な身体に、ピンクのパジャマ。
手首には俺と同じ、白の腕輪。
腰に届くほどの長い髪が印象的だった。
「なあ、お前…それ面白いか?」
深い意味はない。
ひと気がないので、何となくその横顔に話し掛けた。
「別に…」
只、それだけを返す女の子。
声を掛けた俺に振り向きもしなかった。
俺のことは一切気にしていないのか、
ずっとつまらなそうにテレビを見続けたままだった。
…だったら、見なきゃいいのに…
そう思いながらも、
同じようにパイプ椅子に腰を掛ける俺。
そして、並ぶようにしてテレビを眺めた。
他にすることもなかった。出来ることもなかった。
…黙ってテレビを眺め続ける俺達…
ブラウン管の中からは、正月にありがちな新春番組。
くだらないモノマネだか隠し芸だかがやっていた。
時折響く、司会者のバカみたいにカン高い笑い声。
真っ白くて日当たりの良いこの部屋に、乾き、響いていた。
「ねえ…あなた…」
突然、話し掛けてきた女の子。
相変わらずテレビを見つめたままだった。
「…あなた、何回目?」
「…何回目って、どういう意味だ?」
「ここに…7階に来たの」
「悪い、質問の意味がわからない」
「………………」
#vo n016
「そう…初めてなんだね」
何を言ってるのか理解できない俺に、
彼女は勝手に納得したようだった。
「じゃあ、他に誰も居ないし…わたしの役目だから…」
「…役目?」
「そういうルールなの…」
頷きながら、初めてここ(7階)に来た人には、
誰かが教えてあげるルールなんだと付け足した。
いまいち何のことか分からない俺。
そんな俺を、無視するかのように、
彼女はゆっくりと話し始めた。
「それじゃあ、よく聞いてね…」
…………
ぽつりぽつりと語る彼女の言葉。
それは、ここに来るまでに聞いた、
医者の先生の弁とは少し違っていた。
あの事務的な医者の話しでは、
ここは医療の進歩を待つ場所であると言った。
心を癒す場所でもあると言った。
恐らく、一般的にはそれで正しいのだろう。
でも、彼女の言によるとそれは建前だそうだ。
この7階ってのは、病院内にあって、
唯一治療をする場所じゃないらしい。
只、命が尽きるのを待つ場所。
そう彼女は言った。
俺もそう思えた。同じ認識だと思った。
「わたし、2回目だから…」
「2回目ってなにが?」
「…ここに来るの」
そして、彼女は教えてくれた。
この7階って場所は、
最初の入院でそのまま死ぬまで居ることは、まず無いらしい。
治ることは有りえなくても、
体調がマシになると1度は家に帰してくれる。
でも、暫くして悪くなると、またここへ帰ってくる。
…その繰り返しで、いつか死ぬ。
尽きる場所が、家か7階かの違いだけで、
確実にどちらかで死ぬ。避けた奴はいないそうだ。
そういう意味での、
彼女はここに来たのは2回目という意味だった。
「じゃあ、1度しか言わないから…」
「ここからは、よく聞いて…」
…………
…乾いた画面を見つめたまま、更に言葉を続ける彼女。
その内容は、消灯時間が何時かって、
普通の入院患者が交わす内容ではなかった。
全然違ったことを教えてくれた。
『3回目に仮退院させてくれたら、覚悟しろ。
4回目はまずない。もう家には帰れない』
『もしも逃げたい時は、A駅ではなくB駅に行くこと』
『何も食べるな。それが一番の近道。
家族にとっても一番負担が小さくて済む』
…そんな、身に詰まるような内容ばかりだった。
恐らく、ここに来た人間だけの…
死ぬゆく当事者達だけで、
伝え続けてきたことなんだと思う。
「もしかして、さっきの役目ってのは、これのことか?」
「ええ、そうよ…」
「いつかあなたも、初めて来た人には伝えてね…」
その言葉を最後に、ゆっくりと立ち上がる彼女。
ふわりと長い髪が揺れ、俺の鼻先をかすめた。
「じゃあ、検温の時間だから…」
そして、そのまま背を向けると、
廊下へ向かって歩き始めてしまった。
一人残されたこの場所には、
ブラウン管からの笑い声と、窓辺に飾られた白い花。
結局彼女は、一度として俺の方を見ようともしなかった。
それから何日か過ぎた頃。
やっと新春特番が終わり、
そろそろ中学や高校では、三学期が始まろうとする頃。
今日もこの談話室では、
テレビをぼ~っと眺める俺と彼女の姿があった。
「つまらねえな…」
「そうね…」
言葉ではそう返すが、
お互いに画面を見つめ続けたままの会話だった。
「なあ、ここっていつもこんななのか?」
「…質問の意味がわからない」
「ああ、ひと気がないって意味さ」
看護婦や医者、それにヘルパーの人を除けば、
お互いの付き添い以外に、誰の姿も見ていなかった。
「やっぱり、正月明けだからか?」
「…………」
「…その理由を知りたいの?」
「あ、いや…別にそんな意味じゃ…」
「…じゃあ、言わない」
そんな会話ともつかぬやり取りを、淡々と交わす俺達。
15cmしか開かない窓から入ってくる、僅かな風。
時折、彼女の長い髪を揺らし、
同じように揺れる、窓辺に飾られた白い花。
お互い、つまらないテレビを見つめたまま、
時間だけを消費する日々だった。
タッタッタ、
「あら、二人共こんなところに居たの?」
そう言って駆け寄ってきた、年配の看護婦さん。
たまにナースステーションを覗いた限りでは、
この人が7階のチーフのようだった。
「どう? セツミさん、熱出てない?」
「…大丈夫、出てない…」
…セツミ。
どうやらそれが彼女の名前のようだった。
「もう勝手に外をうろついたりしちゃ駄目ですからね」
「……………」
「いいですか? 皆んな心配するんですからね」
「…別に、いいよ…」
「まあ、なんて言い草なんでしょ」
「……………」
「もう、ホントに最近の子はしょうがないわね」
それから暫くの間、小言を続ける看護婦さん。
それを彼女…セツミと呼ばれたこの子は、
素知らぬ様子で聞き流していた。
小うるさい看護婦を無視するように、
正面のつまらないテレビを見続けたままだった。
「じゃあ、また後で採血に行きますからね」
その言葉を最後に、
再びナースステーションへと帰って行く看護婦さん。
「なあ、お前ってさ…」
「いや…セツミで、いいんだよな?」
彼女の手首に巻かれた、白いビニールの腕輪。
そこに書かれた血液型と名前を見ながら尋ねた。
「……………」
「どうかしたか? セツミ?」
「…どうして呼び捨てなの?」
「はあ?」
「年下のくせに…」
「お、おい、なんで俺が、年下なんだよ?」
「別に…そう思っただけ」
”年下”という言葉に腹を立てた訳じゃない。
只、どう見ても俺の方が5~6才は上に思える。
だから俺は、胸ポケットに入れていた、
例の免許証を彼女へと差し向けた。
「どうだ、こう見えても俺、20才だぞ?」
「……………」
「やっぱり年下よ…」
免許証には一瞥をくれただけで、それだけを返す彼女。
「おい、よく分からねえぞ」
「どうでもいいじゃない…少し上なだけよ」
相変わらず無表情のまま彼女が呟く。
その目は、つまらないテレビを見たままにも、
どこか遠いところを見ているようにも思えた…
朝の検温が終わった頃。
俺は看護婦に見つからないようにエレベータに乗り込む。
#bg byoin_rouka
1階に着くと、わざと外来用の出入り口を通って、
そのまま病院の外へと歩き始める。
目指す場所は、以前に教えられた、
近いA駅ではなく、遠いB駅。
別に、逃げ出すつもりじゃなかった。
…7階か自宅…
そのどちらか以外で死んだ奴はいない…
以前にそう聞いていた。
そして、あのセツミとかいう彼女も、
何度か行ったらしいB駅。
だから、なんとなく一度は、
その場所を見てみたかっただけだった。
「別に、監視員が居る訳じゃないだろう…」
そう思いつつも、俺達は7階の住人。
他の入院患者とは違う。
もしかしたら…とも考えながら、
まだ早朝の駅までの道を歩き続ける。
急ぎ足で進む、通勤や通学の人達を横目に、
ゆっくりとした足取りで進みつづけた。
暫く歩いた頃、25分ほどかかって到着した駅前。
バス停に換算すると4つ分ほどの距離だった。
「…それなりに人が多いな」
それがB駅を見た第一印象だった。
俺の服装がパジャマの為に、少しは目立ってしまうけど…
しかし、このまま電車の切符を買えば、
何の問題もなく、どこにでも行けるようにも思えた。
どうしてA駅ではなく、
このB駅を勧めるのかは分からない。
でも、本当に逃げ出すつもりなら簡単に思えた。
確か彼女も何度か来た筈だけど、
どうして彼女は、今も7階に留まっているのだろうか…
早朝の駅前。
足早に通り過ぎる人達を眺めながら、
ふと、そんなことを思っていた。
その夜。消灯時間も過ぎた頃。
マンガ本にも飽き、寝付けなかった俺は、
一人で病院内をぶらぶらとしていた。
通常、消灯後にうろつくと、こうるさく言われるが、
俺達7階の住人は比較的自由だった。
そして、照明を落とされ、
真っ暗になったいつもの談話室。
そこで、あいつの姿を見つけた。
「よう、今日は外、見てるのか?」
「…うん」
暗い室内。返事はするが、
その顔は窓の外に向けたままの彼女。
早速俺は、今日あったことを話し始める。
自分の目で見た感じでは、逃げる気になれば簡単に思えた。
なりに逃げ出すのは簡単だと思えたからだ
「そういえばさ…昼間、駅前まで行ってきたぞ」
「……………」
「教えられた通り、B駅の方に行ってみた」
「そう…」
でも、彼女の反応は普段と変わらなかった。
今日俺が見た限りでは、
本当に抜け出すつもりなら簡単だと思えた。
以前に彼女も行った筈だから、
何らかの反応があると思ったのだけど…
それを考えると、今も彼女がここに留まるのは、
本当は、最初から抜け出すつもりもなかったのだろうか?
「…わたし、もうすぐ帰れるの…」
「えっ?」
突然、口を開いた彼女。
まるで、今の俺の心を、
見透かされたような言葉だった。
「…でも、次で3回目だから…」
「…もう会えないかもね」
「ん…ああ、そうだな…」
恐らくこいつが言うところの帰れるってのは、
仮退院のことを指しているのだろう。
この7階って場所では、
3回以上の入退院を繰り返すことは、まず無いらしい。
特に高齢者と違い、病状の進行速度を考えると、
俺達のような若い年代なら尚更のことだった。
そういう意味での、もう会えないという言葉だった。
「ねえ、あなたはどちらを選ぶの?」
「…選ぶとは?」
「…どっちで死ぬつもりってこと」
「…………」
突然、『死』という単語を聞かされ、
俺は一瞬だけ言葉に詰まってしまう。
「さあな…まだ考えてない」
「…そう…まだ1回目だもんね」
そう呟いて寂しそうにする彼女。
もちろん俺だって、
いつまでもここに居れる訳はない。
他の皆んなのように、
何回か入退院を繰り返して、徐々に弱って、いつかは…
結局最後には、この7階か、
薄っぺらい笑顔に囲まれた家かを選ぶことになるのだろう。
「わたしは…家は嫌…」
「だけど、ここも嫌…」
「…じゃあ、どうすんだ?」
「……………」
「…別に…どうもしない…」
「自力で歩ける内に、どこかに行くだけ…」
「どこかって、お前…」
明らかに逃げる気になれば逃げれるのに、
今もこの7階に留まっている彼女。
それを考えると…
「…もしかして、他に行くあてがあるのか?」
「……………」
「あなた…わたしを引き止めたいの?」
「えっ…」
「それとも…一緒について来たいの?」
「あ、いや、別にそんな意味じゃないけど…」
「…………」
「…じゃあ、聞かないで」
窓の外を見つめたまま淡々と話す彼女。
相変わらず俺の方は見ようともしない会話だった。
でも、その時だけは…
いつもの無表情な横顔が哀しそうに見えた。
3回目の仮退院が最後だと教えられ、
初めてこの7階に来た俺。
そして、間もなく2回目を迎える彼女。
まだ俺には、リアルで起こった事として実感できないけど…
いつかは俺も、
あんな顔をするようになるのだろうか…
未明から降り出した雨。
時折、みぞれや雪に変わりながらも、
しとしとと降り続いていた。
そんな中、いつもの場所でテレビを見ている俺。
相変わらず、この7階はひと気がなかった。
「…おもしろい?」
「いいや、つまらない…」
向こうからやってきた彼女。
それだけの言葉を交わすと、
黙って隣のパイプ椅子へと腰掛ける。
そして今日も、二人してつまらないテレビを眺め始めた。
…きっと彼女もそうなんだろう。
他にやることもなかった。やれることもなかった。
「あ……」
珍しくテレビに反応した彼女。
「どうかしたか?」
「……………」
「…別に」
言葉はいつも通りの『別に』だが、
普段とは違う彼女の反応。
それが気になった俺も画面に注目した。
テレビの中にはどこかの自然風景。
綺麗な野山に、樹木や花が景色に溶け込んでいた。
そして、そこに映し出されていた、たくさんの白い花。
…見覚えのある花だった。
今もこの部屋の窓辺に飾られている、
目の前の白い花と似ていた。
「もしかして、同じ花か?」
「…………」
「ほら、これってそっくりじゃん」
言いながら、ブラウン管と窓辺を交互に指差す俺。
「…ちがう」
「へえ、そうなんだ?」
「種類は同じだけど…厳密に言えば違う…」
窓辺の花には一瞥をくれただけで、
また正面のテレビを見続けたまま答える彼女。
正直言って、違うと否定されても、
俺にはその両者の区別が分からなかった。
それに、俺にとっては花が同じであろうが、
違っていようが、別にどうでも良いことだった。
それよりも、普段なら決して話しに乗ってこない彼女。
その彼女が珍しく言葉を続けていた。
だから俺も、話しを合わせてみた。
「お前ってさ、もしかして詳しいのか? こーゆーのに」
「…別に」
「そうか? でも俺には違いが分からねえよ」
ブラウン管の向こうに咲く白い花。
それと彼女の横顔の向こうに在る花瓶の花。
ぼんやりと、その両者を眺めながら、尚も言葉を続けた。
「なあなあ、これってさ、蘭とか百合ってのか?」
「……………」
「ほら、白っぽい色してるしさ」
「……………」
興味もないくせに、適当に言葉を続ける俺。
だけど…
彼女は、すぐにいつもの調子で黙ってしまう。
相変わらずの様子で、
つまらないブラウン管を見つめるだけだった。
そして、もう会話にはのってくれないのかと諦め、
再び俺も、テレビに視線を戻そうとした時…
「…ナルキッソス…」
「えっ…」
「ナルキッソスよ…」
答えながら…初めて、俺に顔を向けた。
腰まである長い髪を揺らして…
テレビの画面に映った花を指しながら、俺を見つめた。
画面に映った花と同じような、
手首に巻いた白いビニールの腕輪と、白い肌。
初めて見つめられたその顔は…
僅かだけ微笑んでくれたようにも思えた。
;此脚本编写者为Typical-Moon, STAGE——NANA版权所有,请勿擅自修改此脚本或直接发布使用此脚本制作的产品
数日が過ぎ、冬が更に本格的になった頃。
世間では受験シーズンと呼ばれる中、
相変わらず俺達は、今日もテレビを眺めていた。
「つまらねえな…」
「…そうね」
会話とも呼べないやり取り。
お互い、無意味に時間だけを消費する日々だった。
「そういえばお前って…いつだっけ?」
「…今日よ」
「そうか、今日だったか…」
ここで俺たちが言うところの、「今日」とは、
以前に話してくれた、彼女の仮退院のことを指していた。
「もう…会えないかもね」
「ん? ああ、そうだな…」
仮に、彼女がこの7階に再び帰ってこれたとしても、
あと1回が限度だろう。
その間、きっと俺も、家とこの場所を行き来している筈。
そんな俺達が、再び出会えるような、
タイミングがあるとは思えなかった。
「…あなた、決まった?」
「例の、どっちで死ぬかってのか?」
「うん」
「いや、まだだ…」
「…そう…」
少しだけ寂しそうに頷く彼女。
その表情は、2回目に仮退院する者、故なのだろう。
まだ俺には実感が沸かないし、
医者からは1回目の仮退院について触れられていない。
そういえば…
結局彼女は、
自分自身の答えは決まっているのだろうか…
タッタッタ、
「セツミ、仕度できたわよ」
そう言ってやって来た、どこかのおばさん。
恐らくは彼女の母親なのだろう。
隣に座っていた俺にも、小さく頭を下げてくれた。
「じゃあ、そろそろ、行くけど用意はいい?」
「…うん」
「それでは、失礼します」
もう一度、俺に小さくお辞儀をすると、
その場を立ち去ろうとするおばさん。
そして、娘である彼女へと手を伸ばすのだけど…
「…………」
でも…彼女はその場を離れようとしなかった。
母親に手を引かれるようにしても、
何故かパイプ椅子から立ち上がろうとしなかった。
「どうかしたの、セツミ?」
「少し…苦しい…」
「えっ、苦しいって、どこが? 胸?お腹?」
「…胸…」
「ちょ、ちょっと待ってなさい、
すぐに先生呼んできますから」
タッタッタ、
慌しく、来客用のスリッパを鳴らして、
ナースステーションへと駆け出すおばさん。
残されたこの場所には、
パイプ椅子に座って俯いたままの彼女と俺だけだった。
その病状や進行等、俺には全く分からない。
俺が知っていることは、名前はセツミ、血液型O。
例の白い腕輪に書かれていることだけだった。
でも、俺達は7階の住人であり、
少なくとも彼女は、俺以上なのだろう。
「なあ、先生来るまで、そこで横になってるか?」
言いながら、長椅子を指差す。
以前からこの部屋の隅に備えてあった物だった。
「ほら、背中支えてやるから」
「…………」
「別に…もう平気よ」
それだけを告げると、
さっと、自分から立ち上がる彼女。
「お、おい、お前…」
無理すんなよ。
っと、続けるよりも早く、
さっさと、廊下へと歩き出してしまった。
夜。消灯時間も過ぎた頃。
いつものように、マンガ本にも飽き、
寝付けなかった俺は、病院内をぶらぶらとしていた。
そして、照明を落とされ、
真っ暗になったいつもの談話室。
そこで、あいつの姿を見つけた。
「よう、またここに居たのか…」
「…うん」
「どうした? また調子悪いのか?」
「…別に」
窓の外を見つめたまま、それだけを返す彼女。
結局、彼女の仮退院は中止になったようだった。
これで、次の機会がいつになったのかは分からないが、
恐らくは数日単位ではなく、週単位での延期なのだろう。
「なあ、もしかしてだけどさ…」
「今日のって…仮病か?」
「……………」
いや、仮病って言い方も変かも知れない。
元々、俺達は普通の状態とは呼べない。
「要はお前…仮退院したくなかったからなのか?」
「…意味がわからないわよ」
「だってお前、もう後が無いだろ…」
「……………」
その問いには、黙ったまま何も返してくれなかった。
以前から彼女は、
何度も、どちらで死ぬつもりと俺に問うてきた。
それに対して、まだ決めかねている俺と、
家も7階も、どちらも嫌だと言っていた彼女。
「やっぱりお前…」
「他に、行くあてがある訳じゃないんだな…」
「…だったら…どうなのよ?」
「いや、別に…」
真っ暗になったいつもの談話室。
相変わらず、俺の方は見ようともせず、
彼女は窓の外を見つめたままだった。
まだ11時だというのに、
大部分の照明が落とされた、この病院という場所。
…ここは、日常と非日常の接点。
更に俺達は、7階の住人。
もう、7階と家以外を選ぶことは出来ない。
そんな真っ暗な7階の窓から、
彼女が見つめたままの外の世界。日常の世界。
まだ、ビルや家の灯りが煌々と光り、
家路を急ぐ人の、足早に歩く姿で溢れていた。
俺自身、まだ自覚は薄いが…
既に俺は7階の住人。非日常の住人。
もうあの世界へ、帰れることはないだろう…
『…時間の止まったわたし…』
幾つもの季節を、白い梅雨空を、
誰とも言葉を交わす必要もなく過ごした…
最初の内は、窓から元気に登校する子供や、
足早に歩く人達を眺めていた。
それに飽きた頃、いつもテレビを見ていた。
他にすることもなかった。やれることもなかった。
窓の外は雪でも、ブラウン管の中は昼。
寒さも、暑さも、痛さも無い、目の前に広がる夢の世界。
…仮想に安楽を求め…
膨大な知識だけを増やし…
無意味な価値観だけを築いて、築いて、積み上げて…
いつしか、テレビに映るモノが現実感を失った。
次は本の中、ゲームの中、そして家族…
やがて、わたし自身のことですら、
まるで他人のように眺め、リアルとして認識できなくなった。
だから、この7階に来た時も驚きはしなかった。
目を閉じれば、いつでも世界は消える。
だから平気だと思った。思うことにした。
そして、間もなく2回目の退院。
次に来る時には、一人では歩けないかも知れない。
それがわかっているのに、
抗えない自分を情けないと思った。
…行き先すら持たない自分を、滑稽だとも思った。
「時間を止め、心を止め、胸に大きな傷跡を作り…」
「それでも、22年も生きたのに哀れだと思った…」
それから更に数日後…
先日までの曇り空が消え、
どこまでも高い、高い、冬空が広がっていた。
珍しく見舞いに来た親父。
終始、辛そうな顔をしていた。
でも、俺の保険がどうとか言っていた。
その時の目は哀しそうではなかった。
「じゃあ、先生と少し話しがあるから…」
そう告げると、廊下を去っていった親父。
以前にも行った、
あの薄暗い談話室へ向かったようだった。
また、一人となった病室。
何もすることがない俺は、
売店で買ってきてくれた週刊誌へと手を伸ばす。
そこには、同じように
見舞いとして持ってきてくれた果物とジュース。
その果物を入れたバスケットの横。
ちょうど、俺の嫌いなメロンの前…
目に入ったのは…車のキーだった。
「……………」
銀色に輝くキー。
親父自慢の、内装から手を加えたらしいクーペ。
以前にも何気なく貸してくれと言い、
あっけなく断られた、その車のキーだった。
そして、パジャマの胸ポケットには、例の免許証。
あの日、出番を失ってしまったにもかかわらず、
持ち続けていた…かつての日常の証しだった。
カチャ、
俺は黙って、キーを掴んだ。
咄嗟にそうしてしまった。
自分でも、明確な理由はわからない。
只、何となくそうしていた。
どこか、テレビの1シーンを眺めているようだった。
そして、貰っていた数日分の薬。
それだけをコンビニ袋に詰めると…
廊下へと向かった。
…ナースステーションの横をすり抜け…
足早にエレベーターに向かって歩き続ける。
右手にコンビニ袋、左手には車のキー。
胸ポケットには、出番を失くした筈の免許証を忍ばせていた。
談話室の前。
次に目に入ったのが、
いつものように、テレビを見ていた彼女の姿だった。
ちゃちいパイプ椅子に座って、
今日もつまらなさそうに画面を見ていた。
その相変わらずの後姿に、俺は声を掛けた。
「なあお前…それ面白いか?」
「…そう見える?」
「いや、全然…」
相変わらずのやり取り。
いつもの遠くを見るような目をしていた。
「それじゃあ…いっしょに行くか?」
「えっ…」
手に持った車のキーを見せながら、言葉を続けた。
「俺も…家は嫌だ」
「……………」
「わたしは…7階も嫌…」
「それじゃあ…いっしょに行くか?」
「…うん」
その言葉と共に、パイプ椅子から立ち上がる彼女。
ふわりと長い髪が揺れ、俺の鼻先をかすめた。
そして彼女も、
何日分かの薬をコンビニ袋に詰めると…
二人して7階を後にした。
俺はつまらないテレビを消した。
カン高い笑い声をあげていた司会者は沈黙した。
お互い、パジャマのままエレベーターに乗り込む。
最上階である、この階から1階へと降りる。
1階に着いても、入退院や急患入り口ではなく、
わざと外来の出入口から駐車場へと向かった。
ビュウーー、
屋外に出た途端に、冷たい木枯らしが顔を叩く。
障害物の少ない駐車場は、尚更、風が強いように感じた。
二人して、キョロキョロと辺りに気を配りながら、
広い病院の駐車場を歩き回る。
やがて…
しばらく探して、やっと見つけた親父の車。
銀のクーペ。
内装にまで手を入れた親父自慢の車だった。
早速俺は、キーをさし込むとドアを開ける。
カチャ、
「ほら、乗っていいぞ」
「うん、わかった…」
バタン、
深々とドライバーズシートに身を沈める俺。
助手席の彼女は、
小柄の為か普通に座っても前が見え難い程だった。
次に、手に持ったキーをイグニッションへと挿れ、
回しながら軽くアクセルを踏む。
全て、教習所で習った通りだった。
キュルキュル、
ウォンブオン……
たちまち、車内に響く軽いエンジン音。
後はサイドブレーキを外して、クラッチを離すだけ。
…これで、どこへでも行けた。行ける筈だった。
「じゃあ、行くぞ…」
「…うん」
小さく頷く彼女。
俺は返事をする代わりにギアをセカンドに入れる。
そして、静かに車を発進させた。
慣れないクラッチに、
ガタガタと車体を揺らしながらも、ゆっくりと進む。
「…揺れるわね」
「ああ、初めて乗る車だからな…」
「ついでに言うと、免許取って初めての運転だ」
「……………」
「そう…」
#bg b
やがて目の前に現れた、病院の駐車場出口。
そこに面して通っている大きめの道路。
俺は、その信号のない交差点へと車を出した。
パァーン、パーン、
クラクションを浴びせる後続の車。
いきなり車線に入ってきた俺に対してのものだった。
慣れないクラッチに、ギアを変える度に、
ガツガツとつんのめりながらも走る銀のクーペ。
それが真後ろの車には余計に気に障るのか、
当分、クラクションは止みそうになかった。
なのに、特に気にするでもなく走る俺。
どこかリアルとしての感覚が薄かった。
「なあ、お前…」
「…なに?」
「…怖いか?」
「……………」
「…怖がった方が…いい?」
「いや…別に…」
まだ昼前。高い日。
フロントガラス越しに見た、一月の冬空。
何故か哀しいと思えるほど青く澄んでいた。
…別に行くあてなんて無かった。
寒空、慣れないクラッチに、車体を揺らした日のこと。
二人して、パジャマ姿のまま国道を目指した日のこと。
…そんな冬の日のこと…
あんなに高かった日が
オレンジへと変わろうとする頃。
走り続ける俺たち。
只、やみくもに車を走り続けていた。
そして、辺りが見覚えのない場所になった頃…
「…少し停めるぞ」
「…うん」
やっと、車を停車させた俺。
市街地から外れた、どこかの道端。
寂しげでほとんど交通量も見えないところだった。
そんな、名も知れぬ場所に車を寄せると、
とりあえず、車内の点検を始めた。
…少しでも役に立つものがあれば…
何の用意もなく飛び出してきたが、
たちまちに困ってしまうことは目に見えていた。
そんなことを思いながら、
まずは、目の前のダッシュボードを漁ってみる。
…………
「ほんと、何もねえな…」
高速のつり銭らしき小銭が数百円ほど。
他にはマンガ本が数冊と、使い捨てカメラがあるだけ。
別に目的地がある訳ではなかったけど、
車に装備されていたナビも壊れているようだった。
そして、俺の今の所持金は8000円ほど。
出掛けに急いでポケットに詰めてきた全財産だった。
これでは、目の前の小銭と足しても、
9000円ほどにしかならない。
もちろん、車内に何かあるなんて、
最初から期待してた訳じゃない。
…でも、この所持金では、たちまちに困ってしまうだろう。
ちゃんとした所に宿泊するなんて絶対に無理だと思える。
といっても、こいつが金を持ってるとは思えないし…
「…どうかした?」
「いや、なんでもない…」
…まあいい。
こんなことは最初から分かっていた筈だ。
元々、予定や計画なんてのを、
考えた上での行動だった訳じゃない。
それよりも今は動きたかった。じっとしていたくなかった。
だから俺は、再び車を走らせた。
暮れ始めた空の下、
再び走り始めた銀のクーペ。
「ところでお前、腹へってねえか?」
走りながら、隣のこいつに声を掛ける。
考えてみれば朝から何も食べてなかった。
もちろん、所持金を考えると贅沢は出来ない。
だけど、ファーストフードや、
コンビニのおにぎり程度なら大丈夫だと思える。
「とりあえず、コンビニでも寄るか?」
「…嫌」
「おいおい、贅沢言うなよ、
それに7階の食事と比べれば絶対にマシだぞ」
「………………」
俺の言葉には、無言で返す彼女。
その、うつむいた視線の先は、
自分の着ているピンクのパジャマがあった。
「ああ、そういえば、そうだったな…」
言いながら俺も自分の服を見つめる。
確かに、このパジャマのままでは、
どこに行くにしても目立ちすぎる。
車内なら問題無いって訳じゃないけど、
とりあえず、この服装を何とかしないといけない。
そう判断した俺は、
幹線道路から市街地へとハンドルを向けた。
しばらく走った頃。
到着したのは、名も知らぬどこかの通り。
きっと駅前に近いのだろう。
それなりに人の姿も見える通りだった。
「このへんなら、ありそうなもんだけど…」
辺りをキョロキョロと探りながら、車を進ませる俺。
シートから少し身体を乗り出すようにして運転していた。
「あ…見つけた…」
#bg b
ほどなくして発見したコインランドリー。
見ため的にもぼろくて、
小さな雑居ビルの1階にぽつんと入っていた。
…ここならちょうど良いかも知れない。
俺は、その入り口から、
少しだけ離れた場所へと車を路駐する。
「じゃあ、ちょっと待ってろよ…」
「…?」
バタン、
不思議そうな顔をする彼女を車内に残し、
俺はコインランドリーへと足を向ける。
ガー>自動ドア
自動ドアをくぐった途端、
鼻をつく漂白剤や洗剤の匂い。
店内は、外見のぼろっちさと同じように、
古めかしい洗濯機や乾燥機で占められていた。
「…誰もいないな」
そんな呟きを落とした無人の店内。
ゴ………
そこには低い音を上げて回転する乾燥機が、
1台だけ使用中だった。
早速、その使用中の機械に近づくと、
タイマーのチェックを始める。
…………
どうやら200円投入の、30分にセットしたようだった。
そして今は、5分しか経っていない状態。
…きっと、頃合までどこかで時間を潰しているのだろう。
以上を推測すると、もう一度、
出入り口から、それらしい人がいないかを見回す。
そして、間違いなく人の姿がないことを確かめると、
俺は回転中の乾燥機のドアを手にして…
いきなり開けた。
ガチャンっ、
乾燥途中にドアを開けられ、
強制的に一旦停止された乾燥機。
むわっとした湿気と熱を無視して、
その中から半乾きの服の塊を引きずり出す。
そして、そのまま両手で抱えると、
もう一度辺りを見回してから店を後にした。
カチャ、バタン
「あ……」
両手一杯に抱えた洗濯物を見て、
少しだけ驚いた声を上げる彼女。
でも俺は構わずに、後部座席へと放り投げる。
「じゃあ、行くぞ…」
「……………」
キュルキュル、
ウォンブオン……
ハンドルを片手に、
先ほど放り込んだ洗濯物の山に目をやる。
ぱっと見、派手な感じのジーパンやスウェットばかりで、
どれもサイズは大きめのようだった。
まだ湿っているけど、
車内ならば、エアコンの熱でじきに乾くだろう。
「後で好きなのに着替えろよ…」
「…………」
その言葉にも、特に返事はなかった。
放り込んだままの洗濯物に目をやるだけだった。
「しょうがねえだろ…」
「…わかってるわよ」
そりゃあ俺だって、
こんなこと好きでやってる訳じゃない。
それに、この所持金自体だって、
別に何かの使い途を持ってる訳じゃないけど…
しかし、現在の手持ちでは、
新たに服を買うことは厳しいのが現状だった。
本格的に月が顔を出し、しばらく走った頃…
俺はどこかの公園のそばへと車を停める。
きっと、児童公園のような場所なのだろう。
住宅街の中に、こじんまりと建っていた。
そんな中、先程パクってきた服の物色を始める。
#bg car_byoin_chusyajo_yoru
車内のエアコンもあってか、すっかり乾いていた洗濯物。
「やっぱり、男ものばかりだったな…」
さっきもちらっと見た通り、
派手な感じのジーパンやスウェットばかりだった。
恐らくは俺と同じくらいの年頃なのだろう。
サイズ的にも近いように感じた。
そして、運転席に座ったまま、
適当なジーンズとトレーナーを掴むと着替え始める俺。
「ほら、お前も適当なのに着替えろよ」
「…………」
「どれも、大き過ぎる…」
「じゃあ、ずっとパジャマでいるのか?」
「……………」
「わかった…」
しぶしぶ答えると、
適当なジーンズと服を手に持ってドアを開ける彼女。
ドア開け
「おい、どこ行くんだ?」
「…着替えてくる」
ドア閉め
それだけを告げると、
目の前に見える公園のトイレへと歩き始めた。
…………
カチャ、
ドア開け閉め
「よう、早かったな」
暫くして、帰ってきた彼女。
先ほどまで着ていた、ピンクのパジャマを手にして、
新しくジーンズと白いトレーナーに着替えていた。
「まあ、なんとか着れて良かったな」
「……………」
返事はなかった。予想できたことだが、
サイズ的に無理があって、かなりぶかぶかのようだった。
ジーンズの丈も余りすぎる為、くるくると何回も折り返して、
上に着たトレーナーも同じように袖を幾重にも捲くっていた。
「…パジャマのままの方がよかった」
「まあ、そう言うなよ、
少しはこっちの方が温かいし」
「……………」
俺の言葉に、少しだけ不服そうな顔を向ける。
「やっぱあれか、もっと女の子っぽいのが良かったか?」
「別に…」
相変わらずの彼女の反応。
ぶかぶかのトレーナーに不満そうだと思っても、
すぐに、いつもの無表情に戻ってしまった。
タイトル戻し予定地
ざーーーっ
いつのまにか降り出した雨。
まるで止むことを忘れたように、
一月の冷たい空からこぼれ落ちていた。
車内から見える、
フロントガラスに付いた無数の雨粒。
その一つ一つが、表面張力を超えるサイズになると
幾つかが集まり、こぼれ、川へと変わる。
そして、流れ落ちる際には、
フロントガラスの下流の雨粒をも巻き込み、更に流していく。
そんな雨の様子を、俺は車内からぼーっと眺めていた。
どこかの駐車場。山の中の寂しい場所。
コンビニで買い物を済ませた俺達は、
ここで夜を明かしていた。
お互いにおにぎりを2つと、ポカリの500ml、
それとポテトは半分ずつが夕食のメニューだった。
「こーゆーの、久しぶりだよな…」
「…うん」
片手にコンビニおにぎりを持ったまま、彼女が呟く。
普通で考えれば豪華な訳はないけど、
7階の食事と比べれば十分に旨いと思える。
そして、二人してポテトに手を伸ばしていると、
突然、彼女がその手を止めた。
「…どうかしたか?」
「別に…」
そう答える視線の先、
真っ白に煙ったフロントガラスの向こう…
その道端には幾つかの白い花が見えていた。
雨に濡れる白い花。
誰かが植えた物か、野生の物かは分からないけど、
その花には見覚えがあった。
「確か、ナルキ…ナルキスだっけ?」
「ナルキッソス…水仙のことよ」
「ああ、水仙のことだったのか…」
特に草花に詳しい訳ではないけど、
水仙ならば、名前くらい聞いたことがあった。
そして、普段なら滅多に言葉を出さない彼女なのに、
珍しく、話題にのってきたことを思い出していた。
だから俺も、こいつに合わせて話しを続けた。
「それで、やっぱあれか…ここのも違うのか?」
「…うん、厳密には違う」
「ふーん、結構珍しいものなんだな…」
「別に…どこにでもあるわよ」
「どこにでもって、どこ?」
「……………」
俺としては、それほど深い意味があった訳じゃない。
只、話しの流れからの自然な問いのつもりだった。
なのに、こいつは暫く考え込んでから…
ゆっくりと口を開いた。
「…西……」
「…西?」
「淡路島が…有名…」
「おいおい、淡路島ってお前…」
…ここからどれだけ離れていると思ってんだ?
まだ車に乗ったばかりの俺には、
大体の目安すらつかないほどだった。
恐らく、軽く700kmくらいはあるだろうし、
高速を利用したって何時間かかるか見当もつかない。
…第一、所持金を考えると、とても足りるとは思えない。
仮に高速を使わず、下道で行けたとしても、
そのガソリン代すら危ういように思える。
「お前さあ、無茶言うなよ…
そんなところまで行ける訳ねえだろ?」
「…………」
「…誰が行きたいなんて言ったの?」
「えっ…」
「問われたから答えただけ…」
それだけを告げると、
またフロントガラス越しに例の花を見つめる彼女。
冷たい雨に車内のガラスが真っ白に煙る。
その更に向こうへと視線を投げていた。
…別に俺だって行きたかった訳じゃなかった。
でも、他に行きたい場所を持っている訳でもなかった…
;此脚本编写者为Typical-Moon, STAGE——NANA版权所有,请勿擅自修改此脚本或直接发布使用此脚本制作的产品
『…時間の止まったわたし…』
知識だけを増やし、無意味な価値観だけを増やし、
ブラウン管からの情報だけを求めて…
いつしかリアルを薄め、虚ろになってしまう。
『でも、地図を見るのは好きだった…』
車や列車、どこかへ運んでくれるモノも好きだった。
狭いベッドの上に地図を広げ…
幾つもの幹線を乗り継いで、乗り継いで…
セダン、クーペ、コンバーチブル、
様々な車種にも乗った。
…どこまでも続く1号線。
その、ずっとずっと先まで走った。
インディゴブルーの空と、美しい海岸線。
そんな、夢に描いた場所まで走った…
ゆるやかに弧を描く岬を巡って…
灼けた日射しの下、真っ白な砂浜を駆けてみる。
…目を閉じさえすれば、どこへでも行けた。
見たこともない景色を浮かべ、
決して行ける筈もない土地を思いながら…
「無意味に、只、知識だけを増やした…」
「…虚しく、憧れだけを募らせた…」
雨上がりの空。
ものすごい速さで流れていく、
高い、高いところの雲。
路面からは、まだ湿ったアスファルトが、
シャーっという独特の音を立てていた。
そんな中、相変わらず走り続ける俺達。
目的地も無く、只、なんとなく走り続けていた。
別に、昨夜の話しにあった淡路島を目指している訳じゃない。
第一、それ以前の問題としてガソ代すら足らないだろう。
そんなことを思いながらも、
知らない道を、真っ直ぐに進みつづける俺。
…でも、ここはどこだろう?
ふと、そんなことも考えてしまう。
元々、あまり地理に詳しい方じゃなかったが、
見たこともないような地名ばかりだった。
それなりに走ったつもりだけど、
ナビが動かないおかげで余計に分からない。
思わず俺は、辺りの標識を、
キョロキョロと見回しながら走っていた。
「うーん、よく分からないな…」
「…なに?」
「ん、いや…ここってどこかなってな」
俺の様子に声を掛けた彼女。
軽く相槌を返した。
まあ、恐らくこんなことを、
こいつに聞いても分からないだろうが…
「入間よ…埼玉県の」
「えっ…」
「次の交差点を右に行けば16号線…八王子へ出るわ」
「…お前、分かるのか?」
「……………」
「もしかして、ここらに住んでたのか?」
「別に…そんなんじゃないわよ」
意外だった。
いや、意外というよりは、
どうしてこんなに詳しいのかが不思議だった。
どう見てもこいつは、
車に乗って動き回っているようには見えないのに…
「じゃあさ、もしかして…」
「ここから例の場所…淡路島まで分かるか?」
「…質問の意味がわからない」
「いや、だからさ、高速乗らずに
下道だけなら行けるかも知れないじゃん」
「ほら、ガソ代くらいなら、金も足るかも知れないし」
「……………」
「あなた…行きたいの?」
「え、あ、いや…別にそういう訳じゃないけど…」
「…じゃあ、聞かないで」
その言葉を最後に、また黙ってしまった彼女。
相変わらずの素っ気ない様子で、
窓の外を向いたままだった。
その視線は目の前の流れる景色ではなく、
もっと遠い、どこか違う場所を見ているようにも思えた。
…さっきの…「聞かないで」って言葉。
あれは一体どういう意味だったのだろうか?
もしも俺が、行くつもりだと答えたら、
彼女は何と答えたのだろう…
…目的もなく、只、進む俺達。
最初から計画とか予定があった訳じゃない。
只、7階も薄っぺらい家も嫌なだけだった。
だけど俺は、少なくとも俺だけは…
何でもいいから、
示してくれるものが欲しかったのかも知れない。
ざざ…
「さむいな…」
「…そうね」
名も知らぬ、どこかの浜辺。
気づけば、海へと出ていた俺達。
俺としては西へ向かったつもりだったが、
いつのまにか南へと進んだようだった。
ビュウウーーーっ
真っ暗な空と、強くて冷たい風が吹く浜辺。
お互いに車から出て、暗い海を見つめていた。
相変わらずのうつむき加減で、遠くを見る彼女。
真っ黒な空と海が、水平線の境界を溶かす。
そして、暫く海を見つめていたかと思うと…
ゆっくりと、波打ち際に向かって歩き始めた。
「ねえ…どうなると思う?」
「…お前だって質問の意味が分かんねえよ」
「…………………」
「…楽に死ねると思う?…このまま海に入っていくと」
背を向けたまま…
ゆっくりと波打ち際へと歩きながらの言葉だった。
…3回目が最後。4回目はもうない。
7階か家かのどちらかを選ぶことになるだろう。
避けた奴はいないらしい。
かつて彼女から伝え聞いた言葉だった。
そして彼女は2回目、家も7階もどちらも嫌だと言った。
既に俺へと伝えた後だった。既に役目も終わっていた。
…だから、そういう意味なんだろうと思う…
「さあな、俺は溺れたことねえから」
「じゃあもしも…
今、わたしが海に入っていったなら…」
「あなた…止める?」
言いながら、振り返ると俺の顔を見た。
真っ暗な空に浮かぶ月を背にしていた。
いつもは、遠いところを見ている視線を、
真っ直ぐに俺に向けていた…
「分からん…その時になってみないと」
「…………」
「そうよね…」
そして、俺に背を向けると
また海へと向かって、ゆっくりと一歩を踏み出す。
「なあ、お前さ…」
「…なに?」
「…もしかして、止めて欲しいのか?」
「……………」
俺の言葉に、寄せる波の数歩手前で止まった彼女。
強い風が波のしぶきを霧状にして足を叩いていた。
「止めて欲しいんだったら、止めるぞ」
「別に…そんなんじゃないわよ」
「じゃあ、止めなくていいんだな?」
「………………」
その問いにも、返事はなかった。
でも、止まった足はそれ以上進まなかった。
…だから、それが返事なんだと思う。
冬特有の高い高い空。
哀しいくらいに蒼く澄んで、
強い北風が高架線をびゅんびゅんと鳴らしていた。
そんな蒼い空を、
メタリックの車体に映して走る、銀のクーペ。
ステアリングを握る俺と、
助手席では相変わらずの様子の彼女もいた。
…ここが、どこだかは分からないけど…
現実問題として、
間もなくガソリンが切れようとしていた。
元々、それほど金は持ってなかったが、
コンビニでの購入もあって、更に残り少なくなった所持金。
今は7000円ほどしかなかった。
もちろんこの車が、何リットル入るのかは知らないけど、
恐らく1回は給油することは出来ると思う。
別に目的がある訳じゃないけど、
足を失ってしまっては身動きが取れなくなってしまう。
「ちょっと給油する…」
「…そう」
言いながら俺は、ハンドルを切ると、
目の前のガソリンスタンドへと向かった。
車停めるとか
「いらっしゃいませ、カードですか? 現金ですか?」
「じゃあ、現金で…」
「ガソリンはレギュラーでしょうか?
それともハイオクでしょうか?」
…レギュラー? ハイオク?
よく分からなかった。
もちろんこの車について、よく知らないってもある。
でも、そもそも俺は、
免許取りたてで、そのへんの知識にも疎かった。
「どちらにいたしましょうか?」
「あ、えーと…」
言いよどむ俺と、
窓の向こうから俺の回答を待つバイトらしき店員。
そして、どちらでもいいから、
適当に答えようとした時…
助手席の彼女が口を開いた。
「…レギュラーよ」
「え? あ、ああ…それじゃあレギュラーで」
「はい、それでは、
レギュラー、現金、満タンでよろしいですか?」
「あ、ええ、それでお願いします」
「はい、かしこまりました」
明るい返事と共に、
手際よくガソリンを入れ始めるスタンドの店員。
10cmほど開けた窓からは、
何とも言えないガソリンの嫌な匂いが発ちこめた。
「なあお前さ、これってレギュラーで良かったのか?」
「……………」
その問いには無言の彼女。
只、黙ってスタンドにある料金表を指差した。
…ああ、なるほど。こっちの方が安いってことか。
俺も詳しくは分からないが、それほど大差ないとも思える。
そして、目の前には給油したことを告げる、
ガソリンスタンドのメーター。
25、26、27、28…
そのデジタルの表示が、勢いよく数を増やしていく。
…もしかしてミスったか…
その数字を見つめていると、
俺は少しだけ不安になり始めていた。
さっきは何気なく、満タンと言ってしまったが、
手持ちの金額はそれほど多くなかった。
小銭と合わせて、ちょうど7000円ほど。
もちろん、この車のタンクが何リットル入るのかは知らない。
…もしも、金が足らなかった時はどうなるのだろうか?
表示されたリッター料金表によると、
60リッター程なら金は足りると思えるけど…
38、39、40、41…
尚も勢いを落とすことなく増えつづけるメーター
だから俺は窓の向こうに見える、
給油量を示すメーターがどんどん上がるのを見つめていた。
普段なら気にもとめない事なのに、
それを見続けていた俺は、ますます不安になっていた。
「…くそう、まだかよ」
思わず言葉が漏れてしまう。
「…大丈夫よ、もう止まるわ」
「えっ?」
「これ、50リッターだから…」
その言葉通り、ちょうどメーターは、
47と48の間くらいでピタっと止まった。
続いてレシートをプリントする音が響き、
また先ほどのバイトらしき店員がやって来る。
「お待たせしました、5240円となります」
「あ、ああ…はい」
俺はポケットから5千円札と、
くしゃくしゃになった千円札を手渡す。
「ではこちら、お釣り760円とレシートとなります」
「どうもありがとうござましたー」
店員の明るい声を背に、
また俺は目の前の道へと車を走らせた。
再び走り始めた銀のクーペ。
これで当面はガス欠の恐れはなくなったと思える。
そして、残り所持金は、たった2000円ほど。
そのことも気になるのだが、
俺には先ほどのことも気になっていた。
「なあ、お前ってさあ…」
「もしかして、車にも詳しいのか?」
「…別に」
「別にって、さっき50リッターとか言ってたじゃん?」
「……………」
もちろん、これくらいのことは当てずっぽうで分かる、
一般的な認識程度のことかも知れない。
だけど、以前にも彼女は道にも詳しかった。
そのことも引っ掛かっていた俺は、
ダッシュボードにあった車検証を取り出す。
そして、それを見ながら彼女にたずねてみた。
「お前さあ、もちろんこの車の、車名って知ってるよな?」
「…それは質問?」
「いや、なんだったらクイズでもいいぞ」
「……………」
「インテグラ、タイプR、クーペ…」
「正解だ…じゃあスペックは?」
「99年式、5速ミッション、最高出力200馬力…」
まさか本当に答えてくるとは思ってなかった。
淡々と言葉を続ける彼女に、
思わず俺は、手元の車検証の文字を目で追う。
「…全長4380、全幅1695、総排気量1797cc…」
「…まだ言うの?」
「いや、もういい、正解だ…」
答えながら車検証を元の場所へと戻す。
信じられないことに、
全て記載されていたスペックの通りだった。
とても、こんなもんが暗記できるとは思えないし、
何故?と問われると俺には想像もつかない。
…だけど、現に彼女は目の前で答えてみせた。
それも、以前の道路や花のことを考えると、
広く色々なことを知っているようにも思えた。
「なあ…なんでお前ってそんな物知りなんだ?」
「……………」
「別に…あなたより年上だからよ」
それだけを答えると、
またいつものように黙ってしまう彼女。
窓の外を見つめたままで、もう俺が、
新たな問いを投げても答えてくれる気配はなかった。
”年上”
とてもそうは見えないけど、
これも以前に彼女が言った言葉だった。
名前はセツミ、血液型O型、
白いビニールの腕輪に書かれた文字。
そして、年上らしいということが、
俺にとって数少ない彼女の情報だった。
日がゆっくりと翳り出す頃。
走り続ける銀のクーペ。
何の目的も、行くべき場所も持たずに、只、進んでいた。
ガソリンの心配は当面大丈夫だが、
残り所持金はほとんど無くなってしまっていた。
…小銭と合わせても2000円ほど。
コンビニで食料を買うことを考えると、
もって3~4日分ほどか…
「なあ、これからどうする?」
「…質問の意味がわからない」
「もう、ほとんど金ないぞって意味だ」
「…だから?」
「だからってお前…」
相変わらずの様子の彼女。
さっきコンビニで買ってきた、
おにぎりを口に運びながらの会話だった。
そして、こうやって走り続けているだけでも、
確実にガソリンは減っていく。
本当は何もせずに、
じっと止まっているのが良いのかも知れない。
だけど…何もせずに、何も出来ずに、
止まったままでいるのは辛かった。
そんな思いから、ずっと走り続けていた俺。
先日からの感じでは、下道を走り続けた場合、
ちょうど3日ほどでガソを使い切るようだった。
残金2000円の現状では、
コンビニでの食料買い出しも同じように3~4日分だろう。
明らかに、ジリ貧になるのは目に見えていた。
「なあ、お前さ…」
「例の…淡路島だっけ、行ってみたいか?」
「…………」
返事はなかった。
いつもと変わらず窓の外を眺めているだけだった。
「俺は…少し行ってみたいかもな」
「…どうして?」
「いや、それは…」
もちろん、最初から目的や計画があって、
7階を飛び出した訳じゃない。
だから、俺にとっては西でも東でも、どこでも良かった。
きっと、なんでも良いから、
目的や行き先が欲しかったんだと思う…
日が完全に夜のものへと変わる頃。
俺はどこかのパチンコ屋の駐車場にいた。
もちろんパチンコやスロットで儲ける計画じゃない。
こんな2000円ぽっちじゃ、
勝負以前の問題なのも知っていた。
だけど、1~2万円程度なら、
上手くやれば簡単にパクれる筈。
それが、よく以前からパチンコ屋に通っていた、
俺の推測だった。
たったそれだけでもあれば、当面は大丈夫だし、
なんだったら例の淡路島だって行けるかも知れない。
だから、俺なりに考えた作戦を彼女に話した。
「どうだ…やってみたいか?」
「…嫌」
「そうか…わかった」
予想できたことだが、あっさり拒否された。
最初から、彼女に何かを期待していた訳じゃない。
別に協力を仰ぐつもりではなく、
作戦を説明したのは、宣言のようなものだった。
「じゃあ、ちょっと待ってろよ」
ドア開け閉め
車内にあいつを残して、
俺は一人パチンコ屋へと向かった。
パチ店内
思ったよりも賑わっていた店内。
それなりの台数と出玉、人の姿もほどよく多かった。
そこそこでドル箱を積んでいる姿もあった。
…ちょうど良い感じかも知れない…
そう判断した俺は、
狙いであるスロットのコーナーへと向かう。
…………
しばらく、通路から様子を窺い…
辺りを観察した結果、1台に目をつけた。
いかにもサラリーマンっぽい中年男性。
足元に箱を4つも積み、更に頭上にも2つ積んでいた。
しかも角台で、その隣は空き台。
さっきから見ている限りでは、
特に知り合いや友達と来ている風でもなかった。
…条件が揃った…
恐らくこの状態なら、足元のを1箱くらいパクっても
すぐには気づかないだろう。
等価らしいこの店なら20000円にはなる筈だった。
それだけあれば…
俺はそのサラリーマン風の人が、
トイレに向かうのを、只、ひたすら待ち続けた。
しばらく…といっても30分ほど経った頃…
やっと席を立ち上がったサラリーマンらしき人。
すぐさま、後を追い、
トイレへと向かったのを確認すると…
今度はダッシュで、さっきのスロット台へと引き返す。
次に、辺りでスロットを打っている人や、
店員の姿をチェックしながら、ゆっくりと台に近づく。
そして…
不審な行為と思われないように、
ごく自然に、当たり前のことをしているように…
…足元のドル箱を1つ持ちあげた…
ガシャーーン、
その瞬間、物凄い音を上げて、
床に散らばるスロットのコイン。
…持った…つもりだった。
いや、確かに持ち上げた、一度はこの手で。
だけど、その重さに耐え切れず、
そのまま床へとドル箱ごと落としてしまった。
そして、あまりの物音に何事が起こったのかと、
一斉にこちらに集まる視線。
何か、誰かの声も聞こえたような気がした。
走ってくる人の気配も感じたような気がした。
…だけど、その声は背中で聞いた。
俺は既にその時、
店の出口の2m手前にまで駆け出していた。
バタンっ、
「はぁはぁ、」
エンジンスターター
大急ぎでエンジンをかけると、
思いっきりアクセルを踏み込む。
そして、ハンドルを切りつつ車を急発進させた…その時、
ガンっ、ガリガリガリ…
「きゃっ」
「ちっ」
出際に縁石か何かに乗り上げたのか、
その拍子にケツをぶつけてしまった。
ガリガリという、嫌なボディの擦る音。
だが、それを気にする余裕もなく、
目の前の道へと車を走らせた。
「はぁはあ…ふう…」
息切れしそうになる胸をなだめながら、
すっかりと日が暮れた道を走る銀のクーペ。
さっきぶつけた所も少し気になるが、
とりあえず今は、この場を離れることが先決だった。
やがて…
10分ほども走り、
完全にパチ屋から距離をおいた頃…
どこかの道端に車を停めると、
先ほどぶつけたところの点検を始める。
「…大丈夫?」
「ああ、大したことないだろう…」
助手席から少しだけ心配そうに声を掛ける彼女。
俺は、ぶつけた個所を点検しながら答える。
見たところ、テールバンパーが僅かに凹んで、
マフラーの先が少し割れている程度だった。
…これくらいなら、走る分には問題ないだろう。
ドア開け閉め
「ふう~…」
安心したところで、ため息をひとつ落とす。
…惜しかった。
早速、先ほどのパチンコ屋でのことを思い出していた。
もう少しのところで失敗してしまったが、
上手くやれば、次には成功するようにも思えた。
あのドル箱を持ちきれなかったのにしても、
久しぶりに重いモノを持ったのが敗因だと思う。
最初から覚悟して持てば何とかなるだろうし…
「…勘違いしてるわね」
「えっ…」
「今のあなたは、以前のあなたとは違う筈…」
まるで、見透かされたような彼女の言葉だった。
「だけど、あれくらいの重さなら…」
「…同じように考えない方がいい」
「…………」
恐らく、彼女の言は正しいのだろう。
認めたくないが、今の俺は以前の俺とは違う。
確かにこんなに体力が落ちていては、
とても成功するとは思えなかった。
「じゃあ…どうすりゃいいんだよ?」
「………………」
その問いには返事はなかった。
黙ったまま窓の先にある、
暗い夜空を見ているだけだった。
…それは、諦めろということなのだろうか…
;此脚本编写者为Typical-Moon, STAGE——NANA版权所有,请勿擅自修改此脚本或直接发布使用此脚本制作的产品
「時間を止め、心を止めて…」
「情報だけを積み重ねる日々…」
地図を眺め、目を閉じ、知らない町を旅する日々…
ある日。
いつも買っていた月刊誌。
その表紙を飾っていた、グラビア写真が目に止まった。
派手な水着を着たモデルの女の人。
波打ち際でそれっぽいポーズをとっていた。
いつもわたしが夢見ていた、
エメラルドの海を背にして笑っていた。
…きっと、同じ年頃なんだろう…
その抜群のスタイルで、
嬉しそうに楽しそうに、わたしに笑顔を向けていた。
…別に、うらやましいと思った訳では無いと思う。
第一、水着だって持ってなかったし、
持つ必要に迫られることすらなかった。
…わたしには、パジャマがあれば十分だった。
「幾つもの季節を、白い梅雨空を、
誰とも言葉を交わす必要もなく過ごした…」
あの日。中一の6月。初めて入院した日…
わたしは水着を注文していたことを思い出した。
数年前の例の水着を思い出した。
…あの日、出番を失ったままの水着を思い出した。
数年ぶりにタンスから出された、
新品のままだったスクール水着。
いつものパジャマを脱ぐと、
恐る恐る、その紺の水着を身につけてみる。
…ぴったりだった。
もう何年も前のなのに…
まるで…今、あつらえたようにちょうどだった。
そんなわたしに、月刊誌のモデルが笑顔を向けていた。
エメラルドの海を背にして笑っていた。
その抜群のスタイルで、
嬉しそうに楽しそうに、わたしに笑顔を向けていた。
…それが…哀しかった。
別にうらやましかった訳じゃないと思う。
でも、本当は憧れていたのかも知れない。
そんなの無理だってわかってるから、
余計に憧れていたのかも知れない。
「だけど…」
「…胸の大きな傷跡が、諦めろと諭した」
「生涯の伴侶は、目を閉じた世界にしろと諭した…」
日がゆっくりと傾き、西の空がオレンジに染まる頃。
俺達は相変わらず走り続けていた。
…これからどうしよう…
所持金にしてもほとんど余裕はなかった。
「ねえ、あなた…」
そんなことを思っていると、
珍しく彼女の方から声を掛けてきた。
「あなた、お風呂は入れるの…?」
「ああ、今のところ、長湯以外は止められてない」
「そう…わたしも似たようなもんよ」
ここで言うところの、風呂に入れるってのは、
医者に止められているかって意味だった。
特に腎臓や消化器系の場合はパイプ処理を施している為に、
入浴は厳禁の場合が多かった。
それを考えると、
少なくとも彼女は俺と同じく循環器系なのだろう。
「なんだ、もしかして風呂に入りたいのか?」
「…………」
「…悪い?」
「いや、俺も入りたかったし」
といっても、どこかの宿やホテルに泊まるには、
金銭的に無理だった。
「じゃあさ、どっか銭湯でも探すか?」
「…銭湯?」
「ああ、それくらいなら、まだ金もあるし…」
「…………」
「…やっぱりいい」
「なんだ、いいのかよ?」
あの日、7階を飛び出してから、
既に3日が経とうとしていた。
あそこでは週に2回の入浴もあったし、
身体を拭く為の、1日2回の暖かいおしぼりもあった。
まあ、この時分だから汗もかかないし、
ほとんど車内だから汚れるようなこともないけど…
「もしかしてお前…
銭湯とかって恥ずかしいから嫌なのか?」
「…………」
「別に…そんな意味じゃないわよ」
すっかりと日が落ち、
空には大きな月が顔を出す頃。
あれから暫く走った後、
俺はどこかの学校らしき場所を見つけた。
…ここなら、ちょうどいいか。
俺は入り口付近の路肩に車を停める。
そして、後部座席に放りっぱなしにしていた、
例の洗濯物の塊を漁り始めた。
確か、タオルが2~3枚はあった筈だ。
そして、どうでもいいような服を除けて、
いかにもって感じのタオルを手にする。
白石工務店という文字が印刷された、
恐らく粗品用であろう、しょぼいタオルだった。
「じゃあ、ちょっと待ってろよ」
「…?」
ドア開け閉め
そのしょぼいタオルを2枚だけ持って、
目の前の学校へと向かった。
既に閉められた校門をよじ登り、
キョロキョロと辺りを見渡し、目的の場所を探す。
「あ、あった」
しばらくして、目指していた水道を見つけた。
恐らくは花壇用に設けられたものだろう。
キュッキュ、シャーーーっ
蛇口をひねると、勢いよく流れ出る水。
まるで身を切るような冷たさだった。
そして俺は、例のタオルを濡らすと固く絞る。
バタン
「待たせたな、ほら」
手に持った濡れタオル。
2つある内の一つを彼女にも渡す。
そして、上に来ていたトレーナーを脱ぐと、
先になって自分の身体を拭き始めた。
エアコンの効いた暖かい車内に、
ひんやりとした濡れタオルの感触が気持ちよかった。
「お前も遠慮せずに、身体拭けよ」
「…………」
「冷たくて気持ちいいぞ?」
「わかった…」
「…うん」
最初は遠慮気味にじっとしていた彼女だけど、
その返事と共にゆっくりと服のボタンに手をかける。
ぶかぶかのYシャツとジーンズ。
俺とは違って服の中に手を入れて、
身体を拭こうとしていた。
「ねえ…」
「どうかしたか?」
「…見ないでよ」
「ああ、悪い…そうだったな」
手に濡れタオルを持って、
服を脱ぎかけたまま彼女が呟く。
少しだけ困ったような、照れたような顔をしていた。
初めてみる彼女の表情だった。
狭い車内、お互いに背中を向け合う俺達。
「どうだ、気持ちいいだろ」
「…うん」
真っ暗なあたりに、薄明るい車内。
目の前のガラスには、
身体を拭く自分の姿が映っていた。
その俺の姿の、更に向こうには、
背中越しに居る彼女の姿をも映していた。
俺と同じように上着を脱いで身体を拭く彼女。
見るとはなしに見た、その姿…
…胸には大きな傷跡が見えた。
恐らくは、手術の跡なのだろう。
詳しくは分からないが、俺の傷跡より大きかった。
「ねえ、あなた…」
突然、背中越しに声を掛けてきた。
「えっ、あ、ああ…なんだ?」
「そんなに…珍しい?」
背中越し。
ガラスに映った俺に向かっての言葉だった。
曇り空の下、走る銀のクーペ。
相変わらず、目指す場所も持たずに走り続け、
気づけばあれから3日ほど経とうとしていた。
その間、特に変わったことがあった訳でもない。
強いて挙げれば、道中、無料同然の露天風呂を見つけて、
ひと気が少なかったので、
とりあえず風呂には入ることが出来たくらいだった。
それ以外では、所持金が底を尽きかけ、
再び、ガソリンも底を尽きかけていた。
「ちょっと飽きたか?」
「別に…」
お互い、コンビニのおにぎりを食べながら言葉を交わす。
7階の食事と比べればマシかも知れないが、
それでも、ここ数日こればっかりでは飽きそうだった。
だけど、こんな食事にしたって、
残金を考えた場合、あと数回で終わりだろう。
「…音がうるさい」
「は? どうした突然?」
「車の音、前より大きくなってる…」
「ああ、そういえば確かに…」
きっと、数日前のパチンコ屋から逃げる時に、
マフラーをぶつけたのが原因なんだろう。
俺は気にならなかったが、
確かにこの車の音は少し大きくなっていた。
…まあ、走る分には支障はないだろう。
それよりも当面の問題はガソリンだった。
メーターがエンプティを示してから、
既に5分ほど走っていた。
そして、今の所持金は900円ほど。
これでは前回の時と違い、明らかに金が足らない。
…完全にガス欠になってからでは、
もうどうにもならないだろう…
そう判断した俺はスタンドを…
それも、無人のスタンドを探した。
車止める音
ほどなくして見つけた無人スタンド。
何台か並んだ給油機の一番手前に車を停める。
ドア開け
「給油に寄る…」
「そう…」
「だけど、車からは降りるなよ」
「…………」
返事はなかった。だけどあいつも、
どういう意味かは理解しているのだろう。
ドア閉め
車の給油口を開け、
見よう見まねでガソリンを入れる俺。
辺りには他の客が一台と、
奥には自販機も備えた建物。店員らしき姿も見えた。
…恐らくはあそこで精算するのだろう。
壁に貼ってある説明プレートによると、
給油後にレシートを持ってあそこに行くらしい。
…今ならば、そのまま走り出せば逃げれる。
閑散としたスタンドを見ながら、
俺はそう感じていた。
23、24、25、26…
給油量を示すメーターの数字。
以前とは逆に、とてもゆっくりに思えた。
早く満タンにならないかが、とてもじれったく感じた。
そして、40リッターを超え、
間もなく満タンになろうとした時…
「いらっしゃいませ」
さっきまで建物の中にいたバイトらしき店員。
何故か、こちらに駆け寄って来た。
「灰皿、空気圧大丈夫ですか」
「え、あ…ええ、大丈夫です…」
「そうですか、寒いですから気をつけて下さいね」
そして、サービスのつもりか窓まで拭き始めた。
そうこうする内に、給油機が満タンを告げ、
事務的な音を鳴らしレシートが吐き出される。
「あ、清算は向こうでお願いしますね」
窓を拭く手を止め、さきほどの建物を指差す店員。
俺は無言でレシートを手に持つが、
思わずどうしていいのか分からず立ち尽くしてしまう。
「どうしました、お客さん?」
「あ、いや、なんでもない…」
ドア閉め
とりあえず、一旦車内に戻った俺。
エンジン始動
そして、エンジンだけは始動させた。
…どうすれば、いいのだろうか…
例の店員らしきバイトは、
今度は後部ガラスまで拭き始めてくれていた。
…今ならば、このままアクセルを踏み込むだけで…
だが、間違いなくナンバーは控えられるだろう。
検問でもあれば簡単に捕まってしまう。
…だけど、今この場を逃げる為には…
そう覚悟を決めた俺は、クラッチを強く踏み込む。
そして、ニュートラルだったギアを、
セコに入れようとした時…
「はい…」
「えっ?」
「…使っていいわよ」
突然、彼女が封筒を取り出す。
そしてその中から1万円札を俺に向けた。
「お、お前、金持ってたのか?」
てっきり持ってないと思っていた。
それなら、何も今まで、
こんなに苦労しなくて済んだのに…
「どうして、言ってくれなかったんだよ?」
「…………」
「あなた…聞いた?」
「え、あ、いや、それは…」
「聞かれなかったからよ…」
それだけを答えると、
またいつものように窓の方を向いてしまった。
また走り出した銀のクーペ。
とりあえずガソリンは満タンにすることが出来た。
それに、お釣りとして受け取った5千円札もあった。
だけど俺には、
さっきのことの方が気にかかっていた。
「なあ、お前さあ…」
「はい、これで全部よ…」
「えっ?」
言い出すより前に、先程の封筒を、
そのままを俺に差し出す彼女。
「これ、使っていいのか?」
「別に…いいわよ」
受け取った封筒の中を覗くと、
まだ1万円札が4枚も入っていた。
これで当面は大丈夫だと思える。
しかし今度は、更に別のことが気にかかっていた。
…何故、彼女はこんなにお金を持っていたのだろうか?
少なくとも、俺が最初に持っていた数千円は、
突発的に持っていただけのモノだった。
だけど、彼女の場合は、
あらかじめ準備されていたように思えた。
「なあ、お前ってさ…」
「以前に7階は嫌だって言ってたよな?」
「…家だって嫌よ」
「ああ、俺だってそうだ…」
例のホスピスでのルールとか
「じゃあさ、どこへ行くつもりだったんだ?」
「……………」
「これは、その為の金だったんじゃねえのか?」
そして俺は、以前の彼女の言葉を思い出していた。
自力で動ける内にどこかに行くと言っていた。
引き止めたいのか、一緒に行きたいのか?とも尋ねられた。
「やっぱり本当は、どこか行くあてがあったのか?」
「別に……」
「別に、じゃ分からねえよ」
「……………」
「…どこもないわよ…」
それだけを…寂しそうに、哀しそうに呟いた。
ならば彼女は…
行き先も持たずに、それでもいつの日かを描いて、
一人でずっと準備だけをしていたのだろうか?
そんな虚しいことをって気にもなるけど…
彼女の寂しそうな横顔は、
それを肯定しているようにも思えた。
「…じゃあ、あなたはどうなのよ?」
「俺だって…別に、だ…」
「…真似しないでよ」
「別に、真似じゃねえよ」
「……………」
…行き先も持たずに走り続ける俺達。
突発的に7階を飛び出した俺と、
行くあても無いのに、虚しく準備だけを進めていた彼女。
だけど…
「…今は、どこでもいいから行ってみたい…」
「えっ…」
少なくとも俺には、
何でもいいから示すモノが欲しかった。
「なあ、以前に話していた淡路島なんてどうだ?」
「…………」
「今の所持金なら、十分に行けるぞ」
きっと、どこでも良かったんだと思う。
7階でも、家で無くても、動き続けてさえいられれば。
でも、無意味に彷徨うだけじゃなくて…
何でもいいから目指すものが欲しかったんだと思う。
「…お前も行ってみたいと思わないか?」
「……………」
「……別に…」
それだけを返すと、またいつもと同じように、
窓の外に視線を向けてしまう彼女。
…相変わらず、どこか遠くを見つめるような目。
一体、彼女は何を見ているのだろうか…
何を考え、何を期待して、ここに来たのだろうか…
;此脚本编写者为Typical-Moon, STAGE——NANA版权所有,请勿擅自修改此脚本或直接发布使用此脚本制作的产品
『地図を見るのは好きだった…』
どこまでも続く1号線、知らない場所。
どこまでも連れて行ってくれる車も好きだった。
でも、いくら情報を積み重ねても…
それは仮想。
リアルを、心を、どんどん脆くしていく。
水着もある、地図もある、でも未来がない。
窓の外には世界だってある。
でも、触れられる現実がない。
目を閉じれば、何も無い世界に行けるけど、
この世界自体が消えてしまった訳ではない。
そんなことは分かってる。
生涯の伴侶は、目を閉じた世界だと覚悟している。
なのに、「もし」ばかりを想像して、
もしかしたらと期待して夢見て、でも結局は…
憧れは憧れに過ぎず、ビキニの水着も、エメラルドの海も…
…胸の大きな傷跡が、あきらめろと諭した。
「だけど…」
生涯のほとんどを病院で過ごし、
目を閉じた世界だけで過ごして…
7階か、家しか選べられないのが哀しかった。
選択する余地も与えられず…
かといって、
その場所すら見つけられない自分を憐れだと思った。
…それでも、22年も生きたのに…
「一つくらい…好きにさせてよ…」
そう呟いた時、止めた筈の時間が揺らいだ気がした。
あの日、止めた筈の心が苦しかった…
冬の澄んだ青空を、
ボンネットに映して走る銀のクーペ。
相変わらず、目的もなく走り続けていたが、
当面はガソリンや買い物にも、困ることは無さそうだった。
そしてハンドルを握る俺の隣では、
軽く寝息を立てる彼女。
「んぅ…
「起きたか?
「…うん
間もなく、大きな交差点に差しかかろうとしていた。
昨夜、彼女の賛同を得られなかったが、
俺は何となくでも西を目指すことにしていた。
只、地理的にも全くわからないし、
高速道路を利用するのは所持金的にも辛いと思えた。
そんなことを思いながら、
目の前の迫った大きな交差点。
何も考えずに直進しようとしていた俺に…
「そこ、左折…」
「えっ?」
「左に曲がって」
突然、俺に指示を出した彼女。
何のことかと思いながらも、
指示通りに左折レーンに入り、大きな道へと出た。
「どうしたんだよ、一体?」
「……………」
「これが1号線…当分は真っ直ぐよ…」
「当分はって…」
彼女の突然の指示に俺は驚いてしまう。
今までにも行動を共にしてきて、
何でも知っているようだが、
自発的に俺に指示を出したことは初めてだった。
「…もしかして、行く気になったのか?」
「……………」
「あ、その、例の場所…淡路島までさ」
「……悪い?」
「いや、そんな意味じゃねえけどさ…」
何の目的も持たずに進む俺達。
何か目的が欲しくて彷徨っていた俺と、
いつも遠くを見つめてばかりで、よく分からない彼女。
その彼女の口から、出たことが俺には意外だった。
「…期待してる訳じゃない」
「えっ?」
「別に水着が欲しい訳じゃ…」
「…お前、なに言ってるんだ?」
「……………」
「…なんでもないわよ」
冬の澄んだ空の下、日射しを跳ねて進む銀のクーペ。
強い上り坂や急なカーブが多かった箱根も越え、
今はずいぶんと楽な道のりへと変わっていた。
「なあ、ここらってどこらへんだ?」
「愛知県よ、間もなく名古屋市街に入るわ…」
残り金額を考え、高速は使わずに下道を走る俺達。
俺一人では、とうてい無理だろうけど、
彼女の指示通りに進んでいた。
ナビ以上に詳しい彼女の指示。
その理由はわからないけど、
恐らくは正しいルートなのだと思えた。
「次の交差点…22号線に入って」
「わかった」
言われた通りに車線を変え、ハンドルを切る。
窓からの流れる景色。
初めて見る賑やかな市街地をどこまでも北上する。
そして、いつしか周りの風景が、
少しずつ落ち着いたものへと変わる頃…
「なあ、あそこでも寄ってくか?」
国道沿いに見える、どこかのファミレス。
俺は走りながら、それを指差すと言葉を続けた。
「ほら、今までコンビニばっかだったろ?」
「…うん」
もちろん好きでコンビニばかりだった訳じゃない。
所持金を考えてのことだし、
そこまで心に余裕がなかったのも理由だった。
でも今は、少しだけ金銭的にも余裕ができた。
だからこその俺の提案だった。
「な、たまにはファミレスもいいじゃん」
「…わたしは、コンビニでいい…」
そう言うと、少しだけ俯く彼女。
どうやら自分の服を見つめているようだった。
ああ…そういえばこいつって、
ぶかぶかの服を着たままだったな…
「わかった、じゃあ先にあっち寄るか?」
「…あっちって?」
「ほら、手前の店、どこかのジーンズショップ」
それは、国道沿いによく見られる、
ジーンズやカジュアルを揃えた量販店のようだった。
「きっとこの手の店なら、
そんな高くないのあるだろうからさ」
「……………」
「じゃあ寄るぞ? 寄るからな」
「………………」
返事はなかった。
でも、反対もされなかった。
もしかしたら…
こいつにとって反論しないってことは、
肯定と考えて良いのかも知れない。
店内に入った俺達。
2階建ての大きなフロアを、あいつが物珍しそうに、
幾つものコーナーを見て回っていた。
その様子は、相変わらずの無口だし、
普段の姿と変わらないように見えるかも知れない。
だけど、無機質に何も映していなかった、
あのつまらないテレビを見ていた時とは少し違っていた。
何度も何度も手にとって、
値札を見ては考え込むようにしていた。
そして、試着をする度に俺の方へと駆け寄って…
「…どう?」
「どうって、似合ってんじゃねえか?」
「……………」
「…変じゃない?」
「ああ、たぶんな」
こんな感じで何度も何度も、
試着を繰り返しては見せにくる彼女。
決して笑ったり、表情に出したりはしないけど、
その姿は、どこか嬉しそうにしているようにも思えた。
「どうだ、決まったか?」
「…うん、これにする」
そう言って俺に、最後に試着した、
可愛いシャツと短いスカートを見せる。
その選んだ服は、いかにも中学生か高校生あたりが、
好んで着ていそうな服だった。
確か以前に、俺よりも年上だと言っていたけど…
どう見ても、そうは見えない彼女の容姿と相まって、
逆にハマり過ぎてて微笑ましく見えてしまう。
「でもさ、そのスカートは、
止めた方がいいんじゃねえか?」
「えっ…」
「あ、いや、似合ってないとか、そーゆーのじゃないから」
「……………」
「ほら、寒いだろ? 今の時期ってその格好じゃ」
「…べ、別に平気よ…わたし我慢するから」
「別に平気よ…わたし我慢するから
そう答えた時…
少しだけその白い顔が赤くなったように見えた。
普段は絶対に感情を表さないこいつなのに…
…もしかして、照れているのだろうか?
初めて見る、こいつの表情だった。
尚も走り続ける俺達。
冬の高い高い空の下、
少し排気音のうるさい銀のクーペは走り続けていた。
「次で21号線に入って…」
「わかった」
相変わらず彼女のナビに従って進む。
気づけば、既に岐阜県に入っていた。
いつもなら必要な時以外は、
窓の外をじっと眺めているだけの彼女。
なのに今は、何度も何度も、
サイドミラーに自分の姿を映しては嬉しそうにしていた。
まるで、俺の目を盗むようにミラーを覗き込んでいた。
先ほど買ってきた服に身を包んで
少しだけ嬉しそうにしているように俺には見えた。
「…………」
「…なに?」
「いや、さっきの服、気に入ったみたいだな」
「……………」
「別に…そんなことないわよ」
そう言うとサイドミラーを見るのを止めてしまう。
でも、しばらくすると、
また俺がよそ見している間にチェックを始める彼女。
…結構、かわいいところもあるんだな…
たったこれだけのことでも、
普段が普段なだけに、俺には可愛いと思えた。
すっかりと日が暮れる頃。
どこかの道端。
また今日もコンビニでの夕食を済ませた頃。
#bg chusha_michi2_yoru
「なあ、今頃どうなってっかな…」
今も手首に巻かれたままになっている、
ビニール製の白い腕輪。
血液型と俺の名前が記載された、
あの、病院のネームプレートを見ながら呟く。
「やっぱ、大騒ぎしてると思うか?」
「…たぶんね」
「だよな…」
両親や、友達、それに病院の先生達…
例えそれが上っ面だけだったとしても、
心配してくれていると思うと、少し心苦しかった。
悪いな…親父、皆んな…
自分勝手な、我侭やっちまって…
「ねえ、あなたって…」
「ん? どうかしたか?」
「最初に…死ぬって聞かされた時……泣いた?」
「……………」
突然の彼女の問いに、一瞬だけ驚いた。
そして、その問いの重さに暫く考えてしまった。
「…確か…泣かなかったと思う」
「じゃあ、どうして自分だけって…運命を呪った?」
「それは…よく覚えていない」
始めは現実に起こった事として認識できなかった。
リアルとして考えられなかったように思う。
だけど…本当は少しはあったのかも知れない。
一緒に教習所に通った友達が、新車を買った。
36回のローンが大変だとぼやいていた。
就職が決まった奴もいた。留年が確定した奴もいた。
子供が出来た奴もいた。また彼女にフラれたって奴もいた。
でも俺は…未来を断たれた。
だから本当は…
どうして自分だけがって気持ちはあったんだと思う。
これが運命だからって自分に言い聞かせても、
やっぱり、諦めきれない気持ちはあったんだと思う。
「じゃあお前は…どうだったんだ?」
「…わたし?」
「ああ、哀しくて泣いて…運命を呪ったか?」
「……………」
「…わたしは、平気だった」
「…どうしてだ?」
「…だって、最初から何も望んでなかったから…」
「…わたしは、諦めていたから」
「そうか…」
最初から諦めていれば、落胆することもない。
後ろ向きでいれば楽しくもないけど、辛いこともない。
だけど、その考え方は哀しすぎるような気がする。
それとも、彼女の場合は…
そうするより他に、方法がなかったのだろうか…
「前に見た映画で言ってた…」
「…狼は3年しか生きないって」
「は? 狼?」
突然、よく分からないことを話し始めた彼女。
「でも…ロバは9年も生きるんだって」
「何のことだ?…狼が3年でロバが9年って?」
「…………」
「…ロバは…役に立つから長生きする」
「そういうことらしいの…」
寂しそうに窓の外を見ながら、言葉をつむぎ出す彼女。
これが彼女にとっての…
自分を納得させる為の、諦める為の言い訳なのだろうか…
暮れかけた真冬の空。
21号線をまっすぐに進む俺達。
その暮れかけた空に舞う、チラチラと白いもの。
次第に降りを強くしているようだった。
「…どうかした?」
「ああ、雪が降ってきた…」
そして、気づけば、
道路の脇には白い積雪が姿を現すようになっていた。
いつの間に積雪地帯に入ったのか分からないが、
どこを見渡しても白い色に染められていた。
…少しやばいかもな。
さっき見た限りでは、
このタイヤはスタッドレスじゃなかった。
もしも、これから先が、
更に雪が降るエリアでは厄介かも知れない。
「なあ、ここらって豪雪地帯なのか?」
「えっ…」
「いや、これ以上、雪が酷くなると辛いからさ」
「……………」
仮に路面に積雪は無かったとしても、
それだけの場所なら道路が凍結していても不思議ではない。
そう考えると、教習所の教本でしか習っていなかった、
チェーンの装着ってのも必要になるのかも知れない。
「どうだ、知ってるか?」
「この先は…関が原」
「そりゃさっき聞いたって、
俺が知りたいのは雪が酷い場所かってこと」
「…わからない…」
何故か寂しそうに答える彼女。
その様子に俺は少しだけ違和感を覚えた。
これだけ道に詳しくて、
以前にこの車のこともあんなに詳しかったのに…
それと比較すると、十分に知ってそうなことだと思えた。
「わかった、とにかく気をつけて走る」
「…うん」
ちらちらと降り続く雪。
波の音
波打ち際。
俺達は車を降りると、湖を眺めていた。
強い風に煽られては、
所々、凍った湖面をも染めようとする白い雪。
そんな中、まるで海のような波打ち際へ向かって、
ゆっくりと歩き始める彼女。
…以前にもあった光景だった。
「…ねえ、どう思う?」
「このまま進むと、楽に死ねるか?ってのか」
「うん、海より楽な気がする…」
「俺には、その解答の根拠がわからん…」
「だって、海水は塩辛いし身体も浮いちゃうでしょ…」
「…そりゃあ、名推理だな」
冷たい北風と降る雪の中、
お互いに本気とも冗談とも取れないことを言い合う。
そして、一旦止まった足を、
再び湖へと向けると歩き出す彼女。
「…やっぱり止めないの?」
「だって今日は、死ぬつもりないだろ?」
「…………」
「…うん…そうかもね」
…例の場所、淡路島まで
あと、どのくらいの距離なのだろうか…
別にその場所に行きたかった訳でも、
何かのこだわりがあった訳でもない。
だけど、何の目的も持たずに彷徨う俺達だったのに、
今では目指す場所が生まれた。
俺が止めなくても、
波打ち際の一歩手前で足を止めたままの彼女。
…きっと、そういうことなんだと思う。
「そこから、1号に戻って…」
「わかった」
8号から再び1号へ。
彼女のナビに従い、
今度は草津へと向かっていた
「ねえ、今って、お金は大丈夫?」
「ああ、まだ3万円ほどはある」
以前に服は買ったけど、それ以外では、
相変わらずコンビニで済ます程度だった。
「どうかしたのか?」
「…じゃあ、高速に乗る?」
「高速? 全部下道じゃ行けないのか?」
「それは、無理よ」
「確かにギリギリまでなら行けるけど…」
「でも、最終的には、必ず有料道路に乗るから…」
「そっか、淡路島だもんな」
俺も詳しくは知らないが、淡路島に行く為には、
瀬戸大橋だか何だかの橋を渡らないと行けなかった筈だ。
は有料道路だったと聞いたことがあるとか
「じゃあ、草津からバイパスに入って」
「わかった」
彼女の指示に従い、
瀬田ICから、名神高速へと乗り継ぐ。
今までの一般道と比べると、明らかに整備された道路。
信号もないし、見通しの良い道路は、
初めて高速を走った俺にも運転しやすいと思えた。
只、右の高速車線にいると、
後ろからスゴイ勢いでやってくる後続車が怖かった。
最初は、パッシングや右ウインカーの意味も分からなかったが、
慣れてくると高速道路の運転は楽しいと思えた。
「すげえな、あの車…」
「…うん」
物凄いスピードで追い抜いていく、どこかの車。
のんびり走る俺達は、思わず顔を見合わせてしまう。
そして、助手席に座ったこいつも、
いつもとは少し様子が違っていた。
普段なら、遠い目で窓の外を眺めるだけなのに、
今日は物珍しそうに回りの車を見ていた。
…そういえばこいつって何故か車にも詳しかったな。
俺は猛スピードで追い抜いていった、
さっきの車を指差す。
「なあなあ、今のって何て車だ?」
「…それは質問?」
「……………」
「ほら、クイズのつもりで」
「…トヨタセリカ、オーバービュー」
「じゃあ、今、抜いてったのは?」
「シトロエン、クサラ…」
「へ~、よく分かるな」
正直なところ、
俺にはそれが正解かどうかも分からない。
でも、自分からは滅多に口を開かないこいつが、
次々と答える様子が楽しく思えて…
だから俺は、休むことなく言葉を続けた。
「青いのがユーノス、赤いのはアルファロメオ…」
同時に追い抜いていった2台までも答える。
「でもさ、あれは分からないだろう」
言いながら今度は、普通車と違うトラックを指差す。
あまり表情を出さない彼女の、
困った顔も少しだけ見たくなっていた。
「…………」
「やっぱ、さすがにトラックは分からないか」
「…日産アトラス10」
「おいおい、すげえぞ、お前っ」
本当はいじわるしたつもりだったのに、
まさかトラックまで分かるとは思わなかった。
「ここまでくればさ、自慢できるレベルじゃねえか?」
「…そう?」
「ああ、胸張っていいと思うぞ」
「……………」
俺の言葉に無言で返す彼女。
少しだけ照れくさそうにしているようだった。
きっと車とか好きなんだろうな…
「じゃあさ、向こうに着いたら運転してみるか?」
「えっ…」
「えっ…」
「でもわたし、免許持ってない…」
「大丈夫だって、
きっと、浜辺なんて運転すると楽しいぞ」
恐らく淡路島まで行けば、
ひと気のない場所はいくらでもあるだろう。
それにこの車はミッションだから、
慣れると面白い筈だと思えた。
「なんだったらさ、俺が教えてやるよ」
「……………」
「あ、といっても俺も超初心者だけどさ」
「…うん」
「うん、ありがと…」
「…うん」
;此脚本编写者为Typical-Moon, STAGE——NANA版权所有,请勿擅自修改此脚本或直接发布使用此脚本制作的产品
あんなに高かった日が、わずかだけ翳る頃。
高速を走り続ける銀のクーペ。
間もなく桂川パーキングエリア。
少し進んでは、小休憩というペースで走っていた。
「なあ、次も休憩するか」
「あ、う、うん…」
「…どうした?」
「ちょっと疲れたみたい…」
「そうか…」
無理もないことかも知れない。
さっき、あれだけはしゃいでいたし、
元々、俺達は普通の病人以上なんだから当然だろう。
「じゃあ、なんか買ってきてやるよ」
「…うん」
車止め
「じゃあ、すぐ買ってくるから」
バタン、
手ごろな売店へ急ぐと、
普段コンビニで買うものと大差ない買い物をする。
開け閉め
「ほら、ポカリとおにぎり、それとポテトも」
「あ、うん…」
言葉ではそう返事をするけど、
受け取ったまま口をつけようとしない彼女。
いつもならポテトは先になって手にしていたのに…
「…大丈夫か?」
「……………」
「もしかしてお前…具合悪くなってきたのか…」
「………………」
「…薬が…切れただけだから」
「…そうか…」
…薬が切れた。
恐れていたことだった。
いや、こんなことは病院を飛び出した時から、
十分に予想できることだった。
もちろん、故意に忘れていた訳じゃない。
今まではそんなこと考えたことすらなくて…
それ以前に、考えようとする意識すらなかった。
「いつからだ? 薬が切れたのは?」
「…昨日の夜」
「じゃあ、もうすぐ丸一日だな…」
俺の場合は、2日飲まずが限界だと医者から言われていた。
恐らく彼女の場合も似たようなもんだろう。
考えてみれば病院を出たあの日から、
既に8日が経っていた。
手持ちとして、持ってきた薬の量では、
遅かれ早かれこうなるのは目に見えていた。
…今、俺はどうするべきなんだろうか…
「ねえ…」
「…わたし、7階は嫌よ」
「ああ、分かってる、家も嫌なんだろ」
「うん…」
エンジン始動?走る
再び動き出した銀のクーペ。
結局俺は、次の降り口で高速を降りることにした。
それでどうなる訳でもないが、
こんな場所に居たのでは何も出来ない。
殺風景な高速降り口から、
市街地へ向けて走り続ける。
そして小さな町医者ではなく、大きな病院を探した。
正しくは大きな病院の近くにある、薬局を探した。
本当は病院に行くのが一番良いのかも知れない。
仮にこれが、普通の病状ならば迷わずそうしただろう。
…でも俺達は7階の住人。
手首に巻いたビニールの認識腕輪は白。
そして、その7階をも飛び出したのが俺達だった。
そんなことを思いながら、
辺りをきょろきょろとしながらハンドルを握る。
…きっと、大病院の近くの薬局なら、
大抵のモノはある筈だ。
「見つけたっ」
大きな通りに面した角に立つ、どこかの大学病院。
その手前に見える2~3軒の薬局の看板。
路駐できそうにないと判断すると、
俺は空き地を見つけ、すぐさま車を停める。
止め
「おい、薬の袋、貸してくれ」
「あ、うん…」
不思議そうな顔で、薬の入っていた袋を手渡す彼女。
俺はその病棟用の薬の袋を受け取ると、
中に入っていた、薬の説明用紙だけを手にする。
…こうやっておけば大丈夫だろう。
「じゃあ、すぐ帰ってくるから」
閉め
車内にあいつだけを残し、
俺は少しだけ離れた薬局へと走った。
ガー…
やたらと開くのが遅い自動ドアを越え、やってきた店内。
俺は真っ直ぐにカウンターへと向かう。
店の人「いらっしゃいませ」
俺の姿に声を掛けてくれた中年風のおじさん。
白衣を着た、いかにもって感じの薬剤師のようだった。
「すみません、この薬お願いします」
店の人「え、ああ、ちょっと待って下さいね…」
そう言って俺の渡した薬の説明用紙を手に、
奥へと引っ込んでいくおじさん。
…恐らくここは、普通の薬局ってよりは、
病院からの薬も出しているところだと思う。
外来の病院に行った時には、
こんな感じのところで薬だけ貰ったのを覚えている。
明らかに大病院の近くに並んで建っているし、
ここならば大体の薬は揃っていると思えた。
店の人「お待たせしました、こちらになりますね」
しばらくして、帰ってきたおじさん。
手には透明な袋に入ったカプセル状の薬。
その束のような塊を2つほど持っていた。
…これだけあれば当分は大丈夫だろう。
ざっと見ても1週間分ほどはありそうだった。
そして俺が、ポケットから財布を取り出そうとすると…
店の人「あ、それより薬箋も頂けますか」
「…やくせん?」
店の人「ああ、処方箋のことですよ、
これは臨床用ですからね」
「…………」
店の人「お医者さんから貰ってますよね?」
…予想していなかった。
いや、冷静に考えれば市販品じゃないんだし、
普通で買える訳がなかった。
店の人「…どうしました?」
「あ、いや、その…」
言いよどむ俺に、
段々と怪訝な目を向ける白衣のおじさん。
店の人「て、あれ…それは…?」
そして、俺の手首に巻かれた白い腕輪に気づくと、
そこに書かれていた文字を…
俺の名前を、血液型を…
…そして、病院の名前を読もうとしていた。
それっぽいの
だっ、
店の人「あっ」
ガラスのカウンターの上に置かれた薬。
俺は反射的に、その束ごと一気に掴んだ。
そして、そのまま店の外へと向かって駆け出す。
店の人「こら、待ちなさいっ」
カウンター越しに大声を張り上げる店の人。
その声を俺は背中で聞いた。既に駆け出していた。
店の出口までのたった5m。
足のふんばりが利かなくて、よろけそうになりながら、
それでも俺は無我夢中で走った。
そして、やたらと開くのが遅い自動ドアから、
店外へと出ようとした…
その時、
ガン、ガシャーン、
「痛っ、くそ…」
思わず、意識が一瞬白くなった。
自動ドアの角に頭をぶつけて、
その勢いでガラスまで叩き割ったようだった。
ふらつく頭を、ぶんぶん振ると、
開きかけで止まった自動ドアを手で押し開ける。
そして、店の外へ出るとまた走り始めた。
手に持った薬の袋は放さなかった。
「はぁはぁ、ふうっ」
思わず息を切らして、あごが上がってしまう。
車までの数十メートルが、やけに長く感じた。
誰も追っては来ていないようだけど、
それを振り返って確認する余裕すらなかった。
…もし、俺が捕まったら…
あいつはどうなってしまうのだろうか…
車の中で一人、
いつまでもじっと俺の帰りを待っているのだろうか…
何故かそんなことを思いながら、懸命に走った。
よろめきながら、息切れを起こして、
これで全力かと思うと我ながら哀しかった。
バタン、
「はぁはぁ、ふう…」
倒れこむようにシートに座ると、急発進させる俺。
明らかに先日のパチンコ屋の時よりも、
体力が落ちてきているのが自覚できた。
そして、ルームミラーで確認すると、
やはりガラスで切ったのか、額から少しだけ血が流れていた。
…恐らくこれくらいなら、すぐに止まるだろう。
俺は運転しながら、ポケットティッシュで軽く押さえる。
「…大丈夫?」
「ああ、平気だ」
「でも、血が出てるし…」
「…気にするな、何でもないから」
不安そうな顔を向ける彼女に、
俺は、心配いらないと手を振ってみせる。
そして、左手に握り締めたままだった、
薬の束を手渡した。
「ほら、飲んでおけよ」
「あ、うん…」
これで当分は大丈夫だと思えた。
少なくとも1週間くらいなら保つだろう。
だけど…
もしこれが無くなった時はどうなるのだろうか?
たまたま今日は成功したから良かったけど、
俺自身の体力も日毎に落ちてきているのは明らかだった。
…元々、何の目的も行き場所も無かった俺達。
求めるものがないなら、失う恐れ自体もなかった。
でも今は、少しだけ違った。
目的が生まれ、失う怖さも生まれていた…
よく晴れ上がった日。
冬特有の高い、高い澄んだ空が広がっていた。
再び高速に乗った俺達。
今は吹田JCTから中国自動車道を走っていた。
「なあ、次はどっちだ?」
「神戸JCTから…」
「わかった、山陽自動車道だな」
「うん」
彼女の指示に従い、走る銀のクーペ。
ここまで来ると、道すがらの標識には、
「淡路島」という文字も、時折見えるようになっていた。
あの日、7階を飛び出してから、
既に900kmを超えた走行メーター。
とても行けるとは思わなかったけど…
そう思っていた目的地は、もう僅かの距離だった。
やがて、目の前に現れたのは大きな橋。
「これが、明石海峡大橋ってのか…すげえ橋だな?」
「…うん」
思わず二人で感心してみる。
まるで海の上をどこまでも走っているようだった。
そして、しばらく走った頃。
橋の途中には、
ちらほらと車を停めている人の姿があった。
恐らくは観光客なんだろうけど、
車から降りて記念写真を撮る人達。
俺もその人達と同じように、路肩へと車を停車させた。
「…ここ駐停車禁止よ」
「まあ、少しくらいなら大丈夫だろ」
それに見た限りでも、
数台の車も同じように車を停めていた。
「なあなあ、ちょっと外に出てみようぜ」
「……………」
「きっと、すげえ眺めいいからさ」
「…うん」
「わかった…」
まだちょっと渋々なんだけど、
俺に合わせるように車を降りる彼女。
ドア閉め
風
ビュウーー、
強くて冷たい風が吹く橋の上。
「思ったより、ここ寒いな…」
「…うん」
普段から車外にも出ない俺達では、
余計にそう感じてしまう。
そんな俺達とは対照的に、向こうの方では
どこかのカップルらしき二人。
どうやら記念写真を撮っているのだろう。
それらしい声が楽しげにここまで聞こえていた。
よく見るとその二人以外にも、
同じように写真を撮る家族連れや団体客達。
…記念写真か。
確かにこんな場所では必須だよな。
「そういえば…」
「…どうかした?」
「ああ、ちょっと待ってろよ」
「あ、うん…」
確かカメラがあった筈だった。
以前、一番最初に車の中を点検した時に、
安っぽい使い捨てを見つけたのを思い出していた。
あの時、ちらっと見た限りでは、
まだ数枚は残っていたと思うけど…
引っ張り出したカメラを手に、俺はフィルムを確認する。
「よかった、まだ2枚は残っているな…」
「お待たせ、ほら、撮ってやるよ」
「えっ…」
「写真だよ、写真、せっかくだしさ」
「……嫌よ」
「まあまあ、そう言わずに。
なんかこうポーズでもとってくれよ」
言いながら俺は、彼女に向かってカメラを構えてみせる。
「……………」
「ほら、ちょっとは嬉しそうな顔してみろよ」
「……………」
だけど、照れくさいのか、やっとこちらを向いても、
不機嫌そうな顔しか向けてくれなかった。
…でも、もしかしたら…
これでも彼女にとっては、
頑張って笑顔を作ろうとしてくれているのかも知れない。
そんなことを思いながら、俺が写真に収めようしていると、
彼氏「すみません、シャッターお願いできますか?」
「え、ああ、いいですよ…」
どこかのカップルらしき二人。
カメラを片手に俺達の元へと来ていた。
「じゃあ、撮りますよ」
二人「はい、おねがいします」
楽しそうに肩を組んで、笑顔を見せる二人。
俺はそんな二人を、
ファインダーに収めるとシャッターを切った。
カシャ、
彼氏「どうも、ありがとうございます」
彼女「じゃあ、代わりにお二人も撮りますよ」
「え、あ、いや、俺達は…」
彼氏「カメラはこちらで良いんですね?」
その返事をするよりも早く、俺のカメラを受け取ろうと…
と、いうか、まるで引ったくるように手にする彼氏。
きっと気を利かせてくれているのだろう。
躊躇する俺達を無視して、さっさとカメラを構えてしまう。
彼氏「ほら、二人とも、もっと寄って」
その言葉に俺は、少しだけ彼女へと身体を寄せる。
相変わらずの表情を浮かべたままだけど、
隣の彼女も、申し訳程度に寄ってくれた。
彼氏「あのう、もうちょっとポーズとか取れませんか?」
お節介にも、尚も注文をつけるどこかの彼氏。
見るとその彼の彼女も、あきれた顔でこちらを見ていた。
しょうがなく思った俺は、こいつの背中から肩へと…
ゆっくりと手をまわした。
「…あ……」
…初めて触れた、こいつの身体。
先日買った子供っぽい服に、
腰まである長い髪の感触が手に広がる。
「……………」
正面のカメラを見つめる俺に、
その彼女の表情までは見えないけど…
でも、もしかしたら…
たまにしか見せてくれない、あの照れたような、
拗ねたような顔をしてくれているのかも知れない。
彼氏「それじゃあ、撮りますよ」
カシャっ、
無事に撮り終わって納得したのか、
自分の車へと帰っていくカップルの二人。
俺達も自分の車へと足を向ける。
ドア開け閉め
「彼女さん…か」
「なんか、勘違いされたみたいだな?」
「……………」
「もしかしてさ、
俺達ってそんな風に見えるのかな?」
「……………」
少しだけ、おどけた俺の物言い。
何故か楽しく感じてしまい、
ついつい、そんな口調で続けてしまう。
「なあってば、お前…あ、いや…」
「なあ? どう思うセツミ?」
「……………」
「…なによ…年下のくせに…」
そんな俺の言葉にも、いつもと同じように、
窓に顔を向けたままの彼女。
その表情は相変わらずで、
俺の方は見ようともしなかった。
でもそれは…
いつもの遠いところを見る目じゃなくて、
照れくさいから、顔を背けているようにも思えた。
見上げれば高い日。
冬特有の澄んだ空がどこまでも続いていた。
あれから僅かに進んだだけで到着した洲本インター。
再び俺たちは一般道へと降りる。
「とうとう着いたな…」
「…うん」
あの日、7階を飛び出してから、
900kmもの距離を示した、車のメーター。
何気ないことから、本当にここまでたどり着いた。
「じゃあ、ここからはどう行けば良いんだ?」
「南に…」
「南か…わかった」
彼女の指示通りに進路をとる。
本当は、ここまで来れば俺にだって場所は分かっていた。
目の前には観光案内らしい看板がいくつも見えている。
だけど、彼女のナビに従う。
そうしないと、いけないように思えた。
何故だかそうしてやりたかった…
;此脚本编写者为Typical-Moon, STAGE——NANA版权所有,请勿擅自修改此脚本或直接发布使用此脚本制作的产品
ゆっくりと日がオレンジに染まる頃…
誰もいない冬の砂浜。
冷たくて強い風が松原を揺らしていた。
そんな砂浜に車を乗り入れると、
俺は彼女にドライバーズシートを譲る。
「ほら、クラッチに足、届くか?」
「大丈夫…」
「よし、じゃあ次はギアをニュートラルからセカンドに」
「…知ってるわよ」
「はいはい、じゃあ好きなようにやってみろよ」
「うん、わかった…」
「わかった…」
小柄な身体で精一杯、足を伸ばす彼女。
真剣な顔つきをしてハンドルを握っていた。
助手席から身を乗り出すように声を掛ける俺。
「いいぞ…後はゆっくりとクラッチを離して」
「…うん」
そして、明らかに緊張している様子で…
「わっ」
予想通り、ノッキングが凄いことになってしまう。
「ほら、もっと静かにクラッチ切らないと」
「うん」
言葉ではそう返事をするけど、
やはりすぐには上手くいかない。
少し唇まで噛むようにして、一生懸命な彼女の顔。
普段なら表情を出さない彼女だからこそ、
そんな姿にも俺は微笑ましく思えてしまう。
「おいおい、なんか悪酔いしそうだぞ」
「わ…わかってるわよ」
マフラーが少し割れて、うるさくなった銀のクーペ。
誰もいないこの砂浜に、まるで哭き声のように響いていた…
夕焼けがゆっくりと夜空へ変わる頃。
止みかけだった海風が、完全に陸風へと変わる頃…
いつしか空には大きな月が顔を出していた。
「だいぶ、慣れてきたみたいだな」
「…うん」
その返事と共に、ギアを3速にまで上げる。
すっかりとクラッチにも慣れ、
この狭い砂浜を自由に走り回っていた。
「これだったらさ…」
「お前、教習所行かなくても免許取れんじゃねえか?」
「…そうなの?」
「まあ、信憑性薄いけどな。
免許取り立ての俺の言葉だから…」
今更、俺達が免許なんて取ったって意味はない。
そんなことはお互いに分かっている。
地図もある、薬もある、
マフラーが壊れてうるさいけど、銀色のクーペだってある。
…でも時間が無い。未来がない。
分かっているからこそ、俺には余計に切なく思えた。
「じゃあさ…代わりに俺のやるよ」
言いながら俺は、
ポケットから自分の免許証を取り出す。
それは…本来ならば出番を失くしていた筈の免許証、
既に失った筈の、俺にとっての日常世界の証し…
「ほら、卒業証書の代わりだ」
「……………」
「貰っても…使う時間なさそうよ…」
「まあ遠慮すんなって…俺も似たようなもんだし」
決して避けた奴はいない7階。
高い天井、15cmしか開かない窓、白いビニールの腕輪。
…3回が最後で、彼女は2回目、俺は1回目…
「じゃあ、はい…卒業おめでとう」
「うん…ありがと…」
小さく頷くと、俺の免許証を受け取る彼女。
…これで彼女も普免持ちだ。
クーペだけじゃない、セダンでも、コンバーチブルでも…
何でも好きな車に乗ることだって出来る筈だ。
きっと、どこへでも好きな場所へ行ける筈だ…
あれから一通り走った後。
俺達は目的地である水仙の見える場所へと到着した。
一応、観光地の筈なのだが…
ここが外れの為か、
それとも夜の為か、人の姿は見えなかった。
静まり返ったような夜の闇の中、
俺達は夜明けを待って、暗い車内でじっとしていた。
「ねえ、灯りつけないの?」
「ああ、バッテリーが上がりそうだからな」
「うん、そうだね…」
エンジンも切った真っ暗な車内。
パネルの鈍い光だけが、淡く横顔を映し出していた。
そんな音と灯りの消えたこの狭い車内で、
ほとんど言葉も交わさずに夜明けを待つ。
そして、後部座席に投げっ放しにしていた、洗濯物のかたまり。
厚手のジーパンやトレーナー、それっぽいタオル。
その内の何枚かを掴むと、
俺達は毛布代わりに身体へと巻きつけていた。
「…寒いだろう」
「…うん」
「じゃあ、もっとくっついていいぞ?」
「えっ…」
「ほら、遠慮せずにこっちこいよ」
助手席で寒そうに身体を震わす彼女に、
俺は自分の膝の上を指し示す。
「きっと、その方が温かいしさ」
「……………」
「別に…わたしは平気よ」
言いながら身体を震わせる彼女。
車内でも白く息が煙り、明らかに強がっていた。
「…それとも、あなたが寒いから来て欲しいの?」
「ん…まあ、それでもいいぞ」
「……………」
「じゃあ、わかった…」
そして、のそのそと俺の方へやってくると、
遠慮がちに膝の上で丸くなる。
「な? 少しは温かいだろ?」
「…うん」
外気の寒さに真っ白に煙ったフロントガラス。
その白さと夜の暗さで、今は何も見えなかった。
でも、まもなく夜明け。
きっとその頃には、白い花が一面に広がるのだろう…
段々と明けてきた夜。
昇る日が、闇を濃い紫から薄白へと塗り替えていく。
そして、夜明けと共に目の前に広がる白い花…
今まで黒しかなかった場所に現れた、白と黄色。
思わず二人して車を出ると、その景色を見つめた。
「すげえな…」
「…うん」
目の前に広がる、数え切れないほどの水仙。
夜露が朝日に跳ね、更に白さを際立たせる花の群生。
まるで海に続く絨毯のようにも思えた。
そんな中、言葉を交わす俺達。
吐く息も同じように白く煙っていた。
…あの日、つまらないテレビに映った花からここまで来た。
何の目的もなかった俺達なのに、ここまで来ることが出来た。
「…これは同じもので、いいんだよな?」
「うん…厳密に言っても同じ」
「そっか、よかったな…」
種類の違いは俺にはわからないけど…
あの日、テレビに映った、美しく隙のない映像。
それと比べれば、
目の前の花は大きさや咲き方もバラバラだった。
…でも、確かにここに在った。
「きれい…」
「…そうだな」
曖昧で、退屈で、平凡で…
だけど、誰に対しても冷静で容赦ない現実。
目に見えないものばかりが溢れる世界で、
手を伸ばしても触れられないものばかりの世界で…
今、確かに触れることが出来るモノが目の前に在った。
その見えない何かのカケラが散らばっていた…
降り続ける雨。
1月の真っ白な空からこぼれ落ちていた。
あれから2日ほど経ったが、
相変わらずこの場所に居た。行けなかった。
「けほっ」
「おい、大丈夫かっ」
「うん…たぶん」
こいつの体調が悪くなっていた。
シートを倒して身体を伸ばせるようにして、
ほとんど車も動かさずにここに停めたままだった。
例の薬は飲んだけどあまり効果がないのか、
体調の悪さは一向に変わらなかった。
…だけど、俺達は7階の人間。
元々の状態からも、
2回目の彼女ならいつそうなってもおかしくなかった。
「なあお前…帰りたいか?」
「……………」
「…あなた、帰りたいの?」
「ああ、少しだけな…」
「7階…それとも家?」
「そ、それは…」
……わからない…
分かっていたのは、遅かれ早かれこうなること。
もちろん俺自身だって大差はない。
だけど、隣で眺めていることしか出来ないのが辛かった。
止みそうにない雨。
暗い夜の空から降り続いていた。
停めた車の窓からは、
滴を受けてぼんやり白く輝く水仙の花。
「なあ、これってさ…」
言いながらフロントガラスの向こうに見える白い花を指差す。
「確か、ナルキッソスだっけ?…水仙のこと」
「…うん、ナルシスが語源よ」
「…ナルシス?」
その言葉には聞き覚えがあった。
今までは馴染みのない単語だと思っていたけど…
「それって、ナルシストのナルシスのことか?」
「うん、元々が神話だから、色んな説があるんだけどね…」
「へえ、そうだったのか…」
そして感心したような顔をする俺に、
彼女はゆっくりと説明してくれた。
「誰からも愛されるナルシス…」
「妖精のエコーも、そんな彼が好きな一人だったの」
「でもエコーは、相手と同じ言葉しか話せない…」
「…同じ言葉しか?」
「そう。だからナルシスに…」
「先に彼の口から『愛してる』って言ってもらわないと…」
「エコーは、自分の気持ちを伝えることが出来ないの…」
寂しげに、哀しそうな声で彼女が話し続けていた。
その視線の先は、以前のように、
どこかずっと遠いところを見ているようにも思えた。
「でも…そんなこと絶対にありえない」
「どんなに夢見て、憧れても、
決して叶うことのないエコーの願い…」
「最後には、ナルシスに呪いをかけてしまうの」
「…それが有名な、
泉に映った自分の姿に惚れるってのか」
「うん、そして自分の姿を見続けたナルシスは…」
「いつしか、綺麗な花へと姿を変えてしまうの」
「それがこの花…ナルキッソスの語源よ」
一通り話し終えると、軽く息を整える彼女。
聞いていて俺も寂しい気持ちになっていた。
…決して届かない憧れを持ったエコー
まるで今の俺達のようにも思えた。
「それで、エコーの方はどうなったんだ?」
「いないわ…呪いをかける時に消えちゃったから」
…消えた?
それでは意味がないのではないだろうか…
呪いまでかけたのに何も成さずに、
結局ナルシスも不幸にしただけだし…
「…どうかした?」
「いや…でもさ、お前は違うんだったな」
「えっ…」
「ほら、以前に、俺にも尋ねたろう?」
「どうにもならない、自分の運命を呪うかって…」
「それは……」
「…それは?」
「……………」
「うん…わたしは諦めているから」
『…時間の止まったわたし…』
幾つもの季節を、梅雨空を、
誰とも言葉を交わす必要もなく過ごした…
「…いつからわたしは、一人なのだろうか…」:
「目を閉じても世界は消えない…」
耳を塞いでも雨音は止まない。
そんなことは分かっている。
ビキニの水着も、エメラルドの海も、
嬉しそうに笑いかけてくれるグラビアの表紙も…
…別にうらやましくなんて思わない。
閉じた目の世界でなら、
地図も車もなくったって、どこへでも行ける。
例え、胸の大きな傷跡に諭されなくても、
この現実がナルシスで、わたしがエコーだったとしても…
「…決して憧れない…呪わない」
そう決めた筈なのに…
今のわたしは心が揺れていた。
止めた筈の時間が動こうとしていた。
今更、そんなことしても、
まもなく終わろうとしているのに…
「傷は…」
「深ければ、深いほど、
それに比例して治るのも時間がかかるらしい…」
「それならば、長い時間をかけてゆっくり離れてしまうと、
もう取り返しがつかないのだろうか?」
「じゃあ…」
「…22年も生きたわたしはどうなるのだろう…」
「けほけほっ」
「おい、大丈夫かっ」
夜明け前。
助手席に手を伸ばし、背中をさすってやる。
あれから更に2日ほど経ち、
効き目の薄かった、あの薬も尽きていた。
…だけど、何もないよりはましだ。
そう思うと俺は、
薬局に向かおうと車のキーに手を伸ばす。
そして、イグニッションをオンにしようとすると…
「…いいから」
弱々しい声で、俺を止めた。
「だけどお前、このままじゃ…」
「…どうせ、もう効かない」
「そ、そりゃあそうかも知れないけど…」
確かに彼女の言う通りだった。
恐らくは同じ薬では効果はないと思えた。
でも、だからといって、
何もせずにじっとしているのは俺には辛かった。
「じゃ、じゃあさ、どっか別の場所に行こうぜ」
「…別の場所?」
「ああ、こんな寂しいところじゃなくてさ」
「な? 次の目的地を決めようぜ」
「……………」
「ほら、どこでもいいからさ、またナビしてくれよ」
自分でも可笑しいくらいに明るい声で話していた。
遠くを見つめる横顔に向かって、
一人楽しげに、楽しげに話し続けていた…
…こんなこと無駄だってことも分かっている。
どうせ、2日で尽きることが、3日に変わる程度。
その程度だってのは分かってる。
「なあ、言ってくれよ、どっかあるだろ?」
「別に…」
「そ、そうだ、お前って車とか好きじゃん、
もっかい高速乗ってみたくないか?」
「…別に…」
「……………」
「じゃ、じゃあさ、
新しい服、買いに行こうぜ、お前も欲しいだろっ」
「……………」
「………
別に…」
「…別にって…お前…」
「…………」
その言葉を最後に、また窓の外を見つめる彼女。
目の前に広がる水仙の花を見ているのではなく、
以前のように、どこか遠くを見つめたままだった。
あの、たまに見せてくれた、
拗ねたような、照れくさそうな顔。
もう、あんな顔は向けてくれなかった…
「…な、なんでそうなんだよ…」
「いつもいつも、別にばっかりで…」
「………………」
「す、少しは前向きになっても、いいじゃねえかよっ」
思わず声を上げてしまった。
何故だか…哀しかった。
リアルを実感できなかった俺の筈なのに、心が苦しかった。
…静まり返った車内。
窓の外には1月の花、水仙、ナルキッソス…
夜明け前の闇の中でぼんやりと白く揺らいでいた。
その白い花よりも、
もっともっと遠くの、何かを見つめたままのあいつ。
僅かに聞こえる潮騒だけが、この場を支配していた…
「…………」
やがて…
「…前向きになんて、なれる訳ないじゃないの…」
「えっ…」
暗い車内。
突然、あいつが口を開いた。
「憧れて、懸命になって、頑張って、
いつか報われるのなら良いけど…」
「でも、叶わなかった時にはどうすればいいの?」
「その時に、無理だったねって、
笑って言えるほど、強くないわよ…」
いつも遠い目をしていたあいつが、
助手席から真っ直ぐに俺を見ていた。
「わ、わたしに出来ることは、
最初から諦めて、何も望まずにいて…」
「やっぱり無理だったと、
冷めた目で自分を見ることしか出来ないのよ…」
「…お前……」
「うぅ、ぐすっ」
…初めて彼女が泣いた。
ほとんど表情を出さなかったこいつなのに…
小さく肩を震わせて、涙を流していた。
「あ、あの時、頑張っていたら…もしかしたらって…」
「自分にとっての、
最後の言い訳を取っておくしかないのよ…」
「最初から無理だと分かっているんだから…」
「そ、それくらい…良いじゃないの…」
「うわーん」
フロントガラス越しに見た夜空。
夜明け前の空には月さえ顔を見せていた。
時折聞こえてくる潮騒と、
彼女の嗚咽の声だけが聞こえていた。
…こいつにとってはエコーと同じなのかも知れない。
同じ言葉しか返せない。
自分からは何も言えない、何も望まない、何も見ない…
…諦めることしかできない。
その彼女にとって、7階か家かを拒否したのは…
最初で最後の、抵抗だったのかも知れない…
;此脚本编写者为Typical-Moon, STAGE——NANA版权所有,请勿擅自修改此脚本或直接发布使用此脚本制作的产品
1月の澄んだ海。
肌を刺す冷たい風。
時折、強く吹いては松原を揺らし、
潮騒の音が静かに響いていた。
「なあ、こんなもんしか無いぞ」
白石工務店と印刷されたタオルを手渡す。
以前にも身体を拭くのに使ったものだった。
「……………」
「こら、そんな変な顔すんなよ」
「…わかった」
少し不満そうにタオルを受け取る彼女。
突然、水着が欲しいと言われても困ってしまう。
この時期に、この場所で、しかもビキニが欲しいと言った。
しょうがなく、何かないかと車を漁って出てきたのが、
例の洗濯物の塊にあった白いタオルだった。
そして暫く待った頃…
お気に入りだったあのスカートに、
先ほどのタオルを胸に巻いて彼女が現れた。
「…どう?」
「いや、どうって言われてもな…」
「変じゃ…ない?」
「ん…まあ、たぶんな」
「………………」
「あ、全然大丈夫だって、全然、変じゃないから」
「うん、わかった…」
「わかった…」
そして、波打ち際をゆっくりと歩き始める彼女。
水辺の
寄せては返す波。
冷たい海風になびく長い髪。
空からは、まるで追い討ちをかけるように、
いつしか雪もちらちらと降り出していた。
そんな中、両手に脱いだ靴を持った彼女が…
嬉しそうに、まるで跳ねるようにして、
素足で水際を歩いてみせる。
「ねえ…それっぽく見える?」
「うーん、まあまあかな…」
真冬の寒さに、お互いの吐息が真っ白に弾む。
そして俺は、
先ほど車から持ってきたカメラを取り出す。
…例の安っぽい使い捨てのカメラ。
1枚だけのフィルムだった。
「じゃあ、撮ってやるよ」
「えっ…」
「きっと…もっとそれっぽくなるからさ」
言いながら俺は、カメラを構えて見せる。
「……………」
「ほら、遠慮すんなって、な?」
「…うん」
「…うん」
波打ち際。
ファインダー越しに見た彼女。
少し緊張しているのか、それとも照れくさいのか…
いつも以上に複雑な顔をしていた。
「だからさ、もっとこうポーズつけてくれねえか?」
「…でも…」
「でもじゃないって、ほら、
そんな棒立ちしたグラビアアイドルいないぞ」
「わかった…」
少し照れながらでも…それでも彼女なりに精一杯で…
恥ずかしそうに腰に手をあてると、
もう片方の手を大きく掲げてみせる。
…その、澄んだ冬空へ向かって伸ばされた手…
…まるで、何かを掴むように…掴もうとするように…
真っ直ぐに空へと伸ばされていた。
エメラルドグリーンの海を背にしていた…
「じゃあ、最後にもうひとつ…」
「…うん?」
「……笑って……」
「えっ…」
「えっ…」
「…笑ってくれよ、セツミ…」
「……………」
「…なによ……年下のくせに…」
シャッター
…そう言って…初めて笑ってくれた。
お気に入りのスカートと、
白いビキニに身を包んだ彼女が…
使い捨てカメラの最後の一枚で笑ってくれた。
エメラルドグリーンの海を背に笑ってくれた。
まるで、グラビアアイドルのような笑顔を向けてくれた…
「よし、じゃあ次は、
もっとこう動きのあるポーズやってみるか」
「うんっ」
嬉しそうに、楽しそうに、水辺を跳ねる彼女。
既にフィルムの尽きてしまったカメラだけど、
俺はその姿を撮り続けた。
「お、なんかお前、調子乗ってきたな」
「そ、そんなことないわよ…」
明るく話す俺達と、
追い討ちをかけるように更に強さを増す降る雪。
そんな中、フィルムの切れたカメラの、
ファインダー越しに嬉しそうな顔を向ける彼女。
小さな身体を風に煽られながらも、
覚えたての笑顔を向けてくれた…
波
ざざ……
「それじゃあ…」
「ん…ああ、もうそんな頃合か…」
「…うん」
その返事と共に、
以前のように海に向かって歩き始める彼女。
「あ、そういえば免許証…」
「いいよ、記念に貰っといてくれよ」
「うん、わかった…」
「…わかった」
頷きながら、ポケットに収める彼女。
それはかつて彼女に譲った免許証。
本来ならば、既に出番を失った筈のものだった。
そして彼女は、自分の手首に巻かれた、
あのビニールの白い腕輪を外すと…
…俺へと差し出してくれた。
「もしかして…くれるのか?」
「うん、あげる…」
「そっか…じゃあ俺も、記念に貰っといてやるよ」
同じように受け取った腕輪。
俺も自分のポケットへと収める。
そして、再び海へと歩き始める彼女の…
その後ろ姿に向かって、俺は最後の言葉をかけた。
「なあ…最後にもう一つだけ質問していいか?」
「うん」
「お前、今…引きとめてほしいか?」
「……………」
「それとも…背中を押して欲しいか?」
寄せる波を足に受けながら、その場に立ち止まった彼女。
問いを投げる俺に背中を向けたままだった。
強い風が波頭を飛沫に変え、
そんな彼女を冷たく叩いていた。
やがて、俺の方を振り返ってくれると…
「…さあ…どっちだろうね」
「あはは、よくわからないね」
そう言って、最後にもう一度だけ笑ってくれた。
冷たい波の飛沫を受けながら、
涙を浮かべながらでも笑顔を向けてくれた。
以前は、波打ち際で止まっていた、その足…
でも今は止まることはなかった。
…だから、それが答えなんだと思う…
「それじゃあ…さよなら…」
…こうして、俺達の960kmの旅が終わった…
俺にとっては15日間、
彼女にとっては22年間の旅も終わった。
7階でも家でもない、自らの意志で避けた彼女。
2005年度、推定自殺者数3万5千人の中の一人。
血液型O、名前はセツミ、22才、女性…
ビニールの認識腕輪は白。
これが彼女の全てだった。
…でも、俺は知っている。
本当は、ビキニの水着が好きで、ナビ以上に道に詳しくて、
車が好きで、普免だって持っている。
いつもは無表情で、滅多に向けてくれないけど、
たまには、照れくさそうな、拗ねたような顔だってしてくれる…
エメラルドの海を背に…
跳ねるように、嬉しそうに、
まるで、グラビアアイドルのように笑ってくれる…
なのに…
この安っぽい使い捨てカメラに、
たった一枚しか残せなかった彼女の笑顔。
…それでも…たった一枚だけでも…
……残せた俺達の証し……
《水仙1》游戏原案
孟, 奕辰·2022-03-02·820 次阅读